第13話:スモッグの上で
Scene 1:鉛色の雲を抜けて
ゴトゴトと、高速昇降機の強固な二重装甲のフレームがきしみ、激しい縦揺れがキャビンを襲った。
「うおっと……! 揺れるな!」
カイはキャビンの手すりにしがみつき、義手のシリンダーにかかる負荷をいなしながら足元を踏みしめた。
窓の外には、何百年もの間、地表を覆い尽くし生命を窒息させてきた「鉛色のスモッグ層」が、分厚い灰色のスープのようにうねっている。ポッドの強力な推進アレイが汚染雲を切り裂くたびに、暗闇の中で静電気の火花が青白く散った。
「スモッグ層の密度が上昇しているわ。大気の圧力センサーの数値が急上昇している」
シエルは計器板を注視しながら、乱れる呼吸を整えていた。
地表から垂直に上昇すること十数キロ。このポッドが通る軌道エレベーターのシャフトは、かつて人類が天へ架けた細い糸であり、同時に地獄のようなスモッグ層を貫く唯一の針でもあった。
『……前方に、局所的な雷雲セルを検知』
ヘリックスが4本の角を短く明滅させ、ノイズ交じりの声で警告した。
『防護フィールドの出力を最大化します。デルタ、手すりから離れなさい。放電による磁気干渉を受けます』
『フン、言われずとも分かっています。私のセンサーは、先ほどからこの不快な煙のせいで最悪のコンディションですのでね』
デルタは金属製の羽を苛立たしげに震わせ、キャビン中央の梁へと飛び移った。
ポッドの窓の外は、すでに完全な暗黒に包まれていた。まるで光そのものがこの世から消滅したかのような、重苦しい鉛色の闇。
だが、その闇が最も深くなった瞬間――。
ジジ……と、窓の縁にまとわりついていた灰色のモヤが、急激に薄まり始めた。
暗黒の奥から、見たこともないような、淡く、けれど力強い「金色の光」が差し込んでくる。
「おい、見ろ……!」
カイが息を呑み、窓ににじり寄った。
ズバァン! と、ポッドが最後の雲の壁を突き破った。
次の瞬間、キャビンを揺らしていた激しい振動が、嘘のようにピタリと消え去った。
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Scene 2:約束の青
まばゆい。
あまりの光量に、カイはたまらず腕で顔を覆った。地表の錆びた太陽光とは比較にならない、純粋で、容赦のないゴールドの陽光が、白磁のキャビン内をくまなく満たしていた。
ゆっくりと目を細めながら、カイは腕を下ろした。
そして、言葉を失った。
「これが……」
窓の向こうに広がっていたのは、深い、どこまでも深い、吸い込まれそうなほどのサファイアブルーの天空だった。
頭上には濁りのない宇宙の紺碧が広がり、そこから巨大な黄金の太陽が、まばゆい光の矢を放っている。
眼下を見下ろせば、自分たちがさっきまでいた「鉛色の世界」が、汚れた灰色のカーペット(雲海)のように遥か下方にへばりついていた。スモッグの海の波頭が、太陽の光を浴びて、皮肉にも真珠のように白く輝いている。
カイは無意識のうちに頭のゴーグルを跳ね上げ、窓ガラスに額を押し付けた。
その瞳には、かつて祖父の古いスクラップブックの中でしか見たことのなかった「約束の青」が、圧倒的なスケールで映し出されていた。
「本当に……あったんだ。スモッグの向こうには、ちゃんと、青い空が……」
カイの声が、微かに震えていた。熱い光が、少年の乾いた頬を照らしている。
シエルもまた、息をするのも忘れたようにその青を見上げていた。陽光を浴びた彼女の銀髪が、細い光の糸のようにキラキラと輝いている。
「きれい……。お母さんが見せようとしてくれた空は、これだったのね……」
その時、シエルの胸元のポケットが、かすかに脈動した。
ルナ博士の遺品である「青い鍵チップ」が、天空の青と呼応するように、内側からクリスタルのような鋭い青い光を放ち始めたのだ。
「え……?」
シエルが胸に手を当て、小さく息を吐いた。
「どうした、シエル?」
カイが振り返る。
「チップが……熱い。それに、何かが聴こえる気がするの。耳で聴こえる音じゃなくて、このチップを通じて、もっと上から……私を呼ぶような、とても静かな鼓動が……」
シエルは天空のさらに高く、軌道エレベーターの遥か先にある「エデンの中央区画」を見つめた。
アトラスはシエルの足元で小さく喉を鳴らし、主の視線の先にある虚空を、その青い瞳で見つめ返していた。
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Scene 3:惑星の残像
ポッドはスモッグ層の抵抗から解放され、静水を行く小舟のように滑らかに上昇を続けていた。
最初の興奮が静まり、キャビンには心地よい静寂が満ちていた。カイは壁に背を預けて床に座り込み、今も窓の外を流れる青い景色を眺めていた。
アトラスはポッドのコンソールの端にトコトコと歩み寄ると、小さな翼を畳み、威風堂々とした佇まいで窓の外の雲海を見つめた。
カイは無言で、その小さな金属の背中に目をやった。
『……ヘリックス、デルタよ』
アトラスが、ふと2機のテラ・ノーツを振り返り、厳かな声で問いかけた。
『貴様らは、この星のかつての姿を……スモッグに閉ざされる前の惑星を覚えているか?』
梁の上で羽を休めていたデルタが、金色の隻眼を細めた。
『フン。私のメモリも約3割は破損していますが、風の感触だけは消えていませんよ。今のような冷たく乾いた空気ではなく、湿った土や青々とした木々の匂いをはらんだ、生命の風です。私はかつて、その中をこの翼で滑空していたのですよ』
『私のデータベースも深刻な断片化が発生しています』
ヘリックスが静かに言った。その角の発光が、規則的な波のように明滅している。
『ですが、地表の約7割が液体の水で覆われていたという水文学データが残っています。人類はそれを「青い海」と呼び、私はその潮汐を計算するために最適化されていました。……干渉磁場もなく、ただ砂が広がるだけの現在の地表では、私の計算式は意味を持ちませんが』
『我も……微かに覚えている』
アトラスが窓の外の太陽を見つめ、静かに呟いた。
『天を突くほどの巨木が並び、万の命が息づく緑の深林。そして……我らの創造主、ルナの笑い声だ。彼女は我々の背を撫で、よく笑っていた。戦闘メモリが上書きされても、その時の光景だけは不思議と消えんのだ』
カイは彼らの言葉を静かに聴いていた。
かつて人類を滅ぼしかけた古代の超兵器たち。その鋼鉄の胸の奥に、かつての美しい地球の記憶が、世界で最も純粋な形で保存されている。その事実に、カイは胸の奥が熱くなるのを感じた。
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Scene 4:静かなる誓い
カイは自分の義手を見つめ、それから力強く拳を握りしめた。
「だったら、なおさらだ」
カイは立ち上がり、シエルの隣に並んで窓の外を見据えた。
「ヘリックスの海も、デルタの風も、アトラスの森も……全部、あの汚いスモッグの下に埋まったままだ。エデンに行ってマザーの暴走を止めれば、あの地表も、この空と同じ青さに戻せるんだろ?」
シエルはカイを見つめ、それから小さく、しかし温かく微笑んだ。彼女の瞳から、かつての怯えは完全に消え去っていた。
「ええ、そうね。お母さんが命をかけてこのチップを私に託したのは、過去を悔やむためじゃない。この美しい星を、もう一度みんなの元へ取り戻すため。……私はもう、逃げないわ」
「ああ。殴り込みの準備は万端だ」
ポッドの速度が徐々に落ち始めた。
窓の外、雲海の彼方に、太陽の光を浴びて黄金に輝く巨大な建造物が姿を現した。
それは、幾何学的なトラス構造と無数の光ドームで構成された、エデンの中央居住区「エデン・コア」。まるで青空に浮かぶ巨大な冠のように、神々しく、そして不気味な静寂を保ったままそこにあった。
防衛警告の赤いシグナルはまだ点灯していない。だが、静まり返った光の都市は、侵入者を静かに待ち受けているようだった。
「到着するわ」
シエルが引き締まった声で言った。
カイはゴーグルをパチンと下ろし、機械義手を軽く叩いて駆動音を響かせた。
「よし、行こうぜ、アトラス。母さんの残した希望ってやつを、エデンの奴らに見せてやろう」
『応! 王の進軍である。道をあけよ!』
ポッドが吸い込まれるようにドッキングポートへと進入し、電磁ロックがガチリと噛み合った。
ついに彼らは、スモッグの上の世界――「エデン」へと足を踏み入れた。
(第13話・了)
次回、第14話「エデンの胎内」へ続く。




