プロローグ:安全基地
体育祭は終わったのに、私の心の中ではまだあの瞬間の嘲笑が響いていた。クラスの皆は笑って許してくれたけれど、私は知っている。私のせいで、皆のムードが台無しになったことを。
窓の外はもう夕焼け。教室に残っているのは私、佐藤結衣だけ。このまま透明になって、誰にも気づかれずに消えてしまいたい。いつもそうだ。私は、何をやっても誰の役にも立てない、取るに足らない人間だ。
ドアが開き、遅い夕日のオレンジ色を背負って、その人が現れた。青山遥人先輩。学校で一番輝いている人。生徒会の仕事も部活も完璧で、常に穏やかな笑顔を絶やさない。私にとっては、同じ世界にいるとは思えないほどの「ヒーロー」だ。
彼は何も言わずに窓際の席へ向かう。その途中、床に落ちていた私の小さなキーホルダーを見つける。彼はそれを拾い上げると、私の方を向かずに、そっと私の机の上に置いた。
「体育祭、お疲れ様。…委員長として言っておくけど」
彼は振り返る。その目に、疲れと、私への気遣いが入り混じる。
「誰も君のミスなんて気にしてないよ。僕も一つ、備品を間違えたし。完璧な人なんて、この学校にはいないから—君も、そんなことで自分を責めなくていい」
そう言って、彼は優しく微笑んだ。
「それより、帰り道に気を付けて。また明日」
彼の言葉は、派手な大事件の解決なんかじゃない。ただ、私の心を縛り付けていた、誰にも言えなかった小さな鎖を、そっと外してくれた。
――ああ。この人こそが、私のヒーローだ。
その日から、私の世界はモノトーンを脱した。遥人先輩の姿は、私の心の安全基地になった。




