第26話「最弱不死の女神の祝福(2)」
「父上、話とは何でしょうか?」
聖盾を装備し、いつもの朗らかな笑顔とは対照的な凛々しい表情のフレステの言葉に、対面に座る男――フレステの父親であるシルディアナ家当主らしい――が重々しく口を開いた。
「王都より伝令が入った。『反英雄』と思われる謎の軍勢による侵攻を確認したとな。既に各主要都市に配置された他の守護貴族も同様と思われる軍勢から侵略行為を受け、辛くもこれを退けたそうだ。そして、その手がこの地にも伸びていると」
「……予てより危惧されていた脅威が、本当に現れたのですね」
シルディアナ当主の言葉にフレステの顔が緊張に強張る。
『反英雄』……?
「フレスティア。反英雄については覚えているな?」
「……数年前、王の前に現れた占術師によって予言された、異界より召喚されし英雄ならざる英雄。その力は我らが先祖である英雄達にも匹敵し、世界を混沌に導くと予言されたと聞いています」
「そうだ。そんな与太話を信じ、危惧した王が守護騎士制度を制定すると言い出した時には、我が耳を疑ったものだ。しかもこの街の連中ときたら、我々貴族が仕方なく庇護してやっているにも関わらず、感謝するどころか刃向ってくる始末。冒険者という輩は、全くもって教養のない奴ばかりだな」
自分の部下の働きぶりを見てから言えよ、このおっさん。
「……仕方がありません。余計な混乱を生まない為に、その存在が明確に確認されるまで反英雄に関する情報は極力秘匿するようにと王令が出されていましたから」
「フン……」
苛立ちを隠そうともせずに溜息をつくシルディアナ当主の姿を、フレステは何か言いたそうな目で静かに見ていた。
どうやらフレステがこの街の住人達からの恨みを一身に受けてまで聖盾の騎士として活動していたのは、その反英雄とやらから守る為というのが理由だったようだ。
それにしても、なんだ……?
さっきからおっさん……シルディアナ当主の姿を見ていると、どこか妙な違和感を感じる。
気のせいだろうか?
「……それで父上。反英雄に関する情報は?」
思案する俺をよそに、話の流れが悪いと感じたのであろうフレステがそう言うと、シルディアナ家当主は机の引き出しから何枚かの紙を取り出し、それを机の上に置いた。
「王都より送られてきた反英雄の使徒――通称『鉄の巨人』を撃破した守護騎士達の証言を基にした資料だ。数は小隊程度だが、いずれも高い戦闘能力と強固な肉体を持っているらしい。中でも一際巨大な鉄の巨人は、神器でなければ撃破できなかったそうだ。そんな怪物が、明日にはこのアガレリアに侵攻してくるのだから、たまったものではない」
「「明日⁉」」
俺と水晶に写るフレステが、同時に驚きの声を出す。
そりゃそうだ。そんな情報を突然言われれば、誰だってこんなリアクションになる。
だがさすがは聖盾の騎士。フレステは呆気にとられる俺よりも素早く平静を取り戻すと、
「……っ。では、私は急ぎ隊の編成を行います。それと、ギルドマスターであるライアー殿にこの事を伝え、万が一に備えて我が屋敷の地下にある転移魔方陣を使って住民を王都に避難させるように相談を……」
そう言って、今にも部屋から飛び出しそうな勢いでフレステが踵を返そうとした。
その時だった――。
「待て。その必要はない」
シルディアナ当主が、そんなフレステを制止したのは。
ここに来て、ようやく俺は自分の感じていた違和感の正体に気がついた。
当主の様子が、あまりにも落ち着き過ぎているのである。
いくら反英雄について事前に知っていたとはいえ、そんな存在が明日にもこの街にやって来ると知れば、俺やフレステのように大なり小なり取り乱すはずだ。
にも関わらず、ここまで落ち着いているのは、はっきり言って異常としか思えない。
俺と同じ考えに至ったのであろうフレステも、困惑した顔になっている。
やがて当主は厳かにこう告げた。
「これより我々シルディアナ家はアガレリアの守護を放棄し、王都守護貴族であるシュバリエ家と共に王都防衛に参加する。お前も支度をしろ」
「なっ……⁉」
その言葉を聞いたフレステの目が驚きで大きく開き、やがて怒りの形相へと変わった。
「ふざけるなっ! 父上は……。お前は今、この街の守護騎士である私に、この街を見捨てると、そう言ったのか⁉ 正気か貴様は‼」
普段のフレステからは考えられないほどの怒号が部屋中に響き渡る。
しかしそれでも、当主の顔は涼しいままだった。
「そうだ。既に王都に住む貴族達とは話が付いている。反英雄という存在が実在すると判明した以上、その侵略行為に備えて王都の防衛をより強固にしたいと思うのは当然だ。我々としても、税金すらまともに払えない冒険者共に命を賭ける義理は無い」
「そんな事を、王が望む筈がない!」
「たしかにお前の言う通り、王はこの事を咎めるだろう。だが、王都に住んでいる者の大多数は貴族だ。その貴族達が我々の味方をしている以上、王も強くは出られん」
「……っ」
フレステが悔し気に唇を噛む。
「よく聞け、フレスティア。愚かにも身の丈に合わぬ力を手にしてしまった我が娘よ。優れた力を持つ者は、その力の大きさと責任を理解し、時としてその力で守るモノを選択しなくてはならない時がある。それが今だ。低俗極まりない冒険者共の街を守るよりも、より優れた命である貴族が多く住む王都を優先して守るのは、盾の守護貴族として当然の判断となぜ分からん」
「……私が。あーしが家出した時と変わらないっすね。その反吐が出るほどの貴族至上主義は」
吐き捨てるようにそう言うと、フレステは当主に無言で背を向け、そのまま扉へと向かった。
「どこへ行く」
「……今が守るモノを選択する時と言ったな。ならば、私の答えは既に出ている。この街に住む冒険者達から我々が生業を奪ってしまったあの日から。私はこの盾を、この街に生きる者達の為に掲げるとな」
決して揺らがない決意をその目に宿し、フレステが扉に手をかけた、その時だった。
「あらあら~。見た目は軽そうなのに、中身は聞いていた通り、融通の利かない頑固者なのね~」
扉の向こうから、その場の空気にそぐわないとすら思えるのんびりとした女性の声が響いてきたのと同時に、フレステの背中に斬撃が奔った。
「なっ……⁉」
あまりにも突然の出来事に、フレステの顔が驚きと苦痛に歪んでいるが、それは水晶でその様子を俯瞰して見ている俺も同じだった。
なにしろ、俺にも何が起こったのか全く分からなかったのだ。
当主の仕業かと思って見てみるが、自分の娘が傷ついているにも関わらず平然とその様子を見ているその姿からは、武器による攻撃や何らかの魔法を使ったようには見えない。
だがしかし、現にフレステの着ていた重厚で防御力の高そうな鎧は、まるで熱せられたナイフでバターを切ったかのように大きくと袈裟斬りにされ、そこから流れ出した大量の血が、足元に小さな血溜まりを作ろうとしている。
やがてフレステはガシャンという音と共に、その血溜まりへと倒れ込む。
そして――。
「あらあら~。さすがの聖盾の騎士様も、自慢の盾を構えなければ呆気ないものね~」
そんな間延びした声と共に開かれた扉の先には、銀色の髪が特徴的な一人の女性が立っていた。
歳は俺と同じか少し下くらいだろうか。
おっとりとした雰囲気のお姉さんといった感じの女性ではあるが、しかしその手に持っている鮮血に濡れた禍々しい剣は、彼女がフレステを傷つけた犯人であると明確に示していた。
「お手数をかけて申し訳ありません。聖剣の守護騎士、シュバリエ・ソレーナ様」
「構いませんよ~。これもより確実に、愛しの弟を守る為ですもの~。それに~、おかげで私の聖剣もより強くなりましたし~」
恭しく一礼する当主を横目に、ソレーナと呼ばれた女性がウットリとした様子で血に汚れた聖剣を眺める。
すると聖剣についていたフレステの血が、まるで砂が水を吸い込むかのようにその刀身に吸収されていった。
「でも~、本当によろしかったんですの~? ご自分の娘のレベルと聖盾を我々に引き渡すだなんて~」
「こうでもしなければ、コレは聖盾を渡さなかったでしょう。まったく……。ここまで育ててやった恩を返そうとしないばかりか、貴族よりも虫けら同然の命である冒険者共を優先するとは。我が娘ながらお恥ずかしい限りです」
そう言うと、ソレーナに向かって本当に申し訳なさそうに、当主は頭を下げた。
決めた。コイツらだけは出会った瞬間ぶっ殺そう。
「…………まぁ、私は弟君を守る力が手に入ればそれでいいのですけどね~。お約束通り、お父様には私が取り持って差し上げますわ~」
ソレーナがそう言いながら、倒れたまま動かないフレステから聖盾を取り上げる。
するとその瞬間、聖盾が一瞬だけ薄黄緑の光を放った。
「さて~、神器の継承も終えたことですし~。そろそろ王都に向かいましょうか~。転移魔方陣の準備もできていますわよね~?」
「もちろんです。ソレーナ様と我々が王都に転移した後、転移魔方陣が破壊されるように細工もしています。転移魔方陣を見つけた冒険者崩れ共が王都に押し寄せてくれば、貴族達がいい顔をしませんからね」
二人はそんな会話をしながら、倒れ伏したフレステには目もくれることなく部屋を後にした。
それから少しして、今までピクリとも動かなかったフレステの体が、ゆっくりと起き上がる。
体に走る激痛を堪えているのか、その顔からは血の気が引き、額には脂汗が浮いている。
そんな今にも倒れそうな体を引き摺りながら、それでもフレステは、一歩、また一歩と歩み始めた。
「あーしが、守らなきゃ‥‥‥‥。知らせ……なきゃ……。みんなに…………」
焦点の定まっていない瞳で、うわ言のようにそう呟きながらフレステが部屋を出た辺りで、水晶の映像は終わった。




