10
二人は笑顔で門を曲がって行く。あんな顔するんだ……と私は思った。何かしたいけれど、どうしていいかわからない。色々と思い出して、胸がぎゅっと締め付けられる。
「気になる?」
カイルは前を向いたまま、聞く。
「…………そんなことっ! ……私はダナ様を信じているもの……」
「心配が顔に出ているよ」
「あくまでも王子と貴族として仲が良いだけですよ、きっと」
ノエルがフォローするように言った。
「いや……最近、やたらフィオレ嬢と仲が良いんだ。兄さんは今回のリースの件で、かなりご立腹だよ。早いうちに関係を修復しておいた方がいい。それまでの記憶がないこともちゃんと説明してね」
「えぇ……。でも、信じてもらえなかったの……」
「ううーん。君が……どんな理由でラクアティアレントに落ちてしまったか僕にはわからないけど、兄さんはそういうの気にするだろうね。家柄があの二人では違い過ぎるだろうけど、かと言って、自由主義の国王陛下に身分違いの恋に許しを乞うことだって、するかもしれないよ」
カイルはまた振り向いて、腕を組みながら、私を見た。私は、わかっている。自分が彼との婚約破棄を告げられ、断罪されることが。でも、わかった上で、どうやって阻止すればいいのかがわからない。昨日今日の様子では、聞く耳など持ってもらえなかった。
「…………わかってる。私が悪いことも」
カイルは呟くリースをじっと見る。
リースの頭をポンポンと撫でた。
「…………ちょっと!」
私は不意をつかれた気がして、構えてしまう。
あっ頭ナデナデされたっ!!
「はは、ごめん。君はやっぱり少し変わった気がする。しおらしく今のままで兄さんに伝えれば、兄さんだって考え直すのに」
カイルは笑う。
「……もうっ!! ……こっちは真剣なんだからねっ……! ……………そう言えば、カイルとノエルは私がラクアティアレントに落ちたこと、どうやって知ったの?」
「私達は、皆が帰る頃に東棟から叫び声と大きな水音が聞こえたので、カイル様と向かったのです。そうしましたら、リース様が溺れているのを見つけました」
「焦ったよ。何事かと思ったら、ラクアティアレントで溺れてるし、リースだし」
二人は言った。とんでもない騒ぎを起こしたんだな、と私は頭を抱える。
「申し訳なかったわ。じゃあ、他には誰もいなかったのかしら……?」
「現場にいなかったから、何とも言えない。でも、何人かの生徒とフィオレ嬢もいた」
フィオレ嬢も…………?
私はぴくりと、止まる。あぁ、そう言えば、この世界に来た時にカイル王子に助けられて、神官を連れて来たのもフィオレだった、と思い出す。私は少し嫌な予感がした。…………記憶記録の書をやぶいたのは、フィオレではないだろうか? と思った。リースに恨みを持っている可能性はある。が、物語の主人公だしなぁ。何より彼女は元々正義感に溢れた性格。悪役令嬢のリースじゃあるまいし、そんな事する訳ないか、と思った。
「フィオレ様は、他の生徒に声をかけられて向かったそうです。驚いて、私達に救助を頼み、フィオレ様自身は神官様を呼んでくると言ったのです」
やっぱりそうよね、無理があるものね。と私は思った。
「そう……。実はね、昨日、神官様に診てもらったんだけど、私、昔の記憶が甦ることがあるの」
「昔っていつ頃の?」
「幼い頃、スプレンティダ家に遊びに行っていた時の事かな。庭園で遊んだことがあったじゃない?」
「……ん、あぁ」
「ラクアティアレントに落ちたことによって、忘れていた昔のことがまた呼び起こされているんじゃないかって言っていたわ」
「それが障りなのか」
カイルは自分の顎に手を触れる。
「えぇ、そうよ。でもおかしいの」
私は言うと、ノエルが確認してくる。
「おかしい、とは? どのような事でしょうか?」
「私が十月十五日に何が起きたのか神官様に魔法で見てもらおうとしたの。でもね。神官様が言うには、記憶記録の書物には、十月十五日の、私がラクアティアレントで溺れた日のページがやぶかれていたの」
私は、あくまでも私自身が記憶を失くして、神官様に診てもらったことを伝えた。もし、自分が異世界から何らかの形でやって来て、リースとして存在している、ということを話したら、それはそれで大事になってしまう。自分は転生か転移か、そんな話は神官様以外には伏せることにした。
「…………誰かが、やぶった可能性があるってことか」
「あまり考えたくはないことだけどね」
カイルもノエルも一度、フィオレを疑った。でもそれはないだろうと思った。
「まぁー君は色んな人から恨まれていると言っても過言ではないからねぇ〜」
疑惑が止まらない私は、深刻な顔をしていると、カイルはくくっと笑う。
「ゔっ! …………否定はできません……」
「このことは、周りにはまだ伏せておいた方がいいだろうな。確かな証拠や裏付けるものもないからね。少し探ってみるよ」
「何人かの目撃者に様子を確認しましょう」
ノエルはカイルを見て、頷く。
「でも……何故やぶる必要があったんだ?」
カイルはフィオレがダナと歩いて行った場所を向いて言う。
私は、カイルの顔を見つめた。…………あ、そう言えば、確かゲームでは、カイル王子はフィオレ嬢に密かに想いを寄せている設定だった。 …………だとしたら、今、この人はどういう気持ちなのだろう……。フィオレがダナ様と仲良くしていて、もし、彼女がラクアティアレントにリースが落ちたことに関わっていたとしたら……今、カイルはどんな風に考えているのだろう。
辛いかな…………。飄々として、要領良く見える彼だけど、自分の兄……義理の兄が片想いの相手と婚約する状況は耐えられないんじゃないかしら。この事に、私は彼を巻き込んではいけないんじゃないかしら。
「あっ! やっぱりいいですわ!!」
私は、笑って、誤魔化すように、手を叩く。
「はぁ?! まさか君……嘘じゃないよな?!」
「嘘ではございませんことよ! でも、恐らく私の気のせいでしょう!! 誰かを悪役にしても仕方ないものね! お気になさらないで!」
私は、跳ねてばいばーいと手を振ると、急いで走って行った。少し気の抜けた表情をしたカイルと、穏やかな表情のままのノエルが、呆然と立つ。
「何だよ……」
「……リース様は、何を恐れていらっしゃるのでしょうか?」
「わからないね」
リースは、少し走って、そのまま止まって、ふぅ、と息を吐いた。壁に手をついて、考え込む。
そんな事って、きっとないわ。フィオレじゃないはず。ゲームにないシナリオだもの。うーん……そもそも、ラクアティアレントにリースが落ちたっていう話がゲーム進行にはなかった。フィオレが落ちたっていうシナリオもない。時計台でふざけて遊んでいた時に、フィオレとダナ様は出逢うのよ。ラクアティアレントは何ひとつ関係ないわ。
「わからないわ…………」
自宅へと帰ろうとすると、階段から降りて来たダナ王子とヨクサク、フィオレとばったり会ってしまう。
うわっ! こんな時にまた……!
「あら、リース様」
真っ先に声をかけてきたのは、フィオレ嬢だった。
イエローベースの肌に、ストレートで真っ黒な髪。カイルと同じ色。髪に魔力が着く訳じゃないけど、この世界で、黒髪は制限が効かない闇のような魔力の持ち主。生まれながらにして、強い魔力を持つと言われている。フィオレはハーフアップをして、後ろでリボンのバレッタでとめていた。改めて、ゲームでよく見た、ヒロインだ……とリースは思った。日本人をイメージして生まれたんだろうなとも思う。変わらずにこやかで、温和な印象だ。フィオレはスカート持ち上げて、軽く会釈し、私の元に駆け寄る。
「リース様! お身体は大丈夫ですの?」
「……えぇ、もう大丈夫です」
私は、後ろに、ダナ様がいるので、顔が強張る。
こんな時まで君達は一緒なのかいという心のツッコミを必死におさえた。
「フィオレ様、またご迷惑おかけしましたわね。すみません」
私はにっこり笑った。
「いいえ。何ともないようでしたら良かったですわ」
安心した、ホッとしたような表情で、フィオレは言う。
私は胸の前で両手を組む。なんて良い子なんだろう。こんな子がリースをラクアティアレントに落とす、なんてことするわけが無い。それに、そもそもヒロインなのだから。リースはうん、勘違いだな、考え過ぎだなと思った。
「フィオレ嬢。気にすることはない、私に対するアピールに決まっているのだからな」
ダナ王子がフィオレ嬢に向けて言う。
私は表情が完全に凍りついた。
いや……私からフィオレ嬢に心変わりしているのはわかっているけどさ、少しは婚約者を心配するとか、ないのかい! 私は君のこと、推しているんだよ!?
私は何も言えない。
「いけませんわ、ダナ王子。リース様が本当に具合が悪かったらどうするのです? 王子とはいえ失礼ですわ」フィオレはムッとして、ダナ様に言った。
ダナ様は驚いた顔をして、にこりと微笑んで二人は笑い合う。
「…………。そうだな」
「………………」
私は昨日の授業中のような空気にならなくて良かったと、安堵する。フィオレにはそこは感謝だ。
しかし……私に対する態度とフィオレに対する態度がまるで違う。フィオレはヒロインだから、分かるけれど、何よ、君に恋してるって感じの顔!! 私は怒りさえ湧いてくる。
「…………私、これで失礼しますわ」
「あぁ」
私はこの場を去ろうとした。
「リース」
ダナ王子が、呼んだ。
「……はい?」
「収穫祭には出席するのか?」
「……えぇ、今のところ何もなければ出席させていただきますわ」
「…………そうか、わかった」
ダナ王子は言った。少し微笑んだ。
「では、皆さま、私はこれで失礼しますわ」
私は一言言って、早歩きで歩いていく。
ちょおっとおおおおおおおおおおっ!!!!
めっっっちゃ収穫祭に出るか確認しているじゃないのよぉおおおおっ!!
私は一心不乱に歩き続けながら、思った。
収穫祭は、スペラザ王国が、魚介や肉や農産物の豊穣を願って、毎月一回、開催される、貴族だけのパーティー。皆各々がドレスアップして、踊り歌い明かす。煌びやかな祝会。
だけど、十月の収穫祭では、雰囲気が違う。
リースは今月の収穫祭で婚約破棄をされて、フィオレへの不敬により、国外追放される。つまり私断罪祭。
あぁあああ、もうどうしたらいいの?!
本当なら、婚約者になれないなら、この国に生き残って、まこと静かに隅の方で貴族やって生活していきたいのに、やっていない事をやったと見なされて、推しから国外追放とか冗談じゃないよぉ!!
どうすればいいの!!
あのあの王子の心を変えることができる?!
しかも、見た?! あの笑顔! フィオレに鼻の下びろーんって伸ばしちゃって!
王子!!
そりゃあヒロインと相手役だもの、鼻の下ものびるけど、お前、婚約者いておきながら、何なんだよ!ちゃんと片付けてから仲良くしろよ!!!!
「…………あああああああー!!っ」
壁を足で蹴飛ばし、思い切り私は叫んだ。