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白百合の庭

作者: ららばい


細い雨が糸を引くように降る夜のこと。十六歳のドミニオン王子は、城のベランダにひとり立っていた。なぜ、こんなに寂しいのだろう。その日は異腹弟ルカスの十五歳の誕生祝賀会が盛大に開催された。


ドミニオン王子の母は正妃だったが、彼が五歳の時に亡くなり、第二王妃が正妃になったのだ。その長男がルカス。今夜の誕生会で、王妃がルカス王子を見つめるうれしそうな顔が印象的だった。


 晩餐会の最後に、国王が招待客の前で、宣言した。

「王太子は長男のドミニオン・リサンドルである」と。

 それを聞いた王妃の無表情が変わった時、王がこう付け加えた。

「これは、絶対命令である」


 次の王がドミニオン第一王子かルカス第二王子かという論議は長いこと続いていたが、それは今夜、決定されたのだ。


*

 誕生祝賀会の後で、ドミニオンは、ひとりベランダにやって来た。

 あの五歳の夕方、こうやってベランダから外を見ていると、西側の小門から、母親と侍女が出ていく後ろ姿が見えた。いつもとは何か様子が違ったから、別人なのかなと思って、それを確かめようとして背伸びをした。


「お母さま」


 そう呼びかけたら、後ろから乳母に抱き抱えられて、中に連れていかれた。そして、その時から、二度と母の姿を見ることがなかった。

 翌朝、王妃が突然、身罷ったと聞かされ、葬式が執り行われた。

 そんなの、うそだ。

 ドミニオンはそんなはずはないと思い、深夜に、こっそり棺をあけてみた。そこには母に似た人形がはいっていた。人でないことは確かなのだ。彼がその頬をつついてみたのだから。


 乳母にそのことを伝えたことがある。彼女は驚いた目をしたが、こう説明した。

「人は死んでしまうと、誰でも、人形のようになるのですよ」

 


*


今夜、そのベランダにやって来たのは、私が次の王になるのです、と誰かに、いいえ、母に報告したかったから。しかし、王子の心は晴れない。

 今夜の誕生会で、ルカス王子を見つめる王妃の顔が心に突き刺さる。ルカスは、愛されている。でも、私を愛してくれる人はいない。

  


*


ドミニオンは時々、王子の服を脱ぎ捨て、旅人の姿になって、市井を歩く。人々の様子を観察する意味もあるが、心の中には、別の期待がある。


 そんなある日、市場に出かけた時、人混みの向こうに、どこかで見たことのある姿を見た。

 ただこういうことは、初めてではない。ここまで、何人も見つけ、すべてが人違いだった。

 

 その日、見たのは母の侍女によく似た人の後ろ姿だった。細い首に、背を少し丸めた背筋、ゆったりとした歩み、微かに揺れる髪の房。あの侍女の名前は何だったのか。


 彼がそっと前に回ると、その女性は、あの侍女によく似ていた。

 腕に布のかかった瓶の形のした包みが大事そうに抱えていた。


 女性は市場を抜け、その外れで待たせてあった馬車の運転台にいる男に微笑み、その横に座った。荷台には大量の粉の袋と野菜、それに男女の子供ふたりが乗っていた。幸せそうな一家。

 王子は家来を呼んで、後をつけさせた。


 家来の報告によると、荷車は王都を離れ、田園地帯にはいり、さらに西へ。やがて辿り着いたのは、小さな村の、質素だが手入れの行き届いた茅葺きの家で、庭にはたくさんの白百合が植えられていたという。


  

*


 数日後、ドミニオン王子は旅人の服を着て馬に乗り、その村に行ってみた。かまどからは夕餉の香りが漂い、表では二人の子供が笑いながら駆け回っていた。


「ごはんですよ」

 女性は優しい眼差しで子供たちを迎え入れた。

 ドミニオンは物陰に身を潜め、家族の団らんをじっと見ていた。

 

 国民が幸せなのはよいことだ。しかし、家族の光景を眺めていると、胸の奥に、わけのわからない悲しみが込み上げてきた。


 その時はそれで引き返したが、数日後、ドミニオンは再びその家を訪れた。夕暮れの光が庭をオレンジ色に染める中、彼は意を決しその家の戸を叩いた。


「すみません。私は旅人です。水を一杯いただけますか」

 ドミニオンの声は、乾いた風に震える木の葉のようにか細かった。女性は振り返り、その瞳は驚きに大きく見開かれた。


「もちろんですよ、どうぞ、中にお入りください」

 その瞬間、女性の表情に微かな困惑と、少しの恐怖がよぎるのをドミニオンは見逃さなかった。


 彼女の隣にいた小さな男の子が、不安そうに母親の服の裾を引いた。

「お母さん、この人はだれ」

「旅のお方ですよ。行儀よくしてね」


「お名前は」

「名前はリサンドルと申します」

 リサンドルというのは、ドミニオンのミドルネームである。

「私はトリと申します」


 トリは子供たちを紹介した。長男がナントス十七歳で、長女がアドラ十五歳。中にもうひとりいて、彼は二歳のマドトス。


「リサンドルさま、あなたはおいくつですか」

「十七です」

「ご兄弟は」

「おりません」

「あなたのご両親は」

「父はおりますが、私に母はおりません」

「どうして」

「母は、私が五歳の時に、私を捨てて出ていきました」


「どうして、捨てたとわかるのですか」

「私が悪さばかりするから、呆れて、出て行ったのでしょう」

「それはないですよ。子供の悪さは愛しいもの。母親は、そんなことで出ていきはしません」


「あなたが母親ならよかったのに、私の母親は違いました。私のことなど、思ったことがないでしょう」

「そんなはずはありません。何か言い残されたことはないのですか」

「ないです。あれば、こんなにさみしい思いはしなかったでしょう」


「リサンドルさまは、おさみしかったのですか」

「当然じゃないですか。私は誰からも愛されていないのですから。昔も、今も、将来も、誰も愛してはくれないのです」

「それは違います」

「どうして、そんなに自信があるのですか。もしかして、あなたは私の母親だとでも言うのですか」

 彼は冗談のように言って、彼女の顔を見つめた。


「私は、城など、訪れたこともございませんから」

「どうして、私が城から来たとわかりましたか」

「リサンドルさまの品位ある立ち振る舞いを見たら、誰でも、ただのお方ではないとわかりますよ」


 *



ドミニオンは、実は自分はこの国の王子で、先日、市場であなたを見て、後ろ姿が母親の侍女によく似ているから、もしや思って、訪ねてきたのだと正直に告げた。

 すると、トリが頭を深く下げた。

「申し訳ございません。私も、城になど行ったことはないと嘘を申しました。私はあなたのお母さま、カルネラ王妃の侍女でございました」

「ああ、やはり。母は生きていますか」


「いいえ。城を出てから、この家で、ともに八年間暮らしました。王妃さまは毎日、あなたのことばかり祈っておられました。でも、残念ながら、病気になられて亡くなられました」


「では、母は四年前までは、ここで生きていたのですか」

「そうです。ふたりで暮らしていた時、何から何まで親切にしてくれた農夫がおりました。二年前に、私はその男と結婚したのです。上のふたりの子供は夫の連れ子でございます」


「母の命日はいつですか」

「それが、二週間前。普通、私どもは市場には行かないのですが、あの日は、王妃がお好きだった白酒を買いにいったのでございます。その日に、王子が私を見かけたのでしょう」


「母は白酒が好きなのですか」

「はい。白酒と白百合と」

「だから、庭にたくさん植えられているのですか」

「そうです」


「白百合はあなたが好きだった花なのでしょう?」

「私が、白百合が好きでしたか?」

「はい。王妃さまがそのようなことを言われていた記憶があります」


*


「母はなぜ城を出たのですか」

 ドミニオン王子が聞きたいのは、そこだ。

「あなたのためです」

「どこが、私のためなのですか」


「当時、第一王妃と第二王妃の関係は極めて険悪で、宮廷はふたつに割れ、毎日のように争いが絶えませんでした。国王はその状況にひどく頭を悩ませておられました。あなたのお母さまは、いつもお静かで、争いごとを何よりも嫌う方でした。そこで、ご自身が身を引く代わりに、『王太子の座は必ずドミニオン王子に与える』という約束をくださいとお頼みし、さいごに王は承諾しました。王妃はその時、強く言われました。 もしこの約束が破られたならば、私は恨みを抱き、必ずや復讐すると」


「私は王太子になどなりたくはなかった。母のそばで暮らせれば、どんなによかったか」

「あなたさまには国民を幸せにする義務がおありです。弟ぎみのほうがうまくやれるとお思いですか」

「いいや」

「そうでしょう。この国を守っていくのは、あなたしかありません」

「この年月、お寂しかったのも、国王になる鍛錬でございましょう」



*


 ドミニオン王子は城に戻り、トリの言った白百合のことを思い出してみた。そう言えば、母が去る日の朝、母は白百合が生けられた花瓶を持ってきてくださった。

「おはよう。私の愛するリサンドル」

 

 そうだ。

 いつだったか、母が名前の由来を話してくれた時、ドミニオンは強い指導者になるようにと国王が命名したもの。でも、ミドルネームのリサンドルは、純粋で慈愛に満ちた者、白百合のような男子になってほしい。そういう願いからと母がつけたのだと語ってくれたことがあった。


 そうなのか。白百合は母の愛、願いなのか。

 彼は、急に、世界が明るくなった気がした。


*


それから、ドミニオン王子は何かにつけ、白百合の庭の家をしばしば訪ねるようになった。


 家族とたわいのない話をしたり、食事をふるまわれたり、また娘のアドラとはよく村の小道を散歩した。


「今日はわたしの誕生日です」

「アドラはいくつになったのですか」

「お会いしたのが十五歳ですが、今はもう十七歳になりました」


「それなら、何か贈りものをしなくては。何かほしいものはありますか」

「はい。ひとつ、あります」


「何ですか」

「わたしのお兄さんになってください」

「だめですよ。アドラには、ナントスというお兄さんがいるでしょう」

「では、ナントスを兄でないことにします。ただの同居人です」

「そんなことはできませんよ」

 とドミニオンが笑った。



「では、勝負をしてください。私が勝ったら、お兄さんになってください」

「変な論法ですが、私が勝つから、いいでしょう」


「では、王子さまは水切りを何回できますか。私は平たい石を集めているので、十回できます」

「私は十三回、跳ばしたことがあります」


「王子はスイカの種飛ばしをしたことがありますか。私は五メートル飛ばせます」

「私なら、十メートルくらい飛ばせます」

 アドラがとても落胆した顔をした。


「アドラ、あなたの一番の得意は何ですか」

「私の一番の得意は喧嘩です。一度も、口喧嘩で負けたことがないです」

「それはすごい。勝てるコツは何ですか」

「大きな声で、まくしたてることです」


 ドミニオン王子は、これまでで一番大きな声を出して笑った。

「では、こうしましょう。兄にはなれませんが、婚約者というのはどうですか」

「えっ。私は田舎娘なので、王子さまのお嫁さんにはなれないでしょう」

「そういう規則はないです。いやですか」

「いやではないです。本当は、なりたいです。私、今日から少し上品になりますから、お嫁さんにしてください」


 初夏の風に庭の白百合にそよいで、甘い香りを運んできた。



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