表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

短編集

家出を決行した結果

作者:

 


 鞄に数着の着替えと亡き母から貰ったハンカチ、自分の持つ宝石類を全て詰め込んだ。ふと、机に近付き引き出しを開けた。大好きな婚約者の彼から貰った栞があった。フィービーは大切にしてきた栞を机の上に置き、姿見の前に立った。

 亡き母と同じピンクがかったシルバーの髪、濃い青の瞳。顔も母と瓜二つ。母を愛していた父や母が大好きな兄とは距離ができ、後妻として嫁いだ義母とはぎこちないながらも上手くやってきた。歳が離れた異母妹は父に似ており、亡き母そっくりなフィービーとは距離を作るのに異母妹の事は愛している。

 きっと母が亡くならなかったら、昔のように愛してくれていたんだろう。

 フィービーにとっても異母妹は可愛い妹で、彼女もねえ様と慕ってくれる。

 四人の家族から疎外感を感じている自分が捻くれているだけ。


 姿見から離れ、鞄をベッドの下に隠したフィービーは丁度鳴ったノックに応えた。入って来たのは父の側近として仕える執事。婚約者の来訪を報せた。


「会わないわ。会う約束はしていないもの」

「お嬢様に贈り物があると」

「どうせ、幼馴染のご令嬢に付き添って行けなかった観劇のお詫びでしょう。贈り物は要らない、謝罪も必要ないと追い返して」

「……畏まりました」


 執事から向けられた同情の眼に苦笑し、それ以上は何も言わずフィービーに従ってくれた執事に感謝した。

 婚約者はミゲル=アリアージュ。アリアージュ家は帝国の忠臣と名高い騎士の家系。皇太子の懐刀と名高いミゲルには病弱な幼馴染がいた。皇帝の妹を母に持つダイアナ=ローウェル公爵令嬢。

 漆黒の髪と冷たい印象が強いアイスブルーの瞳のミゲルとふわふわのプラチナブロンドに空色の瞳を持つ天使のように可憐なダイアナが寄り添っている場面は何度も見た。フィービーとミゲルが婚約した時母はまだ生きていた。元々、アリアージュ公爵夫人と亡き母が親友で、歳も同じで身分も釣り合うからと婚約が結ばれただけ。


「ミゲルにとって大事なのはダイアナ様で、私はどうせ……」


 初めて会った時からミゲルは常に無表情で、感情があるのかと何度も思った。だがダイアナに向ける愛おし気な目や常にダイアナを気遣う姿を見ていると感情はあるのだと知り。同時に、フィービーには義務的な対応しかしないのを見ると母親同士が親友だからと結ばれた婚約が嫌なのだと実感した。

 誕生日には贈り物を、月に二度互いの家を行き来し、行事事があると一緒に出掛ける。普通に婚約者として上手くやっている方だとは思う。

 が、何度かミゲルは体調を崩したダイアナを心配して予定をキャンセルする時があった。今さっきお詫びの品を持って来たのもそれ。

 先日、滅多に手に入れられない観劇のチケットを友人に譲ってもらい、ミゲルを誘った。了承してくれたのに当日の朝になってダイアナが熱を出したから行けないと使者が来た。

 常に満席でチケットが手に入りにくい観劇へ婚約者と行くよりも、病弱な幼馴染を優先した。元々愛されていないと分かっていても、フィービーの心は疲れていた。

 父や兄からは距離を置かれ、婚約者からは愛されない。

 結婚してもミゲルは何かあればダイアナを優先するだろう。ひょっとすると白い結婚を強いられるかもしれない。


 観劇は異母妹を誘った。長時間席に座っていないといけないがそれでもいいかと誘ったら、大いに喜んでくれた。途中動きたそうにしながらもフィービーの言い付けを守り、最後まで大人しく観賞してくれた。帰りはカフェに寄り、感想を言い合った。ミゲルとは行けなくても異母妹と行けて良かったと思えた。


「お嬢様……」


 申し訳なさそうな顔をした執事が戻って来た。どうやら、フィービーと会うまで帰らないとミゲルは断固として動かないのだとか。

 フィービーが行かないとならない。執事にお礼を言い、ミゲルがいる玄関ホールまで行った。


 片手に薔薇の花束を持ち、もう片方の手には小箱が握られていた。フィービーの顔を見ると少し安堵した表情を見せた。彼の表情が変化したのは初めて見た。


「約束もしていないのに突然来られても困ります」

「すまない……観劇に行けなかったお詫びをしたくて」

「ダイアナ様の体調は如何ですか」

「今朝、快復したと聞いた。フィービー、埋め合わせをさせてほしい。それとこれを受け取ってもらいたい」


 そう言って薔薇の花束を差し出された。

 受け取ったフィービーは花に罪はないと罪悪感を感じながらも、ミゲルへ投げ捨てた。呆然とするミゲル、一緒に来た執事が焦りの混ざった声で呼ぶもフィービーは構わなかった。


「貴方にはもううんざり。これで何度目なの? どんなに早く予定を入れても、入手困難なチケットを手に入れても、貴方はダイアナ様に何かあれば必ずダイアナ様を優先する。私よりダイアナ様が大事なんでしょう? こんな物さえ贈れば満足する安い女だと私を下に見ているようだけれど」

「違う、そんな事は決してない! ダイアナについては悪いと思っている。けど、私がいないと怖いと……」

「……だったら、ダイアナ様と婚約されては? 好きなのでしょう?」

「何故そうなるんだ」

「そうなるでしょう」


 心が悲鳴を上げていた。険悪な相貌を浮かべるミゲルに泣きたくなる。ダイアナには絶対に見せないだろうに。

 とことん嫌な女を演じよう。演じて、ミゲルに心底嫌われよう。


「それに、私自身ミゲルが好きじゃないんです。いいえ嫌いです、大っ嫌い」

「な……」

「花も要らない、そこの手にあるプレゼントも要らない。顔も見たくないから帰ってちょうだい」

「フィービー、待て、待ってくれ、な、なんで」


 嫌いと言ったら面白いくらいに顔を青褪め、焦り出すミゲルが不思議で堪らない。好きでもないのに何故そう焦るのか。


「私は社交界でミゲルとダイアナ様の仲を引き裂く悪女だそうよ」

「誰がそんな……!」

「誰が見たってそう思うわ。ミゲル、お互い正直になりましょう。私はミゲルが嫌い、ミゲルはダイアナ様が好き。それでいいじゃない」

「良くあるか! 第一、私はフィービーが好きだ!」

「嬉しくもない嘘をありがとう」

「嘘じゃない!」


 何を言われても心に響かない。今までのミゲルのダイアナへの態度を見て来た。自分との態度の違いに何度心折れたか。

 フィービーの家は侯爵家だがミゲルの家と繋がりを持っても特に利益はない。父は亡き母の意志を汲みたいが為に婚約を継続させているだけに過ぎない。前に、ミゲルがダイアナばかり優先すると愚痴を零した時叱られた。


『ダイアナ様は病弱で幼馴染のミゲル様が気に掛けて何が悪い。下らん嫉妬を起こすな』と。

 母に瓜二つでも母じゃないフィービーは父の中で既に要らないのだ。兄も似たような事を言ってフィービーを叱った。

 家を出る準備をしていると知るのは側にいる執事のみ。何度か止められたがフィービーの意思が強いと知ると止めなくなった。


「ミゲルがお帰りよ。お見送りを」

「フィービー! まだ話は終わってない!」


 うんざりとした溜め息を吐くと何故かミゲルは傷付いた面持ちをする。今日で会うのを最後にしようと決めたが、最後の最後で彼の色んな表情が見られるとは思わなんだ。


「結婚はします。アリアージュ公爵夫人としての役目も果たします。これで満足ですか?」

「そういう話じゃない、ダイアナの事は悪いと思っている。だけど私は……」

「……さっき言いましたよね? 嫌いだって、大嫌いだって」

「っ……嫌いでもいい、隠れてなら恋人も作っていい、だが私がフィービーを好きだというのは信じてくれ」

「今までのミゲルの態度の何処を見て私は信じたら良いですか?」


 記憶の引き出しを探ってもどこにもないのだ。嫌われていないのは分かっていても好かれてもない。ミゲルも心当たりはあるのか、苦し気に顔を歪め口を噤んだ。無言は肯定と同意。

 何も言えないミゲル。結局、そういう事なのだ。

 執事に目配せをし、ミゲルを帰してもらう。部屋に戻ろうと踵を返すも、ハッとなったミゲルに呼ばれた。

 振り向くと小箱を持つ手を向けられた。


「せめて、これだけでも受け取ってほしい」

「要らない。ダイアナ様に渡したら喜んでくれるわよ」

「フィービーに似合うよう作らせたんだ。他の相手に渡したって意味がない」


 お詫びとして贈られる物を貰っても嬉しくない。フィービーが拒否してもミゲルは諦めようとしない。いい加減しつこいと苛立った時、出掛けていた父と兄が戻った。義母と異母妹はお茶会に参加して不在なので、フィービーだけがいた。

 玄関ホールでの異様な光景に戸惑う二人に執事が簡単に事情を説明すると呆れた目をフィービーに向けた父と兄。

 父はミゲルに謝り、彼の贈り物を受け取りフィービーに差し出した。


「下らん意地を張るな。何が気に食わないのだ」


 父の手を振り払ったと同時に小箱も一緒に飛んで行った。呆然とする父を睨むように見上げた。徐々に怒気に染まる父の相貌に嗤いたくなった。母には絶対に向けないくせに、と。

 玄関ホールに乾いた音が響いた。父に頬を叩かれた。「フィービー!」駆け寄ろうとしたミゲルを手で制し、痛みに負けじと父を見上げた。


「親に向かってなんだその目は!」

「親? お母様が亡くなってから、一度も私を見ていないお父様が今更父親面するのですか?」

「なっ」

「お父様もお兄様もお母様に瓜二つでもお母様じゃない私になんと言ったか覚えていますか? お前が死ねば良かったのに、と」


 絶句するミゲルと執事の目は呆然とする父と兄に向けられた。二人は言っていないと反論するがフィービーは覚えている。

 母が亡くなってからすっかりと落ち込んでしまった二人を元気付けようとしたフィービーに――


『お前は生きて……どうして妻が……』

『……フィービーはお母様じゃないんだ……暫く視界に入って来るな』


 仕舞いには死ねば良かった、という発言。

 思い出したらしい二人は先程のミゲル以上に顔を青くさせ、返す言葉がないのか何も言えず俯いてしまった。


「……失礼します」


 飛んで行った小箱を拾ってミゲルに返した。フィービーに渡そうともせず、受け取られた。

 部屋に戻ったフィービーは扉に鍵を掛けベッドに飛び込んだ。


「っ……」


 フィービーが言わなければあの二人はずっと忘れたままだった。所詮、あの二人にとってフィービーはその程度なのだ。


 家出決行は今夜。この家の何処にも、ミゲルの側にも、居場所はない。



 ●〇●〇●〇


 気付くとフィービーは眠ってしまっていた。起きると外は夕焼け色に染まっていた。母が生きていた時は家族四人、庭で夕焼けを眺めていた。邸内に戻る時は兄とどちらが早く戻れるかを競った。偶に父が交ざり、母は微笑ましく見守ってくれた。あの頃には戻れない。

 控え目にノックがされた。ベッドから降り、扉に近付き鍵を開けると執事だった。


「お嬢様、皆様は今夕食を召し上がられています」

「そう……」

「……出るのなら、今の内です」

「ありがとう」


 執事の後ろにはフィービー付の侍女ハンナがいた。今日は休みを取って実家へ帰っているものだと思っていた。

 ハンナは掃除道具を運ぶカートを押していた。


「お嬢様なら入れます。此処に入ってください」

「分かったわ。ありがとう」

「本当に大丈夫なのですか?」

「ええ。大丈夫よ」


 心配しないで。と執事とハンナに微笑み、机の上に置いたままの栞を持ち、ベッド下に隠した鞄を引っ張り出して中身を開け栞を入れた。そして鞄を持ってカートの中に潜った。上からは布を被せているので外からは見えない。


 誰にもバレない事を祈った。


 執事は別ルートを使って落ち合うとなった。

 途中、休みの筈のハンナがいる事に声を掛けられるもフィービーが心配で休みを返上して戻ったと誤魔化した。

 誰にもバレず、屋敷の裏口から外へ出てもそのまま進んだ。被せた布が上げられるとフィービーはカートから出た。裏門に執事が手配した質素な馬車が待機していた。


「二人とも、今までありがとう。どうか元気で」

「お嬢様……っ、わ、私絶対に後からお嬢様を追い掛けます!」

「駄目よ、此処の方がお給金が高いでしょう?」


 半年に一度は執事宛にハンナへの手紙を書くからと言っても納得してくれず、二ヵ月に一回でやっと納得してもらえた。泣いているハンナを慰めつつ、後は執事に任せフィービーは馬車に乗り込んだ。

 思い出の品は鞄に詰め込んだ。


「さようなら」


 今からフィービーが向かうのは帝国が崇拝する女神を祀る大教会。来る者拒まずで、半年前から地方の教会で働きたいと相談していた。大教会の司祭は先帝の弟でミゲルとダイアナについて悩んでいたフィービーに声を掛け、よく相談に乗ってくれた。その内家族の話もするようになり、覚悟があるのなら教会で働かないかと提案した。

 地方の教会では平民の子供達や孤児院にいる子供達に勉学を教えているのだとか。アリアージュ公爵夫人になるのだからと、公爵家が運営する孤児院に夫人と足を運ぶので子供の相手は苦じゃない。二度と侯爵令嬢として戻れず、ミゲルとも二度と会えなくなるがそれでもいいかと問う司祭に勢いよく頷いた。


「頑張らなきゃね」


 馬車は大教会の裏口に到着した。馬車を降りると司祭が待っていてくれた。


「フィービー、本当に良いんだね?」

「はい。今日ですっかりと腹を決めましたわ」

「はは。そうかそうか。君の後悔がないようにしたらいい」

「勿論です」


 子供達が将来働き口に困らないよう手助けをしたいと孤児院を訪問する度に考えていた。アリアージュ公爵夫人としてなら出来る事は沢山あっただろうが、もうフィービーにその道はない。なら、ただのフィービーとして知識を与えようと考えた。幸いにもフィービーは家庭教師からの評判はよく、勉強も嫌いじゃなかったので幅広い分野の知識を脳に収めた。活躍する場がなくても貯めて損にはならないと学んで来た。子供達に使って喜んでもらえるのなら本望だ。


「出発は明日ね。出向する女性神官と一緒に向かってもらうよ。彼女には僕の知り合いの娘だと話を通してあるからね」

「ありがとうございます、司祭様」


 此処で今日は泊まって、と大教会にある客室に入った。ベッドとテーブル、クローゼットや鏡台がある。テーブルに鞄を置き、司祭が去って行くと扉を閉めた。

 鞄を開けて持って来てしまった栞を眺めた。


 幼い頃、お気に入りの栞を失くして新しい栞を探しているとミゲルに話したら、翌日フィービー宛に贈られた。青い小鳥が木の枝に止まっている可愛い栞だ。次にミゲルに会った時、栞のお礼を述べ感想を言った。ミゲルの表情は変わらないままだった。


 好きだと言われても心に響かなかったのはミゲルへの想いが完全に消え失せたからじゃない。もう、疲れ切ってしまって何も感じなくなったから。ただ、父と兄への怒りは健在だった。先に捨てたのはそっちなのに、フィービーが拒絶したら怒る。自分の事は棚に上げるのにおかしな人達だと笑うと扉がノックされた。

 司祭だと思って返事を待たずに開けて――後悔した。

 すぐ閉めようとした扉は訪問者――ミゲルの手によって阻まれ、力の差では敵わないフィービーはあっという間に部屋に押し込められた。


「な……なんで……」


 どうしてミゲルが此処にいるのか。愕然とするフィービーにミゲルは無表情で答えた。


「……今日、侯爵家を出て大教会に行ったんだ。司祭様に会って、フィービーの事を相談したんだ。そうしたら、君が侯爵家を出て地方の教会で働くと聞いたんだ」


 心の中で司祭に絶叫するも表面は冷静を装った。


「フィービー……お願いだ、行かないでくれ、ずっと私の側にいてくれっ」

「アリアージュ公爵夫人になって、貴方とダイアナ様の仲睦まじい姿を見ていろと?」

「そうじゃない、妻として私の側にいてほしいんだ」

「言ったでしょう。貴方が嫌いなの」

「……」


 本当に嫌いになれたらどれだけ楽になれるか……。気持ちを表に出さず、嫌いだと分からせる表情と声色を貫いてさえいればミゲルだって諦める。綺麗なアイスブルーの瞳に濃い翳りが出た気がしたが気のせいだろう。

 ふん、とそっぽを向いた。嫌な女というのは、なんとも演じやすい。素質があったのだろうか、演者にも向いてそうだと内心苦笑した。


「……それでもいい。それでも、君に側にいてほしい」

「私にとっては大きなストレスね」

「フィービーは……他に好きな相手でもいるのか?」

「幼馴染と堂々と仲良くするから、私も同じような相手がいると? 馬鹿にしないで」


 悔しいがずっとミゲル一筋で生きてきた。他に好きな相手がいれば良かったのだが、フィービーにとって好きな人は今も昔もこれからもミゲルだけ。


「ごめん……」

「謝るなら、最初から聞かないでいたら良いじゃない」

「そうだな……。こうやって……君と話すのは初めてだ……ずっと侯爵に止められていたんだ」

「父に?」


 思いがけない相手が出て目を丸くした。力無く笑うミゲルを見て胸が痛んだ。初めて向けられた笑みがこんな悲しい物だと思わなかった。

 聞くとミゲルがフィービーに対し無表情なのも、会話もあまりなかったのも、全て父である侯爵に頼まれていたからだと。

 フィービーはあくまで亡き母とアリアージュ公爵夫人の縁によって結ばれた婚約を守ろうとしているだけでミゲルをどうこう思っていない。そう見えても侯爵令嬢として当然の行いをしているだけだと。フィービーに笑い掛けず、愛想良くしなくていい、必要最低限の役目だけを果たしてくれと頼まれたとか。


「な、何故、どうして父はそんな事を……」

「きっとフィービーには侯爵家にずっといてほしかったんだろう。亡き侯爵夫人そっくりな君を手放したくなかったんだ」

「そんな訳ないでしょう! ミゲルだって聞いていたでしょう? 私が過去に父や兄に何と言われていたかを……」

「……ああ。私も聞いて驚いた。そして分かった。君が侯爵達と距離を作る理由が」


 フィービーには突き放す態度を示し、ミゲルにはフィービーを侯爵家から出さないよう手を回していた。

 有り得ない、信じられないと首を振るフィービーを痛ましげに見つめていたミゲルは不意にある物を差し出した。フィービーが父の手を振り払った事で飛んでいったあの小箱。綺麗に包装し直したのかどこも痛んでいない。


「フィービー。これは君の為に作らせた。要らないなら捨ててくれて構わない」

「……捨てて良いものを渡さないで」

「なら、捨てないでくれ。要らないなら……何処かに仕舞ってくれて構わないから。フィービー、受け取ってほしい」


 フィービーは緩く首を振った。


「ミゲル……此処でお別れをしましょう。父については私が代わりに謝る。ミゲルは幸せになって。私はこのまま地方へ行く」

「フィービー」

「ずっとミゲルはダイアナ様が好きなんだと思ってた……一度や二度くらいなら、偶々なんだって自分に言い聞かせた。でも、何度もデートをダイアナ様を理由にキャンセルされて……挙句に贈り物さえ渡せば気が済むと思われた事に腹が立った」

「わ、悪かった。それについては本当に悪かった。両親にかなり叱られた」


 ダイアナからの要請に無理に応える必要はないと言われていたものの、ミゲルが行かなかった日には更に体調を悪化させ生死を彷徨ったダイアナを見てしまうと幼馴染としての情で行かないという選択肢がなくなってしまう。フィービーに愛想を尽かされるのは当たり前だと、諦めて婚約解消の手続きを始めるとアリアージュ公爵夫妻に言われた時は本気で焦ったとミゲルは語った。婚約解消になってしまえば侯爵の思い通りになってしまい、二度とフィービーに会えなくなる。

 司祭からフィービーの話を聞いたミゲルは両親にたった一度の機会として今夜此処へ来た。フィービーを説得出来たなら良し、出来なかったら大人しく婚約解消を受け入れろと。


「フィービーは薔薇が好きだから、渡したら喜んでくれると思って……」

「……私の好きな花、知っていたの?」

「知ってる。フィービーの好きな物はなんだって。フィービーが話す事も全部覚えてる」

「私はミゲルが嫌いよ……ミゲルの好きな物なんて知らない……」

「うん……嫌いでもいい……それでもフィービーと一緒にいたいんだ……」


 このまま受け入れてしまえば、きっと楽になれる。それでもフィービーにも意地があった。何より、危険を承知で家出に手を貸してくれた二人の為にも無駄にはしたくなかった。


「地方の教会で子供達に勉強を教えてあげたいの……」

「うん」

「お父様やお兄様と二度と会いたくないの……何なら話だって耳に入れたくない……」

「うん」

「でも、お義母様は良い人で……ジゼルは良い子で……もっと仲良くなりたかった……ただ、あの二人の前で笑いたくないの……」

「うん……」

「ダイアナ様と一緒にいるミゲルを見るのも嫌だったの……どこにも私の居場所がないなら……自分から出て行って新しい居場所を見つけたかった」

「……フィービー……」


 気付くとフィービーの瞳から幾つも涙が流れ落ちた。

 ミゲルを嫌いじゃない事、ダイアナを優先してほしくない事、何度もデートを無しにされて悲しかった事、ダイアナに見せるような表情を自分にも見せてほしかった事。今まで溜めに溜めていた気持ちを涙と共に出していくとミゲルはどんどん項垂れていったが、最後には顔を上げてフィービーを抱き締めた。

 フィービーは拒絶しなかった。


「ごめん……フィービー……ごめん。私が大馬鹿だった。これからは二度とフィービーを傷付けたりしない。侯爵もダイアナも関わらせない。

 私もフィービーと一緒に行く」

「え……」


 泣いた顔のままミゲルを見上げた。今、何と言われたかフィービーは再度訊ねた。一緒に行くとはつまりミゲルも地方の教会に行くということ。理解すると慌てだし、ミゲルに落ち着くよう背中を撫でられた。


「両親には明日話す。フィービーは先に地方へ行って。必ず後を追うから」

「何を言ってるの、ミゲルはアリアージュ公爵家を継がなきゃならないのよ?」

「ずっとはいられない。フィービーが戻ると言うまでいるつもりだ」

「私は戻るつもりはない。だって……」

「……ここだけの話だけど。ダイアナは半年後、熱砂の国の王子に嫁ぐ。ダイアナはずっと嫌がっているけど既に決定されている」

「ダイアナ様が……」


 嫌がっているのはきっとミゲルの存在があるからだろう。ダイアナがミゲルを好きなのは誰の目から見ても明らか。病弱を盾に周囲の取り巻きを使って何度か嫌がらせを受けて来た。


「侯爵達に会いたくないなら、会わなくていい。アリアージュ公爵家に嫁げば、会うのは社交界だけだ。君が望むなら、もし彼等が来ても追い払って見せる」

「……それでも私が戻らなかったら……?」

「君を待ち続ける。フィービー……どうか……君の側にいさせてほしい」


 そっと体を離したミゲルに小箱を渡された。今度は受け取ったフィービーは言われるがままリボンを解き、包装を外して箱を開けた。中にあったのは薔薇の形をしたルビーが埋め込まれた金色の腕輪。宝石がルビーなのはフィービーの好きな薔薇を連想させるから、腕輪が金色なのはフィービーの好きな色だから。フィービーの好きを詰め込んだフィービーの為だけの腕輪。他の誰かに贈っても似合いはしない。サイズもぴったりですっぽりと通った。

 綺麗……と呟くとまたミゲルに抱き締められた。


「フィービー……お願いだ……君が好きなんだ……、私に最後の機会をくれ」

「ミゲル……」


 切ない声でフィービーに許しと愛を乞う男が今まで見て来たミゲルという印象から大きく離れていく。

 ゆっくりとミゲルの背に手を回した。こうして抱き締め合った事もない。ミゲルの背はフィービーが思っていた以上に大きくて固い。


「ずっと信じないかもしれないわよ」

「それでもいつかは信じてもらえるようにする」

「他に好きな人が出来るかもしれない」

「そうなったら、その男以上に君が好きだと証明してみせる」

「……ミゲルだって、魅力的な女性に会って好きになるかもしれないわ」

「決してないよ。私の一番はフィービーだ」

「……」


 きっと、何を言ってもミゲルは諦めたりしない。

 そっと……息を吐いたフィービーは体を離してもらい、不安げに見つめるミゲルに微笑んだ。


「なら……私がもう一度ミゲルといたいと思わせて……」

「! ああ、絶対に、約束する」


 二人は再び抱き合った。

 強い抱擁に息苦しさを覚えつつも、薔薇の花束を台無しにした件を謝罪した。


「いいんだ、私が悪かった。今度、新しい薔薇の花束を持って来る。受け取ってくれる?」

「ええ、必ず」





 ――その日の夜、ミゲルは一旦アリアージュ公爵家に戻り、フィービーは大教会の客室で眠った。翌日、司祭に文句を言いつつもミゲルに会わせてくれた礼を述べた。


「仲直りが出来て良かった。あのまま、何も言わずにフィービーが消えたら、彼何をしでかすか分からなかったから」

「言い過ぎでは……」

「勘というものは意外と当たるのだよ? さあ、そろそろ時間だよ」


 司祭の言う言葉が正しいかは置いておき、出向する女性神官と馬車に乗り込み出発した。男爵令嬢で歳も近く、初めは身分の差で恐縮されるも時間が経つとお互いに慣れ、口調も砕けるようになった。


 道中何事もなく、予定の日数通りの移動で地方の教会に到着した。驚く事にミゲルは先に到着してフィービーを待っていた。


「フィービー!」


 フィービーを見るなり抱き締めて来たミゲルの背を叩き、恥ずかしいと文句を言っても破顔するミゲルを見ると何も言えなくなり、しょうがないと笑った。


「父上や母上には了承してもらった。私が少しいないくらいでどうにかなる家じゃないから、フィービーを口説いて来いと背中を蹴られたよ」

「だ、大丈夫?」

「平気さ。これでも騎士として鍛えられてきたから。私は町の宿で生活する。毎日フィービーに会いに行くよ」

「待っていて良いの?」

「絶対に毎日会いに行く。待っててくれ」

「……待ってるわ」


「それと」とミゲルはフィービーから離れると馬車に積んでいた薔薇の花束を渡した。この間受け取らなかった薔薇の花束を今度こそフィービーは受け取った。薔薇に顔を埋め、芳醇な香りに顔を綻ばせた。


「今頃、家は大変そうね……」

「ああ。でも君は何も気にしなくていい。私の両親が上手く言いくるめている」


 いなくなったフィービーを必死になって探す父と兄を止めたのはアリアージュ公爵夫人。一応、それらしい理由を書いた置手紙を残して来て正解だった。

 教会で保護している設定にしたらしいので、今度手紙を送ろう。二度と会いたくない旨を書きつつ、育ててくれた事だけは感謝していると書こう。


 ダイアナはローウェル夫妻によって領地へ送られ、嫁入りする日まで帝都に戻れなくなった。ミゲルとアリアージュ公爵が手を回した。ミゲルと結婚すると泣き叫ばれても何とも思わなかったと語ったミゲルの表情は無で、本当に何も思っていないのだと感じた。


「教会の責任者の方と会ってくるから、また後で会いましょう」

「ああ」


 薔薇の花束を持ったままミゲルと別れた。

 いつもなら憂鬱な時間がやっと終わったと安堵していた瞬間が、今はとても寂しく思えた。


 少し離れただけでまたすぐに会いたくなった。

 早く挨拶を終わらせてミゲルに会いたい。

 でも、とフィービーは薔薇の香りを嗅いで心を落ち着かせた。


 慌てなくてもミゲルとは必ず会える。何時だって会える。


 新しい居場所でミゲルとやり直せる自分は、誰に何と言われようと幸せだ。






読んでいただきありがとうございます。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] ダイアナもヒロインも、被害者では? ヒーロー、ダイアナのこと、こんなアッサリ見捨てるなら何故優しくした? そりゃ婚約者より毎度優先してくれれば自分に脈ありと思って他人との結婚嫌なのは当た…
[良い点] 設定に数々の矛盾点や疑問があるにも関わらず、勢いでハッピーエンドに思えてしまう筆力 [気になる点] 父親と婚約者の行動にが両者とも意味不明で整合性に欠ける 父親:愛情の感じられない酷な対応…
[一言] 2ちゃんねるの家庭板で出てくるエネmeそのものみたいな主人公だ!
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ