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「ところで、涼しくてケーキ作りをするの?」
「うん、ジーニアさんにマロウさんのお菓子レシピを伝達中なのよ」
「リースさん、教え方も上手なのでわかりやすいです」
カイルは一言だけふうん、と呟いた。喜怒哀楽を待ち合わせていないような顔を彼はする。私が何かあったかな? と思っていると近づいて頭をガシッと掴まれた。
「……何するの?!」
「何するのじゃないよ、……忘れていないよね? ……国王陛下に後で返事をしなくちゃいけない事も、忘れないでね」
そう言われて、〝結婚〟という単語が頭の中にふわりと浮かぶ。あー……忘れていた訳ではない。決して。
…………いや、忘れていた。完全に。マロウさんの事でいっぱいいっぱいだった。
「ごめん」
「……思い出してくれればいいよ。こっちは大丈夫だから、思いっきりやったら」
カイルは手を上げて家を出て行く。
私は何とも言えない気持ちで、カイルの背中を見送った。私は暫く無言で立ち尽くす。
「さぁ、やりましょうか!!」
私はくるりと振り向いて、ジーニアさんに笑顔を向けた。
「大丈夫? 何か控えているのなら、そっちを優先して欲しいわ」
「ううん、正式にはこっちのが優先順位は高いの。彼の話は、もっと深く考えないといけない話だから……」
ジーニアさんは不思議な顔をしたけれど、私がケーキの作り方をやり始めると、何事もなく一緒に作り始めた。私は結婚について考えなくて済むように、いつもより丁寧に教え込んだ。
なんだかんだで私とジーニアさんのお菓子作りのレッスンは三ヶ月くらい続いた。さすがにジーニアさんも子供さんを預けっぱなしでもいけないので、一ヶ月のうちに何日かは住まいへと戻って行った。子供さん達は自律する年齢ではあるけれど、婦人が長く家をあけるのも問題なのだ。
私の中で、カイルからの申し出についての答えは全く出て来なかった。て言うか、受けていいのだろうか。いずれこの身体はリース本人へと返さなければいけないのに。
本当のところ、カイルが何を持ってそう思ってくれたのかもわからなかった。
ジーニアさんが戻って来て、二人でマカロンを作る事にした。
ジーニアさんと一緒にお菓子を作っている過程で、私が知らないマロウさんを知る事が出来た。
「母は好き嫌いが激しかった私に、何でも食べさせる為にお菓子作りをはじめたのよ」
「へぇ! そうなんですか!」
私は必死にメレンゲを泡立てながら、ジーニアさんの話を聞いていた。腕が死にそうに辛いけれど、美味しいマカロンを食べたい! という欲求があるので、頑張って泡立てる。
三回目に加える砂糖を入れて泡立てる。
「えぇ。人参が嫌いで、よくケーキに入れて食べさせられたのよ。あまりにも私が好き嫌いが激しいものだから、執事と相談して台所を使って実験する事も多々あったみたい」
ジーニアさんは殆どの野菜が苦手で、特に人参は独特の甘さが大嫌いだった。でも、マロウさんがパウンドケーキにしたりマドレーヌにしたりと工夫していた。ジーニアさんに難なく食べ物を食べて欲しいと、貴族のツテを使って、優秀な料理人から料理を習った。ハーブの使い方を熟知したのもこの頃で、やればやるほど楽しんでいたと侍女から聞いたらしい。
「さすがマロウさん、雇って教わっちゃうなんて、すごい」
「ひとつわかると、更に上を追求するところがあったわ」
「…………少し似てるかも」
「貴女も?」
「えぇ、こだわるとすごくて」
私は心で焦りながら、おほほほと誤魔化した。
ジーニアさんは隣でしっかりとガナッシュを作りあげる。
貴族に戻ってから、私のお財布事情は豊かになった。リースが無実を証明されて、国営新聞にも堂々とカデーレだと知られてから、ティルト家から少しの援助をもらった。カデーレとわかり、両親二人も世間からの風当たりが楽になった。
支援があるので、私も楽になった。けれど、無駄遣いや豪遊は出来ない。私がリースに資金を残してやらねばならない。
でも、支援のおかげで高級なチョコレートも取り寄せる事ができるようになった。
そこは有り難い。
「この前帰った時にね、教えてもらったパウンドケーキを子供達に焼いてあげたら、とっても美味しいって喜んでいたわ」
「良かったです! 息子さんと娘さんも喜んでもらえて」
「もう二人共良い年だけどね。娘には私が慣れて来たら、レシピを元に教えてあげるつもりよ」
ジーニアさんは柔らかいベールのような、暖かい顔をした。私は近くで見ていて、この人はマロウさんの娘さんでもあるけれど、誰かの親でもあるんだよな、と思う。レシピが親から子へ子から孫へと続いて行く。素敵な事だなぁと感じた。
「良いですね」
作業を続けながら談笑していたので、オーブンでマカロンの外側がしっかりと焼き上がった。
「可愛いわ……」
「あ、これは私の知っている作り方で、本来はアーモンドをつけたモノが本当何ですけどね」
「良いわよ、これはこれで貴女から教わったから、覚えておくわ」
ジーニアさんは厚手のふきんを使って、天板を出した。魚を焼く用の使っていない網焼きにマカロン本体を移して、熱を冷ます。
「あ、ジーニアさん。大体マロウさんのレシピを教えるのは終わりなんですけど、空いている日とかってありますか?」
「事前に言ってくれたら大丈夫にするわ。何かあるの?」
「はい、私の友人のレオとノエミが戻って来たので、集まってワイワイやろうって言っていました。マロウさんを偲ぶ会をワイワイとやろうって」
「良いわね、言って頂戴、空けておくから」
ジーニアさんはひとつに結んだ青黒い髪の毛の後毛を耳にかける。微笑んで、嬉しそうにした。
私、ジーニアさん、レオ、ノエミ、ノエル、カイルは十月半ばに集まって、マロウさんを偲ぶ会が行われた。
以前はこんな時にはマロウさんが料理やハーブティーを振舞ってくれたけれど、今回はノエルを中心に、皆が持ち寄りをする事にした。
以前に皆でパーティーを開いたあの日のように、マロウさんの自宅から少し離れた所にテーブルと椅子を置く。中くらいサイズのアルミ缶に、新聞紙や木を入れて火をつけた。
「懐かしいわね……」
私が皆を見つめると、レオとノエミはにこりと笑う。顔ぶれは全然違うけれど、懐かしい思い出が甦る。
「ノエルさんがいてくれて、本当に良かったーっ!!」
ノエミははじゃぎながら手を叩く。私も助かった。前はマロウさんの美味しい料理だったけれど、今回ノエルがいなかったら、料理まとまるか自信がなかった。
「本当にありがたいわ」
「いえ、それほどでも」
ノエルは謙遜する。
ジーニアさんがにこっと笑った。
「とても美味しそうですわ」
「マロウさんの料理も美味かったけど、ノエルの飯もなかなかだよな」
レオは相変わらず、足を大きく開いて座っていた。でも、見た目があの頃よりも落ち着いている。以前は襟ぐりがヨレヨレのロングTシャツのような上着にベージュのベストだったけれど、今は襟に芯が入ったしっかりした形のシャツにブラウンチェックのジャケット、ベスト、パンツと三つ揃え。
とてもオシャレになったみたい。
「本当だわ〜とっても美味しそう!!」
「ノエルは彩りも気にするからな」
「えぇ」
テーブルの上には、焼いたチキンと蒸し野菜、ピクルス、じゃがいもの冷製スープ、鴨肉とレモンのパスタなどが並んでいる。プラスして、私がまた肉じゃがとサーモンのマリネを用意した。ジーニアさんがサンドウィッチとカンノーリを作って来てくれた。