花冠に祈りを*4
「何ですか? ルーチェ様?」
私は自分で淹れたハーブティーが入ったティーカップを、両手で抱えながら、ルーチェ様に視線も向けずに返事をする。
「リースはさ、グレた時期もあったって言ってたじゃん? その時の話を聞いてもいいかな」
「聞いてどうしますの?」
意地悪な返事をしてしまう。
でもルーチェ様は構わず、素直に話して下さいました。
「リースはこんな俺から見ても、すげぇ令嬢だって言うのがわかる。そんなリースが、グレた理由って何だったのかなって。……俺はリースに教育してもらっている身だから、俺の話はするけど…………俺、あんたの事は何も知らないんだよな」
ローズとレモングラスのハーブの香りが、微弱に香る。自分の話を全くしないのも、失礼ですわね。……そう思って、私は昔の自分の話をした。
「今日、私が変装している、この外見は……私がかつて体を貸した、〝もう一人の自分の姿〟ですのよ」
「?」
言っている意味がわからない、という顔をルーチェ様はする。
私は体をルーチェ様に向けて、ひとつずつ話し始めた。
「…………スペラザ王国の人間は、国民全員魔法が使える訳ではないのはご存知ですか?」
「え? そうなの?」
「えぇ」
私の言葉に、ルーチェ様の変装した瞳が、真っ直ぐに刺さった。カイル王子にも似た葵様の変装をしたルーチェ様。私は何だか懐かしくなる。
「私は……かつては、魔法が使えない側の人間だと思っていました。魔法を使える者に絶対に訪れる、魔法の目覚めが対象年齢になってもいつまで経ってもやって来なかったからです」
「そういう人も少なくはないんだろ?」
「えぇ。ノーマルと言われる人はスペラザには存在します。貴族には極めて少ないですが……」
私は、ルーチェ様に、貴族で少ないノーマルだと思って育った事。家族に……特に父親に厳しく育てられた事。ノーマルならば次期女王になるため、道具として、ダナ様の婚約者になった事。
……でも、フィオレ嬢が現れたこと。揉めていて起きた事…………もう一人の自分について。今までに起きた事全てを話した。
「……なんか……色々な出来事がありすぎて、俺の頭パンクしそうだ」
「申し訳ありません。どれも要約出来ない出来事でしたの」
ルーチェ様はティーカップに残ったハーブティーもそのままに、少々ポカーンとしている。……こんな話をされたら、そうなってしまいますわね。
「…………その、もう一人の自分は、今はどうなっているかわからない?」
「わかりません。……ですが、私は彼女なら幸せに生きていると信じています」
レナがどうなっているかは、私にもわからない。
でも、あの子と私は約束した。
幸せになろう、と。
あの子ならば、きっと、なれる。
「リースは……? 色々な事があっただろうけどさ、もう一度、誰かと幸せになろうとは思わないのか?」
ルーチェ様は冷たくなったであろう、ハーブティーを口に入れた。
私は少し大きめの深呼吸をする。
「…………そんな資格がありませんわ」
「でも、今もう一人の自分と幸せになろうって約束したって言ったじゃんか? 約束、やぶるのか?!」
「私は今、幸せですわ。ロゼッタと各地を旅しながら出会った人達にささやかな幸せを運ぶのが」
「そんなの、ただの言い訳だろ! 自分の罪悪感から逃れたくてやっているだけじゃんか。本当に周りを幸せにするなら、自分が幸せじゃないと!! 違う?」
ルーチェ様は私の方に直角に体を向けて、訴える。
でも……私の思いは変わらなかった。
「私に幸せの内容を選ぶ権利など、ありませんわ。…………ですから、ルーチェ様には、私のようにはならず、幸せになって欲しいのです。私は両親に愛された記憶はあまり無いので」
「……………………」
オーブンでクッキーが焼き上がったので、私は取り出してクッキーの熱を覚ました。ルーチェ様は何も言わずに、ただ私の様子を見つめていた。私も少しの間は何も言わずに、冷やしたクッキーを黙々とラッピングした。
「売りに行きましょうか」
私はルーチェ様に伝える。
彼は心ここに在らずな表情をして、返事する。
私はルーチェ様の手を取って、クッキーが入ったバスケットを渡しました。
「大丈夫ですわ」
そう伝えて、外に出る私達。街の隅に立って、クッキーを売り始めた。何人か外を歩いている人達が私とルーチェ様の元へと来て、お買い上げして行く人がいました。
「ルーチェ様、このクッキーの売り上げは恵まれない子供達に寄付してもよろしいでしょうか?」
「う? あぁ、いいよ。元々リースが殆ど作ってくれたクッキーだから」
「ありがとうございます」
私がぺこりと軽く会釈をすると、ルーチェ様は何かを言いたさげに私を見たけれど何も言わなかった。
暫くクッキー売りをしていましたが、ルーチェ様のご家族と思われる方々は外を歩いてはいらっしゃらなかったので、歩き売りする事にしました。
「………………」
「大丈夫ですわ」
明らかに見て、不安な顔をしていたルーチェ様に私は声をかける。
外見は葵様ですもの。私もレナの姿をしています。自信を持って、行きましょうと声をかけた。
ルーチェ様は本当のご両親が住む家へと案内してくれた。
一キロほど歩いていくと、木造で出来たこじんまりとした家があった。ルーチェ様は私を見つめると、足を止める。
「………………」
「ルーチェ様」
「本当に……行くのか? 両親の顔を見たら、俺どうなるかわからない」
彼は成人したとは言え、まだまだ少年のような不安さを滲ませて、土の上をジッと凝視していた。
この人を助けたい、私が守って差し上げたい、と私は自身の中で強く思った。
「どうなったとしても、私が全てルーチェ様を受け止めますわ」
またさりげなく彼の手を取って握りしめた。不安な表情から、安心した様子が見えると、私は胸が熱くなるのを感じた。
「うん、ありがとうリース」
ルーチェ様は私の手を握り返す。私達は見つめ合っていると、庭から畑作業をしていた中年男性がこちらの様子を見に来ました。
「何かありましたか?」
ルーチェ様は言葉は発しなかったものの、その方がルーチェ様のお父様である事は彼の表情で理解出来ました。
私は彼の代わりに、男性に伝える。
「私達、恵まれない子供達に寄付をする為にクッキーを売り歩いていましたの。一軒ずつ歩いていたのですが、宜しかったら見て頂けませんか?」
「はぁ、そうですか。うちはいくつも買うことは出来ないですが……まぁ、そちらにいても難でしょうから、中へでもどうぞ」
ルーチェ様の本当のお父様は、おーいと掛け声をかけました。扉が開くと、私よりもふたまわりくらい年上だろうなと思う女性が現れた。ルーチェ様はかたまる。お母様ですわね、と私は思いました。ルーチェ様と同じブロンドヘアは胸まで長く、後ろで低めにひとつにまとめられていた。
「この人達が慈善事業でクッキーを売り歩いているらしい、茶でも淹れてやってくれ」
「あら、ハイハイ。わかったわ。どうぞー」
「失礼致します」
私達はルーチェ様の元いた家にお邪魔することになりました。ルーチェ様の本当のお母様は、手際よくハーブティーを用意してくれる。畑仕事をしていた本当のお父様も手を止めて、中に入って来て色々と話す形となりました。
「そうですか、旅をしながら手作りの物を売っているんですね」
「えぇ、売り上げの何割かは各所の恵まれない子ども達に寄付していますの。ソギ国には所用で立ち寄っていたのですが、折角ですから慈善活動もしに来ました」
私はルーチェ様のご両親お二人に説明する。これは私とロゼッタがしている活動なので、私は決して嘘はついてはいない。本当の事を窺うのに、嘘を言っても仕方ないですものね。
パッとルーチェ様を見つめると、少々焦りを見せながらも、ご両親が元気そうな雰囲気に嬉しそうでした。
少し安心する私は、思い切ってルーチェ様のご両親に切り込んだ質問をしてみました。
「お二人はお子様はいらっしゃらないんですの?」
私の言葉に、ルーチェ様がピクリと敏感に反応する。しかし、私がテーブルの下でこっそりと彼の手を握ると、顔をほんのり赤くする。
「いたんですけどね…………養子に出してしまったんですよ」
寂しそうにお母様が、呟いた。
「養子……私ったら、申し訳ありませんっ」
慌てる素振りを見せながら、話してくれるかしら? と私はチラリとご両親を見つめた。すると、ルーチェ様のお父様が明後日の方向を見ながら、話し始める。
「いえ、良いんです。……ただ、私達も国には逆らえなかった。うちにね、ある日、お偉い官僚様達が何人もやって来たんですよ。公爵家の人間が少ないから、それに見合う人材を探している、と」
「それで、お子様を養子に…………?」
ルーチェ様のお母様はハーブティーをテーブルの上に人数分並べてくれた。私は会釈すると、ルーチェ様もワンテンポ遅れて、会釈をする。
「うちとしては、大切な一人息子だったから、出したくなかったのよ。だけど、お国の命令には逆らえなかった。生活には困っていても、息子を引き合いに出すなんて許せなかったのよ。でも、お偉い様達は何度もここに来て、素質があるからって言われて……。仕方なくですわ」
「お辛い話を、私達にして下さり、ありがとうございます」
「いや、構わないですよ。むしろ初対面だからこそ、話せた。近所の友人や王家には何も話せません、こんな話」
ルーチェ様は黙り込みながら、私の手に指を絡ませてくる。私はこたえるように、指を絡ませて手を握った。
「…………お子様に、今でも会いたいと思いますか?」
私はご両親の顔を見る。
お二人は優しく柔らかな顔をして、言った。
「もちろんです。ルーチェは私達の子供ですから」
「でも、彼には彼の新しい生活があるわけですからね。私達夫婦はここで、息子の健やかな幸せを祈るしかないんです。王家の行事で会える時はなかなかないとは思いますが、その時が来れば、元気なルーチェに会えるだろうってね」
「最初は辛かったですが……考え方を変えれば、あの子が王族の一員になったんですからね。私達の息子が、立派なことですよ」
私は握っていない方の手で、ハーブティーを頂いた。
お二人はとても優しい人だった。ルーチェ様は愛されていたのだ。
私の作ったクッキーを購入して下さり、最後にお辞儀をして私達は家を出た。
「ありがとうございました」
私がぺこりと一礼をするとルーチェ様のお母様は笑う。
「頑張って下さいね」
「はい」
ルーチェ様は何も言わなかった。けれど、ルーチェ様のお母様は彼に声をかける。
「貴方も」
柔らかく笑った顔を見て、ルーチェ様は大人しく呟いた。
「…………ありがとうございます。頑張ります」
魔法は全く解けていなかったので、お二人がルーチェ様ご本人だとは気づいてはいなかっただろう。しかし、ルーチェ様は行きよりも楽な表情で黙り込みながら歩いていた。
私は会わせることが出来たな、と思うとホッと安心感が込み上げてくる。
「リース」
ルーチェ様が呟く。
「……何でしょうか?」
「俺、幸せ者だった。…………ちゃんと愛されてた」
「そうですね」
彼の歩幅に合わせるように、私はゆっくりと歩いた。それまで思い詰めて苦しかったルーチェ様は何処かに消え、今はただ自分の中で昇華している最中のようだ。
「リースのおかげだ、ありがとう。本当にありがとう。俺、頑張るよ。新しい人生を」
私は彼に笑いかける。
「協力致しますわ。いつでも」
ロゼッタが待っていた馬車まで、歩いて行く。魔法の効力が切れて、馬車の中に入る頃には私達は元の姿に戻っていた。
***
「いやぁ! ティルト侯爵令嬢には本当に何とお礼を言ったらいいのやら!! 感謝しかない!!!!」
ソギ国の国王陛下は、朝から上機嫌で私に話しかけて来る。私は跪きながら、敬礼の形を取っていた。
「とんでもございません。ルーチェ様は元々優秀なお方です」
「しかし、あんなに暴れていた青年がものの見事に大人しく優秀になっている! これはもう、其方の裁量としか言い表せない。スペラザには今すぐにでも、サージャの種を送る契約を改めて交わそう」
「ありがとうございます。国王陛下もダナ王太子もフィオレ王太子妃も、とても喜ぶと思いますわ」
私は笑顔で国王陛下の元を去っていく。
最初は驚いたけれど、ルーチェ様と関われて本当に良かったと思います。何より、少しでもスペラザ王国に……ダナ様に恩を返すことが出来ました。私はほのかな達成感に満ち溢れていた。
サージャの種とスペラザ王国の魔法の力があれば、治癒魔法に近い薬品を開発することが出来る。私みたいに魔法を使えなくても、手軽に治癒魔法の効果を得られるんですわーーーーこんな素晴らしい話があるのでしょうか。
私は嬉しさを隠せずに、ルーチェ様のお部屋の扉を開いた。
「あっリース! おはよう!」
彼は満面の笑みを輝かせて、私を見る。
その純粋さに私も心を撃たれてしまうようでした。
「おはようございます」
「何か良いことがあったの? すごく嬉しそうだね」
私は表情には出さないつもりでいたけれど、あふれてしまっていたようです。
「えぇ、ソギ国とスペラザ王国の交渉が上手くいったので、つい、嬉しくて」
「良かった! 俺もリースが嬉しそうだと、幸せだよ!」
「ありがとうございます」
ルーチェ様は立ち上がって、私の両手を握りしめ、目を見開きながら話した。
「リース! 今日は何する? 勉強? 作法? 剣術? それとも、ロゼッタも一緒に何処かへ出かける?!」
私はルーチェ様の手を包み込むように触れる。暖かくて若い彼の手は幼さを感じさせた。
「ルーチェ様、申し訳ありません。私の仕事は終わったのです」
「…………終わった? 何で?」
彼は顔を硬直させる。
申し訳ないな、と私は思いました。
「元々のお話が、貴方に貴族としての充分な教養を教えること、そしてサージャの種をスペラザ王国に持ち帰るという内容だったのです。ルーチェ様は素晴らしい貴族です。一緒にまた何かしたいのですが、期限付きの仕事故、お許しください」
私はルーチェ様にお辞儀をした。彼は震える声で言う。
「嫌だよ。君と離れるなんて……。スペラザ王国に帰るなら、俺も連れて行ってよ! だって、俺楽しかったんだ。アンタから色々教わるのも…………アンタの作ったお菓子が楽しみで……それだけで良いんだ!!!! なぁ、リース! 俺、アンタと別れたくないよ」
彼は私の手を離して、私の両腕を抱え込むようにおさえる。
私も同じ気持ちでした。ルーチェ様と一緒にいる事で、心穏やかになれたのです。本当は……私も、もう少しだけ、貴方と色々なことを体験していきたい。狭い心でしか生きて来られなかった私は、ルーチェ様といると何故だか素直になれますの。
………………でも。
大人ですからね、私は。
「ありがとうございます。私も同じように楽しかったですわ。でも……。ルーチェ様にはこれからがあります。これから花開いていくのです。…………私のように、婚期を逃した者とは違う。これからゆっくりと衰退していく者ではないのです。貴方は公爵家の人間。貴方には貴方の居場所があります。私に執着する必要など、ありませんわ」
「リース………………違うよ、違うんだ。俺、気づいたんだよ。アンタが……リースのことが、好きなんだ。何だって言い訳作って、ここに置いてもらえるようにするからさ、離れていかないでよ」
「…………でも、貴方と私は歳が離れ過ぎていますわ。私はルーチェ様の十歳も歳上ですのよ? もっと良い人がいますから」
「アンタ以外いらないよ!!!!!!」
ルーチェ様は私を壁に押し付けて、きつく睨みつけた。
「リース以外、いらない。リースが好きなんだ。どんな人生を歩いて来たとしても、俺は今のそのままのリースが好きなんだ。本当はアンタ……傷付いてきただろ? 他人を傷付けてしまった自分自身に、リース自身が傷付いて来ただろう?!」
濁りのない真っ直ぐな視線。私は目をそらすことができない。
「俺、年下だけど、どんなリースも受けとめる。だから……」
「ダメです…………私には幸せになる権利などありません」