30-1 野球体験
【30話/B面】Aパート
校舎の東側2階。
放課後になるとこの奥の部屋が部室となり、集う面々がいる。
誰かが部室にやってきて、それが複数名になったあたりから部活動『日本文化交流研究部』は始まるのだが、この日メンバーは全員部室にはいない。
生徒会の西山の依頼で、この日は野球部の練習相手に行く事になった。
野球。
進学校の野球部員は正直少ない。
一昨年から発足した日本のプロサッカーリーグ「Jリーグ」の人気もあり、やや野球よりもサッカーの人気が部活内でも見られ始めていた時期である。
夏の予選に向け、12人しかいない部員の練習相手になってもらいたいという事で、八薙をはじめとした男性5人が練習試合の補充相手として呼ばれたのだ。
でも1番の目的は、静那に“野球”というものを実際に見て、嗜んでもらうため。
小谷野と兼元は野球経験者だが、暑い中での部活を一番嫌がっていた。しかし、静那が野球している2人の勇士を是非見てみたいという眼差しを向けたため、出向くことになったのである。
体操着に着替えた5人はグラウンドに出てきた。
「忙しい中ごめんね。」
「この暑い中ホンマやわ~でも全員で17人やろ。1人足りんやん。」
「そこは大丈夫。うちのキャッチャーはそのままついてもらうから。」
野球部の部員にさりげなく聞く小谷野。
「西山わい?」
「あいつは生徒会って言って逃げたな。そもそも運動部ってタイプじゃないだろ。」
「まぁそうやろうけど、静那ちゃんの為とはいえあいつに体よく使われたみたいで嫌やな。」
「でもお前のとこ、いいよな。あんな可愛い子がネット裏から応援してくれるなんてな。うちにもマネージャーほしいよ。運動部でもないのにこの格差はズルいな。」
「まぁ俺の嫁やし。」
「嘘つけ!」
「嘘言うかよ。それにあと残り3人の女は側室やし。」
「…後で本人に側室かどうか聞くからな。」
「いややめて。」
「やっぱり嘘じゃん。」
馬鹿なやり取りは程ほどにして練習試合を行う事になった。
AチームとBチームに分かれての練習試合が行われるが、初めに簡単なキャッチボールを行う。
兼元と小谷野、あと八薙や生一はある程度スムーズにキャッボールをこなすのだが、勇一はうまくできない。
野球は見ることはあってもやったことは殆どなかった。
なのでいざボールを投げようとしても、送球が山なりボールになってしまう。
手首の使い方、ボールのリリースがうまくできずに思うように相手にまっすぐ球が返せない。
力んだらワンバウンドになってしまう。
それにひきかえ、小谷野は腕のスナップを使い糸を引くようなボールをグローブ目掛けて投げ込む。
そんな小谷野は見かね、勇一とやっていたキャッチボールを一時中断する。
「あかんわお前。球の投げ方が悪いねん。受け方もあかん。ちゃんと取れてへんやん。
肩の使い方も出来てないし。これやったらどこも守れへんぞ。ちゃんとボール受けられるまではやらん方がええん違う?」
事実は事実だが、はっきり言われてやや落ち込む勇一。
自分はこの5人の中では一番運動神経が悪いようだ。
まぁ中学生の頃からずっと無気力な帰宅部だったのだ。無理も無いか…と気を落とす勇一。
すると静那がグローブを手に掛けよってきた。
「勇一!変わって。私小谷野さんとキャッチボールしてみたい。」
そう言って小谷野の前に立ちはだかった。
「あっ!お前ええな~静那ちゃんと!ズルいで!」
兼元が羨ましそうに見ているが、試合前の練習時間だ。あまり時間もないので、キャッチボールを開始する。
「いくよ。」
まずは静那が勢いよく振りかぶってボールを投げ込んできた。
経験者のわけないと思うが…なかなかの球筋だ。投げ方も誰かが投げているのを見よう見まねでやっているような感じだ。
アンダースローなのが謎だが、ノーバウンドで小谷野のグローブに球が納まった。
「静那ちゃんナイスボール。」
「さとるボールやで!」
意味のわからないことを言い出す静那。
金網越しで見ていた葉月がその球筋に賛美を送る。
その声援に少し照れる静那。
「じゃあ行くよ。静那ちゃん。」
小谷野はそう言って腕のスナップを使い伸びのあるボールを静那目掛けて投げ込んだ。
小谷野からしたら普通の送球だ。
しかし初めてのキャッチボールということもあり、静那はグローブで補給できず、肩口にモロに球を打ち付けてしまった。
「あ!静那ちゃん!」と真っ青になる小谷野。
肩にボールを打ち付け、やや痛そうにする静那。
とたんに非難の声が挙がる。
「ちょっと静ちゃんになに当ててんのよ!」
「お前何してんだよ!受け取りにくい球投げるなよな!」
「いや…決して受け取りにくい球では…」
「しーちゃん大丈夫?」
同じく近くでキャッチボールをしていた野球部員たちも少し心配そうに様子を見ていた。
しかし顧問の先生兼監督が皆を制する。
「手を止めるな。キャッチボールも大事な練習だ。向こうは向こうで任せておきなさい。肩が出来たものからストレッチに移れ。」と。
どうやら顧問の先生は静那の“意図”に気づいたようだ。
心配して小谷野が静那の元に駆け寄ろうとする。
すると静那はスクッと立ちあがり“大丈夫”のサインを送る。
「さぁ時間もあまりないし、どんどん続けよう。」
そう言って静那はまた球を元気よく小谷野に投げ込んだ。
アンダースローながらノーバウンドで届く送球。実に受けやすい球だ。
しかしここからだ。
小谷野はどういう球を静那に対して投げようかと考えてしまう。
さっきみたいな普通の投球をすれば取り損なって体に当ててしまうかもしれない。
そう感じた小谷野は今度は緩めのやや山なりの球を返す。
受けやすいように静那の胸元辺りに球が届くように調整する。
するとうまく静那のグローブに球が吸い込まれていった。
「ナイスボール!」
静那がそう言う。
「お…おう。」
小谷野もやや申し訳なさそうに返事した。
そこから5~6球、キャッチボールを続けた2人。
小谷野は静那が…相手が受けやすいコースと軌道を心がけながら投げた。
静那もそれに応えるようにしっかりキャッチしてくれた。
「よし。もういいかな。じゃあ勇一、交代しよ。」
静那はそう言って勇一と交替した。
「リラックスしてやろうぜ。」とアドバイスする静那。
「すごく受けやすかったよ。ありがとう。」と相手を努めてくれた小谷野にも忘れず感謝を伝える静那。
不思議な事にその後、勇一と小谷野のキャッチボールは自然とうまく続くようになった。
顧問の先生兼監督さんはその様子を遠目からじっと見ていた。
キャッチボールとストレッチを終えたらいよいよ練習試合だ。
* * * * *
「は…はええ!なんだ今の球。140kmくらい出てなかったか?」
「いや…120kmそこそこなんだけど。」
“生きた球”というものを初めて打つという経験の生一。
バッティングセンターに行った事はあるのだが、こうやって相手が投げてきた球に対応するのは初めてである。
「まあええ!打ったるよ!来いや!」
相手の野球部2年ピッチャー・大谷は振りかぶってさっきよりも緩めの球を投げる。
「お!?」と小谷野。
タマの独特の軌道に気づく。
「遅い!もらったァ!」
生一がタイミングを合わせて豪快に打ちに行ったのだが無情にもバットは空を切る。
「ストライッバッターアウト!」
アンパイヤは顧問の先生が担当してくれている。
「くっ、クソがぁ!」
悔しがる生一。
「大谷!今のもしかしてアレ?」
大谷という投手にさっきの球種を聞く小谷野。
少し大谷はニヤッとしてから答えてくれた。
「分かった?今の少しだけどフォークながよ。」
「やっぱりか。ええやん今の。明徳にも通用するで!」
生一がその会話を聞き振り返る。
「おい!フォークって球は打者の手元で“ストンッ”って音がして落ちていくんと違うんか?」
「お前、それは漫画の影響受けすぎやねん。んな音するわけないやろ。何やねん“ストンッ”って。」
「フォーク音やけど。」
「んな音あるかぁ。」
三振後のバカなやり取りをしているそのベンチ裏のバックネットでは、静那達女性陣の会話。
「ルールは前もって調べてきたんですけど、さっきみたいに3回振って当たらなかったら打者がアウトになるんですね。」
「いやいや、それ以外にもね、ストライクゾーンって言ってね。打者が打つ構えを見せた時に、わきの下からひざまでの高さで、ホームベースの両端を横幅とする空間がそれにあたるの。
そこに球が来ても振らないとアウトになるよ。」
説明しながら葉月はストライクゾーンというものをゼスチャも交えながら説明する。
「今ボスが言ってたフォークってのは?」
「それはね。落ちる球の一つで、ストレートの軌道を描きながら打者の手前で真下に落ちる変化球……って分かるかな。」
「うん、事前に少し勉強してきたから。でも実際に見るのは初めてだな。よく見えたかったけど落ちてたの?」
「らしいね。ここからだと分かりにくいんだけど、バッターから見たら落ちてるんだよ。実際さっき藤宮君が打ちにいこうとしたけど空振りしたでしょ。
打てると思って当てに行って当たらなかったんだから少し変化してるんじゃないかな。」
「へぇ~変化球…フォークかぁ。色々あるんだね。」
「そうね。変化球の球種って、細かい変化も含めると100種類近くあるって言われてる。
球速や回転の向き、角度や回転量などの要素によって軌道が変化するみたいだけど、これらの要素を組み合わせたらそれくらいの種類になるかもね。
ピッチングって奥が深いね。」
椎原さんらしいすばらしい説明だ。
「あの大谷さんっていうピッチャーも沢山変化球投げるのかな?」
「高校生投手だと平均で3から4球種くらいを投げ分けるのが一般的みたいよ。まぁ聞いた話だけどね。ストレートだけで勝ち進んでいけるほど高校野球のレベルは甘くないからね~。」
「そうなんだ。」
「静ちゃん今の話で分かるの?」
「うん。実はボスがさ、今日の為に野球の漫画貸してくれたんだ。
それを急いで読んできた。すごく長くて寝不足だったけど、おかげで野球の知識の下地がついたよ。貸してくれた漫画のストーリでは初めの方のエピソードだと“柔道”もやってたから柔道の知識もつけられたし。」
「漫画がスポーツの教材に…ねぇ。」
意外な顔をする仁科さん。確かに字と専門用語がびっしり書かれた野球のルールブックを読むよりも漫画で覚えた方が遥かに入ってきやすい。
「野球の漫画面白いよ。ルールは殆ど覚えられたし。“ボーク”とか“振り逃げ”も分かるよ。」
「すごいね~。私野球を見つつ静ちゃんにルールを逐一説明していくつもりだったから驚いてる。」
「それは悪いよ~それに見るならある程度のルールは覚えてからでないと楽しくないでしょ。」
「確かに。」
「お!そう言ってたら我がチーム、チャンスじゃないですか!」
生一がダメだったがその後、八薙と後続が続き、ランナー1・3塁の状態で兼元に打席が回ってきた。
小谷野と兼元は一応野球経験者だ。
打ち頃の甘い球は容赦なく痛打する。
「ここで応援歌を!」
静那はなぜかヒッティングマーチの紙を取り出して皆に配る。これは恐らく生一あたりが仕込んだのだろうか。
「いきますよ。」
なぜかモップと笛を取り出した静那。
その教室にある掃除道具から持ってきたであろうモップを上下に揺らして音頭を取る。
“ピーーーッ。ピッピッピッ”
「♪打球がライトスタンドを、ひ~とま~たぎ~、それ行けチャンスだ兼~元、燃えろ兼~元!かっとばせ~兼元!」
その謎の即興ヒッティングマーチを聞きつけ、気分を良くした兼元は右中間を深々と破るタイムリーヒットを放った。
2塁ベースを回ったところで応援団が陣取るバックネット裏を見やる。
「今の応援歌、最高だったよ!ありがとう静那ちゃん!」
感謝の声を上げる。
「ね、良かったでしょ。」
「すごいね静ちゃん。こんなのいつの間に作ったの?」
「ボスが…」
「やっぱりあいつか。」
「ボスがこういうのやれば喜ぶって言ってたから。練習試合でも勝てたら嬉しいでしょ。私たちも見てるだけじゃなくて何か力になりたいと思って…。」
「静ちゃん…いいね。それ。」
「良いよね。あっ次は小谷野先輩だよ。これ!」
またしても事前に作っていたヒッティングマーチの紙を取り出して配った。
気持ちよく打席に立ってもらうには何よりだ。
「♪遥か天高く~空に輝~く栄光を掴め、小谷野弘之~!」
その応援歌に同じく感化されたようで、小谷野もホームラン性の飛球を打つ。
「すごいね~あの2人。普段はサッパリだけでどさすが経験者なだけあるわ。」
「おい!聞こえてんぞ!普段はサッパリって何やねん!」
3塁到達した小谷野が叫ぶ。でも嬉しそうだ。
「なんかさ。こんな感じで応援するのも楽しいかも。葉月先輩、どうかな?」
「しーちゃん?」
「この提案はボスからなんだけど、私この提案聞いて思ったんだ。
この前葉月先輩が、頑張ってる人のサポートをする仕事がしたい…って話しているの思い出してさ。私も少しそれに近いイメージ持ってた。
それがどんな形でも何らかのサポートになるなら、何か将来やってみたい事のヒントになるかもしれないって。
だからやってみようって思ったんだ。いきなり応援歌を歌うのはちょっと恥ずかしかったけどね。」
「そうなんだ。だからこうやってヒッティングマーチをわざわざ作ったりして…」
「静ちゃん少しでもみんなの力になれたらって常に考えてるんだね。」
「そこまでは…へへへ。野球のルール覚えるのにまず時間かかったから。」
「ううん。全然。ありがとう。じゃあ私もちゃんと声出して応援するね。」
道場内ではまだしも、こういう場で声を張り上げたりするのは気が引けていた葉月だが、静那の想いを汲み取り進んで声出しをするようになった。
ボリューム上げて、手拍子でチャンステーマを歌いだす。
『チャ~ンスだ~振り~抜け~ 男前~!』
殺風景な運動場がとたんに華やかになる。
ただの練習形式の試合がとたんに引き締まってきた。どの選手も“見られている”という意識が芽生えて、良い意味で練習という意識が消えたようだ。
「いいな~お前の所の女子。」
塁上の小谷野に呟く野球部員。
「せやな。まぁ…ええもんやな。応援されるん。(応援ってこんなにええもんやとは思わんかったわ。)」
『B面』では、勇一達が立ち上げた部活「日本文化交流研究部」での日常トークを描いています。時々学校外の課外活動にも出向きます。
各話完結型ですので、お気軽にお楽しみください。
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