第1話 声ののど飴 1−3
4
月曜日。美咲が出社すると、麻衣の様子がおかしかった。
「おはよう、麻衣」
美咲が声をかけても、麻衣は素っ気なく「おはよう」と返すだけだった。いつもなら、週末の話をしたり、笑い合ったりするのに。
昼休みになっても、麻衣は別の同僚と食事に行った。美咲を誘わなかった。
美咲は一人で社員食堂で食事をした。周りのテーブルでは、同僚たちが楽しそうに話している。でも、誰も美咲のテーブルには来なかった。
午後、美咲が資料室で書類を探していると、偶然、廊下で二人の同僚が話しているのが聞こえた。
「田村さん、最近ちょっと怖いよね」
「わかる。言い方がキツくて、相談しづらい」
「仕事はできるようになったけど、なんか近寄りがたいっていうか……」
美咲は固まった。
そうか。みんな、そう思っていたのか。
その日の夜、拓也からメッセージが来た。
「美咲、ちょっと話がある。今度、時間作れる?」
嫌な予感がした。でも、美咲は「わかった」と返信した。
週末、二人はいつもの公園で会った。拓也は深刻な顔をしていた。
「美咲、正直に言うね」
拓也は深呼吸してから言った。
「最近の美咲、ちょっとおかしいよ。言いたいことをはっきり言うのはいいことだと思う。でも、言い方ってものがあるじゃないか」
「でも、私は本当のことを……」
「本当のことでも、言い方次第で人を傷つけるんだよ」
拓也の声は、いつになく強かった。
「この前の話もそう。俺が悩んでるって言ってるのに、美咲は俺を責めるばかりだった。優柔不断だとか、成長しないとか。そんなこと言われたら、もう相談できないよ」
美咲は何も言えなかった。
「美咲、俺は美咲の味方でいたい。でも、今の美咲は、誰も味方にできないと思う」
拓也は立ち上がった。
「少し、距離を置こう。美咲が落ち着いたら、また連絡して」
拓也は去っていった。美咲は一人、ベンチに座り続けた。
何が起きているんだろう。
美咲は鞄から小箱を取り出した。「声ののど飴」。残りは、まだ半分ほどある。
この飴のおかげで、仕事はうまくいっている。この前までいたのど元の門番はいなくなり、言いたいことが言えるようになった。そして仕事で評価され始めている。
その一方、人間関係は壊れていく。最初は「声ののど飴」で言いたいことが言えるようになった。けれど、最近は「声ののど飴」を使っていなくても、つい言ってしまう。それで相手から距離を置かれ始めている。
言いたいことをを言うことは、間違っているのだろうか。
でも、もう止められなかった。飴を使わないと、また声が出なくなる気がした。怖かった。
月曜日、美咲は鞄に「声ののど飴」を携帯して出勤した。
でも、その日の午後、決定的なことが起きた。
木村部長に呼ばれた。
「田村、ちょっといいか」
木村部長は小会議室へ美咲を手招く。小会議室で美咲と木村部長は対面する。
「田村、最近の君の働きぶりは素晴らしい。提案も的確だし私も君を高く評価している」
「ありがとうございます」
「ただ」
木村部長は言葉を選ぶように続けた。
「社内での評判が、あまり良くないんだ」
美咲の顔が強張った。
「他の社員から『このところの田村さんはきつい』という声が出ている」
美咲は黙って聞いた。
「仕事はチームでやるものだ。一人でどんなに優秀でも、周りと協力できなければ意味がない。君の意見は正しい。でも、伝え方を考えないと、誰もついてこなくなるぞ」
木村部長の言葉は優しかったが、美咲の胸に深く刺さった。
「昇進の話も出していたが、今の状態では難しい。まずは、周りとの関係を見直してほしい」
美咲は小会議室を出た。足元がふらついた。
デスクに戻ると、周りの同僚たちは美咲を避けるように距離を置いていた。
美咲は鞄から小箱を取り出した。飴を一粒取り出そうとして、手が止まった。
この飴は、本当に美咲を助けてくれているのだろうか。
言いたいことはすんなりとは出せるようになった。でも、大切なものを失っている気がした。
5
その夜、美咲は再びあの路地を訪れた。
暗い商店街を進むと「今宵薬局」の看板が、夜の闇の中で優しく光っていた。
ガラス戸を開けると、カラン、カラン、と鈴が鳴った。
「いらっしゃいませ」
店主が、穏やかに微笑んで迎えた。
「どうされましたか、田村さん」
美咲は「声ののど飴」を取り出した。まだ、中に五粒ほど残っている。
「あの……この飴、すごく効果があって」
美咲の声は震えていた。
「仕事はうまくいってるんです。でも、友達も、彼氏も、みんな離れていって」
涙が溢れそうになるのを、必死に堪えた。
「私、間違った使い方をしてるんでしょうか」
店主は静かに首を横に振った。
「いいえ。薬は、あなたの本音を引き出しているだけです。それは、確かにあなた自身の声です」
「でも……」
「田村さん」
店主は優しく言った。
「本音を出すことと、何を言うかは、全く別のことです」
美咲は店主を見つめた。
「この飴は、あなたに声を出す勇気を与えました。でも、どんな言葉を選ぶか、いつ言うか、誰にどう伝えるかは、あなた自身が決めることです」
店主は続けた。
「言いべきことをを言う、これは大切です。でも、本音をそのまま口にすることが、必ずしも正しいとは限りません」
美咲は、ハッとした。
「飴に頼り続けると、その選択を忘れてしまいます。声を出すことが目的になって、相手のことを考えなくなる。言葉は、伝えるためのものです。傷つけるためのものではありません」
店主の言葉が、静かに胸に染み込んでいった。
「あなたは今、岐路に立っています」
美咲は店主を見つめた。
確かに、最初は言葉を選んでいた。でも、飴に慣れるにつれて、出てきた言葉をそのまま口にするようになっていた。本音を言うことが正しいと思い込んで、相手の気持ちを考えなくなっていた。
「声は道具です」
店主は言った。
「大切なのは、その道具で何を伝えるか。誰かと繋がるために使うのか、誰かを切り離すために使うのか」
美咲は深く頷いた。
「もう一度、薬なしで試してみたいです」
美咲は「声ののど飴」の小箱をカウンターに置いた。
「でも、怖いです。また、言いたいことが言えず、黙ったままになるのは」
「大丈夫」
店主は微笑んだ。
「あなたはもう、声の出し方を知っています。飴はきっかけを与えただけ。あとは、あなた自身の力で育てていくものです」
美咲は小箱を見つめた。
美咲は少し不安に思った。でも、決めた。
「わかりました。ありがとうございました」
「声ののど飴」をカウンターに置き、美咲は深く頭を下げた。
「それでは、お元気で」
店主の声が、優しく響いた。
店を出ると、夜風が頬を撫でた。美咲は深呼吸した。
もう、飴には頼れない。これからは、自分の力で。




