25
フィオレを収容した牢屋はカメリアの地下室にあるだろうと思った。他の収容所という事も考えたけど、ここはカメリア学園だから、きっとフィオレは地下室にいる筈。私は急いで地下室へと向かった。
ラクアティアレントを引いているので、カメリアの地下室は牢屋があっても、海の音が小波のようにこだまして変に落ち着く環境だった。檻の前に魔法騎士団の一員、シン・ダークが見張りをして立っている。近づくと、私だと思い、シン・ダークは構えた。
フィオレは……だらりと両足を伸ばして座り込み、首を垂れて壁側に寄り添っていた。
「リース・ベイビーブレス!! お前……!!!!」
「もうリース・ベイビーブレスじゃないわ、元の名前に戻ったの」
私がシン・ダークに伝えると、彼は反論が出来ないと思い、不快感を少し露わにする。そのまま顔を晒してしまう。
「珍しいものを見に来たんだったら、さっさと帰れ。侯爵令嬢に戻れて、さぞかし嬉しいだろう」
「いいえ、帰らないわ。彼女と話がしたいの」
私はフィオレを見つめる。何も話さない、落胆した彼女がいる。
「助けられなくて、ごめんなさい」
私は牢屋の黒鉄筋を両手で握りしめる。ひんやりと冷たい感触が、余計に自分の無力さを感じさせた。
「……ざまあみろ、って思った?」
「フィオレ嬢」
彼女は首を垂れたまま、こちらを見ずに喋る。聞いた事もない暗い声で、それはそれは絶望感が漂っていた。
「…………ここまでやって来る為に、努力したのよ」
「え?」
彼女は続けて言う。
「母親を市民学校に通う中等部時代に事故で無くしてから……父と二人きりだったの。…………カメリア学園に入園して……折角の勉強するチャンスを無くしてはいけないと…………夢中だった…………」
「そう」
「貴女は私を何でも持っていると言ったけれど……私は貴族令嬢のマナーも常識も知らなかった。…………品位は常に問われるし、貴女みたいに完璧じゃなかった。貴女は怒るかもしれないけれど……魔法だけしか取り柄がなかったの」
「えぇ」
「夢中で色々な事を覚えていくうちに…………ダナ王太子が優しく声をかけてくれた。……学園で孤独感を感じていた私は……とても救われた。…………だけど……貴女を困らせるつもりは無かった」
「そうね」
私はただただフィオレの話を聞いた。彼女は首を垂れたまま、微動だにしない。私に事情がある中で、フィオレにもフィオレなりの事情があった。わかっていた筈なのに、どうしてか素直になれなかった。認めてあげれば、こんな事にはならなかっただろうか。
「私が助けるわ、まだ間に合う」
「ハッ! 何を頑張るの? 貴女を突き落としたのは私よ。…………あの時、ふと気づいたら、リース嬢が目の前の手すりと一緒に落ちていた。私が紛れもなく、リース嬢を突き落としたの!!」
フィオレは私を見て、ハッキリと言う。
あんなにゲームで正義感があって凛としているフィオレは、闇堕ちして絶望に打ちひしがれている。
「でも、助けようとしてくれたわ!!」
「……違う。私はそんな良い子じゃない」
「いいえ、貴女が悪い訳じゃない。……思い出したの、落ちる前に貴女と話した事」
「……馬鹿ね、もっと早く思い出してくれたら、良かったのに」
「そうね」
フィオレはまた同じ方向を向いて、今度は頭の頭頂部を壁に付ける。
「ねぇ、リース嬢。貴女は何も持っていない、でも私には魔法があるって言ったけれど…………リース嬢とダナ王太子とカイル第二王子には、私には入り込めない何かがあったわ」
「まさか」
私が笑うと、フィオレは上を向いたまま話す。
「その、まさかよ。貴女は私のが全て長けていると思い込んでいたけれど、三人の絆にはどんなに頑張っても入る事は出来なかった。……見えない絆、理解があったのよ」
見えない絆ーーーーこんなに仲違いしていたのに、私達三人に絆があるの? そんな筈ないわ。
「嘘って顔してる。だけど、本当よ。ダナ王太子やカイル第二王子と貴女の話になった時、二人共、リース嬢の事を心の底ではすごくわかってた。幼い頃から知ってる関係だものね。……だけど、私、その関係がすごく羨ましかったのよ」
私が黙っていると、シン・ダークは気まずそうに聞いていない風を装っている。
「三人の関係は、仲は悪くなっても、変わらないもののような気がしたの。私とダナ王太子が惹かれ合っても、三人のようにはなれない。好きな人は目の前にいたけど、いつでも切れそうな気がして」
「嘘よ!!!! ダナ様がそんな事しないわ!!」
「でも、私は感じたの」
フィオレは言い切った。私にはわからなかった。私に対してダナ様はずっと嫌な態度しか取って来なかったし、公式ではカイルは見向きもしていなかった。なのに、どうして? そう思うの?
「貴女がラクアティアレントに落ちないように、懸命に時間を止める魔法をかけて、貴女と私が追及されないように本を破いたわ。……でも、途中で少し思った。これを無視したら、私、もしかしたら……貴女に仕返しが出来る……かもって…………それに……私とダナ王太子も、三人みたいになれるかもしれない……って。でも……この様よ。父に悪い事したわ……学園に通い出してから、学費で苦労させたのに」
首をまた垂れてフィオレは俯いた。……立ち止まってしまったのは、魔が差したんだな。でも、引っ込みがつかなくなってしまった。だから、証拠隠滅を続けていた。
「すぐに話してくれれば良かったのに」
「次の日には、貴女は記憶を無くしてたじゃない。……何かの作戦かと思ったわ」
「ごめんなさい。本当に分からなかったの」
「特段騒ぐのもまずいと思っていたら、貴女が断罪されちゃって……止められなかった。だから、私、嘘を隠し通そうと決めたのよ。貴女を不幸にした分、悪い奴になって、貴女を神殿から遠ざけるって」
フィオレは言う。膝を抱えて、体育座りをした。私は、だから、結界を張ったり、攻撃したりしたんだな。
「フィオレ嬢、ごめんなさい。約束、ちゃんも守ってくれていたのに」
「ブーケ国でのんびりしてくれていたら、私そのままでいられたのに。貴女はのこのこやって来て……私は貴女との約束をちゃんと守って…………馬鹿みたい。また貴女に騙されたのかな」
「フィオレ嬢、ごめんなさい……」
「惨めになるわ、こんなの、ざまぁだし」
「今度は私が助ける」
私が言うと、シン・ダークは、は? という顔をした。私を横から見つめると、強い眼差しを送る。
「貴女は私の約束を守ってくれた。だったら……私も貴女に返さなきゃ……」
「どうやって? 私を守れる訳ないじゃない。やってしまった事は本当で、私は貴女を奈落に突き落とした犯人なのよ?」
フィオレは私を見る。私はずっと、鉄筋を握りしめながら、フィオレに話し続けていた。
「貴女が私をラクアティアレントに落としたんじゃない。本当はーーーー…………それに、フィオレ嬢じゃなきゃ、ダナ王太子を守れないわ。この国には、貴女が必要でしょ」
「リース嬢、婚約者は貴女がなるべきよ」
「無理だわ…………だって、私……ダナ様じゃなくて、今は…………カイルの事が………………」
私は少し俯いて、涙を流した。
「多分、ずっと彼とも一緒にはいられない。もう、自分が何者か、私、わかっちゃったから…………」
「……リース嬢?」
フィオレは私の言っている事が理解出来ていなかった。私はただ、独り言のように、そのまま話し続けた。
「だから、私がいなくなったら、ダナ様を支えるのはフィオレ嬢しかいないでしょう? 諦めたらダメよ。今度は私が守る。だから……」
私はシン・ダークの方を向いて、深々とお辞儀をした。
「シン・ダーク卿、お願いします。フィオレ嬢を逃して下さい」
「な゛?! 逃したら、俺が問いただされるだろう!! お前、俺を貶めようとしているのか?!」
「違うわ!! 次は私がこの方を守るの!! 私とダナ様の約束を守ってくれたから。ダナ様との約束は諦めてくれたから。だから……お願いします!!!!」
シン・ダークは、私に対して疑心暗鬼だった。顔を晒して、彼は言う。
「お前、俺の靴を舐められるか? 服従の証を見せてみろよ。前にお前が俺にそうさせたように」
私は固まる。舐めるだなんて、出来る訳がない。でも……フィオレを守りたい。
私は悩んでいた。
「出来ないだろう? 侯爵令嬢には出来ない。リース嬢は気高くて、そんな事は屈辱の何者でもないからな」
でも……思い切って私は床に膝をついて、正座をした。
「お前?! ん、な゛?!」
「舐める事は出来ません。でも、貴方を昔傷つけたのは変わりないから……ごめんなさい。フィオレ嬢をどうか逃して。……私がダナ様やカイルに行って、どうにかするから……貴方には迷惑かけないから」
私はおでこをスレスレに彼に正座をした。シン・ダークは驚き、慄いている。こんなリース嬢は見た事がないと思ったようだ。
「リース嬢!! やめてください!! 貴女はそんな事するような身分じゃないわ!!!!」
フィオレが近づいて来て、鉄筋に手をついて、話す。
私は譲らなかった。
「ダメよ!! 貴女を助ける為だもの。貴女がダナ様の隣にいないと、ダナ様はダメだし、自然じゃないの。私は……悪役令嬢でも、貴女は物語の主人公でしょう?!」
「何言って…………」
「私が消えたら、こんな私はいなくなるわ。だから、今だけ、こうさせてよ。前の私は出来なかったかもしれないけれど、今は貴女を……」
「わかったよ!!!!」
シン・ダークは屈んで、私の肩に手を置いて、起き上がるように促した。私は体を起こして、彼を見ると、呆れた顔をしている。
「もういいですよ、リース嬢」
私が、ぽかんと呆気に取られていると、彼は言う。
「謝罪をありがとうございます」
そう言って、鍵を渡した。私がシン・ダークを見ると、彼は少し笑った。
「…………ありがとう」
「貴女のやり方には、つくづく呆れます。でも、悪い気はしなかった。本当に俺のせいにはしないでくださいよ?」
こくん、こくん、と私は頷いた。鍵をシン・ダークから受け取り、南京錠に鍵を入れた。
「フィオレ嬢」
私は扉をあけた。フィオレは、出てこない。手を伸ばしたけれど、フィオレは牢屋から出なかった。仕方ないので私は神殿へと戻ろうとした。
「どうして、貴女がいなくなるの?」
ただ、フィオレは私に聞いて来る。
私は、振り向いて、言った。
私は……
「多分、私が……もう、死んでるかもしれないから」
一言だけ言って、神殿へと掛けて行った。