第四話:当主様からのお願い
「おいおい。他の奴らが真面目に授業を受けてるっていうのに、うちのご主人様ときたらサボリですか?」
「サボリじゃないわよ! あれだけの騒ぎの後だからって学園長が気を利かせて早く帰らせてくれたのよ!」
学園長との話も終わった今、二人はそのまま帰路についていた。
「大体、こんなことになったのも全部あんたのせいでしょ!?」
「元はと言えば、魔王を復活させたりしたご主人様のせいだけどな」
「うっ、そ、それは……」
グランの指摘にアリサは思わず言葉に詰まる。
確かに魔王を蘇らせてしまったのは他の誰でもないアリサだ。
しかもよくよく聞けば、あそこはネクロマンサーの間で立ち入り禁止区域に指定されているような場所だったらしい。
いくらアリサがネクロマンサーになりたてだったとは言え、それで全ての行動が許されるほど世の中は甘くない。
だから今回、アリサには相応の罰が与えられるはずだった。
しかし学園長は『……処罰については、出来る限り最低限のものになるように尽力させていただきます』と約束してくれた。
アリサが今回しでかしたことを考えれば、それはあり得ないことだ。
たかが一介の生徒に、歴戦の英雄と名高い学園長がしていい約束じゃない。
だがきっとあの時、学園長はそうする選択肢しか許されなかったのではないか。
「…………」
アリサはふと、隣を歩くグランを盗み見る。
道端の屋台を興味深そうに眺めながら今にも飛んで行ってしまいそうなグランが、あの時何かをしてくれたのだろうということは、もはや疑いようがない事実だ。
しかし一体どうしてグランがそんなことをしてくれたのか、その意図がよく分からない。
あの時、アリサは不幸にもグランの拘束から逃れるのに必死で、どんな会話をしているのかまでは聞き取れなかった。
だが最後の一瞬、対峙するグランを見つめる学園長の瞳が大きく揺らいだのをアリサは見逃さなかった。
歴戦の英雄。
諸外国にまでその名を轟かせる学園長でさえ抗うことが出来ない実力が、グランにはあるということなのだろうか。
――――恐らく、あるのだろう。
そんなグランが今、自分の使い魔として行動を共にしてくれている。
グランの力さえあれば、ネクロマンサーとして大成することが出来るかもしれない。
否、間違いなく出来るだろう。
それどころか、これまで絶対に超えられなかった壁をいとも容易く飛び越えることだって出来るかもしれない。
その事実に、アリサは高揚せずにはいられなかった。
しかし、一つだけ大きな問題がある。
それは、グランとの使い魔契約が正式なものではないということだ。
グランがアリサの使い魔として行動を共にしてくれているのは、あくまで情報収集のため。
数百年の眠りから覚めたグランが今の世の中のことを多く知るためである。
つまり行動を共にするか否かの判断は、全てグラン次第ということだ。
もし明日、グランが情報収集は十分だと思ってしまえば、それで二人の関係を繋ぐものは何一つとしてなくなってしまう。
そうなればアリサはまた落ちこぼれの新米ネクロマンサーに逆戻り。
それだけは絶対に避けたかった。
せっかく掴んだ成り上がりのチャンスをそう易々と手放してやれるほど、アリサに余裕はなかった。
だが現状、こちらからグランを縛ることは出来ないのも事実。
だからどうにかしてグランを使い魔として引き留めていられるものを用意しなければいけないのだが、グランのために一体何を用意すればいいのか皆目見当がつかない。
しかもそれがアリサに用意できるものじゃないといけないというのがまた難しい。
いっそのことグランに直接聞いてみるか。
そう考えて、アリサは首を振る。
グランのことだ。
そんなことをすればすぐに足元を見られてしまうかもしれない。
やはりどうにかしてグランを引き留めていられるだけのものを見つけなければ……。
「おかえりなさいませ、お嬢様。そしてグラン様」
そんなことを考えている内に、いつの間にか屋敷に着いてしまったらしい。
出迎えてくれた老執事に軽くお礼を言いつつ、屋敷に入る。
因みに昨日の内にグランのことは使い魔として紹介が済んでいる。
使い魔にまで丁寧に接する必要はないと伝えたのだが、老執事曰く『お嬢様の使い魔様を無碍にするわけにはいきません。それにグラン様には並々ならぬ威厳を感じますので』と譲らなかった。
もしかしたら老執事はその時点でグランの実力を少なからず感じ取っていたのかもしれない。
「アリサぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああああ」
長年仕えてきてくれた老執事の眼力に改めて感心していると、突然大きな声が玄関に響き渡った。
途端にアリサがげんなりとした表情を浮かべる。
それとほぼ同時に一人の男が姿を現したかと思うと、次の瞬間にはアリサの目の前にまでやって来ていた。
「……お父さん」
まさに”飛んでくる”と表現するのに相応しい登場を決めてみせたのは、何を隠そうアリサの父。
そしてアシュレイ家の現当主、ジャルベド=レド=アシュレイである。
ジャルベドは基本的に温和な性格をしており、立場に驕らない聡明な人物として人民たちからの支持も高い。
「学園長から急に連絡があったから驚いたよ! 変な奴に絡まれたらしいけど大丈夫だった!? お父さんが懲らしめに行ってきてあげようかっ!?」
そして何より、娘であるアリサを溺愛していた。
「大丈夫だから、落ち着いて。確かに変なのに絡まれたけど、そいつはもうグランに決闘でぼこぼこにされたから」
「おぉ! グラン君が!」
「ジャ、ジャル。別にそんな大したことじゃない。使い魔がご主人様を守るのは当然だろ?」
「それは確かにそうかもしれないけど、僕の大事な愛娘であるアリサを守ってくれることに関しては、どれだけ感謝しても足りないよ!」
アリサの言葉に、今度は感極まった様子でグランの手を握りしめるジャルベド。
さすがのグランもこれには若干引いている。
因みに”ジャル”というのはジャルベドの愛称みたいなものである。
呼びにくいからと言って勝手にグランがそう呼び出したのだが、ジャルベド自身は特に気にしておらず、むしろ少し気に入っているくらいだ。
「じゃあ私は部屋に戻るから」
「あっ! アリサにはまだ話が――」
「また今度にして。今日はちょっと色々あって疲れたの」
ジャルベドの制止の声も聞かずに、アリサはそう言って自室の方へと消えていく。
その場に残されたのはグランとジャルベドの二人だけ。
因みに老執事はいつの間にかいなくなっていた。
「これまた随分と破天荒な性格に育ったな」
「色々と周りと比べられたりしたせいで性格が少なからず曲がっちゃったっていうのは否定できないね。まあ、アリサはそこも可愛いんだけど」
それは置いといて、とジャルベドは少しだけ真剣な表情でグランを振り返る。
「ちょっと話があるんだけど、いいかな?」
「それは別に構わないが、ちゃんとワインは用意してあるか?」
「あはは。まだ今日は早いからね、仕事が色々と残ってるんだ。ワインは夜の楽しみにとっておくとしよう」
「ま、貴族の当主様ともなればそれくらいは仕方ないか」
少し残念そうに呟きながらも、その表情は既に夜のワインのことを期待しているのか口の端が釣り上がっている。
「じゃあ部屋に行こうか」
「せめて安くていいから茶菓子くらいは用意してくれよ」
「じゃあ適当に紅茶も淹れてもらおうか」
この会話だけでは、一体どちらが家の主なのか分かったものではない。
しかし、当のジャルベドは特に気分を害した様子もなければ、グランと同じように今から夜のことを楽しみにしているのが表情からも窺えた。
玄関から場所を移動して、二人は応接室へとやって来ていた。
二人の間にある長机にはグランの希望通りの茶菓子に、ジャルベドが用意させた紅茶が置かれている。
それらを遠慮なくグランが食べていると、紅茶を一口だけ含んだジャルベドがふいに話し始める。
「まずは魔王であるグラン君にお礼を言わないといけないね」
「何だ、知ってたのか」
「……って言う割にはあまり驚いた感じじゃないね」
自分の言葉を聞いても相変わらず茶菓子を食べる手を休めたりしないグランに、ジャルベドもさすがに苦笑いを浮かべる。
「まあ学園長から連絡を貰ったって聞いた時点で、俺が魔王だと伝わっている可能性くらいは誰だって考えるだろ」
「うーん、そうなのかなぁ」
あまり納得していなさそうなジャルベドだったが、グランは別に冗談を言っているわけでもなければ至って真面目である。
まあ、いつまでも茶菓子を食べ続けてはいるが……。
「それで俺が魔王だって分かった上で、お礼って何だ?」
ただ、グランも言われたことの全てを理解できたわけではない。
グランの言葉を受けて、ようやく本題を思い出したジャルベドは慌てたように首を振る。
「何でもグラン君は現状でアリサとの使い魔契約は切れているそうじゃないか」
「まあ俺が無理やり契約を破棄したんだけどな」
「でもどちらにせよグラン君は今、アリサの使い魔として行動を共にしてくれているわけだろう?」
「それについてはお礼を言うようなことじゃないぞ? 俺がアリサと行動を共にしているのは情報収集のためだし、寝食だってここで世話になってるんだからな」
あくまでも一介の使い魔でしかないグランだが、この屋敷に住むにあたって、アリサやジャルベドと同じレベルの部屋を用意してもらっている。
もちろん食事だってアリサたちと同じだ。
だからアリサの使い魔として行動を共にするくらい、何一つお礼を言われるようなことではないとグランは考えていた。
しかし、ジャルベドは首を振る。
「さっきも言ったけど、大事な愛娘であるアリサを守ってくれることに関しては、どれだけ感謝しても足りないよ」
それに――、とジャルベドはどこか物憂げな表情で呟く。
「アリサにとって”死霊使い”という適正職業が、今の世の中でどれだけのハンデになるのかグラン君は知ってる?」
「まあ、不遇な職業だっていうことくらいは」
「確かに一般的な話をするのであれば、それくらいの認識で間違ってないと思うよ。でもアリサに関して言えば、その限りじゃない」
ジャルベドは一旦そこで話を区切ると、紅茶を一口含む。
そして乾いた喉を潤すと、再び語りだす。
「アリサは歴史あるアシュレイ家の娘だ。アシュレイ家の一員たる者、人々の模範でなければならない」
「……だけどネクロマンサーではとても人々の模範にはなれない、ということか」
「こんなことを言うのは心苦しいけど、その通りだよ」
そう呟くジャルベドの表情は暗い。
やはり溺愛している愛娘のことをそんな風に評価するのは、どんな形であれ心苦しいのだろう。
「ただ勘違いしないで欲しいのは、いくら人々の模範になっていなかったからと言って、それで僕がアリサのことをアシュレイ家から追い出すなんていうことは絶対にあり得ない。逆にそんなことをしようとする輩がいたら、アシュレイ家の総力を持って潰す」
「……つまり、アリサ自身がアシュレイ家の呪縛に囚われている、と」
ジャルベドが一層表情を暗くして頷く。
「アリサには姉が二人いてね、今は遠征に行っていて家にはいないけど……。その二人というのが俗に言う”天才”ってやつなんだ。昔から色んなことが出来て、適正職業だって二人ともかなり恵まれていた。常日頃からそんな二人と比べられて、アリサは育ってきたんだよ」
グランは玄関でのやり取りを思い出す。
あの時ジャルベドが「周りと比べられたりしたせいで性格が少なからず曲がっちゃった」と言っていたのは、このことだったのだろうと納得する。
「アリサは姉二人に対してすごい劣等感を抱いていてね、何とかして追いつきたいって思っていたんだよ。でも、診断された適正職業は”死霊使い”だった」
その日は随分と落ち込んでいたよ、と苦笑いしながら言う。
「アシュレイ家の末女の適正職業がネクロマンサーっていうのはすぐに他の貴族たちにも広まってね。やれ落ちこぼれだの、やれ出来損ないだの。アシュレイ家唯一の汚点なんて噂されたりしてね。もちろんアリサ自身が一番強く責任を感じていたよ」
恐らくそれが、ジャルベドの言う「ハンデ」というやつなのだろう。
もしアリサが貴族でも何でもない平民の一人として生まれていれば、たとえ適正職業がネクロマンサーと診断されても、それだけの不幸や責任はやって来なかったはずだ。
奇しくも大貴族の一人として生まれてきてしまったがために、周囲からの視線に晒される羽目になってしまったのだ。
「でも、そんな時に現れたのが――――グラン君だった」
その言葉に本当に一瞬だけ、グランの手が止まる。
「突然やって来たグラン君に当たり前だけど初めはかなり戸惑った。けど、ずっと元気がなかったアリサが嬉しそうに『使い魔第一号よ!』と紹介してくれた時、一人の親として娘の成長が嬉しかった」
久しぶりに笑ったアリサは、驚くくらいに可愛かった。
その時のことを思い出しながら、ジャルベドは微笑を浮かべた。
「使い魔として娘の話し相手にでもなってくれるのなら、アリサが元気でいてくれるなら、それだけでグラン君を家に置く理由は十分だと思っていた。でも、どうやらそれは僕の勘違いだったらしい」
すると何かを思い出したのか、ふいにジャルベドが吹きだす。
「学園長が言ってたよ。『あなたのところの娘さんが魔王を蘇らせて、その魔王には”ご主人様に手を出すな”と脅されました!』って」
「脅しとは失礼だな。あくまで俺はアドバイスしただけなのに」
全く心外だ! とばかりに鼻息を荒くするグラン。
もしこの場に学園長がいたら、全力で抗議していたことだろう。
「まあ結局のところ僕が何を言いたいかというと、魔王とかそういうの全部ひっくるめて、グラン君にはあの学園長を脅せるだけの実力があるんだよね?」
「あのが何を指すのかは知らんけどな」
今の言葉を”歴戦の英雄”の信者が聞いたらとんでもないことになりそうだ、とジャルベドは苦笑いを浮かべる。
しかし、否定はされなかった。
ジャルベドは改めて真剣な表情を浮かべて、グランに言う。
「出来ればこれからもアリサについていてやって欲しい」
「……それは無期限で、ってことか?」
対するグランも、今はいつもの笑みを消している。
ちょうど学園長の時と同じような表情だ。
初めて見るグランのそんな表情にジャルベドは僅かに喉を震わせながらも、何とか答える。
「……本音を言えば、そうして欲しい。でもグラン君の実力を考えれば、それは過ぎた願いだ。だから無理は言わない」
――――グラン君がアリサの傍にいてくれる、その時まででいい。
その言葉に、グランは僅かに目を見開く。
「それはまた、大貴族のご当主様とは思えないほどに謙虚なお願いだな」
そう言うグランの表情は既にいつもの不敵な笑みが戻っている。
「これでも人を見る目はそれなりにあるつもりなんだ」
「……ったく、魔王に何を期待してるんだか。まあ、蘇らせてもらった分の義理くらいは果たすつもりだけどな」
「それは大いに期待できそうだっ」
ニッと笑うジャルベドに、グランは珍しく降参したように肩を竦めた。