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駅から徒歩十五分くらいで電車に乗って、一人暮らしのアパートに帰る。線で西葛西まで四十分。
夕方は人だかりが激しく、いつも電車は座れた事はない。いつも立つ定位置につり革も掴まず、立ち、スマートフォンを開いた。
オタク友達の彩鈴からラインが届いていた。
【玲那さん、こんにちは☆今日、『きせきみ』の限定ポストカードが届く日ですが、玲那さんはゲットできましたか?】
〝きせきみ〟とは、玲那と彩鈴が好きな乙女ゲーム『奇跡の姫君〜貴方と出逢えて〜』のこと。水の都と言われる、独立国スペラザ。この国の人は平民も貴族も魔法が使えて、その力を国の繁栄に繋げている。
下流貴族の主人公フィオレは、ひょんなことから、次期国王候補、ダナ王子に出逢い、恋に堕ちるという話。主要登場人物はほぼ全員イケメンで、この手の話が好きなアラサーオタク女子にとても人気。
玲那もこのきせきみの原作とゲームファンであり、熱心なダナ様推し。彩鈴とは友人と参加した都内のオタクイベントで知り合った。共にきせきみのファンで、嗜好も似ているため、打ち解けるのに時間はかからなかったのである。彩鈴はコスプレイヤーでもあり、名前を刹那彩鈴という名義で活動をしている。普段の様子は目の細い小さな女の子だが、コスプレをすると、誰かわからないくらい目の大きさも二倍大きくなって美しく変わるのだ。
【お疲れさま!まだ会社帰りだから確認していなくて。でも届くように注文したから、楽しみだよ】
玲那は返信した。返事はすぐに来る。
【そうですか☆お仕事、お疲れさまです☆きっと、玲那さんすごく喜ぶと思います☆彩鈴はフィオレとダナのツーショットカードでした☆最高です☆】
【えー!本当に!!いいな、ダナ様がいるだけでも本当にありがたい!早く帰りたいよー】
きせきみの限定ポストカードは、今回のゲーム大反響に感謝ということで、公式ツィッターのフォロワーに抽選で配布してくれることになっている。ーーもちろん、玲那も彩鈴もフォローしている。
ポストカードは作者の永守葵先生のサイン入り。
パターンも三種類あり、主人公のフィオレ嬢とダナ王子、ダナ王子とカイル王子、カイル王子とフィオレ嬢の組み合わせになっている。ダナ王子推しの玲那としては、ダナ王子がいるものがいい。
ああ、早くアパートに戻ってポストカードが当たっているのか確認したい。きっと当たっている筈だ。どの組み合わせのポストカードだろう、推しのダナ様が入っているといいな。電車の中で、嬉しさで、にやけるのを必死に我慢しながら、心では楽しみでたくさんだ。悶絶しそうなくらいの、はち切れんばかりの興奮を抑えて、ラインをしているうちに、西葛西まで着いた。電車を降りて、アパートに帰る。
「ただいま〜」いつもの習慣通り、誰もいない部屋に玲那は呟く。
玄関前でポストを確認すると、
「やった!!ダナ様とカイル王子のだ!!」
扉を閉めて、思わずガッツポーズをした。
とても綺麗な仕上がりに描かれており、玲那は、ほうっと感動して、彩鈴に連絡する。
【彩鈴ちゃん、私ダナ様とカイル王子のだったよ!】
ラインはすぐさま返事が来た。
【よかったですね☆☆☆今回のカードもすごく綺麗で彩鈴も嬉しくなっちゃいましたよ☆】
本当だね、と玲那は呟いた。
脱衣所に向かい、グレーの上下スウェット姿に着替えて一息。ベットに座って、スマートフォンとポストカード片手に喜んだ。
玲那の部屋は洋服がそこら中に置いてある。
キッチンは唯一綺麗だが、自炊は基本的に、やらない。テレビまわりにはきせきみのグッズが綺麗に飾られている。原作ライトノベル全二十巻。ゲームシリーズI〜II。ホームセンターで購入したカラーボックスには、ダナ王子のグッズがフィギュアからぬいぐるみやキーホルダーや定規や缶バッチまで……まぁ様々なバラエティに満ちて飾られていた。部屋のきせきみブースだけは、綺麗に整えられている。埃がうっすらつもるテーブルには、空のビール缶とゲーム機が置かれていた。これが三十二歳の女性の部屋。
「かっこいいなぁ、ダナ様」
玲那はそのままベッドに寝転がる。もちろん、抱き枕もダナ王子。
小麦色の肌に艶のある綺麗な焦茶色の髪。瞳は王族である藍色をしている。初めて乙女ゲームに手を出した時、物語のキャラクターにこれほどときめくとは思わなかった。でも、一瞬で、ダナ様に惹かれてしまったのだ。あれから……玲那の理想の男性はダナ様だ。
「尊すぎる………」玲奈はきゅーんとときめく。
「そうだ!!あの禁断の録画シリーズを見ようかな?!」
玲那はテーブルの上の空き缶を寄せて、空間を作り、急いでノートパソコンを起動させる。デスクトップに表示されていた〝ダナシリーズ〟というフォルダを開いて、ムービーデータを開いた。玲那が大好きなダナ第一王子のエンディングルートを一眼レフで録画しておいたのだ。余りにも仕事が過酷で社畜として滅びそうになった時、この録画シリーズを見ようと思っていた。
ま、今日はポストカードが届いた記念日だからっ。玲那はふふふっと一人で笑って、再生した。
『君と出逢えたことが、奇跡だと思っている。もう離さない、愛しているよ、フィオレ』
「…………っ!!」
玲那はパソコンのキーボードに顔を押しつけて悶絶した。はぁあああああっ。本当にカッコイイ……。
もう一度再生したいけれど、今の私には刺激が強過ぎるわ……社畜になって世界を恨みたくなったら、この録画をもう一度再生しよう。そうすれば生き返る……。あわあわもうもう、と玲那は一人で騒いでいた。刺激が強いのでフォルダを閉じようとしたけれど、間違えてまた一つのデータを再生してしまう。
『リース・ベイビーブレス・ティルト! フィオレ・ダウストリア嬢への様々な悪事、知っているぞ! 不敬として、お前を国外追放する!! よって、私との婚約も自動的に破棄だ!!!!』
「あれ、私こんなシーン録画してたんだ」
玲那は画面に注目する。
『ダナ王子! どうしてですの?! 私は誰よりも貴方を愛し、貴方に相応しいのです! 平民のフィオレ嬢よりも、私のが貴方には相応しいというのに、どうしてその娘を選ぶのですか?!』
『えぇい、黙れ。私に口答えするな。お前のその汚い根性が明確な理由だ。私に二度と顔を見せるな!! 連れて行けっ!!!!』
『お待ち下さい、ダナ王子! ダナ様っ……!!』
「うーわー、ざまーぁ。リースの断罪シーンなんか撮っておいたんだ、私。スッキリはするけど、これは要らないな。ゴミ箱〜」
手早くリースのデータを、デスクトップ上のゴミ箱に落として捨てる。プシュッと缶ビールを開けて、買いだめしておいた、酸っぱいイカの駄菓子を食べる。見た目はオッサン。でも、誰も見やしないので、玲那は気にしない。
テロリンテロリンとスマホが鳴った。
彩鈴だ。何だろう?玲那は電話に出た。
「もしもし?」
「玲那さん☆玲那さんって、明日お休みですか?」彩鈴はいつものゆっくりとした甘ったるい声で話す。
「うん、休みだよ。どうしたの?」
玲那は言う。
「実はーー申し訳ないお願いがあるんです☆」彩鈴が更にゆっくりと話す。
「旅行に変わりに行ってもらえないですかね???☆」
「え??」玲那は驚いた。