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レオは気を遣って、静かに近づいて行く。ダナ王太子の声が明らかに怒っていた。
『何の事かな?』
カイルはシラを切って、何も知らないという素振りをする。にこやかに微笑み、それを見たダナ王太子は、自分が思い出した話をする。
『昔……お前とリースと出逢ってから……庭園でよく遊んでいた。お前は昔から魔法が得意で……ある日、私と魔法で姿を変えようと提案してきた』
『うん、それが?』
続けてにこにこと微笑む、カイル。ダナ王太子はレオにも構わず、続けた。
『あの日、リースを将来の妻にすると約束したのは、私じゃなく、お前だった。何故ならば、魔法でその約束をした時にはカイルと私は姿を変えて入れ替わっていたからだ』
『……マジか』
レオは驚きを隠せない。だが、尚もダナ王太子は続けて話し続ける。
『昔の口約束など忘れてしまうのは仕方ない。だが、私達は別だ。王族は簡単に口約束はしてはならない。何故ならば、後ほど足を掬われないように最善の注意を払えと教えられているからだ。本当に信頼が出来、一生を共にする令嬢にしか、約束や誓いはしてはいけない…………だが、お前は覚えていなかった。いや……そんな筈がないんだ。カイルはしっかりと私と同じ教育を後からでも、教えられているんだからな。…………ましてや大切な初恋相手のリースとの口約束を覚えていないって言うのは、王族としても個人としても有り得ない。あるとしたら…………』
『……………………』
カイルはずっと……黙っていた。
レオは近づいて、ダナ王太子とカイルに顔を見せる。カイルは態度を変えなかった。
『お前も、彼女と同じだから覚えていなかったという事だ』
『…………っ!!』
レオはカイルを見る。カイルは微動だにしない。動揺も何の感情さえも湧いていない雰囲気だった。レオの方が逆に焦ってしまう。
『おい、カイ…………
レオが話す途中でカイルは言った。
『流石王太子は洞察力が違うね』
『…………!!!!』
彼は特段取り乱す事なく、立っていた。
ダナ王太子はなおも続けて、言った。
『…………違和感を覚えたのは、リースが倒れた時だった。普段カイルは冷静沈着で、人を俯瞰して見ているような奴だ。あの時強く動揺したのは、リースが死にかけていたからだと思った……でも違う。私と同じように、リースに対してカイルの態度は以前から冷戦状態だった筈なんだ。…………しかしお前はレナがリースとして転移してからも、やけに親切にしていた。…………死にかけた時の動揺っぷりは、私の知る長年いるカイルでは無い。……何かが違った』
『いつもと違う時もあるだろ』
『ふざけるな。話を逸らすな』
ダナ王太子はカイルの前に立ち、徹底的に責める姿勢だった。カイルは鼻で嗤って、二、三歩、歩き出す。
『お前は……何者だ。私の義弟のフリをする、お前は誰だ』
カイルは暫く長い時間黙ってから、話す。
『今のリース……レナと同じように、この世界をよく知っている者…………と言うべきかな』
『馬鹿にするなっ!!!!』
ダナ王太子はカイルのシャツの襟を掴みかかる。レオはおっと、ヤバいな…………!! と思い、ダナ王太子を宥めにかかった。
『馬鹿にしていないよ。俺はあの子と一緒で、この世界をよく知っている』
『……いつからだ? いつから、義弟のフリをしていた?』
『レナが来るよりも半年前からだね』
『なんだと……っ?!』
『マジかよ…………』
カイルは部屋にある椅子を引いて、座った。足を組みながら、レオにもダナ王太子にも見せた事のない表情で語り出す。
『俺もレナと同じ異世界に住んでいる。ただ……彼女と大きく異なるのは、彼女は彼女の魂そのものがこの世界に来ているが、俺は半分だけこの世界に浸かっているんだ』
『? どういう意味なんだ?』
レオはよく理解出来ずに、もう一度聞くと、カイルはレオには微笑んだ。
『この世界に異世界から来る条件。召喚される以外は、ある共通点があるんだ。……死に近づく事。レナは亡くなって、この世界に来てしまった。だけど、俺は眠るとこの世界に来られるのがわかった』
『何でだよ?! 寝ると死に近づくって言うのか?』
レオは更に質問をする。カイルは冷静に話し続けた。
『俺は異世界で生きている時も、いつ死んでもいいと思ってた。……入退院を繰り返していた。そんな時…………眠りにつくと、俺はどうしてか、カイルになっていたんだ』
『じゃあ、お前は寝ている時だけ、魂がこの世界に転移してるって事かよ?!』
レオは言う。
『あぁ。…………最初は……物凄く楽しかった。俺もこの世界をよく知っているし、義兄さんや国の住人が本当に存在して生きていると感動したし、魔法も使えた。湯水を吸うように、俺は色々な本を読んだり体験しに行ったり……それなりに楽しんでたよ。起きたら、異世界で地獄のような日々が続いてもね…………』
『狙いは何だ?』
ダナ王太子はカイルに詰め寄る。カイルはへらへらと笑いながら、手を組み合わせた。
『ないよ』
『ふざけるな!!!!』
ダナ王太子のパンチがカイルに向かったが、彼はスマートに避ける。ダナ王太子は、それが更にムカついて不機嫌だった。
『本当にないよ。この世界を楽しむだけ、楽しみたかった。国を滅ぼそうとか、一儲けしようなんて俗的な考えもない。ただ、俺はどうにもならない現実から逃れて、この世界へと来て、楽しみたかっただけだ。ただ……そう思っていたある日、彼女が……ラクアティアレントを通して、この世界へとやって来てしまったんだ』
ダナ王太子とレオはカイルの話を黙って聞いている。
カイルは少し下を向いて、二人と視線を合わせずに話す。
『…………最初は断罪されるだろうし、どうでもいいと思った。流れに身を任せてしまった方が楽だし、俺は面倒な事に首を突っ込む必要もないってね。……だけど、本当に義兄さんが断罪してしまって……考えも変わり始めた』
『恋心か』
『最初はそんなもんじゃない、からかいたかっただけさ』
ダナ王太子はグッと再度カイルのシャツの襟を掴みかかる。カイルは、手で押しのけて、立ち上がって話し始めた。レオはただただ聞いている。
『……だから、どうでも良かった。最初はね。でも、放っておけなくなったんだ』
『何故だ』
ダナ王太子は問うた。
『俺は…………あの子の体は、今も生きてると信じたからだ』
『で……でも、リースは溺れて死んだって言ってたじゃねえか?!』
『わからないだろ!! そんな事は!!!!』
カイルはレオに向かって、怒鳴りつける。レオが今までにない態度をされたので、驚くとカイルは小さな声でごめん、と言った。
『…………俺は……少しの希望しか持てないけど、異世界のあの子は生きてると思いたい。まだ可能性は少しあって、命の瀬戸際に立たされているだけだと思いたいんだ』
『……だから、カイルはダナ王太子とリースを結婚させようと思っていたのか?!』
『何?』
ダナ王太子は聞き返す。
『あぁ、そうさ』
『馬鹿を言うな!!!! 彼女が私を望んでいるとでも思っているのかっ??!!』
ダナ王太子はもう一度カイルへと掴みかかり、今までで一番強くぶつかっていく。
『そうだろ、義兄さんはレナの推しだったんだからな』
ダナ王太子は、一発カイルを殴ろうとすると、自分よりも先にレオが素早くカイルを殴った。呆気に取られていると、レオは深呼吸をして、息を整える。
『……………………暴力はやめてくれないかな』
カイルは機嫌悪く、別方向に顔を向ける。
『馬鹿にすんなよ……。ダナ王太子だって、本当にリースが望んでくれるなら、いつだって……結婚するよ。……だけど、出来ねえんだよ。フィオレの姉ちゃんがいるからとかじゃねえ、違う世界なのもあるけど…………根本的に、今のリースが求めてんのは、いつだってお前だからだ!!!!!!』
『レオ……』
カイル?は呟き、レオを見つめた。
『お前はいつだって冷静で、正しくて、尊敬できるし、悔しいくらいだった。でも、今のお前の深い部分の話には、尊敬すらできねえ!!!! …………何で、今のリースが生きてる事を信じているなら、結婚してやらねえんだ!!!! 何で、生きてる事を信じてるって、言ってやらねえんだ!!!! …………お前からの言葉なら、リースはいくらでも信じるだろうよ!!!! 望むものを得る事だって、出来るかもしれねえじゃねえか!!!!!! …………俺達には……俺だって………………俺が……与えてやれるモノなら、幾らでもやってやる。だけど、アイツはそれを求めてねえんだ!!!!!! 何かしてもらいたいとアイツが願っているのは、いつでもお前からのモノなんだよ!!!!!!!!』
レオは段々と啜り泣きに変わる。ダナ王太子はカイルの前に立ちはだかって、言った。
『カイル、お前はどうしたいんだ。生きてるか死んでいるかもわからない彼女を幸せにしたいなら、お前はせめてこの世界で行動をしないのか?』
『…………出来ない』
ダナ王太子は一発、カイルをぶん殴った。カイルはそっぽを向いて、言う。
『もうすぐ、俺は手術が控えてる。…………この世界に来られるのも、あと少しになると思う。……この先、自分がどうなるかはわからない。そうなった時、転移できなくなったら、俺は今のリースを守れない。一緒にもいられない。何も出来ないんだよ!!!!』
レオとダナ王太子は、カイルを静かに見つめていた。
レオはベッドに横たわって、呟いた。
「リースと同じステージにすら、俺やダナ王太子は上がれていねえんだよ。違う世界同士の人間なんだからよ…………バカヤロウ」
あーっ!!!! っと、レオはイライラして、ベッドに大の字になった。