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ティルト家の食卓は二十畳ほど広い部屋に大きな長テーブルが置いてある。上座一番奥には父親のアントニが座り、右側には母親のジューリア、左側には長男のマークス、その隣に次男のロベルが座っている。各々先に食事を取っていた。私はアントニの正面に座る。専属シェフが作った料理を侍女が運んできてくれた。ええーっと、外側から使っていけばいいのよね……結婚式に参加した時と同じように…………。私は心の中で焦りながら、手元はゆっくりと食べた。
アントニは食事を先に済ませていた。シェフがやって来て、白ワインをアントニのグラスに注ぐ。アントニはくるくると、白ワインを回し香りを嗅いだ後、自分の斜め右に一旦ワイングラスを置いた。
「マークス、論文は書けているか?」
「ええ、お父様。この前の提出期限に出したよ」
マークスは丸眼鏡をそっと押さえて言った。全体的短いけれど、左サイドだけが長くたれたブラウンヘアをそっと耳にかけて、余裕の眼差しをした。
長男マークスはこの国で水の魔法について研究をしている。スペラザ王国にしか存在しない、水の力ーー聖水の成分を科学的に研究し、化粧品や洗濯洗剤などの開発に繋げている。
「そうか、今回もうまくいきそうか?」
「まあね。今度は香水の開発に向けて、手応えはありそうだね」
「そうか! 期待しているぞ」
マークスは国では三番の指に入るほどの秀才。幼い頃から頭が良く、満点ばかり取って来た。飛び級でカメリア学園もパスし、更に足りないと超難関のカメリア大学院まで進んだ。
「商品化が決まったら、私にも頂戴ね。社交界のお友達に売ってあげようと思うわ」
ジューリアは言う。ジューリアは自分でアクセサリーを作った物を売ったり、マークスが開発した商品を買い取って、商人や貴族友人に良い値で売ったりしている。ジューリアは美人だが、リースの顔立ちよりも少しきつい顔立ちをしている。香水もふんだんに使うせいか、私までにおってきた。
「ロベルは営業は変わらず上手くいっているのか?」
「うん、問題ないね」
ロベルはおかっぱのハニーブランドヘアをさらりとさせた。父親譲りの赤い目は、その童顔とは反して挑発的で大人びている。マークスもロベルも父親と母親が美男美女なせいか、見た目が美しい。
「お前は、営業だけじゃなくて、付き合いも問題ないよな」
「うん、もちろん彼女もたくさんいるよ」
マークスに言われた言葉に苛つきもせず、ロベルはにこりとする。
次男ロベルは営業職をしていて、ティルト家が所有する建物の一つに入っているドレス屋で働いている。貴族夫人に似合うドレスを勧めるのがロベルの仕事で、だけど、この人は天性の人たらし。言葉巧みで相手を満足させる事ができ、彼狙いでドレスを買いに来る貴族女性も少なくない。そして、来るもの拒まず。
「お前は本当人たらしだよな。何人もの女性と付き合っていたら、女性が可哀想だよ」
「そんなことないさ、僕は僕自身を好きって言ってくれる人たち皆を愛してしまうだけさ。兄さんだって、研究者仲間の女性や勉強を教えて欲しいと頼ってくる女性にデレデレしちゃってるじゃん」
「俺は真剣に学びたいと思っている子に手を貸してあげているだけだ」
マークスは丸眼鏡ごしにロベルをムッと見つめる。
アントニが二人の言い合いを止めるように話した。
私は毎回ゲームにあったティルト兄弟の痴話喧嘩にも似た喧嘩を、華麗に聞き流した。分厚いお肉をナイフとフォークでカットして、お行儀良く食べるのが精一杯だった。少しずつ食べれば、品良く見える筈……。そんな私を見て、アントニは何の疑問も持たず、ゆっくりとかつにんまりと含み笑いし、自分の顎髭をさらりと撫でる。
「リース」
「はい? お父様」
私はステーキを切って食べていた手を止める。
「ダナ第一王子とは最近どうだい」
アントニは手を顔の前で組み合わす。彫りの深い、絵画のモデルになりそうな哀愁漂う雰囲気に、低い声で、優しく、穏やかな言い回しで話してはいるが、笑顔でも目が笑っていない。私の胃がきゅっとなって、緊張する。
「変わりないわ」
嘘つき。全く上手くいっていないのはわかってはいたけれど、この父親に本音を伝えたら何をされるかわからない。出来る限りの平静を装って、私は引き攣る笑顔を見せた。
「そうか。ならいいんだ。少し変な噂を聞いたものでね」
アントニは、軽く笑う。
「社交界の付き合いで耳にしたのよぉ」
ジューリアは頬杖をついて、うっとりとした目をしていた。
「何かしら?」
私は心の中で焦ったが、そのまま平静を装い続ける。
「仲良くやっているのなら、それでいい。ただ、最近ダナ第一王子とダウストリア家のご令嬢が仲睦まじいと社交界で専らの噂にらなっているらしいんでね」
アントニは意味深に、ふふんと眉毛を上げた。
「ダウストリア家のお嬢さんって、カメリア学園に途中入園してきた子でしょう? 父親の爵位は男爵だし、リースがそんな身分の低いお家の子に、負けるわけがないとは私達も思ってはいるのよ」
「もちろん、私はリースを信じているよ。でもね、ダナ第一王子がもしも考えを変えるようなことがあったとしたら、ティルト家にとって由々しきことだ」
「ええ」
私はアントニの言いたいことが、よくわかった。くれぐれもミスするなよ、ということだ。
「このティルト家は、皆が才能に溢れた、優れた家族集団だ。代々から続くこの麗しい貴族家系を私達は守っていかねばならない。繁栄とは、常に勝負をし、勝ちを取っていくから広がるものだ。時に、それが非常にずるくて汚いものでも、私達はそうやって、この領地や権力を得て来た。……王家の二番目に、ティルト家は領地を持っている。財源も溢れる程だ。次に、私達がする事は、やはりーー国そのものに、足を踏み入れる事だ」
「まずは、未来の国王から……ね」
ジューリアは、ふふふと不気味に笑う。
髪の毛をくるくると指でまわした。
「あぁ。魔法の力が備わっていないリースが唯一、できる事だ。君は……私達にとって、どんな令嬢よりも気高く、そして厳しく躾けた。君も自分のすべき事が理解できるだろう?」
「……そうねぇ。ダウストリア嬢が、どんなに優秀な子だとしても、華やかな私達に勝てるのかしら。婚約者がいるのに、手を出すような、品の無い令嬢に男性を奪われるなんて、貴女が許す訳ないわよね? だって貴女は私達の発展への〝希望〟なんだもの」
「……わかっているな?」
アントニは低い声で、命令した。
「…………はい」
食堂から戻ると、私はベッドにダイブした。ふかふかのマットレスがとても気持ちいい。反面、気分はドッと疲れてしまった。
リースも大変だな……あんなこと言われたら怖くて仕方がないじゃない。アントニの言う通り、ティルト家は財と領地を沢山手にしている国のナンバーツー。
この身に流れる血も上級だし、兄二人も有能でしょ。きせきみの世界で、リースの婚約破棄は絶対避けられないルート。私は回避したいとは思っているけど、ダナ様があんな感じじゃあ、前途多難っていうか…………。
はぁーっと私はため息をついた。
それにしても。ダナ王子は怖かったけど、やっぱりイケメンだった。あの美しい小麦色の肌に吸い込まれそうなぱっちりとした、藍色の瞳……時折金色にキューティクルが光る、深い焦茶色の髪。しなやかな手足。スタイル。素敵だったなぁ…… 胸がきゅんとなる。
なんで私、リースなのかなぁ……。
ベッドに横になりながら考える。
「そういえば」
カイル王子って、あの顔じゃないわよね。ーーーーどうして、西嶋さんと似ている顔……まさか、私の妄想が過ぎて、あの顔に?! いやいやいや、違うと思いたい。…………本当のカイル王子の顔って、どんな感じだったかな。ダナ様は推しだし、尊すぎて忘れないけど、カイル王子は……うーん……思い出せない。確かカイル王子は、正統なルート的には、ダナ様とフィオレ嬢がくっついた時、本当はフィオレ嬢が好きだったんじゃなかったかな?ダナ様とフィオレ嬢が仲睦まじくしていたけど、フィオレ嬢に実は心惹かれていて、でもそれをフィオレ嬢には打ち明けずにフェードアウトして旅に出るのよね……………。
しばらく無心で天蓋を見ていたが、私は明日に備えて、眠った。
次の日ーーーー カメリア学園に私が向かうと、学園内で私がラクアティアレントに落ちた事が、既に噂になっていた。ダナ王子とフィオレ嬢の仲睦まじい空気に耐えかねて、自暴自棄になり聖水に、東棟の二階から、身投げしたとまで噂になっていた。
「見ろよ、ティルト嬢の奴、平然と来てやがる。上級貴族令嬢はやる事が違うねー。あんな事したって、王子は戻って来ないっつーの!」
「ばか、お前聞こえるだろ?」
モブが何か言ってるなぁ。チラリと私は男子二人に目をやると、逆にビクっと肩を震わせて逃げていく。
いや、そんな逃げなくても良くない?!
「リース嬢、お身体は大丈夫ですの?」
教室に私が着いてから、朝一番に来たのは、リースの取り巻き(取り巻きAとゲームでは書いてあった)ソフィアだった。ツインテールの巻き髪くるくる髪お嬢様。そこそこ可愛い系。
「ありがとう。大丈夫よ、今日、神官様に診て頂く事になっているわ」
私は自分が良くわからなかったので、神官にみてもらうまでは、リースになり切る事にした。
「記憶がないって本当ですの?何が起きたか全然覚えていらっしゃらないの?」
ソフィアの右側から、出てきたのは、リースの取り巻き(取り巻きBとゲームには書いてあった)アンナ。長いロングヘアを二つに分けて、大きなゆるい三つ編みにして癖毛を誤魔化しているお嬢様。こちらも可愛い系ね。
「そうなの……気が付いたら、水の中にいて。何も覚えていないのよ」
「大変でしたわね。なのに、フィオレ嬢ったら、今日もダナ様といるのよ! リース嬢がこんなに大変な時に、ベタベタとあの方は何をしているのかしら!!」
この子、話し方がお嬢様って感じで本当可愛いわね。
「本当よね! 皆が記憶がないだなんて、リース嬢の自作自演じゃないかって言うのよ?! そんなこと、リース嬢がするわけないじゃない!」
アンナも畳み掛ける。
「絶対、噂を流したのは、フィオレ嬢に違いないわ! リース嬢からダナ様を奪おうとする根端に違いないわ!!」
「……まさか。違うんじゃないの?」
私は言ったが、二人は聞いていない。
……ねえ、ちょっと? ねえってば!
「えぇ、違いないわね!! こんなことで負けるリース嬢じゃないわ!! 下流貴族の分際で生意気よ!!!!」
アンナは声を張り上げる。
フィオレも大変だな……。
上とか下とか現実世界にいた私には正直どうでもいいことなのよね。気品は大切かもしれないけど。
それよりも、二人がこの話をリースにしてくる事自体が、やらかしたリースへの嫌がらせなのだろうな。リースがラクアティアレントに落ちたら、ダナ様との婚約も解消させられて、失脚する可能性がある。この二人も、今までは、強い立場のリースに付いていたけれど、リースに権力がなくなったら、途端に手のひらを返すはず。今のやりとりだって、ラクアティアレントに落ちたリースへの揺さぶりなのだ。取り巻き故に、まわりくどい表現でしか、リースが怖くて物事を言えないんだろう。
「本人に聞いたわけでもないのだから、そう言う事を言うのは良くないわよ。それに、昨日の私を案じてディーオを連れて来てくれたのも、フィオレ嬢なの。逆に感謝しなくてはいけないわ」
二人が、お互いの顔を見合わせる。
この人どうしたのだろう、というような表情だ。
「でも、ダナ様を盗られてしまうかもしれないのですよ?」
「婚約破棄になったら、どうするのです?」
「心配でないと言えば嘘になるわ……でも、彼が決めることよ。私はダナ様を信じているわ」
嘘じゃない。……でも、本当は婚約破棄されることは予定調和だとわかっている私は、怖くて仕方なかった。が、ここは、騒ぎ立てても仕方ない。この二人にはこう言うしかないのだ。
リース嬢、流石だわ! と二人は手を組み合っていた。
授業が始まる頃になったので、皆が各々の席についた。