第八話:アリサの誤算
「は、はぁ!? レッドドラゴンを使い魔には出来ないぃ!?」
レッドドラゴンの退治は誰一人として怪我することなく無事に終わった。
そして満を持して、アリサがレッドドラゴンの死体を使い魔にしようとした時、問題が起こった。
グランがぽかんとした表情で「もしかして馬鹿なのか? お前なんかがレッドドラゴンの死体を使役できるわけがないだろ」と言ったのである。
これにはさすがにアリサも思わず叫んだ。
何たってアリサはずっと、今日レッドドラゴンを使い魔にすることを一番の楽しみにしていたのである。
それをここまで来て「使い魔には出来ない」とは一体どういう了見だ。
アリサはキッと睨んで、説明を求める。
「契約に必要な魔力が足りないんだよ」
「ま、魔力が足りない……?」
全く意味が分からないと訝しむアリサに、グランはため息をこぼす。
「そもそもアンデッドがどういう存在なのか、ちゃんと分かってるか?」
「そ、それくらい分かってるわよ。生きる屍ってやつでしょ?」
仮にもネクロマンサーに対して馬鹿にしすぎだ、とアリサは不満を露にする。
しかしその答えを聞いたグランは先ほどよりも大きいため息をこぼしながら、こめかみを押さえる。
「お前なぁ、仮にもネクロマンサーならもう少しまともな知識を持っとけよ」
「なっ!? こ、こっちはずっと独学でやってきたのよ!?」
「それにしたって何も知らないにも程があるだろ。言っとくが今のお前なんてそこら辺の一般人と何にも変わらないからな?」
「そ、そこまで言わなくたっていいじゃない。こっちはレッドドラゴンの死体が手に入るって期待してたのに……」
グランの指摘に、アリサは拗ねたように口を尖らせる。
しかしグランは呆れたように首を振る。
「そんなことを思ってる時点でバカ確定だもんな」
「じゃ、じゃああんたが教えなさいよ! というか知ってたのなら、もっと早くに言うのが使い魔としての務めってもんじゃないの!?」
「すまん。まさかご主人様がこんなにもバカだとは思わなくてな」
「うっ……」
確かにアリサにも思い当たる節はある。
そもそもグランを蘇生させたのだって、偶然にも蘇生の術の書かれた本を見つけたか試してみようと思ったからである。
それからというもの、仮とはいえ一人目の使い魔が手に入ったことで気持ち的にも満足してしまった。
ネクロマンサーのことを必死に勉強していた以前に比べても、すっかりサボってしまっていたのだ。
まあ実際にはそんなことを調べられるだけの時間の余裕が少しずつなくなってきている、というのが正しいのかもしれないが……。
「じゃあまず基本中の基本から教えてやるとして、アンデッドにはひとつの前提条件がある。なんだか分かるか? あぁ、期待とかはしてないから分からなくても大丈夫だぞ」
「…………」
思わず反論しそうになるアリサだったが、何とか耐えて無言で首を振る。
すると本当に期待していなかったのだろうグランは、特に何か反応するでもなく言葉を続ける。
「アンデッドは自然発生しない」
「…………え?」
しかし告げられた言葉は、アリサの予想を遥かに上回るものだった。
そのため言葉の意味をきちんと理解するのにさえ、かなりの時間を要した。
「し、自然発生しないってどういうこと?」
「そのままの意味だが?」
「じゃ、じゃあ世間で言うようなアンデッドは……」
「総じてネクロマンサーたちの使い魔だよ」
そう断言するグランの言葉は、にわかには信じられないことだった。
なぜなら、それほど頻繁でこそないにせよ、アンデッドに人が襲われるといったことは少なからず実際にある。
何を隠そうアリサも、以前に家族と遠出した時にアンデッドの群れに襲われた経験があった。
しかし、もしグランの言っていることが本当なら世間の常識を大きく覆しかねない。
ネクロマンサーが蘇らせたアンデッドたちが人を襲っているなんていう話が世に広まれば、それこそただでさえ冷ややかな目を向けられているネクロマンサーたちに対する扱いが更に酷いものになったとしても仕方がない。
「う、嘘じゃないのよね……?」
「どこに今嘘をつくような必要性があるんだよ」
それを言われて、思わずアリサは黙り込む。
今はじめて知った衝撃の事実に、少なからず動揺していたのだ。
しかしグランはそんなアリサの状況を知ってか知らずか、またもや驚きの事実を口にする。
「まあ今の世の中のそういう常識はネクロマンサーたちが長年かけて故意につくりあげてきたものだから、お前たちがそう思うのも無理はないのかもしれないが」
「な……っ!?」
「自然発生したように見せかけたアンデッドをこれまでにも何度か見かけた。きっとそういうのを地道に続けて、今のアンデッドの常識を一から作ってきたんだろ」
「そ、そんなこと何のために……」
「さすがにそこまでは分からん。まあ少なくとも何かよからぬ企みなのは間違いないだろうがな」
もはやアリサにはグランが一体何を言っているのか理解できない。
だが、グランの表情はいたってふざけているようには見えない。
しかしそうは言っても、やはりそう簡単に頷けるような話ではない。
「あー……もうっ! とりあえず今はどうしてレッドドラゴンと契約できないのか教えて!」
それからしばらく頭を悩ませていたアリサだったが、今はこれ以上考えても仕方がないと思ったのか話を強引に進める。
グランとしてもアリサがそう言うのであれば、それに従わない理由はなかった。
「まず、ネクロマンサーは死体に自分の魔力を注ぎ込み、アンデッド化させることで自分の使い魔にするんだ。つまり分かりやすく言うと、ネクロマンサーの魔力はアンデッドたちにとって仮初の命みたいなものなんだよ」
「仮初の命?」
「あぁ。だから使い魔たちはネクロマンサーたちとの契約が切れた瞬間、仮初の命でもある魔力の供給がなくなるから、また死体に逆戻りってわけだ」
そこまで教えてもらって、アリサはふとおかしな点に気付いた。
「でもそれじゃあ、どうしてあんたは私との契約を勝手に破棄しといて平然としてるのよ」
「それは俺だからに決まってんだろ?」
「ぜんぜん説明になってないから……」
しかし魔王などという存在自体が理不尽のような相手に何を言ったところで馬鹿馬鹿しくなるだけだろうと、アリサは早々に興味を失う。
「それで魔力がアンデッドたちにとって大事なのはよく分かったけど、それでどうしてレッドドラゴンを使い魔に出来なくなるの?」
「だから最初に言ったろ? 魔力が足りないんだよ。仮初の命に必要な魔力の量は何も一定じゃない。量の違いの要因はさまざまだが、基本的には種族で考えればいい。たとえば人間や弱い魔物とかなら蘇生に必要な魔力量も少ない、みたいな感じだ」
「……つまり使い魔にしたいのがドラゴンとかになってくると、必要になってくる魔力量も尋常じゃなくなってくるってわけね」
「そういうことだ。とてもじゃないが今のお前にレッドドラゴンを使い魔にできるだけの魔力はない」
グランの言葉に納得したのか、アリサはレッドドラゴンを使い魔にすることを諦めるように大きなため息をこぼす。
しかしその表情は意外にも、そこまで沈んでいるようには見えない。
「今のお前っていうことは、将来的にはレッドドラゴンを使い魔にすることも不可能じゃないってことよね?」
そして強い意志を持った瞳でアリサはそう言う。
グランは一瞬だけ目を見開いたかと思うと、すぐにニッと口の端を吊り上げる。
「魔力さえ増やしてしまえば、あとはネクロマンサーの思うがままだ」
「っ! じゃ、じゃあどうやったら魔力を増やせるの?」
思うがままと聞いて俄然やる気が出てきたように、アリサが鼻息を荒くしながら詰め寄ってくる。
しかしグランはどういうわけか、そんなアリサを「まあちょっと待ってくれ」と手で制す。
「魔力が必要なのは何もお前だけじゃないんだ。二度手間になるようなことはしたくないから、あとでまとめて教えてやる」
「まとめて……?」
そう言うグランの視線が一点を見つめていることに気付き、アリサもそれを追う。
するとそこには、どこか物憂げな表情で湖に足をつけている友人の姿があった。