青い鳥は幸せに気づかない
「なんとかこのペースなら、無事に文化祭は間に合いそうだな」
翌日。上機嫌そうに鼻歌を歌いながら学校へ向かう藤村。
今の藤村の心は充実していた。自分の能力や自分の気持ちときっちりと向き合うことができた、数年前まで自らに憑りついていた負の感情を払拭することができた……そう自己評価する今の彼にとっては、文化祭の準備も苦どころか、充実した人生を送るために必要なこととすら感じることができた。
「……うん」
「何だよ、元気ないじゃねえか」
一方の太田川は気が気でなかった。藤村が野々村とメールのやり取りをしていることを知った太田川がまず感じた感情は、藤村への怒りでも、野々村への怒りでもなく、ただただ焦りだった。
自分に魅力がないから、藤村は野々村へと乗り換えようとしている、このままでは自分は藤村に捨てられてしまう、そんな被害妄想に憑りつかれてしまった太田川。
「き、きりくん! 文化祭は一緒に回るよね?」
「いきなりなんだよ、当たり前だろ? 俺達カップルなんだから」
「そ、そうだよね。だよね、だよね」
心晴れ晴れとしている藤村は、恥ずかしがることもなくそんな言葉を言って見せるが、今の太田川にはそれすらも、やましい事があるからではないかと思ってしまう。
二人の想いが噛み合わないまま教室へ。
「……」
「どうした?」
「別に。ねえねえきりくん、たまには朝からお喋りしようよ」
教室に入るや否や、自分の机で本を読んでいる野々村を睨み付ける太田川。
いつもはクラスの女子とお喋りに興じる太田川だったが、この日は藤村を逃がすまいと朝から拘束。
太田川のことを愛おしく想えるようになった藤村からすれば喜ばしいことではあったが、悲しいかな太田川の気持ちに気づくことはできないまま、
「……! ……♪」
藤村に気がついたのかペコリと会釈をする野々村に、手をあげて挨拶をするのだった。
ただの挨拶でしかないのだが、太田川からみれば恋人同士の暗号にしか見ることはできない。
「何か機嫌悪くね?」
「……くっ」
原因が自分の行動にあるとも知らず太田川を気遣う藤村。最初こそ焦りを感じていた太田川であったが、段々と冷静になり、野々村への憎悪を膨らませる。自分と藤村が恋人同士であることは周知の事実なのに、それを知っていて手を出しているのだから酷い女だと言わんばかりに野々村を睨み付け、自分と比較をし始める。
今の太田川は自分が一般的に魅力的な女性であることを十分理解していた。外見でも内面でも、スタイルも貧相で顔も地味、性格も暗い野々村よりも遥かに勝っていると、藤村と同じような結論にたどり着く。
一体どうして藤村があんな女と仲良くなる理由があるのだろうと考えていた太田川は、新学期になった時の藤村のセリフを思い出す。
『クラスの女子で一番テストの成績良かったの誰だっけ』
ここでようやく、自分が野々村に負けている点と、藤村が野々村に興味を示した理由を悟る。
一学期のテストの結果では、自分はトップ10にすら入ることが出来なかった。
周りに自分よりも頭のいい女性が現れたことで、自分は藤村に捨てられようとしている……更に焦りだす太田川。
学力だけではない。今の太田川は藤村を世話する、依存しつつも甲斐甲斐しい女性であったが、野々村はかつての太田川のような、周りに頼れる人がおらず藤村に依存しきっていたような、世話をされるような孤独な人間。そういう弱々しい人間を好む男性がいることも太田川は理解していた。結局は藤村はそういう人間ではなかったのだが。
しかし、太田川はもう昔の自分には戻りたくはなかった。自分が藤村の愛を取り戻すためにできることと言えば、
「きりくん! 私、期末テスト頑張るからね!」
「何だいきなり。まあ、頑張れよ」
かつてほど藤村が執着していない学力で、結果を出すことしかなかった。
この年の文化祭やクリスマスといったイベントを、藤村は心から楽しむことができた。
自分が人間として成長できたと実感ができて、隣には魅力的な恋人がいて。
けれどその魅力的な恋人は、心から楽しむことはできなかった。
期末テストで結果を出さないといけないという焦りもあったが、太田川の頭の中では、藤村は野々村と二股をかけているか、もしくは野々村に乗り換える寸前であるという被害妄想がぐるぐると廻っていた。
もう藤村は野々村に乗り換えるつもりも、二股をかけるつもりも微塵もないのに、隣で愛を囁いているのに、悲しいかな太田川の心にそれがきちんと届くことはなかった。
そして年が明け、期末テストが近づいてくる。
かつてほど執着はしていないながらも、体が覚えているからか根が真面目だからか、学校でも授業を真面目に受けるし、毎日予習復習にきちんと時間を割く藤村。
一方で頑張るからね、と藤村に宣言した太田川はどうしているかと言うと、
「あはは、やっぱこのアニメは最高だよ」
「アニメなら自分の部屋で見ろよ、俺一応勉強中なんだが」
特に頑張っていなかった。
常に周りから神童だ天才だと持て囃されて生きてきた太田川であったが、それ故に致命的な弱点もあった。今までちゃんとした努力をした試しがないのだ。教科書をパラパラと読めば大抵の事は頭に入ったし、特に練習しなくたってスポーツは何だってできた。幼い頃から藤村のように慣れておくべき努力という概念の大切さを、太田川は理解すらできない。結果として、『テスト当日に本気を出せば何とかなる』なんて、ゲームやアニメのキャラのように自分が覚醒すると信じ込んでいた。
特に努力をしていないどころか、精神的に焦っていた太田川がテストで良い結果を出せるはずもなく、
「……17位」
「俺は40位か……まあ、平均よりは高いしな……お前も成績下がってんじゃねえか、ははっ」
期末テストで前回よりも成績を落としてしまう太田川。
彼女は確かに才能に恵まれていたが、才能だけでは限界があったのだ。
藤村も同様に成績を落としたが、かつて程執着はしていないし、むしろ自分同様に成績を落とした太田川にシンパシーすら感じていた。
そして上機嫌になった藤村は、太田川にとっては聞きたくもないであろう言葉を、
「あ、野々村さん。1位おめでとう」
「おはよ、うござ……わ、私がいいいいいちい? ほ、本当だ……」
テスト結果を見るために藤村の近くにやってきた野々村に向けて、嬉しそうに言ってしまうのだった。
「……」
「どうしたの? 太田川さん」
「何でも」
その後の授業中、テストの解説が行われる中、太田川は涙目になりながらテスト用紙をぐしゃぐしゃにする。自分は成績を落として、ライバルはトップ。太田川の中では、もう勝負はついてしまった。
「あ、あの、藤村さん、お話が。放課後、空き教室」
「? うん、いいよ」
それでも、藤村は自分を捨てるはずがない、今まで幼馴染として、ずっと愛し合ってきたのだからと前向きに考えようとする太田川であったが、最悪なことに野々村が藤村を呼び出そうとする現場を見てしまう。
「きりくん、学校終わったらすぐに映画見にいこ!」
「あー、俺ちょっと用事があるから、多分すぐ終わるけど」
「……!」
きっと正式な告白が行われるに違いないと、必死でそれを阻止しようとする太田川。
しかしそれは叶わず、結局太田川は放課後こっそりと藤村の後をつけて空き教室の様子を見る。
「え、えと、藤村さんのおかげで、1位、なれました」
「いや、俺特に何もしてないと思うけど。むしろ勉強教えてもらったりして邪魔してたし」
「いえ、私、メンタルがかなり弱くていつも、実力出せないけど、今回は、藤村さんとお話とかできて、嬉しくて、実力が出せたと、思うんです。だから、藤村さんのおかげです」
「そっか」
「あ、あと! わ、私……友達、できた、みたいです! 文芸部、入ったんですけど、皆、いい人です」
「おめでとう。大分喋りも上達したかな?」
野々村にそんな報告をされて、心から祝福する藤村。何気なく野々村の頭を撫でる。
「は、恥ずかしいです。えと、その、最後に……好きでした!」
「……ごめん、俺には」
「知ってます! 藤村さん、太田川さんのこと大好きだって。藤村さん気づいて、ないと思いますけど、結構太田川さん私の事睨んでました。駄目ですよ、彼女さん、心配させたら。私は、もう、大丈夫ですから、だから、お幸せに!」
照れながら告白をして、すぐに逃げ去っていく野々村。
雛は成長して親鳥の元を離れた。最初は邪な理由で野々村に近づいた藤村であったが、結果的には良い結末を迎えることができたなと微笑む。今ここに、藤村と野々村の関係は終わりを迎えたと言ってもよかった。
しかし教室の外からその一部始終を覗いていた太田川は、藤村が頭を撫でているシーンと、声が小さくて聞き取れない野々村が気持ち大声で放った『好き』という単語、最後に藤村が見せた微笑みしか認識することができない。彼女からすれば、終わってしまったのは自分と藤村の関係だった。
「……? デルタ、お前まさかさっきの話聞いてたのか?」
「……う、うう」
「まあ、そういうことだ。てかお前嫉妬してたのかよ、馬鹿だなあ」
「うえええええええ」
「ど、どわっ!?」
廊下にへたり込んだ太田川の元へ、教室から出てきた藤村がやってくる。
太田川は藤村を押し倒すように抱きしめると、
「私を、捨てないでよお、うう、うええええええええん、私はきりくんがいないと、駄目なんだよお、勉強ももっと頑張るし、きりくんが望むなら、もっと駄目な女になるからさあ、うう、ひぐっ、えぐっ」
泣きじゃくりながら、弱い女に戻るのだった。




