第21話「最弱不死と女神の涙(5)」
放たれた何本もの弓矢が、寸分の狂いもなく俺の体に命中する。
だが矢は俺の体を貫通することなく弾かれ、次々と地面に落ちて虚しい音を響かせた。
その光景にさすがのダリアも、そしてローレルも言葉を失う。
「……アタイは夢でも見てんのか? 確かにさっきまでアンタは生身だった。だってのに、いつの間にそんな鎧を着てるのさ」
その言葉通り、ダリアの瞳には黒く禍々しい竜を思わせるような鎧に身を包んだ俺が、悠然と佇んでいる姿が映し出されていた。
もちろんその鎧は、俺がヴェルヴィアのパンツを変化させたモノだ。
ドラゴンブレスを放つ度に毎回壁尻になっているヴェルヴィアが今でもピンピンしているのは、自身の竜鱗を変質させた神器級と言ってもいいほどの防御力を誇る服のおかげだ。
そして俺が持っているヴェルヴィアのパンツも、元はヴェルヴィアの逆鱗。
つまりは竜鱗の一つだ。
ならこれを鎧に変化させれば、魔力の無い俺でも着られる軽くて高い防御力を誇る最強の鎧になるのではと俺は思い至ったのである。
既に鎧のような物に変化可能なのは着ぐるみの一件で確認済みだったが、上手くいったみたいで何よりだ。
問題があるとすれば、装着する手間が惜しかったからパンツを頭に被るしかなかったと言う、人として踏み外してはいけない何かを踏み外してしまった事くらいだろう。
決して、俺にそんな趣味は無い。
「ッチ。まあいい。どんな手品だか知らないが、手下達の攻撃程度じゃ通用しないくらいには上等な鎧みたいだね。だが……」
ダリアがそう呟くと同時に、アマゾネス達の姿が蜃気楼のようにユラユラと揺れながらその姿を消す。
そして俺の鮮血に濡れた戦斧を軽々と担ぐと、
「それでも、アタイの攻撃までは防げないだろ」
そう言って、ダリアはニヤリと邪悪に唇を歪めた。
『ど、どうするの? ヴェルヴィアの逆鱗を鎧に変化させてしまったから、防御はどうにかなるかもだけど、これじゃ攻撃が……』
「まあ、そこが問題と言えば問題なんだけど……。でももしかしたら、ダリアの攻撃を耐えられれば幻惑魔法を解除できるかもしれない」
『え?』
俺の言葉に、ローレルは意味が分からないとばかりに目を白黒させた。
ダリアの幻惑魔法を解除するには、生半可ではないようなレベルの肉体的な衝撃を与えるか、精神的なショックを与える必要がある。
レベルが1になった今の俺に前者を狙うのは不可能と考えて、狙うなら後者しかない。
そして俺は、ダリアが大きな精神的ショックを受けそうな事を一つだけ思い出していた。
『そりゃ強さは言わずもがな、包容力があるタイプに決まってんだろ? しかも生半可な包容力じゃない。アタイの全力を受け止められるくらいの包容力がないと駄目だね! ……まあ、諦めかけてるんだけどな』
俺達がカーバンクル(ライオン)に追い掛け回されていた時に聞こえた、ダリアのあの言葉。
本人も諦めかけているそれを実現する人物が目の前に現れたとなれば、婚活目的で異世界にまで来たダリアなら、相当な精神的ショックを受ける可能性が高い。
あとはダリアの全力攻撃に鎧が耐えられるかどうかだが、こればかりは考えても仕方がない。
俺は右手を差し出し、手招きしながら。
「来いよダリア。お前の全力、俺が受け止めてやる」
「――ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」
ダリアが獣も逃げ出すような咆哮を上げながら、俺の脳天に向けて目で捉えるのも困難な速さで戦斧の一撃を振り下ろす。
それを咄嗟に両腕でガードした途端、辺りに爆裂音が響き渡ると共に、俺の体を激しい衝撃が襲った。
「っ!!」
『リューン!』
「ぐっ……。だ、大丈夫だ……!」
元々がヴェルヴィアのパンツとは言え、さすがは神器。
この世界のどんな防具ですらも一撃で粉砕してもおかしくないダリアの本気の攻撃を受けたにも関わらず、受け止めた俺の両腕がミシミシと嫌な音を出す程度にまでダメージが抑えられている。
ダリアもそれを悟ったのか、僅かに驚いたような表情を僅かに浮かべた。
だがそれなら鎧を粉砕するまで殴り続ければいいだけだと結論を出したかのように、そのまま二撃、三撃と次々と俺に猛攻を浴びせ続ける。
繰り出されるそのどれもが必殺の威力を持っていることを裏付けるように、俺の足元が大きな音を立てながらひび割れ、衝撃波で周囲の岩が砕け散り、この洞窟が崩壊するんじゃないかと冷や冷やしてくる。
だが、これならなんとか耐えられる!
後はダリアのスタミナが尽きるまでこの猛攻を耐えるだけ……。
そう思った矢先。
ピシッ――。
と不吉な音が、俺の耳に響いた。
「なっ!?」
まさかと思って鎧を見ると、ダリアの猛攻を受け続けた箇所には亀裂が広がり、それと同時に、まるで猛攻に耐えられなくなったとでも言うように、鎧はその形を揺らめかせ、徐々に元のパンツへと戻ろうとしていた。
おいおいおいおい……!
ヴェルヴィアの竜鱗製の鎧を突破するとか、どんだけ馬鹿力なんだよ!?
今はまだ効果が残っているのかダリアの猛撃を防げてはいるが、それも時間の問題。
ダリアの方も連撃でかなり息が上がってきているが、未だに正気に戻っているようには見えない。
……次に死ねば、きっと起き上がるまでにはしばらく時間がかかる。
死ぬことに関してだけはこの世界の誰よりも熟知している俺は、そう直感していた。
クソッ、どうする……!
と、俺が思考を巡らせていたその時。
『《――愚鈍なる我が守甲よ。その力を彼の者に与え給え!》』
温かくも力強い声が頭に響き、それと同時に俺の周囲を碧色の優しい光が包み込み、ダリアの攻撃を阻んだ。
……こんな芸当が出来るのは、この場に一人しかいない。
「ローレル!? お前、魔力が……」
『これくらいなら、ギリギリまだ大丈夫かも! それに……』
俺の言葉に、魔力によって創り出した障壁で俺を守り続けているローレルが答える。
震えるその手からは魔力を放たれ続け、涙を浮かべた顔は青白く、幽霊のように透き通っていた体はどんどんその透明度を増し始めている。
誰の目から見てもローレルが無理をしているのは明白だ。
にも関わらずローレルはフードを脱ぎ、
『リューン、心優しき異界の者よ。キミが諦めること無く何度でも立ち上がるのならば、私もこの身を賭して戦おう。エルメラルドの森の民の為、この身の自由の為。そして、何よりもキミの為に!!』
自ら禁忌を侵してこの地に降り立ち。
三千年もの間、ずっと。
ずっと涙を流し続けた優しい女神は。
まるでヴェルヴィアが見せたような決意に満ちた瞳で、そう言って不敵に笑ってみせた。
「ッチ、いい加減死ねってんだよッ!!」
相当頭に血が昇っているのか、そう叫ぶと同時にダリアが一際大きく戦斧を振り上げる。
その隙を、日頃からフレステに特訓を受けている俺は見逃さなかった。
「お前こそ、いい加減に目を覚ませえええええええええええええええええっ!!」
隙だらけになったダリアの顔に、俺の渾身の右ストレートが叩き込まれた。
illustration:おむ烈
レベルが1になってしまった俺の攻撃じゃ、ダリアにとって小石が当たった程度のダメージにしかならないのは承知している。
実際、俺の拳を受けたダリアに大したダメージは無いのか、当たった場所がほんの少し赤くなった程度だ。
とは言え、少しはローレルの負担を減らせたはず……!
そう思って急いで防御態勢に戻ると、しかし、いつまで経っても次の攻撃が来ることは無かった。
不思議に思ってダリアの顔を見ると、俺に殴られた頬に手を当てて呆然としている。
これ、もしかして更に怒らせたとかそう言うのじゃないよな……?
と、俺が不安に駆られ始めたその時だった。
「殴られた……? アタイの攻撃を防がれただけじゃなく、初めて殴られた……。まさかアタイは、ようやく運命の人に出会えたっての、か……?」
そうポツリと呟くと同時に、ダリアはその場に崩れ落ちた。
どうやら気絶したみたいだ。
『ど、どうなってるの? 幻惑魔法は解除されてるみたいだけど、何で急に? 運命の人がどうこうって言ってたけど……』
困惑するローレルの言葉に、俺はダリアが精神的ショックを受けそうな、もう一つの条件を思い出した。
『だから転生って聞いて、他の世界ならアタイを殴れるくらいの強い、運命の男に出会えるかなって……』
それは、ダリアがこの世界への転生を決意した理由を話していた時の言葉。
そのあまりの不可能さから無意識に選択肢から外していたが、多分コレが原因だ。
さっきの俺の攻撃で偶然ダリアの運命の人の条件を全て満たしたおかげで、ダリアにかなりの動揺を与える事に成功し、その結果べラドナの幻惑魔法を解除することが出来たのだろう。
仮に違っていたとしても、一番厄介だったダリアが戦闘不能に陥った今、この戦いは勝ったも同然だ。
その考えに至って緊張の糸が解けたからか、俺はその場で仰向けに倒れ込んだ。
俺がラノベとかの主人公だったら、今もべラドナと戦っているであろうマゼンタとリーディアの加勢に駆け付けるのだろうが、正直もう指の一本だって動かせそうにない。
まあ、あの二人ならきっと俺が居なくてもべラドナには勝てるだろう。
『……ありがとう、リューン。これでこの森を元に戻し、私も呪縛から解放される。深く、深く感謝するかも。この地を浄化し終えたその時には、必ずやキミの力に……』
ローレルの穏やかな声に心地よさを覚えながら、俺は意識を手放した――。




