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玲那の顔を見て、永守先生は安堵の表情を見せる。しかし、その後……一瞬しーんと、沈黙する。この沈黙は何なんだと思う。玲那は少し気まずくなって、話した。
「小説家なんですよね。きせきみの……」
「はい。ライトな物書きです。レナさんは、きせきみはいつから好きなんですか?」
レナさん、という言い方に胸がドキッとしながらも答える。
「高校一年の時から出会いました。原作が連載始まった時に……」
「わぁ出たての頃から好きでいてくれているんですね」
表には出て来ないが、永守先生は玲那の返答にとても喜んでいる。玲那は興奮しながら話す。
「はい! すごく好きです!! 特にフィオレとダナ様の出会いのきっかけの所とかダナ様のフィオレへの想いの描写も好きで、何度も読みました!!」
永守先生はにこりと微笑んだ。その微笑みを見た玲那は急に恥ずかしくなってしまう。レモンジンジャーをそのままで一口飲むと、少しピリッとして温まって美味しかった。
「美味しい……」
「最近は毎年作るんだけど、悪くないでしょう? 好みで蜂蜜入れて下さいね」
「はい」
玲那は蜂蜜を開けて、ティーカップに入れる。スプーンで混ぜながら、永守先生に聞いた。
「先生は…………カイルなんですか?」
「はい、俺がカイルです」
永守先生は穏やかな眼差しで話す。ボアフリースを脱ぎ、椅子に丁寧にかける。目の色以外は夢の中で見ていたカイル王子と本当に同じ…………。聞きたい事をどう聞いたら良いのか、玲那は迷っていた。玲那は不思議な顔をしていると、永守先生が話し始めた。
「玲那さんは那須塩原市にある旅館に行ったんですよね」
「あ、はい。そこの温泉で溺れたら異世界に…………」
「俺も玲那さんより少し前に、その温泉に行ったんですよ」
「え?」
玲那に構わず、永守先生は話し続ける。
「…………この家は元々祖母達が暮らしていた家だったんです。祖母が亡くなってからは俺一人で住んでいます」
「そうなんですか……」
「祖母とずっと一緒に暮らして来たので……一緒に行った旅館を療養がてらまわっていたんです。あの旅館もそれに含まれていたんです」
療養、という言葉が玲那は気になった。永守先生は玲那に家族との出来事を、祖母との思い出を交えながら話してくれた。
祖母が逝去後、普通に生活していた先生。しかし祖母との死別が原因で精神と身体のバランスを壊し、保てなくなった。先生は思い出に浸るのと療養を理由に旅館を利用して、あの温泉に入った。それから暫くして、異世界に転移していたと。
「死に近づくと異世界に行くのかと思っていたんです。それもきっと間違いではないけれど、温泉に浸かった事もひとつの要因なのかもしれません」
「でも、どうして那須塩原なんでしょう?」
玲那は永守先生を見ると、先生はティーカップを持ち上げて一口飲んでから話した。
「気になって、俺も調べたんです。本当のところはわからなかったんですが…………栃木のこの辺の気には、昔から人を再生させるような気が溢れているという本を見つけました。……そして、これは俺の推測なんですが、水は本来、不思議な力と繋がりやすいそうです。人を再生させる力に溢れた土地に流れる温泉は、不思議な力がある。でも、誰しもに不思議な力が働くわけじゃない。異次元は生きたこの世界にはない。……だから、俺たちはそれぞれの理由で、温泉を通して異世界へと繋がった。……という事なのかなと思いました。本当の真実はわからないけれど、そう思って、納得するようにしています」
「なるほどです」
玲那は永守先生の顔を見る。玲那は違うネットニュースの内容がとても気になって、仕方がなかった。言おうかどうか考え迷っていたが、思い切って切り出してみる。
「先生はー……その…………体調はもう大丈夫なんですか?」
「大丈夫ですよ」
玲那は永守先生が断言したので、余計に突っ込みずらいなと思う。でも、ここで聞かねばと思い、引かなかった。
「でも…………ネットニュースに……」
「あぁ。嫌ですよねぇ、ああ言う記事」
永守先生は節目がちになり、声を低くして呟く。
玲那は気になって仕方がない。
「本当なんですか……? 癌って……先生は今は……」
「……あの記事は半分本当で半分嘘です。さっきも伝えた通り、祖母が亡くなって精神的にも身体的にも限界でした。飲んだくれていて、胃を痛めて何度もお医者さんに怒られていました」
「先生、聞きます。聞きたいんです」
玲那は胸が苦しくなる。
ティーカップの前に置いた手が緊張していた。
「消化器官に病気は見つかりましたが、初期のうちに切除したのでもう問題はないです。ピロリ菌検査もしたし、問題ないです。……ちなみに、癌であったのは祖母であって、俺じゃないです。新作を出してから、あーいうニュースが出ると困る。今度訂正文だそうかなと思ってはいますが、やっぱり半分本当なのでどうしようか迷っています」
玲那は心配する表情で、永守先生を見つめる。決して表情にブレがあったり誤魔化したりするようには見えなかった。
「じゃあ、癌ではないんですね? 病気はないんですね?」
不安になっている玲那に永守先生は笑って、断言した。
「ないです。もう健康です」
そう言って、部屋にある机の小さな引き出しから一枚の検査結果を出して、玲那に見せてくれた。
「三ヶ月前の健康診断の結果です。肝機能も腎機能も血糖や他も、基準値以内です」
「見ていてよくわかりませんが……」
「癌だと、この数値が上がります。ここは正常です」
近くに来た永守先生は玲那に丁寧に指を指して教えてくれた。玲那は変にドキッとしてしまう。あぁ、緊張し過ぎだよ、私〜と心の中で自分に言いかけた。
「じゃあ、元気なんですよね? 病気じゃないんですよね?」
玲那は永守先生を見る。
先生は断言した。
「違います。健康です」
「良かったぁ…………いなくなっちゃったら、どうしようって……」
玲那は検査結果を握りしめながら、呟く。
永守先生が、ふいに玲那の頭をなでなでした。玲那は動揺してしまい、どうしていいのかわからなかった。先生は健康診断を玲那から受け取って、案内する。
「ちょっとこっちに来てもらえないかな?」
「?」
玲那は言われた通りについて行った。障子を開けて、永守先生は台所へと案内した。台所は比較的日当たりが良いみたいで、窓から光が差している。台所はあちらこちらに物が置かれていた。
「君は異世界にいた時は一日一日が異世界での日々だったと思うけど…………半分浸かっていた俺は、この世界でも、自分と向き合わなきゃいけないと思っていたんです。お酒は飲めるけど、今は飲んでいません。その変わりに…………」
永守先生は玲那に台所に作られた棚を見せてくれた。玲那は何かに気づいた。棚の中には密封性のある瓶がいくつも置いてあり、中にはハーブがたくさん入っていた。玲那は見て気がついた。作られた棚は、マロウさんの家にあった物と同じだと。
「今はハーブティーを飲んでいます。身体を大切にしたいんです。退院してから、少しずつ集め始めました」
玲那は棚をじっと見つめた。
「この棚は……先生が作ったんですか?」
先生はゆっくりと教えてくれる。
「…………はい。再現したくて、頑張りました」
「……ここに……マロウさんの心みたいな物を感じます。あの人は…………魔法みたいに、人の心を再生する術を持っている人だったから……」
「本当ですね。マロウさんはすごかったです。弟子の君も……同じくらい俺にはすごかった」
「何にもしていませんよ? 私」
玲那は永守先生に伝えると、永守先生は首を左右に振る。
「そんな事はないんです。レナさんに助けられました。レナさんの作る料理に…………俺は救われたんです。食べることは生きること。……美味しい物を作る力って、生きる道を作るのと同じだと俺は思います」
玲那は何も言葉を返せなかった。自分がそんな大層なことをした訳ではない。告白にも捉えられる言葉に胸がギュッと掴まれるような感覚になった。永守先生が玲那を見つめて、二人が何とも言えない空気になった時……玲那は思い出す。
「…………あっ!!」
「どうしました?」
玲那は永守先生の顔を見た。
永守先生も玲那の顔を見た。
「お菓子を……作って来たんですっ」
永守先生は少し笑って、元々いた書斎へと歩いて行く。玲那も慌てて一緒に後ろから着いて行った。部屋に戻ってから、紙袋に入れておいたオレンジパウンドケーキを永守先生に渡した。
「オレンジは平気ですか?」
玲那は一応確認する。渡したパウンドケーキには、表面が綺麗に光るオレンジの輪切りがひとつずつずらして並べられていた。
「……大好きです。切って来ます。一緒に食べましょう」
永守先生はまた台所へと戻り、小皿に切って平たく乗せたオレンジパウンドケーキを持って来てくれた。玲那は受け取ると、お辞儀した。
先生は小皿に乗った小さな長方形にフォークを入刀して、口の中に入れた。わかりにくいが、玲那は永守先生が心底嬉しそうに食べているのを感じた。
「あのー先生?」
「何でしょう?」
「私がこっちの世界に戻って来た後の異世界がどうなったかはご存知ですか?」
玲那は自分が戻って来た後のリースがどうしても気になっていた。他のキャラクターは収まるところに収まっていたけれど、リースだけが…………心配だった。
「知っていますよ」
「教えて下さい、リースがどうなったのか」
永守先生は、フォークを置いて、真面目な顔をした。
ちょっと異世界に繋がった理由がうまく表現できていなかったので、設定変えました。
そして、玲那が気になっていた西嶋さんとカイルであった葵先生は他人のそら似だったと言うことです。描写したかったのに、書ききれませんでした。フォルムが似ている人を玲那は同じ人だと勘違いしやすいタイプなのです。