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玲那は恐る恐るクローゼットにあった段ボールの中身をチラッと確認した。アニメ化した時の、背ラベルの『奇跡の姫君〜貴方と出逢えて〜』が見えた。玲那は一度、段ボールを閉じて部屋の床の上へと置く。
ゆっくりと外フラップを開けて、内フラップを開ける。
もし……同じだったら、納得すれば良い。特徴的な姿は黒髪と藍色の目に綺麗な鼻だけだった。身体は高い方だと思う。イラストでわからないかもしれないけれど、見れば本当のカイルの顔を思い出す筈。
同じだったら…………本当に意識の無い時に二次の世界へと行ってしまっただけ。
多分、忘れているだけで、同じだろう。と玲那は思う。
でも、もし…………違っていたら……?
緊張する。見てしまえば、引き返せない。その時の自分の心を鎮静させる事が出来るの……? 玲那は背を見つめたまま、箱にもたれるように呼吸する。
カイルの姿を思い浮かべた。
彼は、玲那自身が生きている事を信じると言ってくれた。玲那は自分はもう亡くなっていると思っていたのに。
彼だけは、玲那の生存を信じてくれていた。
離れてしまう恐れも抱えながら。
口をぎゅっと結んで、泣きそうになるのを抑える。
先に進めないじゃないか、これじゃあ。
「正体がわかればいいんだよ」
玲那は呟く。
そうだ、理解できれば諦めもつく。やっぱり、私は二次元の人間にしか恋が出来ないオバサンだって。
諦め付けば、少しは前に進めるかもしれない。
玲那は思い切って、公式ゲームのDVDを手にした。
「正体を……知るんだ」
表のスチルを確認する。玲那の瞳が大きくなる。ぶわぁとまた涙が反射的に溢れて来た。
玲那は思い出してしまう。
カイルの目の下には印象的なホクロがあった。小麦粉肌の焦茶色の髪をしたダナ様とは違い、カイルは色は白く髪の毛は黒く、目は藍色でーーーー左目の下に誰が見ても目に入るホクロがあった。
だが、玲那が会っていたカイルには、ホクロはなかったのだ。
顔は白いし、目も藍色だった。髪型や色や雰囲気は変わっていなかった。でも……手にしている公式ゲームのスチルには、ホクロをつけたカイルがいる。
玲那はスチルのカイルにあるホクロを擦った。
…………嘘かもしれない、うっかり油性ペンで汚れているだけかもしれない。
ゴシゴシと爪に力を入れる。だが、消えはしなかった。玲那は慌てて、他のDVDも確認した。もしかしたら、アニメ版はホクロがないかもしれない。
……ガサガサと、ひとつずつを出していく。
これもーーーーこれもーーこれもーーーーこれもーーーーこれもーーホクロがある。
背ラベルを上にして、綺麗に入っていたDVDを乱雑に全てを出した。カイルの顔が描いてある物以外は全て段ボールに投げた。カイルの顔が描いてあるスチルを全て確認しても、公式のキャラクターである、カイル・スプレンティダ・グラス・ブルーム・デ・ロッソにかわりはなかった。
「違うーーーー…………なんでっ……違うの?!」
じゃあ私が見たあの人は、一体誰だった?
…………本当に夢だった?
妄想が過ぎる自分が、無意識のうちに創り出してしまった理想の人ーーーー?
玲那はただ、嗚咽しながら思い切り、泣いた。
あのカイルはやっぱり何処にもいないーーーーーーーーーー
あれから暫く経ち、彰人に子供が産まれた。週末に嫁と子供を連れて、実家に遊びに来ていた。玲那と彰人の母親は孫を抱っこして茶の間に皆で座っている。
「ねーちゃん、今日は出かけてんの?」
彰人は母に注いでもらった緑茶を飲みながら、膝を立てて話す。
「そうなのよ〜。図書館に行ったわ、何でもアロマや植物の勉強をはじめたいんだってさ」
母は可愛い顔立ちが彰人に似ている女の赤ちゃんを見て、可愛いねーと終始にこにことしていた。
「ねーちゃん、どことなく事故から変わったよなー。すっかり乙女ゲームもやらなくなっちゃったし」
「そうねぇ、私も確かにオタクも程々にしなさいとは言ったけど、何だか元気ないんだよね…………言い過ぎたかな」
母も湯呑みを掴んで、暖かい緑茶を飲む。彰人の妻が驚いている。
「乙女ゲームをお義姉さんがやっているんですか?」
「うん。沙織はねーちゃんとあんまり会っていなかったから、最近のねーちゃんしか知らないと思うけど、ねーちゃんはきせきみって言う乙女ゲームがすげえ大好きなんだよ。原作もアニメも超好きで、筋金入りのオタクだったんだ」
彰人の妻は、彰人から画像を見せてもらうと、あー! と大きく反応する。
「これ、知ってます!! 今、アマゾンプライムに期間限定で公開されているやつですね!!」
「へーそうなんだ。人気なんだ? ねーちゃんの大好きなきせきみってさ、原作者の人、具合悪いってネットニュースで見たんだよね」
「そうなの?」
母がまた湯呑みを飲んで、茶菓子が入った入れ物を嫁へと寄せてあげた。
彰人も茶を一口飲んだ。
「うん、何だっけかなぁ精神的なショックで一回、体調壊して、休んでいたら……癌が見つかったって書いてあったような…………まぁもうゲームやっていないなら、知らないだろうし落ち込まないだろうからいいんだけどさ」
* * *
それから更に月日は二年が経った。
季節は二月後半になり、
玲那は三十六歳になった。
二年の間に、貯めていた少ない貯金で花やアロマテラピーについて勉強をした。長い都合の良い夢を見ていたのだと、玲那は思っていた。が、そう頭ではわかっていても、夢の中で生きていた自分を…………何度も探してしまうのだった。
今日は長期療養をしていたが、働きに出る為に、面接に向かう。
「行って来ます」
玲那は白いシャツに黒いジャケットとパンツを履いて、パンプスで軽やかに歩き出した。
面接の今日ばかりは、カラコンも髪の毛もお行儀良い物に変えた。
横浜市内に、アロマオイルの販売やクラフトグッズのワークショップを併用して営業している花屋があった。玲那はずっと気になってはいたが、求人が募集していなかったので諦めていた。
先日、ふと近くを立ち寄った時に求人募集がされていたので勇気を出して応募してみた。
「日曜日なのに悪いわね〜。来てもらっちゃって」
黒髪のショートヘアに程よく赤い口紅が印象的な女性だった。年は五十代くらいだろうか。玲那は美しい人だなぁと思い、少し構える。
「いえ……大丈夫です」
「アロマセラピストの資格とグリーンアドバイザーを持っているのね。すごいですね」
「はい。ちょっと体調が悪くて、長期療養していたんですが、ついでに取りました」
長期療養、という単語に面接をしてくれている女性は過敏になる。玲那は誤解を生まないように、今までの出来事をうまく話した。女性は胸を痛めるような、心配する表情をした。
「大変だったのね」
「いえ……生きているだけで今は充分ですから」
玲那は呟く。それを見た女性は履歴書を見ながら、にこりと玲那に微笑んだ。
「うちの職場は見ての通り花屋だから、少し寒いのね。花の売り場から少し離れた所では、ご存じだと思うけど、ワークショップをやる事があって。須藤さんなら、ワークショップを任せてもいいかもしれないわね」
「はい!」
玲那は返事をした。これはいけるかもしれない、と思った。女性は履歴書を机の上置いて、玲那を見る。
「でもね……ごめんなさい。別の人で経験者がいたから、お願いしようかなと思ってたの」
「そうですか…………」
玲那は落胆して、だめだったか、と思った。だが、女性はもう一度微笑んで、言う。
「須藤さん、栃木支店には行けないかな? 丁度、うちのチェーン店が一人募集しているんだけど、栃木なのよね」
栃木支店……と玲那は思った。今は実家で暮らしていて、一人暮らしの経験はあるけれど……あのはきだめのような部屋に戻ってしまう?
「家族に聞いてみないと、まだわからないんですが……」
「まぁそうよね。遠いし、いきなりだもんね。もし大丈夫そうだったら、三月までに連絡してくれる? 栃木支店の担当者には伝えてもらうから」
「はい」
着替えをした後に、スマホでSNSの登録をした。先ほど面接してくれた女性にショップのインスタグラムをよかったら登録してねと言われたからだ。
登録してみると、綺麗な花やワークショップの写真が多く載っていて、やはり自分の労働欲求を刺激される気がした。
色々と見ていると、明らかにアイコンが彩鈴だな、と思うインスタを見つける。あの中華系キャラクターのような見た目ではなく、二重まぶたで藍色のカラーコンタクトをして焦茶色のウィッグをかぶったアイコンだった。
「連絡してなかったなー…………」
玲那は事故後、彩鈴と連絡を取っていなかった。
今のラインが同じアカウントなのかわからないが、連絡を取ってみる事にした。