第9話 肉球のない猫
酔った佐藤さんを寝かしつけて、戻って来た志乃さんは俺に
「片付けは私がやるから、先にお風呂になさい」と声掛けした。
ふたりでまだ飲むらしい。シャンパンはとうに空で、親父はビールだのワインだのを冷蔵庫から出していた。
もちろん付き合う気はないので
「よろしくお願いします」と頭を下げて、さっさと引き上げた。
風呂から上がり、自分の部屋に入る。一日中留守にしていたせいか、冷え切っている。
エアコンを入れようかとも思ったが、なんだか疲れで眠くもあったし、体が暖かいうちにさっさと布団に潜り込んだ。
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目が覚めてしまった。
隣の部屋のドアが開いて、親父がドスドスと階段上がっていったからだ。
家に来た女性はいつも2階の階段前の部屋に通された。
なので、今回はさずがにめちゃめちゃ一所懸命掃除したし、壁紙も張り替えた。
俺はベッドの上で半身を起こして嫌な予感に苛まれた。
取りあえずエアコンを入れようとリモコンに手を伸ばした。
小一時間も経った頃
暗闇の中、天井からなのか壁からなのか、エアコンでない微妙な振動が伝わって来る。
上の部屋からだ。
やっぱり!…
嫌な予感
当たってしまった。
俺はまあ、今更いいよ!
しかし隣は佐藤さんの部屋だろ!?
配慮しろよ!!
親父への激しい怒りが一瞬頭を突き抜けそうになった。
バチンッ!と部屋の明かりを点ける。
このまま部屋を飛び出して、荒々しくドアを閉めてやろうか
でも、そんな事したら
志乃さんに申し訳ない。
佐藤さんも起こしてしまう。
俺は大きく深呼吸した。
ダメだ!
せめて、水でも飲もう
そっとドア開けた。
向こうのリビングのソファーからムクリ!と何か起き上がった。
暗闇に目を慣らせながら近づいてみる。
「どうしたの?」
「猫になってる」と佐藤さんは招き猫の手真似をする。
彼女に「部屋に帰ったら」とは絶対言えない俺は、また気の利かない事を言う。
「大丈夫?」
「-ん 気持ちわるい」
「トイレ行く?」
「イヤッ!」
「ポカエリアスは?」
「飲む」
「冷たいの?常温?」
「-ん 常温」
「あっ!!」と俺は思いついて冷蔵庫を開ける
「…常温っていったじゃん」と向こうから佐藤さんの弱い声がする。
俺はソファーの上で死んでいる佐藤さんに褐色の小瓶を手渡した。
「何?これ」
「♪昔、のんべでおしゃれなお姉さんが~ よ~く効くと冷蔵庫にいれた…♪苦いらしいけど。まあ、騙されたと思って飲んでみたら」
「桜井くん、お姉さんいたっけ?」
と言いながら佐藤さんは瓶のラベルを読んだ。
「… 効能…むかつき,胃のむかつき,二日酔・悪酔いのむかつき,嘔気,悪心… か」
佐藤さんはまだぼんやりしながらドリンクに口を付ける。
「にっがー!! 騙された!!」
「俺にお姉さんは居ないけど、味については騙していない。飲みきったらポカエリアスあげるよ」
ポカエリアスで口直しをしている佐藤さんに俺は声を掛けた。
「キミがそこに居るのはちょっとまずいから。俺の部屋に来ない?」
「真夜中に桜井くんの部屋に居るのがまずいでしょ」
俺は苦笑いしながら、「今はまだその方がマシだと思う」と言ってしまってから真顔で真剣にお願いした。
「いやだとは思うけど、お願いします」
「…わかったヨ」ため息まじりに了承してくれた。
本当に親父は佐藤さんに対しては最低だと思う。
これは佐藤さんを部屋に連れ込む自分の最低さを否定するわけじゃない。
別に何をするわけではもちろんないけれど、彼女の言う通り、真夜中に自分の部屋に引っ張りこむのはやはり “どうかしている”。
でも彼女に、のこのこシャワーを浴びに下りて来る親父を見せるのは絶対ダメだし、今このタイミングに彼女を自室に帰らせるわけにもいかない。
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俺は大急ぎで布団を畳み、クリーニングされて戻ってきたままの毛布を押入れから出してドアの外に声を掛けた。
「どうぞ」
ドアが開いて佐藤さんが入って来た。足元とか警戒しているが、少なくても目に触れるところには“変な”物はないはず。
「あ、鉄アレイとか転がっているから躓かないように」
佐藤さんはペットボトルを小脇に抱え、足元の鉄アレイを両手で持ち上げてみせた。
「重いね。でも何かしたら投げつけるからね!」
「しないって!」
俺はクリーニングの袋を破って、畳まれたままの毛布をベッドの上に置いた。
「ここ座って」
パジャマ姿の佐藤さんはベッドに腰掛けて、ペットボトルの口を開け、ひと口飲んだ。
「キミの部屋とは大違いのまとまりのない部屋だけど…一応、掃除はしている」
と俺はベッドの脇であぐらをかいた。
そんな俺を佐藤さんは見やって
「私の友達…女友達だよ。の部屋よりまともだと思う。部屋を作りこむのは片付けとは別なことで趣味的なものだから興味がないとね…」
その言葉に俺は頷いて言った。
「佐藤さんの部屋。ホント!いいと思う」
彼女は顔を曇らせて少し目を伏せた。
「ありがとうございます。大切に使わせてもらいます。」
思い出させてしまった! 俺は無神経な自分を責める
「いや!その! でもキミの大好きなものがたくさん増えればいいかなって思う」
「大好きか…」彼女はペットボトルをおもちゃにしながら視線は少し遠くを見る。
「私、大好きなひと、居るんだ…」それから視線を下げて「ずっと片想いなの」
「私がお父さんの事で真っ暗なときに…お父さん、問題起こしたり、結果的に離婚の話になったんだけど、それも大変で… そんなときに親身に気遣ってくれた先輩なんだ。
先輩と居る時は笑顔になれたしね。 それでね、『あー!私、恋してるなあ』って。
恥ずいね」
照れ隠しなのだろうか?彼女は俺のベッドに寝っ転がってしまった。
「だけどね。思っちゃうんだよ『私、この人を愛する事ができるんだろうか?』って。
なんて言うんだろう?! 怖い? 愛するにまつわる色んな事。うん 色んなこと…」
ベッドに少し顔をうずめて向こうをむいた彼女のうなじにお団子のふんわり髪がかかる。
「自分のどこかが壊される様な気がして… まだ全然片思いなのに、だけど先輩と同じ高校に入りたくて“一生懸命”頑張ったんだよ。それくらい大好きなのに…可笑しいよね でも どうしたらいいかな?…」
独りごとなのだろうか?
彼女はゴロリと寝返りを打って、今度は前髪のあいだからこちらを見つめた。
「ねっ!どうしたらいいかな?」
何もない俺には… 答えるすべがない。
注がれたことのない空の器は注ぐことができない。
器の中の僅かな汚れは、いたずらに汚すだけで相手の役には立たない。
だから
「ごめん! 愛とか、恋って、正直分からない。でもきっと、キミのことを親身に気遣ってくれる人だから、キミを壊したりしないよ」
「う~ん」佐藤さんは仰向けになり、天井に向かって両手を組んでのびをした。
「そうだと いいな」
俺は顔を背けて立ち、ドアノブに手を掛けた。
「俺ものどかわいたから何か取って来る。ポカエリアスいる?」
「今度は冷たいのがいい」
「了解!」と俺は部屋を出た。
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部屋に戻ってみると、佐藤さんはスヤスヤ寝入っていた。
どうしようかと逡巡したあげく、
俺は自分の布団をそっと引き下ろし、畳んである毛布を佐藤さんに掛けて
部屋を出た。
猫の寝た後は暖かいけれど、そのソファーは使ってはダメだと自分に言い聞かせながら。
投稿される皆様は文章がうまくていつも感嘆してしまいます。
私は目の前の光景に(;_:)なのに、それがちっとも表現できず四苦八苦しております。
なので、感想、レビュー、ブクマ、評価、切にお待ちしています!!