静かなる想い その7
静かなる想い その7
「そして君は俺に何を聞きたいんだ、忍君…」
豪との食事を終えた輝は、忍が待っているバーへと赴いた。
真剣な趣の表情の忍に、輝はふと微笑んだ。
「…兄貴が、本当に夏流の事…?」
豪が漏らした言葉に、夏流への想いを匂わせていた事に動揺を隠せない。
忍は重々しく輝に尋ねた。
「もし、それが本当だとしたら…、君はどうする?」
輝の言葉に、一瞬、感情が走り鋭い視線を投げ掛ける。
忍の視線をいともしない輝に、自分が先走った事を恥じ、忍は態度を改めた。
「…夏流は俺が…」
ぽつりと呟く忍をやんわりと遮る。
「夏流くんは君のモノではあるまい?
君と彼女との関係は10年前に終わっている。
違うかい?」
「…でも」
「それに夏流くんの事を今でも想っているのなら、何故、直ぐに行動に移さない?
この10年間、夏流くんがずっと君の事を慕い続け、君との出会いを待っていると思っているのか?
そう、信じているんだね。」
「…あの別れの時、夏流は確かに俺への想いを抱いていた。
それが解っていたから、俺は。」
「その時の想いを信じて、彼女に相応しいと思える迄、会うのを控えたと」
いい終えた途端、輝はくつくつと笑った。
さも、おかしそうに…。
「君は本当におめでたいね、忍君。
まあ、実際に、夏流くんには交際相手は存在しないよ。
この10年間、確かに存在しなかった。
だけどそれがどうしてだか解るかい?
豪が…、密かに彼女を守っていたから。
彼女に交際を求める相手が出ない様に、ずっと見守っていた。
君との恋を実らせる為に。
全く、豪はバカだよ。
夏流くんを愛しながらも、その想いを心の中に押し込めて、君が自分の事ばかり考えている時期に、ずっと影から夏流くんを支え、見守ってきた。
彼女の就職が上手く行く様に影から手配して、母親の病気が思わしく無い時は、医師に心配りを行って…。
彼女に負担がかからない様、豪はずっと彼女を助けていた。
それなのに君は横から夏流くんを奪おうとする。
それもそうなる事が当たり前の様に振る舞うよね。
俺は…、君のそういう傲慢な考えが嫌いだよ、忍君。
何処迄も自分が被害者というのを鼻にかけて、して貰う事がさも当然だと言う、だだっ子の様な考え方がね。」
輝の言葉を聞いた途端、頬に朱が差し肩を震わせた。
「な、何だと…」
「ほら、そうやって直ぐに感情に走る。
君は本当に幸せな男だよ。
感情に走って生きる事ができるのだから。
いや、逆に哀れと言うべきであろうか?
人の想いも、その影に隠れている思惑も解る事が出来ないんだから。
何処迄、君は子供なんだ、忍君…!」
輝の言葉のはしはしに漂う怒りに、忍はただ静かに言葉を聞くしか出来なかった。
それ程、輝の言葉は忍の心に深く突き刺さった。
「…」
「豪はね。
ずっと「坂下」の名に、縛られて生きてきた。
まあ、それは俺たち5家も一緒だが。
だが、豪は立場が違う。
涼司さんと君の母親が結婚した時点から、豪には結婚の選択肢も、そして生きる道迄決められてしまった。
涼司さんが亡くなってから、更にだ。
豪は、自分の心に波紋を投じる事も無く、ただ静かに、「坂下豪」として生きてきた。
そこには自分の主たる考え等、存在しない。
それは君たち親子が奪ったモノだからね…。
その豪が初めて自分の感情に正直になり、心から欲しいと願った存在が夏流くんだった…。
豪の想いを君への裏切りと怒るかい?
だけど人を愛するのに、他人のモノだから愛してはいけないというのは、果たして正しい事なんだろうか?
そうではないだろう?
人の心を縛る事は誰にも出来ない。
そして君も豪の想いを遮る事は出来ない。
その権利が君にあると思うのか?」
「だけど、俺も夏流を愛している。
ずっと、愛していた!
今も…」
忍の言葉にふっと、目を細め穏やかに微笑む。
「だから、何だと言いたい?」
「…夏流を幸せにするのは俺だけだ…。
兄貴が影で支えていようが、そして兄貴が夏流を愛していようが、俺は俺の想いに正直に行動するだけだ。
夏流は誰にも渡さない!
喩え、兄貴でも…」
「なら、早く夏流くんに想いを伝えなさい。
豪もそれを望んでいる。」
輝の言葉に、目を見開き見つめ直す。
「…」
「そして豪を安心させてやってくれ。
あいつは何処迄も夏流くんの幸せを考えているから。」
輝の言葉に忍は、言葉を噤んだ。
そしてゆっくりと、自分の心を確かめる様に言葉を続けた。
「…輝さん。
俺に兄貴の事を話してくれて、有り難うございました…。」
忍の表情を見て輝は微笑んだ。
その微笑みを見て忍は確信した。
輝の本意を。
「前に進めそうかい…?」
「…はい」
「それは良かった。」
「…」
「…豪はこのままずっと、変わらないだろう…。
「坂下」の名の下に生き、そして最後を全うする。
だが、そんな豪に、豪らしく生きれた期間が存在した。
俺はね。
君には済まないと思うが、あの期間を豪に与えてくれて感謝していた。
豪に、「坂下」以外の自分の事で悩み、生きる事に疑問を投じて生き、そして自分の感情に向き合った。
今の豪は「坂下豪」と言う名の人形に過ぎない。
だが、そんな豪にも自分らしく生きれた時期が存在した。
一生の内に、自分の全てを感情を捧げる相手に巡り会えた。
俺は夏流くんとの出会いを心から喜んだよ…。
喩え、結ばれなくても…。」
「輝さん…」
「君には残酷な事を言って済まない。
だが、幸せというモノは常に他人の幸せを犠牲にしている事を知らないといけない。
そして今ある幸せが何故、存在するかとを言うのを…。
それを知った上で、君には夏流くんと共に歩いていって欲しい…!」
輝の言葉を心の中で噛み締めながら忍は、豪の心境を考えた。
夏流への愛を秘めながら生きてきたこの10年…。
豪にとって、それはどんな時間だったのだろうか…?
10年前、俺に言ったあの言葉にどんな想いが秘められていたのだろうか…!
(俺は兄貴と本心から話し合わないといけない。
そして兄貴と語り合えたら…、夏流に会いに行こう。
俺も前に進まないといけないから…!)