28-1 村づくりDIY
【28話】Aパート
道路はイランの首都『テヘラン』に近づくほどに整備されていた。
首都と言うだけあって思ったよりも現代ナイズされていて建物も高い。
勇一達が滞在していた村とは大違いだ。
公園のような広くて奇麗なスポットがいくつもある。
余裕で日本の四国のどの街よりも都会だと感じるほどだ。
「真也達が合流するのは1週間後ということだから、俺達はその間は無暗に動かずにトルコ語を勉強しておこう。」
運転を担当してくれた村人は南部のややさびれた地域ではあるが、全員が雑魚寝できるくらいの広めの施設に案内してくれた。
言葉も方角も分からない中、村人が色々と案内してくれたのが何よりもありがたかった。
自分達だけだと恐らく迷子になっていたであろう広大な首都『テヘラン』。
首都南部は人口こそ多いが、北部の都市と比べるとやや貧富の差が見られる。ビルの高さがそれを物語る。
しかし土地が安く、食料やモーテルなどの宿泊施設も安価であるため、南部の集落でしばらく待機となった。
村人の話ではここテヘランは文化の中心で、歴史的建造物が多いらしい。
有形文化財の話を聞いていたら、こういう話が好きだった椎原さんの顔が思い浮かんだ。早稲田大学でのキャンパスライフは今どんな感じなのだろうか…と。
4月に入ったし…もう大学は始まっている頃だ。
テヘランで生活するうえで押さえておくポイントは勿論ある。
この地はイスラーム革命の“震源地”ということで、イスラム教に関しての理解が町で暮らす為の必須科目だということ。
後々行く事になるトルコもイスラム教の人が多いので、言語と一緒に“イスラーム文化”も少し学ぶことになった。
真也達と合流するまで1週間はある。
円滑に生活や捜索活動を進める為にも、異国に入るのならたとえ自分の価値観と異なっていようが、そこの風俗や慣習にあわせた行動をとるべきだと感じていた。
日本で言う“郷に入っては郷に従え”である。
女性は自宅から外に出る場合や公の場に行く場合は“ヒジャブ”という布頭巾の着用が義務付けられている。
義務というよりイスラム系女性のアイデンティティということらしい。
着用は仁科さんも葉月ももちろん初体験だった。
始めは髪全体を隠すことに違和感を感じるものの、ヒジャブにも様々なデザインがあり、身につける毎に抵抗が無くなってくる。
そうなればお洒落の一環として見れるし意外と楽しいようだ。
ミステリアスな雰囲気を醸し出していて、それが意外にも魅力的に感じた。
結果、もらいもののヒジャブだったが非常に気に入っていた。
静那は相変わらずマトリョーシカのようなナリだった。
移動の際は仁科さんと葉月によって運び出される。
“ヒジャブ”という形から入ったら、作法も取り入れてみる。
“礼拝”から。
イスラム教では“お祈り”という名の礼拝が欠かせない習慣だ。
1日5回。
毎日 夜明け前・昼・午後・日没時・夜 と礼拝を行うのだが、これも郷に従うべく実践してみる。
夜明け前に起きての礼拝はなかなか慣れないものだが、初体験の彼らからしてみれば気持ちを切り替える休憩時間のような感じがした。
近所の方々と集団礼拝をおこなう事もあり、お祈りを終えた時は何とも言えない仲間意識が芽生えた。
彼らはどうも“何か”をお願いするために神様に祈るのではないようだ。
お祈りの教えは様々なようだが、勇一達の解釈としては……基本、決して誰かにお願いしたり何かに期待するものではなく、日々自分自身が生かされている事への感謝をただただ伝えるような意味合いだった。
「日々への感謝…」
それを聞くと、決して“イスラム文化”が何も特殊なものではないというのを感じる。
日本でも御先祖様などの“見えない力”に対して感謝の気持ちを持つ事の大切さを習った事がある。
子どもの頃おぼろげながら祖父や祖母から教わったのを勇一は思い出した。
森羅万象に神を感じる日本古来の考え方…
そんな日本の思想にも通づるような礼拝という儀式。
なんとなく親近感を感じたのは勇一だけではなかっただろう。
一週間も経つ頃には皆、普通に定時になればお祈りをしていた。夜明け前以外は…
* * * * *
一週間ほどイスラム文化に触れてみたが、息苦しいと感じたのは“豚肉を口にしてはいけない”という点だけで、日本から見ても異質な文化には思えなかった。
基本は“感謝”だ。
さらなる理解を深める為、聖典の読解までには至らなかったが、ある程度“イスラーム文化”の理解を得た頃、無事に真也達が『テヘラン』に到着、合流する。
無事に村の復興と警護の依頼を取り付けてきたようだ。
ここで村の若者達とはお別れとなった。
お互い熱い抱擁を交わす。
またいずれ訪れる事を約束して…
* * * * *
運転手の方はこの一週間の間に国境を超える為の手続きとその書類。そしてパスポート紛失時の対処法と滞在許可証なども全て人数分そろえてくれた。
静那の症状に関してもだ。
薬だけでなく、ネイシャさんから聞いたうえで現地で会うであろう依頼者(その家のオーナー)に十分なケアをしてもらうように書状を認めてくれた。
国境を越えるうえで問題が起こらないように十二分な配慮をしてくれた。
勇一達だけなら、本当に何日もかかる大変な行程を経ないと難しかっただろう。パスポートが無いのでもっと審査に日数がかかったかもしれない。
それだけ勇一達に恩を感じていたようだ。
トルコには特別に最長180日は滞在できるらしい。
これが一応の捜索期間タイムリミットとなる。
次の日の出立を前に、宿を取り、久しぶりに全員で食事を摂った。
実は、村に滞在していた時は意外とみんな揃って食事することがなかったのだ。
ベットで寝たきりだったメンバーとその看護係。
子ども達のお世話と各村までの送迎に駆け回っていた勇一。
真也が老人たちの護衛で別行動をしていたりと意外と全員で食事する事が無かったりする。
村人から紹介してくれたレストランに入る。
渡された手紙と代金を渡すと勝手に料理が運ばれてきた。
キュウリのような日本でもなじみのある野菜のサラダ。そしてトマトを他の野菜と一緒に卵で炒めたような料理“ミルザガセミ”。
これは全員ヒットしたようだ。日本でも作れそうな料理だし何より美味しい。
他にも紫や黄色をしたお米の料理だったりと、どれも皆にとっては初めての食体験だった。
料理を堪能しながらようやく国の食文化に触れられたことを実感する面々。
何しろここまで色々ありすぎたのだ。
食事をゆっくり摂りながら全員でここまでの道のりを振り返るのは初めてのような気がする。
落ち着いたら次の目的地までの工程を確認して就寝。
* * * * *
ここからはバス移動となる。
ちなみに8時間程の長旅を経て、北西部の都市『タブリーズ』まで入ってしまえばもうトルコとの国境はかなり近くになる。
『テヘラン』からの出発前夜。ホテルでは今後の流れについてもう一度お互いに確認しあった。
国境までの手続きは村人達が手伝ってくれたが、ここから先はもう甘える事は出来ない。
自分達で生きる力をつけて目的まで突き進んでいくことが大事になる。
村人の紹介では黒海湾岸沿いの『リゼ』という村のはずれに知人がいるらしい。
まずはそこを目指し、住居を確保する!
トルコ語が、隣国のグルジア語がある程度話せるようになったら、静那の父親の捜索と帰国の為の資金集めを進めていく。
唯一まだ歩くこともままならない静那をおぶって、9名は『テヘラン』を発った。
太陽の沈む方向へ。
* * * * *
正直トルコ語はまだおぼつかない。
しかし国境を越えた後、村人が記してくれた住所へと向かい、そのコンパクトシティに入る。
村人から紹介を受けていた方に『紹介状』を見せると、すぐに空き家を紹介してくれた。
“町外れの自然に囲まれた海沿いの家”
聞こえは良いのだが田舎町のさらに外れで、今は誰も使っていない空き施設だった。
紹介してくれた“Kırmızı fasulyeさん”というトルコ人がここ一帯のオーナーというワケだ。
しかし誰も使っていない民家…長らく手入れをしていないだけあって、入り口から空き家まで草木が深く生い茂っていて全く進めないくらいの状態になっていた。
『大丈夫?できそう?』
『がんばります。やります。』
トルコ人のオーナー“Kırmızı fasulyeさん”とカンタンな会話を交わした後、海沿いの家とその周辺の開拓作業がはじまった。
ケガの治療費、そしてゆくゆくは帰国する為の費用を貯める必要があるということで、オーナーの所有している畑も同時に手伝うことになった。
アルバイトだ。
食料も確保しないといけないのでお金も要る。
住居とその周辺開拓に関してはまず人手がいる。
ここは男児の腕の見せ所なのだが“草刈り機”のようなハイテクな道具は無い。
やや原始的だがバーサーカーの様に鎌で葦を切りながら道を開拓していくスタイルになる。
勇一、真也、八薙の3名が気を吐く中、小谷野と兼元は“まだ傷が完治していない”と野良仕事を始めは嫌がっていたのだが、やがて一緒に空き家周辺の草刈りに参加するようになる。
やればやるほど見晴らしが良くなっていく。
それを実感できて、自分で開拓する楽しさを感じたのだろう。
一旦スイッチが入ったら無心で草刈りに没頭するようになった。
男子からしたら秘密基地を作ってるような感覚にもなれる。
生一はというと、どうしても動く度にアバラが痛むということで隣町の病院へ一旦入院することになった。しばらくは入院しながら言語の習得に励むことになる。
勉強は乗り気ではなかったが、生きていくため習得必須だ。
見た目は大丈夫そうに見えていた生一だったのだが、男性陣の中では彼が一番重症だったことになる。
結局男性陣5人で空き家の周りを改善&清掃し、同時並行で室内のリフォーム作業を進めていくことになった。
電気と水道が止まり、使われなくなった施設ではあるが蘇らせることはできる…そうイメージしてまずはやってみた。
“動けば変わる”と信じて。
結果、日に日に自分達の住処が整備され、住めるレベルまで復活していくことに面白さを感じたのだろう。
気が付くと小谷野と兼元の方が夢中になっていた。
窓からは海も見える。
ペンキで外壁を塗り替え、奇麗に整備さえすれば高級ホテル感だって出せる。
しかしこの空き家。ガスは取り付け式ということで使えるものの、電気も水道も通っていないままだ。
電気が通っていないというのは不便だが、意外と辛くはない。…そう感じるようになるのはもう少し先の話なのだが。
まず水。
しばらくは、オーナーの自宅からウォータータンクで運んできていたのだが、まず近くの山から水をひいてくることにチャレンジした。
ここで生活していくなら必須だ。
昔覚えた知恵を使い、長いホースをオーナーに提供してもらった後“サイフォン方式”で上流から水を持ってくる。
灯油ポンプと同じ原理だ。
管内に空気が無く水で満たされているなら、途中凸凹があってもポンプなどでくみ上げることなく流れ続ける原理を利用して水を通し続けられる。
実はこの仕組み…日本では小学生の段階で学んでいたりする。
結局ゼロ円で水が使えるようになった。
夏季の水は溜めておくと細菌が沸きやすいので、シャワーや手洗い以外、飲み水として使う分は一旦煮沸する。
電気に関してはすぐに対応できないため、古びた薪ストーブやランタンが明かりの役割を果たす。
海沿いなので意外と強い風が入り込む。
火の番は最後に寝る人の役目だ。
寝室ではロウソクの炎が明かりの役割を果たしてくれるのだが、蛍光灯と比べて圧倒的に暗い。
結局四の五の言わず、日が暮れたら大人しく寝て早起きする方が効率良かったりする。
結果どんどん生活のリズムが速くなってきた。
午前4時…日の出時刻前には目を覚まし、19時前の日の入り時刻まで働くスタイルになっていく。
季節はこれから夏季ということで、日の出時間が長かったのも幸いした。
5人がかりとはいえ真也はかなり戦力になる。
作業はどんどん進み、半月もしないうちに入り口から空き家までの道路は車が入れるくらいまでは整備され、建物の外観も内観もなんとか住めるような造りに蘇った。
これで寝泊まりする場所としては問題ない。
海側まで繋がる道路も開拓し、石畳を敷き詰めていく。
あとは電気さえ通せば“海の見える宿泊施設”として使えるだろう。
1カ月も経たないうちにここで全員が暮らせるくらいにはなってきた。
一方、静那達女性陣は…というと。
まず静那はオーナーの自宅の一室を借りて療養することになった。
『紹介状』の中に静那の症状もきちんと書かれていたので、その辺はオーナーも気を利かせ、別室で休んでもらうように手配をしてくれた。
車いすも手配してもらえた。
不安定な環境下で男性達と共同生活というわけにはいかないので、仁科さんと葉月はオーナーの自宅の一室を借りる。
1日のうち数回は静那の様子を見に行く仁科さんと葉月。
それ以外の時間は大きくスケジュールを2つに分けて動く。
日中はオーナーの畑仕事を手伝い、朝と夕方は全員分の食事を担当。
葉月と仁科さんはあまり料理は得意ではなかった。
でもまずは何事もチャレンジしてみる。
夕暮れ以降はオーナーの自宅でトルコ語、そしてグルジア語の勉強だ。
勇一達も体力に余力があるなら、そんなに離れていないオーナー宅まで来てもらい、言語の勉強に参加する。
そんな感じで借家のリフォーム作業に勤しみつつ畑を手伝い、夜は言語の勉強をするスタイルが続いていった。
1カ月もすれば各々のルーティンと役割も固まってくる。
電気はなければ不便だが…ないならないでそれに体を適応させれば良い。
また、心にゆとりが持てるようになり、やれる事も徐々に広げていった。
メンバーの活動にもバリエーションが出てきた。
天候が悪い日や日差しが厳しい時間帯は、内職に勤しむようになる。
ハーブなどの野草採取したものから皆のハーブティーを作るのは葉月が担当する。
作業中の差し入れとして皆から重宝された。
やたらと村近隣に生息していた“サフラン”の花は、雌しべを乾燥させたものが高級なスパイスとして認知されているということを知っていた仁科さんが、調味料として販売できるレベルまで加工を試みている。
燻し具合、煎り具合に関しては……知識上でしか知らなかったのでトライ&エラーの繰り返しだった。
それでもまずは“やってみる”。
他にも出来る事はある。
こちらの国にも竹は生息している。
まず山へ出向き、竹を刈り取っては短く割る作業を八薙と真也が受け持つ。
その竹をどうするかというと…
オーナーの家に大量に余っていたペール缶があったので、その缶に隙間なく竹を詰め込んでいき、火をくべて竹炭作りを試みてみた。
ここは勇一がチャレンジしてみた。
竹炭が作れたなら実用的だ。
置くだけで空気清浄機の役割を果たしてくれる。細かく粉末にして料理に使えば体調改善にもなる。
園芸や飲用水にも使えたりと竹炭はわりと万能なのだ。
オーナーも竹炭とスパイス類なら金を出して買い取ってもいいという話なので、天候が悪い時はひたすら雨風が凌げる場所で竹炭を作り続けた。
生一も退院してようやく施設へ戻ってくる。
結局大がかりな手術は受けなかったが、コルセットを巻いて対応。
内職に精を出したり漁に出かけたりしていた。
タコ(アフタポット:Ahtapot)は黒海にも生息しているようで、引き潮の時にうまいこと浅瀬から捕まえてきてくれたりして自給自足に貢献してくれた。
電気が通っていないのはどうしても不便に感じてしまう。しかし、水と火があればけっこう生きていけることに気づく。
慣れてしまえばどうという事もない。
でも不便だ…という狭間の感情ではある。
さらに1カ月が過ぎるころには男性陣は自然の中での暮らしにすっかり順応できるようになった。
完全に夏季に入ると、農作業の手伝いは落ち着いてきて、小麦類の収穫時期までは少し手が空くようになる。
自分達が暮らす空き家も整備されつつあり、生活の基盤が整ってきたと感じたので、新しい段階に進むことにした。
今回の本懐。捜索活動だ。
物語は2期・SEASON2へ入ります。
時系列は、MovieⅠから後になります。
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