第28話「最弱不死の女神の祝福(4)」
その夜。
俺は屋根裏に割り当てられた自分の部屋のベッドの上で、仰向けに寝そべっていた。
本来なら明日に備えて早めに寝ておくべきなのだが、どうにも落ち着かない。
その理由は、とっくに分かってる。
……今回ばかりは、本当の意味で死ぬかもしれない。
そんな予感めいた不安が、俺の心にずっと渦巻いていたからだ。
そりゃそうだ。明日俺が対峙しなくてはならないのは、神器を使わないと倒せないようなチート級の力を持った反英雄なんて奴だ。
対する俺はギフトスキルすら持っていない無能者。
力の差は歴然。俺の不死性もどこまで通用するか分かったもんじゃない。
それでも、後悔だけはなかった。
ベッドから起き上がり、意味も無くアイテムポーチから一枚の羊皮紙を取り出す。
あの後。俺の提案に危険すぎると反対するライアーをなんとか説得して手に入れた、今回の作戦のキーアイテムだ。
『この羊皮紙には、半径数十キロに渡ってドーム状の障壁魔法が展開されるスクロール魔法を刻んである。即席だけど、王都防衛用の障壁にも引けを取らない僕特製の障壁魔法だ。いかに反英雄であろうと容易には突破できないだろう。けれどこの魔法は本来、拠点防衛用の魔法でね。発動するには、使用者が障壁の内側に居なければならない。……いいかい、リューン君。僕は君にコレを託すけど、仮に君が逃げたとしても、僕は絶対に君を責めない。……必ず生きて戻ってきてくれ。まだ僕は、君への愛を語りつくしてないからね』
そう言って俺にこれを渡したライアーの眼は、最後の軽口とは対照的に、とても真剣なものだった。
……本当に。ライアーにしてもフレステにしても、自分達も危ない状況だというのに人の心配をするなんて、つくづくいい奴だ。
そんな事を思いながら、気晴らしに夜の散歩にでも出かけようとベッドから腰を上げた、その時だった。
「此度の戦い。本当に行くつもりか? 我が主よ」
いつからそこに居たのか。いや、もしかしたら初めから居たのかもしれない。
まるで初めて出会ったあの時のように、暗闇からヴェルヴィアが現れた。
「ああ、行くよ」
「その震えた手足でかや?」
……たしかにヴェルヴィアの言う通り、さっきから俺の手足は微かに震えている。
でもこれはあれだ、きっと武者震いってやつだろう。
なったことがないから本当にそうなのかは知らないし、知りたくもないけど。
「主よ。前にも言ったが、エリ草を与えた貴様の躰は不死身じゃ。如何なる攻撃を受けたとて、その命の灯が消えると共に貴様の命は蘇る。じゃがな、あの時と同じ言葉をもう一度言おう。貴様は、無敵ではない」
…………。
「もしもその身が毒に侵されれば、どうなると思う? 貴様の躰は自らの死と毒の苦しみとを永久に繰り返すことになるじゃろう。もしもその四肢が蘇る度に引き千切られ続ければ、どうなると思う? 貴様の精神は度重なる激痛に摩耗し、やがて精神が先に死ぬ。かつてエリ草を得た者がそうであった様にな」
「まるで見てきたみたいに詳しいな」
「……詳しいとも。それに苦しむ者を破壊によって救済し、この世界からエリ草を回収したのは、他でもないわっちじゃからな」
なんでエリ草なんてとんでもアイテムをヴェルヴィアが持ってたのかと思ったら、こいつが回収係だったのか。
アーティファクトやら変なアイテムに関して収集癖があるヴェルヴィアのことだ、きっとエリ草を回収した時に、惜しくなって一つちょろまかしたんだろう。
「――主よ。わっちと一緒に逃げぬか?」
ヴェルヴィアが、唐突にそう誘ってきた。
今まで聞いたことがないくらいに、酷く優しい声で。
「反英雄の手も届かぬような、どこか遠い地へ行こう。東の方へ行くのはどうじゃ? あの辺りはかつて魔族が支配しておった土地じゃからか、強い魔物が多い。反英雄とてそんな地に好んで手を出さんじゃろう。まぁ、代わりに何もない土地ではあるが。主とならば、きっと楽しく過ごせる。主が子孫を望むのであれば、わっちが夜伽の相手をするのも吝かではない。じゃから――」
……辺境の地で、のじゃロリ女神と異世界スローライフ生活か。
それはかなり魅力的な提案だ。
本屋でそんなタイトルのラノベがあれば、一冊買ってしまおうという気になるくらい魅力的だ。
苦労も多そうだが、反英雄と対峙することに比べればマシだし。
なによりこいつと一緒なら、どこでだって笑って暮らせるような気がする。
けれども――。
「ごめんな、女神様」
その誘いを受けるには。
この街を見捨てて逃げ出してしまうには。
俺は大切なものを、あまりにも多く得過ぎてしまった。
「……そう答えるじゃろうと思った」
残念そうに、けれどもどこか嬉しそうに笑いながらヴェルヴィアはそう言った。
「貴様なら、そう答えると思っておった。ギフトスキルを何も持たず、剣も魔法もロクに使えず、レベルも低いこの世界最弱の存在。にも関わらず、貴様はドラゴンの手を取るような大馬鹿者じゃからな。きっと、その身が不死でなくとも貴様は同じ道を選んだのじゃろうな」
そこまで言われるとどうだろうかと思ってしまう。
いくらお人好しだなんて言われる俺だって、基本的には死にたくはないし危険な事だってしたくはない。
まぁでも、確かに選びそうではある。
「……本当は、断れればわっちだけで去るつもりじゃったが、やはり出来んな。今確信した。貴様を見限り生きるこの世界は、きっと三千年の封印をも超えるような虚無をわっちにもたらすじゃろうと。そんなのは、生きておっても死んでおるようなものじゃ。そんな生き地獄は、もう沢山じゃ」
「ヴェルヴィア……」
「一つ、約束するがよい」
消え入りそうな声で、ヴェルヴィアが言う。
「わっちがもしも、どうにもできない窮地に立たされた時。リューン、我が英雄よ。また、わっちの手をあの時のように取ってくれると、約束してくれるかや?」
「当たり前だ」
自分でも意外だと思うよりも速く、俺は言葉を口にしていた。
どうやら俺にとってこの騒がしい小さな女神は、いつの間にか居なくてはならない大切な存在になっていたらしい。
……まあ、なんだかんだ言ってこの世界に来てから一番付き合いが長い訳だし?
こう見えて俺のギフトスキルだし。
大切に思うのは当然だろう。
決して俺がロリババア属性に目覚めたわけではないと信じたい。
そんな俺の心中を知ってか知らずか、ヴェルヴィアは俺の答えに満足そうに頷くと、
「……うむ。これで、もはやわっちが恐れるものは何も無い」
そう言って、力強く、けれども微かに震えている手を俺に差し伸べた。
「ならば行こう! 立ち塞がる者が何者であれ、それが例え運命であったとしても。破壊の女神として、そして主のギフトスキルとして。全てを破壊し尽くすことを誓おう。故に主よ。共に命尽きるその日まで、見果てぬ明日を生きる為に戦うならば、この手を取るがよい!」
まるで初めてヴェルヴィアと一緒に魔物と戦ったあの時のように、暗闇でも分かるほど目を赤々と輝かせながら自信満々に頼もしくヴェルヴィアが笑う。
illustration:おむ烈
――今なら言える。
この世界に来てしまった時、俺にギフトスキルが無くて良かったと。
手を握り合う互いの震えは、いつの間にか消え去っていた。




