愛が溶けはじめる夏
「……」
夏休みが始まって数日、藤村は無気力状態だった。
食事と情事の時以外はほとんどベッドに転がって天井を見つめては、過去の栄光に浸る。
「俺もあいつも、所詮は凡人だった、か」
大きなため息をつく藤村。藤村だけが低い順位なら、まだ挽回のためのやる気を彼に与えてくれたかもしれない。藤村にとっては、太田川がトップ10にも入っていなかったことの方がショックだった。
憎しみながらも、少なからず心のどこかでは認めていた、ライバルとして、目標として、藤村に影響を与えてきたはずの彼女が、所詮はその程度の女だった……そう考えてしまった藤村は、少し太田川に対する興味を薄れさせてしまった。
「ただいまー。きりくん、晩ご飯どうする? たまには外に食べに行こうよ」
「……ああ、そうだな」
「何か最近、きりくん素直って言うか、冷めてない?」
「そんなことはないよ。この辺だと三郎って言うラーメン屋が人気らしいぜ」
「あ、それ私も聞いた聞いた。色々すごいらしいね、いこいこ」
アルバイトを終えて戻ってきた太田川が藤村を外食に誘うと、やる気のない返事をかます。
部屋を出てラーメン屋へ向かう途中も、あくびばかりしている藤村。
今の藤村にとっての太田川は、飯炊き女でありセックスフレンドも同然だった。
「夏休みどうする? やっぱ遊びたいからバイトはあんまいれてないんだけどさ。私が絶対行く予定なのはコミケくらいしかないけど、遊園地とか色々あるじゃん?」
「そうだな。俺も暇だから、なるべくは付き合うよ」
「やた。うわ、これが噂の……小でもすごい量だね、食べきれるかな」
「口臭すごいことになりそうだな」
ただ、それでも太田川を邪険にするつもりはなかった。長年一緒にいたことで、離れづらくなったのか、邪険にすれば後々面倒な事になると推測していたからか、誘われるままに夏を太田川と満喫するつもりだった。
「ごちそうさま。それじゃきりくん、バイト行ってくるね」
「ああ」
この日昼食を終えた後に太田川がアルバイトで出かけたのを見送ると、藤村はテレビをつけ、ベッドに転がりながら昼ドラを見始める。しかし藤村の感性には響かないようで、すぐにあくびをしてテレビを消した。
「……コンビニ行くか」
最近の自堕落さには本人も不安を感じていたようで、ベッドから起き上がると部屋を出て近くのコンビニへ向かう。流石に夏休みが明けてもこんな調子で不登校になるのは嫌だなと思いながらコンビニに向かい、雑誌コーナーで適当にニュース系雑誌をとって読みふける。太田川と一緒に行く予定の遊園地やコミケなどの情報を得たあとは、適当に飲み物とアイスを買ってコンビニを出る。その際、コンビニの窓に貼ってあったアルバイト募集の紙に藤村は目を奪われた。
「バイトか……」
クーラーのガンガンに効いた部屋で冷たいジュースとアイスを腹に流し込み、寒くなったのか布団にくるまりながら藤村は先程のアルバイト募集の事を考えていた。藤村は知識欲は高くても物欲は少ない人間であったから学生時代に自由に使えるお金にそれほど興味は持たなかったし、アルバイトで時間を無駄にするくらいなら、自分を高めて立派な社会人になった方が効率がいいとも思っていた。
しかし現状、無気力すぎて期末テストの復習すらしていない藤村。本を読むのも小説を書くのも気乗りしない。プライドの高さはまだ持ち合わせていたのか、何かをしなければいけないと焦っていた。
「なあデルタ、バイトって楽しいか?」
その日の夕飯時、我が物顔で藤村の部屋でテレビを見ながら食事をとっている太田川に問いかけると、太田川は目を輝かせだす。
「チョー楽しいよ、きりくんもバイトに興味持ったとか?」
「まあな」
「えぇっ? じょ、冗談で言ってみたのに……」
アルバイトに興味を持ったと言う藤村に驚く太田川。藤村自身、少し前までなら自分がアルバイトに興味を持つなんて考えられなかったのに、人は変わるものだなと自分をせせら笑う。
「……暇だしな。勉強する気も起きないんだ。新しい刺激が欲しいんだよ。お前がバイトしてる間に、俺も近くのコンビニでバイトでもするよ」
「きりくん……うん、気分転換とか大事だもんね。夏休みはバイトして遊んで、夏が明けたら勉強頑張って、トップ狙おうね」
「……」
テストの結果を気にしていることを悟った太田川がそう言って藤村を慰めようとするが、藤村は不愉快そうに太田川から目を逸らす。太田川に頑張るだの、努力を語られることが嫌でたまらなかったのだ。
「いらっしゃいませ」
「こちら温めますか?」
「ありがとうございました」
早速近くのコンビニでアルバイトをすることにした藤村。通っている高校のネームバリューは凄まじいようで、高校一年生だというのに過度に期待をされてしまいプレッシャーが重くのしかかるも、要領の良い藤村にとってマニュアル通りに動いて、相手を不快にさせないように接客をすることなど朝飯前だった。
「えー、藤村君鏑木高の生徒なの? すごーい、超エリートじゃん。何でこんなとこでバイトしてるの?」
「すぐそこのアパートに住んでますので」
「あー、確かに近いのはいいよね。でも勿体ない気がするなあ……」
同じシフトに入っている女子大生に賞賛の目で見られながら仕事をする藤村。周りの人間からすれば、自分は十分すごい人間なんだなと自分を少し慰める。
「はー、私ももう少しちゃんと勉強しておけばよかったよ。君は夏休み前のテストの順位、いい方だった?」
「まあ、平均よりは上でしたよ」
「私もそこそこいい進学校だったんだけど、高校最初のテストで100人中95位でさー、もう一気にやる気無くしちゃって、そのままズルズルと成績落として、今はアホ大学生よ。君はそうなったら駄目よ」
「そうですね」
女子大生の後悔を適当に受け流す。今くらいの成績を維持する自信はあった。仮にこのままやる気を無くしたとしても、学年最下位レベルになることはないと自分の能力を評価していた。けれども、藤村にとっては少なくとも所属しているコミュニティの中でトップに近い成果を出さなければ意味が無かった。トップを取ることで、それより大きなコミュニティでもトップである可能性があると考えていたからだ。たまたま自分の近くに太田川という存在がいただけで、自分は中学校でもトップクラスだし、中学校のトップクラスが集まる高校だってトップクラスに決まっていると過信していた。そして日本でもトップクラスになって、世界でもトップクラスになれると思っていた。その希望が現実によって打ち砕かれたのだ。
「そういえば藤村君彼女とかいるの?」
「ええ、幼馴染でクラスメイトの子が」
「え、両方エリートなんてすごいね。きっとその女の子、君に追いつくために頑張ったんだろうねえ、泣かせる話じゃないか……およ、何でイライラしてるの?」
「別に」
太田川の話をすると、女子大生は太田川が努力で藤村に追いついたなどという、事実とは逆の境遇を想像しだす。太田川に追いつくために自分が努力してきたという事実を藤村自身、成長するにつれ認めるようになった。だからこそ藤村は腹が立ってしまう。そして目標としてきた太田川よりも上の存在が身近な高校にいるとわかった今、太田川への執着心は見る見るうちに冷めてきたんだろうと、藤村は自分の感情を推測する。
「ほらよ」
「? 何これ」
「バイトの給料出たから。欲しがってただろ」
「うん……いいの?」
「いいよ、別に金が欲しくてバイトしたわけじゃねえし」
それでもアルバイトの給料で太田川にアニメのBDを買ってプレゼントする藤村。
何故自分はこんなことをしているのだろうか、餌付けが癖になった? 食欲と性欲を満たすため? 太田川を本当に愛しているから? 混乱する藤村の頭の中に、復讐なんて言葉はどこにもなかった。




