第14話「最弱不死と特務クエスト(2)」
幸いなことに、スライムの群れがメルティナ達に集中しているおかげで、俺とヴェルヴィアは何のアクシデントも無く池まで辿り着けた。
少し大きなその池は太陽の光をキラキラと反射させ、一見すると特に変わった様子はない。
「見た目は普通の池だよなぁ……。問題は水の方らしいけど、っと……」
物は試しにと池の水を手で掬ってみる。
フレステの話からして毒って感じではなさそうだし。仮に何かあっても、死んだら復活できる俺なら大丈夫だろう。
そう思って水の中に手を入れた瞬間だった。
「……おぅん?」
「ん? なんじゃ主よ? 突然妙な声を出しおって」
「あ、ああ。いや、何でもない……」
思わず口から出た俺の声に、ゴソゴソと茂みを探していたヴェルヴィアが顔を出して不思議そうに首を傾げているが、説明できるわけがない。
……ローション、だよな? これ。
しかも手から伝わる粘度的に、化粧品とかに使われているサラサラするタイプではなく、どちらかと言えばアダルティックな夜のアイテムとして使われるタイプの。
…………なーるほど。守護騎士団が言っていた妙な水質って、ローションの事だったのかぁ。
そりゃ異世界の人からしてみればローションなんて触ったこともなかっただろうし、不気味に思うのも仕方ない、のか?
うん。頑張って違和感を飲み込もうかと思ったけど、さすがに意味が分からない。
なんで異世界の池が、よりにもよってローション化してるんだ……?
「む……? お、おおおお! フハハハハハ! 主よ、わっちは見つけたぞ!」
俺があまりの意味不明さに頭を抱えていると、茂みの中で何かを見つけたらしいヴェルヴィアがそんな高笑いと共に姿を現した。
その手に抱えられていたのは……。
「アモゾンの段ボール?」
それは俺の世界でよく見る、世界的流通企業のマークが印刷された段ボールだった。
魔物が突いたせいなのか、所々穴が開いていたりしているが、間違いない。
でも、なんでそんなものが異世界に?
「主は見るのは初めてかや? ならば教えよう。これはな、『アーティファクト』と呼ばれる究極の謎アイテムじゃ!」
「アーティファクト?」
俺の疑問に、ヴェルヴィアが段ボールに頬ずりしながら答える。
「うむ。この世界では極稀に、この世界の物ならざるモノが流れ着くことがあるのじゃ。それがこの『アーティファクト』。本来ならばこの世界に不要な物故に、さっさと破壊せねばならんのじゃが……。何を隠そう、わっちはこういう意味分からんものが大好きでのう。気が付けば天上界の一部を占拠するほどに集めてしもうて、よく他の神々共に怒られたものよ……」
しみじみと語ってるけど、それって要は天上界とか言う神様達の住んでいる場所を、盛大にゴミだらけにしたって事じゃねーか。
しかもよく見ると、段ボールに開いた穴がから白い粉のような物がサラサラと零れ出している。
まさか……。
「ヴェルヴィア。ちょっとその箱の中身見をせてもらってもいいか?」
「構わんぞ? わっちが欲しいのはこの茶色い箱であって、中身は別に欲しくはないからのう。欲しいならば主にくれてやる」
そう言うと、ヴェルヴィアはビリビリと箱を破って中身を俺に渡してきた。
もうちょっと物を大事にしなさい。
「どれどれ……。『業界御用達! 少しの水でもすぐヌルヌル! 業務用超強力ローション粉』。やっぱりか……」
ヴェルヴィアから渡された箱の中身。
白い粉の入った大量の袋と注文票を見て、俺は納得した。
どうやらこの池が突然ローション化してしまったのは、どこぞの誰かが注文したこの大量のローション粉が、魔物か何かのせいで偶然この池に散布されてしまったのが原因ということらしい。
何とも予想外過ぎる原因に、俺がしばし思考停止してしまっていた、その時だった。
「きゃあああああああああああ!」
「っ⁉ メルティナ⁉」
突如響いたメルティナの悲鳴に目を向けると、そこには無数の触手に絡めとられたメルティナと、触手の猛攻を盾で凌ぐフレステの姿。
そして、その触手を伸ばしているのは……。
「なんだよ、あのデカいスライム。まさか、あれが特異スライムか⁉」
そこには今まで見たスライムよりも遥かに大きな体を持つ、薄黄緑色のスライム。
特徴的に間違いない。あれが特異スライムだろう。
でも、一体いつの間に……?
「……あっ……」
それまでアモゾンの段ボールをどうにかしてアイテムポーチに入れようと苦戦していたヴェルヴィアが、特異スライムを見て短くそう呟いたまま固まる。
…………。
「お前、さては何か思い出しただろ?」
「……いや、あのな? そういえば、スライムはこのままだと弱いから、ピンチになったら合体する習性を付与したんじゃったなーと……。んで、もしかしたら合体して体積が大きくなったせいで、体の色が薄まったのかもしれんなーと……」
「ばっ、おまっ、そういうのはもっと早く思い出せこのアホトカゲ! 急いで俺達も行くぞ!」
俺はヴェルヴィアの首根っこを引っ掴むと、フレステ達の元へと駆け出した!
「大丈夫か、フレステ!」
「パイセン! それにヴェルっち!」
駆けつけて来た俺達を見て、フレステが目を輝かせる。
言うまでも無く、旗色は相当悪いみたいだ。
「マジでヤバいっすよ! メルティーとあーしでスライムを駆逐してたら、急にスライム達が池に飛び込んでおっきくなっちゃって、魔力付与も効かないしヌメヌメするし触手生えるしメルティーは捕まるしで。もう端的に言うと、マジヤバっす!」
「お、おう。とりあえず落ち着け」
「なるほど……。アーティファクトが溶け込んだ池の水を取り込んでしもうたことで、魔力の流れに変調が起きたのが特異スライムの発生原因みたいじゃな。なんで触手が生えたのかは、わっちにも分からんが」
パニックで語彙力が低下しているフレステの横で、ヴェルヴィアが特異スライムを冷静に分析している。
それにしても、特異スライムの正体がローション触手スライムだったとは……。
未成年者立ち入り禁止と書かれた暖簾の先にある、未成年に閉ざされた理想郷にしか置かれていないDVDに登場しそうなモンスターと、まさか現実で戦う事になるだなんて誰が想像しただろうか。
「というか、メルティナならお得意の邪神パワーで脱出できるんじゃないのか?」
「それが……。メルティーも何回か試してるみたいなんすけど、どうも発動できないっぽいっすよ……」
発動できない?
「当然じゃ。確かに【信仰の加護】は強力なスキルじゃが、発動には神への祈りに集中せねばならん。あの捕まった状態では、それに集中することは出来んじゃろう」
なるほど。考えてみれば、俺達とメルティナが出会ったきっかけになった、あの戦闘。
あの時メルティナがレアギフトスキルを発動させていれば、俺達が助ける必要無かっただろうにと思っていたのだが、あれは発動させることができない状況だったからか。
「っ! 主! 避けろ!」
ヴェルヴィアの声で我に返ると、俺に向かって特異スライムの触手が目にも止まらぬスピードで襲い掛かろうとしていた。
このまま触手に貫かれてまた死ぬと俺が思った、その時。
「やらせないっすよ! こう見えてあーし、ガードは固い方なんでっ!」
俺の前にフレステがひらりと立ち塞がると、持っていた大盾で触手の一撃を受け止めた。
さすがメイン盾。
あの一撃を受けても微動だにしていないその姿からは、頼もしさしか感じられない。
「すまん、フレステ」
「大丈夫っす! ただ、問題は……」
フレステがそう言いかけるのと同時に、大盾に阻まれた触手がその場で爆ぜ、内包されていた大量の池の水。
つまりは大量の強力なローションがフレステの全身に降りかかった。
「~~っ! もー! マジでコレほんと何なんっすか⁉ めっちゃヌルヌルするし、鎧の中まで入ってきて超キモイんすけど! しかも滑って盾も持ちにくいし!」
ローションの雨をまともに浴びたフレステが悲鳴を上げる。
GJ。特異スライムさん。
だがこれで一つ分かったことがある。
ライアーから貰った特異スライムについて書かれていた武器解除能力。
アレはローションによって武器が取れなくなるこの状態の事を言っていたのだろう。
タネさえ分かればなんだそりゃと思いたくなるような能力ではあるが、武器を使う冒険者にとってこれほど厄介な能力はない。
実際、フレステも大盾を構えるのに苦労しているくらいだ。
「長期戦は不利だな……。よし。ヴェルヴィアは原初魔法の詠唱をしててくれ。フレステはヴェルヴィアが詠唱し終えるまで護衛を頼む。その間に俺がどうにかしてメルティナを助けるから、合図をしたらヴェルヴィアのドラゴンブレスでスライムを……」
「そんなの却下に決まってんでしょ‼」
一気にカタをつけようとした俺の作戦を却下したのは、現在絶賛スライムの触手に絡まれてネトネトになっているメルティナだった。
「却下って……。お前、今の自分の状況分かってるのか⁉」
「分かってるわよ! でもヴェルちゃんの魔法を使ったら、特異スライムが跡形もなく消滅しちゃうじゃない! そんなことしたら、私の報酬金がパアよ! そのそも低ステータスのリューンさんがどうやって助けるのよ!」
お前のじゃなくて、俺達の報酬金だけどな。
「だったらどうしろってんだよ!」
「考えて! 私も助かって特異スライムも倒せて、尚且つ報酬金も獲得できる方法を‼ あっ、ちょっ、そこはダメ! 待って待って! リューンさん、早く考えて! 触手が何本かやらしい動きしながらこち来てるから‼ 聖女である私の貞操がピンチだからあああああああ!」
illustration:おむ烈
んな無茶な……。
とはいえ、如何に相手がゴリラ並みのパワーを持っていて、金にがめつくて、生意気で、外面だけは清楚な邪神聖女のメルティナとはいえ、仲間としてその貞操をスライムに奪われるのを見過ごすわけにもいかない。
それにメルティナの言う通り、ここまで苦労して獲得金無しは俺も避けたい。
考えろ、考えるんだ。せめて特異スライムに何か弱点でもあれば……。
待てよ? あのスライム。要はローションの塊なんだよな?
ってことは……。
「ヴェルヴィア! お前、さっきのポティティってまだあるか?」
「なんじゃ? あれならもうとっくに全部食べてしもうたが、急にどうしたんじゃ?」
「ヴェルっち、あの超塩っ辛いのよく全部食べたっすね。てか、パイセンもこんな時に何言ってんすか?」
俺の突然の言葉に、フレステとヴェルヴィアが困惑する。
駄目か……。いや、まだだ!
俺は無言でヴェルヴィアの元に歩み寄ると、その華奢な体を抱き寄せ、
「なっ、なんじゃ突然⁉ せめてそういうのはもっと雰囲気がある時にじゃな……」
そのままヴェルヴィアを、俺は渾身の力で特異スライムに向かって放り投げた!
「うおりゃあああああああ!」
「ぬあああああああああああああああああああああああああーっ‼」
悲鳴と共に空高く舞い上がったヴェルヴィアが、やがて綺麗な放物線を描きながら、特異スライムの体に頭から突き刺ささる。
「……よし」
「いや全然『よし』じゃないんすですけど! 何してんすか⁉ 気でも狂ったんすか⁉ そういうのはメルティーとその信者だけだと思ってたのに‼」
「フレステー! それってどういう意味よー‼」
俺の一連の行動を見てポカンとしていたフレステが、我に返って俺の肩をガクガクと揺らす。
「だっ、大丈夫だって。特異スライムを倒すには、これしかないんだよ!」
「いや何一つ大丈夫じゃないし、全然意味が分かんないっすよ⁉ これじゃ捕まった人が増えただけじゃ……」
『ピギョオオオオオオオオオォォ……』
「……マジっすか?」
特異スライムの苦しそうな声を聞いたフレステが信じられないとばかりに目を見開く。
どうやら俺の読みは正しかったようだ。
「えっ、何で⁉ どうなってるんすか、パイセン!」
「塩だ」
「塩……?」
「前にローションの成分は塩分に弱いって調べたことがあってな。ローションの特性をもつ特異スライムも、もしかしたら塩分に弱いんじゃないかと思ったんだよ」
だからポティティが無いと知った時に落胆したのだが、その時俺は思い出したのだ。
ヴェルヴィアの服に、大量にポティティの塩や欠片がべっとりと付いている事を。
ローションにとって猛毒とも言えるそんなヴェルヴィアが突き刺さったからか、やがて特異スライムの大きかった体が、塩をかけたナメクジのように小さく萎んでいく。
勝ったな。
「ところで、なんでそんな事をパイセンは知ってたんっすか?」
「……男にはな、誰しもエロに関する事を、まるで大学の卒業論文レベルで調べてしまう時期があるんだよ」
「よ、よく分かんないっすけど。特異スライムもまさかこんな倒され方するとは思わなかったでしょうね~……」
特異スライムを見ながら俺達がそんな言葉を交わしていると、不意にフレステのアイテムポーチから音が鳴り始めた。
「あっ、ちょっとすんません……。うわっ、ヌルヌルして超掴みにくい……。はいっす! ……え? もうそんな時間⁉ はい、はーい……」
音の正体はフレステの魔道具だったらしく、アイテムポーチからそれを取り出したフレステが、ヌルヌルに苦戦しながら誰かと通話し始める。……この世界の携帯電話みたいなものだろうか?
しばらくしてフレステが通話し終えると、
「すんません、パイセン。あーし、先に上がっちゃってもいいっすか? 次の仕事の時間になっちゃったっぽくて……」
ああ、そういえばフレステは他にも仕事があるんだっけか。
クエストは完了したも同然だし、抜けても問題ないだろう。
「今日はありがとな。一緒に戻らなくて大丈夫か?」
「御心配あざまっす! でも、その辺の魔物相手ならあーしだけでも大丈夫っすよ。であであ、お疲れっす!」
そう言うと、フレステは笑顔で来た道を一人で帰って行った。
まぁ、この中で一番戦闘力が高いのはフレステだし、心配しなくても大丈夫か。
「はぁ……。酷い目にあったわね」
「全くじゃ。主はわっち達を変わり者みたいに言うが、ここぞという時に一番突拍子もない事をするのは、絶対に主の方じゃとわっちは思う」
フレステの姿を見送っていた俺の背後から、ローションでヌルヌルになったヴェルヴィアとメルティナが疲れた様子でやって来る。
色々と言われても仕方がないとは思っているが、その評価にだけは納得がいかない。
「でもまぁともかく、これでクエスト完了ね。あとはライアーさんに討伐した証拠である特異スライムの残骸を渡せば、報酬金獲得よ!」
そうだった。
報酬をもらうには、ライアーにこの特異スライムの残骸を…………。
「待て」
「……リューンさん。私の前に立ち塞がるなんて一体何のつもりかしら? どいてくれないと残骸を取りに行けないんだけど?」
「ダメだ」
「……はぁ?」
「これを、渡すわけにはいかない‼」
そう。これは渡すわけにはいかない。
特にライアーにはだけは、絶対に渡してはいけない!
妙に頭が切れるライアーの事だ。
これを渡せば、アイツがローション本来の使用用途を理解する可能性がある。
それだけは絶対に阻止しなければならないと、俺のゴーストが囁くどころかエレキギター片手に全力でシャウトしている!
「……運命って、残酷ね。あの時私を助けてくれたリューンさんを、この手でぶっ殺さなくちゃいけないなんて……。せめて。せめて手柄を独り占めなんて今後二度と考えを抱くことが出来ないくらい、ボッコボコにしてあげるわね‼」
そう言いながら、メルティナはゆらりとファイティングポーズを構えた。
その姿から放たれる聖職者とは思えない異様なプレッシャーに、思わず逃げ出したくなってしまう。
……だが男には、決して引いてはならない戦いがある!
「来いやごらあああああ!! 俺の尻の平和は、俺が守る‼」
俺の熱い決意を帯びた怒声が、森に響き渡った。