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久しぶりに爽やかな目覚めでした。
何年間も続いていた頭痛が消えています。
昨日はあまりに頭痛が酷くて……そうでした、学園で気絶してしまったのです。だから心配して、家族がベッドの周りに集まってくれているのですね。
ベッドの上で体を起こし、私は家族の顔を見回しました。
もう大丈夫だと伝えるために笑顔を作りながら、不思議に思います。
私を取り囲んだ家族達の間にある、人ひとり分くらいの隙間はなんでしょう。そう、ちょうど男性ひとり分くらいの幅が空いています。
……男性。ふと気づいて、暗い気分になりました。
目の前で倒れたのに、殿下はお見舞いにも来てくださっていないようです。
くだらないことを考えた自分を叱責します。王太子である殿下はお忙しいのです。愛してもいない政略結婚相手の見舞いになど、おいでになるはずがありません。あの明るくて可愛らしい特待生と過ごす時間はあっても、頭痛持ちで眉間に皺を寄せた婚約者と過ごす時間など──
「どうしたんだい、ロザリンド。頭が痛むのかい?」
お兄様のお言葉に、首を横に振って見せました。
「いいえ。少し莫迦なことを考えていただけです。何年間も頭痛が続いていましたが、今はさっぱりしています。こんなに爽やかな気分は久しぶりです」
「そうか、良かった」
「安心したわ」
お父様とお母さまが胸を撫で下ろしています。
「心配をおかけしてしまって申し訳ございません。……王太子殿下にもお詫びを申し上げなくてはいけませんね。目の前で倒れるなどと、はしたない姿をお見せしてしまいました」
「ロザリンド? 殿下にお詫びを申し上げたいのなら、今言えばいいじゃないか。お前を家まで運んできてくださったのは殿下だよ?」
「まあ、なんと恐れ多い!」
そう言って、私は首を傾げました。
この部屋、私の寝室に王太子殿下のお姿はありません。
でもそうですわね。婚約者とはいえ、結婚前の男女ですものね。寝間着でベッドに横たわっている姿をお見せするわけにはいきません。
「殿下はどちらに? 応接室にいらっしゃるのでしょうか?」
「ロザリンド? あなた、打ちどころが悪かったのではなくて」
「お母様?」
「王太子殿下はそちらに、お前の目の前にいらっしゃるではないか」
「お父様? こんなときにからかわないでくださいませ」
家族がみんなして、だれもいない空間を手で示します。
「人が気絶するほど頭痛で苦しんでいたというのに、そんな趣味の悪い冗談はおやめになってください。殿下がいらっしゃると言われても、私に見えるのは壁の時計だけですわ。時刻もわかりますわよ。殿下がいらっしゃるならわからないはずですよね」
目に映る時計の文字盤を読むと、家族の顔色が変わりました。
お兄様が妙な格好で腕を伸ばして指を曲げます。
「ロザリンド。僕の指が何本かわかるかい?」
「指は五本でございましょう? というのは冗談ですが、今差し出してらっしゃる右手の指は三本でございますわねえ」
「これは?」
「二本です」
「じゃあこれは?」
「手を下ろされました」
家族が顔を見合わせます。
本当に、どうしたというのでしょうか。
もしかして、私は夢を見ているのでしょうか。夢でもなければ、家族が私をこんなにもからかうとは思えません。母君を早くに亡くされた殿下の後ろ盾になってほしいと、王家から婚約を申し込まれるほどの権勢を誇る侯爵一家ですのに。
「お父様お母様、お兄様」
「なんだね、ロザリンド」
「私、寝ぼけているのかもしれません。もう一度眠ってもよろしいでしょうか」
「ロザリンド、王太子殿下の前で……」
窘めようとするお母様の肩に手を置き、お兄様が首を横に振りました。
お兄様が私に微笑みます。
「そうだね、ロザリンド。まだ本調子じゃないようだ。ゆっくり休むといい」
「はい」
そんな会話をしている間に、メイドが枕を整えてくれていました。侯爵家ですから、呼ばなくても使用人は控えています。
頭を下ろし、瞼を閉じます。
頭痛が消えると、眠りに落ちるのも安らかで心地良いです。
「……ねえ、アニー」
「なんでしょう、お嬢様」
私は半分眠りながら、メイドのアニーに本心を吐露します。
「本当に王太子殿下が見えなくなっていたらいいのに。そうしたら、彼女と仲睦まじくされている姿を見て、頭を痛めることもないもの。眉間に皺を寄せて話しかけて、毒虫を見るような目を向けられることもないわ」
「お嬢様……」
ああ、さっき目覚めてからこれまでは、やっぱり夢だったのね。
王太子殿下がいらしたら、私の言葉に怒号を放たれるはず。
それとも声すらも聞こえなくなっているのかしら。思いながら、私は眠りの淵に沈んでいきました。きっと今夜は王太子殿下の夢を見て、泣きながら目覚めることもないでしょう。