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「なぁ……リース」
「どちらの……でしょうか?」
ダナ様がふいに名前を呼ぶので、私は私なのかもう一人のリースなのか、どちらの返事をしたらいいのか分からなかった。ダナ様は顔色を変えずに答える。
「レナの方だね」
「あ、私ですね」
ダナ様は頷く。私は、あんなに怖かったダナ様がこんなに冷静にかつ平和に話せているのを不思議に思えた。こんな風に接してくれるのは、どうしてなんだろう? やっぱり、神殿での問題が解決したから?
「あの日…………リースがラクアティアレントに落ちて、君がこの世界に来た。……私も……カイルのように君に寄り添っていれば…………君が私を好きになる……という可能性もあったかな?」
ダナ様は、寂しそうな顔をする。慣れたリースの見た目の中にいる私を見てーーダナ様は、じっと私をひたすら見ていた。
「…………分かりません。だって、あの時助けてくれたのが、たまたまカイルだったから……それ以外を体験していないから、私には分からないんです……」
「そうだね」
ダナ様は、全てを理解した顔をして……私を見つめてから、そっと私に近づいて、抱き締めた。
えっえっえっえー?! と、私が混乱していると、ダナ様が言った。
「…………少しだけ……今だけ……こうさせてくれ。身分や自分の役割は今だけ忘れて……少しでいい、抱き締めさせてくれ…………」
「ダナ様……」
私は心臓の高鳴りがもう尋常じゃなかった。前に嗅いだ事のある、ダナ様の香水……淡い石鹸の香りが、またふわりと鼻先に届いた。
「何も言わないでくれ。ただ、今はこうしたい」
ダナ様は優しく抱き締める。どんな気持ちなんだろう。どうして?
自分の中で自問自答を繰り返していると、ダナ様は呟いた。
「今も昔も……どうしてか…………カイルには勝てない……。血だけしか勝てないんだ」
君と違う出逢い方をしていたら……こうして君を抱き締める未来もあったんだろうな、とダナ様は思っていた。
私は、ダナ様に抱き締められながら言う。
「でも、未来の国王はダナ様ですよ」
「あぁ、負けてばかりではいられない。向いているのはカイルかもしれないが……国王の座くらいは頂かないとな」
私は顔をあげて、ダナ様を見て言った。
「そんな事ないですよ!! 私、ずっとダナ様の事を異世界で見てきましたけど、ダナ様こそ、国王になるのに相応しいと思います!!!! 確かに、魔法や立ち回りはカイルの方が得意かもしれませんが…………周りの人の気持ちを汲むのは、ダナ様の方が得意かと!!」
ダナ様は、私の顔を見て、不思議な顔をしてから笑った。
「……ありがとう」
目を潤ませながら、そうだな、と呟いた。
それから、暫くは私は緊張しながらダナ様の腕の中にいた。
* * *
「リースが目を覚ましたって?!」
カイルはカイル邸から急いで私のいる客室部屋へと向かっていた。ノエルもいつも通りに、一緒に歩きながら向かっている。
「リース嬢、目を覚まされて安心しましたね!! カイル様も早く顔を見たいでしょう!?」
ノエルはカイルに声をかけた。……カイルは恥ずかしそうに、呟く。
「見たい………けど、覚悟しなきゃいけないね。以前のリースがいなくなっているかもしれない事は」
「そうですね…………」
カイルはダナ様とのやり取りを思い出していた。
ベッドに横になっている私を見て、ダナ様が呟いた。
『ずるいものだ、助けられた安心感もありながら、目を覚ますのが、〝彼女〟ならいいと思ってしまっている……』
『仕方ないよ。この見た目で、中身は違う人間だったんだ……リースにないものを感じてしまっても仕方ないよ……』
カイルは、客室部屋を静かに開ける。
起き上がっている私に声をかけようとした。……が、私とダナ様が抱き締め合っているのを見て、立ち止まった。すぐに、状況を把握して、彼は部屋を出て行った。
ノエルは慌てる。
「カイル様?! いいのですか? リース嬢が目を覚まされたのに!!」
カイルは、静かに言った。
「いいんだ。最初から、こうするつもりだった…………」
カイルは私に会わずに、そのまま自分の邸宅へと戻って行った。
それから数日後…………。私は暫く王宮の客室部屋で過ごした。傷は毎日ダナ様が治癒魔法を送りに来てくれた為、思いの外、早く治った。昨日は、レオとノエミが来てくれた。
「心配かけてごめんね」
ノエミは会うなり、私にギューッとハグをした。私もハグをし返すと、レオはノエミに少々怒る。
「おい、怪我してるんだから、あまり負担をかけるな!!」
「だって〜!! 久しぶりなのよ?! ハグしたいじゃない」
「大丈夫だよ、レオ。もう塞がって良くなったし」
私がそう言うと、レオは部屋を見回しつつ、何かを気にした。私がレオを見ると……レオは気まずそうに、言う。
「…………あいつは? 来てねぇの?」
「カイル?」
「あぁ」
「来てないよ」
カイルは私がここにいても、全く顔を会わさなかった。目が覚めた事はカイルも知っている筈。だけど、ノエルが様子を見に来る事があっても、彼自身は顔を見せなかった。
「恥ずかしいのよ!! きっと」
「恥ずかしい? なんで?」
「だって〜 リースが倒れた時、カイル王子様が本当にどうにかなっちゃいそうな感じだったんだもの!! それが恥ずかしくて、来られないんだと思うわ!!」
「そうなの?」
レオにも確認すると、レオは何かを言いたさそうにしつつも話し始めた。
「お前が倒れて出血が止まらない時、普段は動揺しないアイツが珍しく動揺しっぱなしだった。ダナ王太子よりもずっと……」
「だから私、リースが助かったのは、カイル王子様の愛の力だと思っているのよね〜☆」
ノエミは目を見開いて、きゅるるんといつものようにはしゃいで言った。私は、呟く。
「そっか……」
「まぁ、そのうち来るだろ。……それよりもさ」
「何?」
レオは言いにくそうに言った。
「お前……転移しているんだよな?」
ノエミも避けていた話題に触れられて、変に反応していた。
そうだ……ちゃんと説明していなかったな、と思う。私は深呼吸してから、ちゃんと話をした。
「二人に……話そうと思ってた。全てが終わって片付いたら……何処かで自分の話をしなきゃって」
「無理しないで……ゆっくりでいいわ」
「うん」
私は二人に自分の話を改めてした。私の名前は玲那と言い、この世界ではない日本の横浜で産まれて、東京という所に住んでいた事や、今の、この世界を知る機会が異世界ではあった事。そしてーーきせきみの世界を感じたくて、温泉に行って……そのまま溺水しーー目が覚めたら、この世界に来ていた事。そしてーーーーこの身体の持ち主のリースが、私が死ぬタイミングまで、暫く身体を貸してくれる事も。
「俺達には、なかなか理解しがたい話だけど、お前が嘘ついているとは思わないし、神殿でのアレ(リース)を見てしまったから本当なんだよな……」
レオは近くに置いてあった椅子を引っ張り出して、ドカンと思い切り足を開いて座る。ノエミは私のベッドに、私と並んで座った。
「私も信じる!! だけど、リースが死んでるなんて……そっちのが信じられないわ……」
「私も……こうしてリースとして生きているのも信じられないし、自分が死んだ感じがしないわ。……でも、お迎えは必ずやって来るってリースが言っていたわ。彼女が知らせに来るって……その時までしか、私はリースとしてしかいられない」
「…………俺達に気軽に言える話じゃなかったな」
「うん、でも前に疑いをもたれても仕方なかったよ。ごめん」
「このままでリースはいいのか?」
レオは私に言った。真面目な顔をして言う。私は頷く。
「カイルはお前とダナ王太子を結婚させる気でいたんだぞ」
「あー、前に言ってたわね。でも、違う世界の人間だから、誰とも結婚できないわ。自分がどうなるのかさえ、分からないもの」
「でも、逆に考えると今しか生きられないなら、今どうにかしなくちゃいけなくなぁい?!」
ノエミは私の手を握る。私は首を振った。
「だからって、私がカイルと結婚は出来ないわ。リースの名義で結婚したら、彼女に迷惑がかかる」
ノエミはそっかぁーとため息をついた。
レオは何かを考えていた。
「レオ……?」
「いや、何でもねえ。でも、難しいなってよ」
「大丈夫だよ!! それに、今は結婚とかそういうどーのこーのよりも、早くブーケ国に帰ってマロウさんの様子を見たい。心配なの……」
体調を壊していたマロウさん。行く前に回復してきたとは言え、まだまだ全快ではない。私が戻って様子をみなくては……と思っている。
「そうだよなぁ、確かに俺らも心配だ」
「そうなのよ…………あっ!! 二人は?! レオの仕事は?!」
「あー安心してくれ。端的に言うと、大丈夫だ」
話を聞くと、カイルとダナ様の計らいでレオの代理人をブーケ国に送ってもらったらしい。その間の報酬もレオに入るそうだ。
「よかったね!! 一安心ね」
「うーん……そうなんだけどよー自分の担当だから心配なのと、あとさー」
「こっち(スペラザ)で仕事をする羽目になってるのよっ」
ノエミは両手をあげる。お手上げポーズをして、レオはため息を軽くついた。
「何だか公爵家の人間が王宮に来ていた時に、城の水道がどうのこうのーつって、見ますか? って言ったら、あれよあれよと噂が広がって、忙しくなっちまった…………」
レオは旅行で来たつもりがなぁーと呟く。ノエミは私に仕方ないお兄ちゃんだよねと、ウィンクをする。
「何はともあれ、良かったわね。忙しいのは良いことだってマロウさんもよく言ってたわ」
「冗談じゃねーよ、貴族の奴等、金べらぼーに出しやがるんだ!! 大金持った事ねえ俺が怖くなっちまうだろうが!!」
「くれる物はもらっておけばいいのに、本当商売っ気がないわよねぇー!!!!」
ノエミは笑った。私も一緒に笑った。レオは複雑な表情をして、久しぶりに楽しい日々が返って来たなと思った。
そして今日。
私は国王陛下の謁見に呼ばれた為、国王陛下の邸宅へと向かう。数ある広いお城の中の一室に呼ばれて、私は座って待つ。
扉が開いた時、国王陛下がやって来た。
「久しぶりだな、リース嬢よ」
「お久しぶりでございます、国王陛下」
私は丁重にドレスの一部を両手で摘んで、お辞儀をする。
国王陛下はにこりと微笑み、私にそのままで。と言った。国王陛下がひときわ華やかなベルベットのファー椅子に腰掛けると、失礼します。と声がする。
あれ? と思うと、カイルが一人で現れた。
一か月振りだった。