第1話 桜井洋輔
俺はいま、食器棚を片付けている。
この習慣の始まりは3人目の紗耶香さんが来たときからだ。
数えて3人目だったが、0人目の実母は物心が付く前の記憶の彼方だ。
とにかくその3人目の紗耶香さんが、建てて2年目だったこの家のこの食器棚に収まっていた食器全部を放り出して
そこに、紙袋から出した真新しいカップを3つ置いた。
それが紗耶香さんが居た短い歴史の始まりで
たぶん俺は、ナマ言うようでヤなんだけど
今までのひとの中で、紗耶香さんが一番のお気に入りだった。
俺の料理の師匠だったし、そうでなくても色んな物を作ってくれた。
まあ趣味と彼女のスタンスへの実益でもあったんだろうけど
冷めた俺にも あったかいところがあった。
4人目の影が見えて、紗耶香さんがこの家を去る時、
庭に新聞紙を広げ重ね、食器棚に揃えてあった食器をすべて叩き割った。
呆然と見ていた俺に手伝わせて、すべてをゴミ出しした最後は、俺もお気に入りだった『藤三郎の三徳包丁』と砥石だった。
さすがに『惜しいなあ』と言う顔をした俺に紗耶香さんはニヤッと笑って紙袋をホイ!と手渡した。
お菓子などの重さではない袋の中身は真新しい藤三郎の三徳包丁と砥石だった。
「今度はキミ自身で揃えればいい。取りあえずは洗面所のコップでも使って」
ちょうどいまの様に、一人シンとしたリビングダイニングで、取り出してみた真新しい藤三郎の三徳包丁はぞっとする冷たさだった。
でも、俺は毎日使っている。 食器は自分でも随分取り揃えた。
で、次に来る志乃さんとその娘さんの為の場所確保に片づけをしてる訳だ。
5人目のチャラ子さんが置いたままの意味不明の食器を排除しながら…
ことの発端にはこないだの正月の朝
買って来た三段づくりのおせちの前で親父がグラスを呷ってのたまった。
「今年、俺は結婚する。ついてはお前は東高に行け!」
「?!」
さすがに意味を解しかねて言い返した。
「なんだよ!それ!」
親父はカズノコをつまみ上げて事も無げに言う。
「志乃さんにも娘さんが一人居てな。お前と同じに今度東高を受験するそうだ」
馬鹿馬鹿しい!だからって俺もお揃で同じ高校を受験する筋合いでは無い!
第一、『志乃さん』って名前は初めて聞いた。
「同じ高校に行くほうが却って煩わしいじゃん! 同じ学年で名前とか住所とか同じとか、普通の思考だとあり得ないし」
「志乃さんとは事実婚になるから苗字は佐藤だよ」
「はあ?! その『佐藤さん』とは住所は別なわけ?」
「志乃さんは今住んでいるマンションは処分しないから、その辺は問題ない。それに色々とその方が便利だ。ここより駅に近いしお互いのテレワーク部屋にも使える」
なんだよそれ! 俺は少しため息モードだ。
「あのさ、ひょっとして、付き合ったらうっかり近くの人だったから、仕方なく流れで結婚とかじゃないよね?!」
「んな馬鹿な事、あるか」
「それにしたって納得できない! 子供はおのおのが行きたい高校へ行くのが、普通で、真っ当!」
「志乃さん曰く『娘はどちらかと言うと内向きで、一緒の高校だと何かと心強い』とさ。この家を実質お前ひとりで切り盛りしているから、彼女からはしっかり者と評価されてるぞ。喜べ。それとも東高受かる自信ないか?」
冗談じゃない!三者面談もテレワークにしやがって自分の息子のランクも知らんくせに。
東高だってそこそこの進学校だけど、俺は北高が鉄板と言われたんだ。
親がなくても育った子の学力をなめてるよな!
まあ…俺自身はそれに矜持があるわけじゃないけど…
「分かった。保護者がたまに指示する事だから。東高受ける、ってか普通に受かる」
そんな、元旦からげんが悪い1年の4分の1が過ぎた、今日だった。