死期を悟った猫は飼い主から消えゆく
「……行ってきます」
夏休みを終えて数日、太田川は一人自分の部屋を出て学校に向かう。その傍らに藤村はいない。
というよりも、藤村は夏休みが明けて以来、自分の部屋に閉じこもりきりだった。
「あ、太田川さんおはよ。そういえば藤村君ずっと来てないけど、風邪?」
「うん、夏風邪が酷くてね……」
教室についた太田川に話しかけるクラスメイト。風邪ということにして誤魔化しながらうつむく太田川。
「ふーん。ていうかよく続いてるよね」
「……うん。でも……」
もう終わりかもしれない、と言ってしまえばすぐにでも本当になりそうで、何も言えないまま太田川は涙目になってしまう。
「え、ひょっとしてうまくいってないの?」
「どうせ藤村君が酷い事したんでしょ? 太田川さんに原因あるはずないもん」
「そうそう、もう別れちゃいなよ」
「……ちが」
そんな太田川にただならぬ何かを感じ取ったクラスメイトが、憶測で藤村を貶し始める。それを否定しながらも、原因が自分にあると認める事もできず、ふらふらと教室を出ていってトイレに向かう太田川。
「どうして、なんで……うっ……ううっ」
かつての藤村のように、トイレに座ってすすり泣く。あの日以来、太田川は藤村の部屋に入る事すらできていなかった。たまに壁越しにすすり泣く声が聞こえてくるため安否の確認はできているが、部屋に入る勇気が出ない。あの日藤村に拒絶されたことから彼女もまた、立ち直ることができなかった。
「……今日こそは、ちゃんときりくんに会わないと。会って、それから……」
ここ数日、授業も上の空で学校を休んでいる藤村と大差ない太田川であったが、その日の放課後に食料の買い出ししている途中にそう決心する。藤村と会った後どうすればいいのかを考える事ができない太田川であったが、とにかく藤村のために料理を作ろうと自分を奮い立たせる。
「きりくん、いる?」
買い物袋を片手に、藤村の部屋のインターホンを押す太田川。扉は開かなかったが、中で一瞬物音がしたのを太田川は聞き逃さなかった。
「開けるね」
「……」
変えていなかった藤村の部屋の暗証番号を解除し、部屋にあがる太田川。
部屋の中には、何日も髭を剃っていないのか無精ひげを生やして、アニメが映されたパソコンを見ながらぼーっとしている藤村がいた。
「きりくん、お腹空いてるでしょ? ご飯作るね」
「……」
「あ、そのアニメ見てるんだ。それ私まだ見てないんだよね」
「……」
話しかけても何の反応も返さない藤村に心を砕かれそうになる太田川であったが、笑顔を絶やさずに台所を借りて料理をし始める。十分程で野菜炒めを作り上げ、藤村の側に料理を置く。藤村の近くに置いてあったゴミ袋を太田川が覗くと、大量のカップラーメンのゴミが入っていた。
「野菜たくさん買っておいてよかった。きりくん、ちゃんと野菜食べないと駄目だよ」
「……うるさい」
「あ、やっと喋ってくれた。きりくん結構髭生えるんだね、それとも男の人って、何日も剃らないと皆そうなるの?」
「知るかよ」
忌々しげに太田川を睨みつける藤村であったが、食欲には勝てないのか、太田川から箸を奪い取って野菜炒めを食べ始める。
「……その、きりくん。学校は、行った方がいいよ」
「……」
そんな藤村を微笑ましそうに眺めながら、そんな忠告をする太田川。本当に言いたいことはそんなことではないとわかっていながらも、そんなことしか言えなかった。
「……出てけ」
「おやすみ」
食べ終わった皿を太田川に突きだすと、それだけ言って布団に入る藤村。藤村に代わって部屋の電気を消して、太田川も自分の部屋に戻る。
「まだ、手遅れじゃないよね。元に、戻れるよね……?」
そして一人部屋で、必死で泣くのを堪えながら、希望を捨てずにいた。
「あっ」
翌日、太田川が教室に向かうとそこには既に藤村がいた。外部から世界を遮断するかのごとく、陰鬱なオーラを出しながら自分の席に突っ伏している藤村であったが、そんな彼でも太田川にとっては、近くに彼がいてくれるだけで安心感を得ることができた。
「おはよう、きりくん」
「……ふん」
藤村の席に向かって行き、挨拶をする太田川。一瞬太田川の方を向く藤村であったが、すぐに舌打ちをすると机に突っ伏す。
「え、本当にどうしたの? 何かあったの?」
「昨日冗談で言ったけど、本当に喧嘩中?」
「……ちょっとね。どうすればいいのか、わかんなくて。でも、多分大丈夫だよね?」
心配するクラスメイトに頼りなさげな笑みを返す太田川。その日、学校で二人が会話をかわすことはなかった。授業をほとんどまともに聞かず、学校が終わるとすぐに教室を出て行く藤村。友人に自分達の事情は説明しないし、相談もしない、きっとそうすれば皆が藤村を批難するから……そう考えた太田川もまた、藤村に少し遅れて教室を一人出て行く。
自分の勇気の無さを否定するかのように、時間が問題を解決してくれると考えて、たまに食事を運んだり、話しかけるくらいに留める太田川であったが、時間が経つと共に藤村には悪影響が出始めていた。
「藤村、お前最近たるんでるぞ、留年でもする気か」
「……すいません」
ある日職員室に呼ばれた藤村が気になって太田川が跡をつけると、成績のことで教師に注意を受けているところだった。学校には来ているが、授業のほとんどを寝て過ごしている藤村。努力で才能を補ってきた藤村が努力をやめてしまえば、成績が著しく下がるのは当然のことだった。
「俺には、才能がない」
「そんなことないよきりくん、こないだの模試だって、T大C判定だったじゃない」
その日の晩、夕食を作りに藤村の部屋に入った太田川に、藤村は縮こまって座りながらそう呟く。
「日本でトップクラスの教育を受けてきて、その程度なんだ。論外だよ。それに、あの頃よりも俺はもう駄目になってる」
「大丈夫だよきりくんなら。また努力すれば」
「努力して何になる? お前に何がわかる? これ以上お前の口から出る努力なんて言葉、聞きたくもない。なあ、努力を穢さないでくれよ」
「……」
虚ろな目で、笑っているのか怒っているのかわからないような表情で太田川を眺める藤村に、太田川は何も言えずに部屋を出て行く。
「……私がいるから、いけないのかな」
部屋に戻った太田川は、ため息をつく。自分の存在そのものが、恋人を壊しているのだと自分の中で結論をつけた太田川。
「鞘に戻って、私が幸せになることばかり考えていたけど、私じゃもうきりくんは幸せにはできないんだね。だったら……」
自分の幸せはもうどうでもいい、藤村に立ち直って欲しい。そんな想いを胸に、太田川はとある決断をくだす。
その後も二人のほぼ壊れてしまった関係は続き、藤村の17歳の誕生日。
「きりくん、誕生日おめでとう。もう17歳かあ、早いもんだよね」
「……」
成績は右肩下がり、学校でもクラスメイトと交流しなくなった藤村。
「私のせいで、きりくんは前に進めないんだね。努力する意義すら、私が奪ってしまった」
「……そうだな」
机の上に置かれたケーキを、太田川の顔も見ずにもしゃもしゃと食べながら、ぽつりと呟く藤村。
「だからね」
そんな藤村に笑顔を見せつつ立ち上がった太田川は、
「私、留学しようと思うんだ」
「……は?」
藤村のために考えた最善策を、笑顔を崩さずに藤村に告げる。
唐突な宣言に顔をあげて、クリームのついた顔で太田川を見上げる藤村。
「私のせいで、きりくんは努力もできなくなった。だから、私がいなくなればいいんだよ。私がいなくなれば、時が問題を解決してくれる。負の感情を抱き続けることもなく、きりくんもすぐに立ち直ることができる」
「お前、何を言って」
「きりくんなら、大丈夫だよ。すぐにいい人見つかるし。あ、そうだ。野々村さんなんてどうかな、まだ彼女恋人できてないみたいだし」
「……」
「私もね、アメリカで勉強したいことがあったし、丁度いいかなって。先生にも相談したら、私ならいけるって太鼓判を押してくれたし。これで全部うまくいくんだよ」
笑顔が壊れそうになって泣きそうになりながらも、最後まで笑っていようと耐える太田川。
「ふざけんな」
「……っ!?」
藤村は立ち上がると、そんな太田川の頬を思いきり叩く。




