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ーーーー次の日、玲那は電車で那須塩原に向かっていた。
「旅行に変わりに行ってもらえないですかね???☆……実は、きせきみの原作者さんが参考にした地方のひとつが、那須塩原にある温泉だそうです☆彩鈴、一度は絶対行ってみたいと思っていたのです☆…………でも、彼がどうしても彩鈴の所に来るって言うんです☆彼とは遠距離なんですけど。旅館の予約も取っちゃいましたし、お金も振り込んじゃいました……☆この借りは絶対にお返し致しますので、彩鈴の変わりに聖地巡礼して来てもらえませんか?」
彩鈴は言った。
「それは構わないわよ、時間はあるし……」
だけど。
新幹線の車内で、頬杖を突きながら、玲那はため息をついた。
ーーあの子(彩鈴)に彼氏が居たとはねえ……。
遠くを見て、はぁーっともう一度、ため息をつく。
彩鈴は玲那の三つ年下だ。あの甘ったるい特徴的な声と、細い目は中華系の何かのキャラクターかな?と思わせる雰囲気。恋愛のれの字もないのだろうと、勝手に同じ仲間だと思っていた。なのに、私よりも三個年下で、遠距離の年上彼氏がいるとかーーもう立ち直れないーーと玲那は窓に頭をぶつける。
「彩鈴、彼氏いたの?!」玲那は驚くと、
「遠距離なんですけど、四年くらいですかね☆」とケロリと彩鈴は答えた。
なんと、彼はオタクも公認だと言う。
そんな神さまみたいな相手が彩鈴にいたとは。実は同じ学習レベルだと思っていた、冴えないクラスメイトが実はクラスで一番頭が良かったーーというような感覚と同じ衝撃だ。
「お願いできませんかね???☆」
「え? ああ!! 行く! 行く!! むしろ、こちらこそありがとう!」玲那はショックを消し去るように、勢いよく言った。
ーーそして、現実に至る。
「あの子と私、一体何が違うの……」玲那はブツブツと呟く。
トンネルに入ったのか、車内は暗くなった。
窓に玲那の顔が映る。切長な目は奥二重。小さな鼻に薄い唇。可もなく不可もなく。髪の毛は黒髪のストレート、肩までのセミロング。
この顔を玲那は好きだと思ったことがない。
はぁっとまた玲那はため息をついた。
羨ましいな、趣味も本当の自分も理解してくれる人がいるなんて。
玲那は思った。
自分のオタクさを隠す事なく、相手と付き合えたら…………どんなに幸せだろう。推しもリアルな恋愛も手に入れて、見える世界は、悩みなんて無さそうだな。
まぁ、そんな事考えてるなら、自分で努力して出逢いでも探せって言うやつですよね。正直、面倒くさい。同じ趣味嗜好の合う人……とか言っても、推しが同じだと揉めるし、違っていたらグッズ被りした時に交換できるけど……そもそもきせきみは乙女ゲームなんだから、男性と共有できる気がしない。彩鈴の彼は何でもいけるみたいだし、何より二人でコスプレする事もあるって言ってたもんなぁ。……レベル高い相手だよねえ…………。
はぁー……。一人なのは、私だけでしたか。
いけない、ネガティブは楽しくないぞ、と自分に言い聞かせる。
私は私、これでいい。
これが私なんだもの。ダナ様を追えないくらいなら、別に………一人だって………そうさ、遠慮なく推しに貢げるわ。
「わーさいこー」
玲那は呟いた。
電車では少し落ち込んだ。が、何度か乗り換えて、送迎バスで旅館に着くと、玲那の憂鬱な気持ちは吹っ飛んだ。山奥にあるこの旅館がとても素敵だったからだ。丸太を使った木造建築で作られた古民家風旅館。安らぎを与えてくれる見た目に、胸の内のモヤモヤは忘れてしまう。
チェックインをすると、中居さんが部屋に案内してくれた。昭和を感じる懐かしの喫茶店のようなーーアトリエのようなーーそんな雰囲気を感じさせる。中居さんの対応もとても良く、彩鈴は惜しいことをしたなと玲那は思った。
「何かございましたら、フロントにて承ります」中居さんは言った。
「ありがとうございます」玲那は言う。
「こちらははじめてなんですね。この宿の温泉は、源泉掛け流しとなっております。美肌にもとても良い成分を含んでいますので、どうぞ楽しんで下さいね。では、失礼致します」
中居さんは言って、出て行った。
部屋は和室で、壁は外観と同じ丸太が使われている。それが雰囲気を出している。
玲那は彩鈴にラインを打った。
【無事に着きました。とても良い旅館だよ】
今日はすぐに既読にはならない。
彼と一緒にいるからだろうか。玲那はスマートフォン画面にふう、と軽くため息をつく。
施設をぐるりとまわることにした。聖地巡礼。原作者がこの旅館を訪れたことをきっかけに、〝きせきみ〟は生まれた。
窓を開けると、山の木々がとても綺麗だ。
施設内も昭和をどことなく感じさせるのに、とてもオシャレだ。
「お風呂、入っちゃおうかな」
両腕を広げて伸びをして、お風呂に入ることにした。
旅館のお風呂はたくさんあるようで、玲那は女性と子供専用の露天風呂に入る事にした。
どうやら、外の景色を眺めながら、露天風呂を楽しめるようだ。
「はぁーっ!」玲那は湯に浸かると、脱力する。
滑らかな湯。刺激が少ないので、肌に滑らかに吸い付いた。
「さいこーーっ!!」玲那は叫ぶ。
時刻は十七時。あまり人はいなかったので、露天風呂からの景色を貸し切り状態になっている。
ふふ、原作者さんはこの場所できせきみの話を思いついたんだ。こんな素敵な場所からなら、なんでも浮かびそうだもんなぁ。玲那は思う。
静かな山の中に、さわさわと風が吹いてくる。
上気した頬に、その風が気持ち良かった。
彩鈴、もったいないことしたね。
玲那はにこっと笑う。だが、今頃彩鈴は彼とどんな過ごし方をしているのだろうと思うと、途端に虚しくなってきた。頬に吹き付ける風が、急に冷たくなる。
玲那にも、恋人がいたことはある。
それは社会人になりたての頃で、ほんの数ヶ月だった。
友人からの紹介だった。連絡を取りはじめ、何回か会った。しかし、オタクであることを隠していた、玲那にとっては、紹介された〝まともな一般人〟男性とのやりとりは、当たり障りのない、仕事の話や相手に合わせる話しかできなかった。
相手の話に頷き、笑顔でいつも話を聞いていた。が、ある時、
「玲那って自分がない人だよね」
と言われて一方的に振られてしまった。
「俺、もっと自分に刺激をくれて成長できる子と付き合いたいんだ。ごめん」
まともな一般人の彼は、そう言った。
玲那は、うん、わかった。とだけしか言えなかった。
ーーーー自分がない? じゃあ本当の私を表したら、あなたは私に好意を持った? ーー乙女ゲームが好きなオタクの私を受け入れてくれたの?
いや、違うよね。玲那は思っていたが、一言も言えなかった。言いたかった。でも、それは自分がオタクということを告白することでもあった。
あの時、少しでも自分の趣味を話せていたのなら、変わっただろうか? ーーその後、玲那は時々考えることがあったが、わからなかった。少なくとも、玲那のまわりには、誠実で優しくて、真っ当な男性で、オタクでもいいと受け止めてくれる人はいなかった。
「また縁があるよ、玲那を好きになってくれる人との出会いがあるって」
友達は言った。
一般人のこの友達は玲那がオタクであることを知っていた。その上で、玲那の話を聞いてくれることもあった。
でも、今はその子も結婚して、子供がいる。
「好きになってくれる人がいればいいんだけどねー」
現実は彩鈴のような、運のいいケースは少ない。
オタクの現実は厳しいと思う。
明らかにあの頃から、玲那の三次元での恋愛は叶えられていない。行動もしていないけれど、やさぐれでいることは確かだ。仕事をして、帰宅後はゲームをして、その繰り返し。部屋に誰か来ることもない、邪魔されることもない。部屋が散らかっていても誰に何も気にすることはないし、女子力を追いかけなくても、そんなものは必要なかった。
恋の相手は画面上にいる、それだけだ。