静かなる想い その8
静かなる想い その8
人を好きになるのに理屈なんて存在しない。
ただ、君が好きなんだ…。
どうしようもなく君に心惹かれ、そして君が欲しくて。
この気持ちを持った事に後悔なんてしない。
喩えそれが俺の全てを無くしたとしても。
俺は君を愛している…。
がたがた震える夏流に気がついた俺は、触れるだけのキスを中断した。
唇に微かに夏流の熱が宿っている。
沸き上がる激情を抑えながらも俺は努めて冷静に言葉をかけた。
「…済まない。
どうかしていた。」
そっと身体を離し、労る様に肩に触れる。
触れる俺の手を夏流は肩を揺らし遮った。
遮られた手を見つめ俺は、すっと夏流に視線を落とした。
夏流の目には俺に対しての恐怖が現れていた。
「…」
「…俺が怖いか…?」
俺の問いに無言で首を縦に振る。
「…そうか」
夏流の態度にやはり、と思いながらも俺はある事に気付いた。
夏流は…、忍に…?
一瞬、浮かんだ考えに押しつぶされそうになりながらも、忍のあの時の言葉を思いだし、自分の考えが正しい事に失笑した。
もし、夏流を孕ましたら結婚してもいいか…。
あの時の忍の狂気を含んだ瞳を思いだす。
あの忍なら実行するだろう。
そして夏流を強引に奪った。
心に深い傷を負わせ…。
今になって忍の夏流に対しての想いがどれだけ狂気を駆られていたのか、そして、どれだけ心の傷が深かったのかを、改めて思い知らせた。
その結果がこうなった…。
俺は…、これ以上、忍を裏切ってはならない…。
そう、俺のすべき事はただ一つ。
忍の目覚めた後、夏流への想いを実らせる事。
それが忍への償い。
自分の全ての感情を殺しても、忍に償いを…。
深く息を吐き、俺は夏流に話しかけた。
「…これからは忍の見舞いには、君がいない時間に来る事にする。
その方が君も安心だろう。」
「…」
「本当に君には済まない事をした。
俺もどうにかしていた。
君も…、今日会あった事は…、忘れて欲しい。」
「…」
「くれぐれも身体には気をつけて欲しい。
君に何かあったら、忍はきっと後悔する。
だから、自分をもっと大切にしてくれ!」
「…」
「失礼する。」
「…坂下さん。」
夏流に声をかけられた事に、一瞬、俺は自分の耳を疑った。
扉の前に立ち止まり、その場から動く事が出来ない。
俺は次にかけられる言葉に全ての神経を集中した。
「…どうして、そんなに私の事を?」
夏流の言葉に俺は、どう答えていいのか躊躇ってしまった。
君を愛しているからだよ、と伝える事が出来ればどんなに幸せだろう…。
だがそれは決して伝えてはならない言葉。
ふと、微笑み俺は夏流にこう、言った。
「君が忍の大切な人だから…。」
「…」
「何かあれば、俺の携帯に直ぐに連絡して欲しい。」
返事の無い夏流に苦笑し、俺は忍の病室を後にした。
時計を見ると6時である。
俺は輝に連絡をいれた。
案の定、輝は目覚めており俺にマンションに来る様に促した。
多分、昨日俺が連絡をした事に感づいたのだろう。
俺の想いを…。
マンションで俺を待っていた輝は、俺にただ一言、こう静かに言った。
「夏流くんを奪わないのか…」と。
一瞬、俺は何を言われたのか理解する事が出来なかった。
そんな俺を輝は、深い瞳で見つめていた…。