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神官様は部屋の書物をじっと見つめ、本の上の空間を撫でるように、手を動かした。ふわりと一冊の本が浮いて、神官様の前で止まる。そのまま、私の目の前へと本が浮いたまま移動してきた。
私の頭の上で、一冊の本がはらはらと開いていくーーーーー神官様が小さく呟き、目の前にあった本が金色に光り輝いていった。
「ーーーー十月十五日にこの地で起きた出来事ーーーーリース・ベイビーブレス・ティルトの様子をうつしたまえ」
私は、本の中に書かれた文字が浮かび上がってきたのを眺めると、瞬く間に、金色の光と共に自分に向かって流れ込んでくるのを受け止めた。
しん……………………。
光は部屋いっぱいに溢れたが、そのまま消えてしまった。何も起こらない。どうしたって言うの?
「何が起きたのでしょうか……」
神官様は首を傾げて、何度も本をパラパラとめくる。
「おかしいですね……」
「おかしいとは……?」
私は神官様を見つめる。
「十月十五日に起きたことを、魔法でこの本に記録するようにしてあるのですが、どうしてでしょう、十月十五日の物がやぶかれている…………」
「えっ?」
「この記憶記録の本は私達神官様達が管理している物なのです。毎日この場所で起こったことを魔法で記録しておくのです。毎日欠かさずです。なのに十月十五日のものがないとは…………」
「誰かがやぶった……?」
私は言った。どうして? やぶる必要があったのかしら。私は考えたが、わからなかった。
「やぶったとすれば、誰が…………」
神官様と私は顔を見合わせる。神官様がこの本を保管している事を知っている人よね…………。誰…………?
「十月十五日、リース様がどうなったのか、もしかすると、知られたくない者がいるのかもしれません。恐らく、本の一部をやぶいた者が、リース様のラクアティアレントに落ちた事に関わっているのだと思われます」
何があったのか、誰の仕業か。わからないけれど、リースは身投げしたわけじゃないってこと。だったら…………誰の仕業?
私がうーんうーんと頭を悩ませていると、神官様が、大丈夫ですか?と聞いてきた。
「すみません、色々と考えてしまいました」
「仕方ないですよ。もう少しこちらも確認してみますので」神官様は言った。
「ありがとうございます」
「何にせよ、玲那様はこれからしばらくはリース様として過ごしていくしかありませんね。貴女がリース様の生まれ変わりなのか、リース様に転移してしまったのか、わかりませんし、大変かとは思いますが、無理をなさらないでくださいね。何かありましたら、いつでも東棟にお寄りください。お話の相談にのりたいと思います」
神官様は本を閉じて手に抱える。
私はありがたいと思った。けれど、もうすぐ私はこの国を追い出される。話すことが今後あるのかな、と思った。
「神官様、ありがとうございます。この事は…………」
「もちろん、内密にしておきますよ。こちらと致しましても、記憶記録の書をやぶかれたということは漏洩してほしくない情報ですので」と微かに神官様は微笑んだ。
* * *
東棟から学園の校舎内に向かって、歩いて行くと、授業を終えてノエルと一緒に歩いているカイル王子を見つける。
私はさっきはありがとう、助かったわと言うべきか、気軽に声をかけて他愛のない話をすべきか、何だか、迷ってしまった。
「………………」
私はカイルの一メートル後を歩いて行く。
「…………。どうしたの……? いるのはわかっているけど」
カイルは振り向くことなく、話す。
私は驚き、ピタッと止まる。
「別に!? 何でもないわよ?」
笑って誤魔化して、手の平を顔の周りでひらひらと振って誤魔化した。
「あぁ、そう。何か言いたいことでもあるのかなと思って」
私は、あぁ、どう話していいかわからない! と思った。カイル王子がくるりと振り向いた。私は、カイル王子の顔を見られない。本当に西嶋さんに似ているのだ……。カイルはジーッと、私を真っ直ぐ見る。眩しいっ! 何でかわからないけど、第二王子が眩しいよっ!!
「…………神官様と会って来た……」
「…ふぅん。どうだった?」
本題をやっと話すと、カイルは私の顔にぐっと近づいて、更にジッと凝視する。私は、顔が熱くなって赤くなっている事がわかった。
「別にっ普通ですわよ」
「……ふぅん。ならよかった」
カイルは微笑んだ。不覚にも、私はカイルの笑顔に可愛いと思ってしまう。思えば、学生時代も社会人として働いていた時も、こんな風に凄く近い距離で、男性と仲良くすることがなかった。ましてや何だか西嶋さんに似ているし。でも……どうしてだろう。……西嶋さんの顔、何故かハッキリと思い出せない。……温泉で激しく頭を強打したから? ……でも、それでも似てると思う…………。ねぇそれに、なんかさ、やっぱり王家だから顔がすごく綺麗。こんなイケメン、目にするだけで、元乙女ゲームオタクには刺激的過ぎる。どう接していいのか、わからない……っ!
私は近くにあった壁を足でバシンバシンと蹴った。夢であって欲しいよ……夢じゃなくて、現実なら、こんなの目に毒だよ。勘弁してよ、神様〜。私は壁にへばりつく。カイルは変な顔をして見ていた。
チラッとカイルを見る。私の真正面で、極めてニュートラルな雰囲気で、不思議な顔をしていた。私は焦って姿勢を正してピシッと自分を整える。
「その…………色々と……本当にありがとうございました。助かりました」
私の言葉に、カイル王子は一瞬、キョトンと静止する。
「やっぱり、君、ちょっと変だ……素直過ぎて気持ち悪い」
カイルは顔に手を当てて、俯く。
「なっ?! 何ですって??!」
私はムッとした。
この人、私がお礼を言おうとしているのに、何なの?!
「わかってる、わかってるから。少しからかっただけだよ」
カイルはまた微笑んだ。綺麗な笑顔に私はまた少し調子を崩してしまう。気持ちの吐きどころがなくて、私は近くにある壁をバンバンと叩いた。カイルは驚いて私を見る。
「昨日……ラクアティアレントから助けてくれたのも、カイルだったわね。本当にありがとう。迷惑かけたわ」
「気にしなくていいよ、無事で良かったね」
私は少しホッとして、前に腕を伸ばして脱力した。すると、正面から、ダナ王子がやって来た。フィオレと一緒だ。
私は咄嗟に、背の高いカイルの後ろに隠れる。カイルとノエルは理解して、私を隠すようにそのまま立ち止まった。