エピローグ:魔王の帰還
その日、フェルマ国立学園にある記念館では、無期限の休校が無事に明けたことを祝しての舞踏会が催されていた。
机に並べられた豪勢な料理に、会場に響き渡る楽器の演奏は、その場にいる者たちの胸中を少なからず盛り上げている。
今回の舞踏会は関係者なら基本的に誰でも参加できるということにはなっているが、時が時ということもあり来ている者はほとんどが学園の生徒たちだ。
しかし逆に、その生徒たちはドレスが無料で貸し出されているということもあって貴族や平民に関係なくほぼほぼ全員が参加していた。
そして会場のある場所では、二人の少女が楽しげに会話を弾ませていた。
”魔物使い”のリリィと、”精霊使い”のミラである。
「わたし、舞踏会なんて初めて参加した。そもそもドレスだって着るの初めてだし」
慣れない場の雰囲気に緊張した様子のリリィに、ミラが苦笑いを浮かべる。
ミラの方は貴族の娘ということもあり舞踏会などにはこれまでにも幾度となく参加させられているが、正直なところミラはあまりこういう場は得意ではなかった。
だが今日はリリィもいることだし自分が頑張らねば、とミラは密かに決意する。
しかし今日に限って言えば、むしろ問題はリリィではなく……。
二人の視線が一か所に集まる。
そこにはいつもの強気な表情を一切消したアリサが二人から少しだけ離れた場所にポツンと立っていた。
髪や瞳の色と同じ真っ赤なドレスに身を包み、どこか物憂げな表情を浮かべるアリサに、近くを通る男子たちの視線は釘付けだ。
しかし普段の勝気なアリサを知っている者からすれば、今の姿を見て心配せずにはいられなかった。
「ア、アリサちゃん、喉とか乾いてませんか? 飲み物とか貰ってきましょうか?」
「何だったら料理もとってくる」
「……いえ、大丈夫よ。気を遣ってくれてありがとう」
二人の言葉に力無く首を横に振るアリサは、今にもふらふらと倒れてしまいそうなほど全く生気が感じられない。
あのアリサが一体どうしてこんなことになってしまったのか。
その原因を、アリサの友人二人は少なからず察していた。
というのもここ連日、アリサの隣にいるはずの人物の姿が見受けられない。
そう、アリサの使い魔第一号のグランである。
二人がその姿を最後に見たのは、アリサがウェスカ国への使者として門から出て行った時きりだ。
グランの強さを以前の出来事で少なからず知っていた二人だったので、アリサが使者として出発する時も普通に比べればあまり心配していなかった方だろう。
しかし数時間前に出発したはずの使者団が苦虫をすり潰したような顔で戻って来て、更にはアリサが殿として残ったと聞いた時はさすがの二人も肝を冷やした。
それだけではない。
アシュレイ家の当主、ジャルベドが血相を変えて王都から飛び出していこうとしたのだ。
無論、殿として残ったアリサの下へ向かうためである。
そんなジャルベドは引き留めたのは、学園長のルルアナだ。
その時のフェルマ国の状況を考えれば大貴族の当主がどこかへいなくなったりすれば、国民たちがパニックになるのは避けられない。
アリサのもとへ向かうことを泣く泣く諦めたジャルベドだったが、その拳は血が滲むほど強く握りしめられていた。
そしてそれはミラやリリィも同様で、助けに向かうことさえ出来ない自分の無力さを恨むことしか出来なかった。
しかし次の日の朝、そんな全員の思いを嘲笑うかのように自室のベッドで眠っているアリサが発見されたのである。
しかもそれとほぼ同時刻に、フェルマ国に進軍してきていたジスタニア国の前線部隊から後続部隊までの全軍が撤退を開始したという報告が入ったのだ。
一体何があったのかは分からずとも、国が滅ぶかもしれないというかつてない危機が去ったことに国民たちは前日とは打って変わって大いに盛り上がった。
全てがこれ以上ないくらい上手くいったと言っても過言ではない状況の中で、しかしそこにグランの姿だけがなかった。
「グ、グランさんなら大丈夫ですよ。きっと何かの事情で戻って来れないだけで……」
ミラの言葉に同意するように、リリィも何度も頷く。
だが物憂げなアリサの表情は相変わらず晴れない。
しかしそれはミラの言葉を信じていないというわけではない。
むしろアリサはグランの安否など初めから心配していない。
今回の戦争を止めた――否、潰したのは紛れもなくグランなのである。
それを知っている者がグランの心配などするはずがなかった。
「…………」
だがあの日、アリサは気付いたら自室のベッドに横になっていた。
恐らくグランがここまで運んでくれたのだろうと考えられるが、肝心のグランの姿がどこにも見えない。
グランのことについて何か知っているかもしれないジャルベドやルルアナに尋ねてみようにも、大量の事後処理に追われているとか何とかで結局聞けずじまいだった。
そして気付けば、グランの姿が見えないまま一週間が経っていた。
もしかしたらグランはこのまま帰ってこないつもりなのではないだろうか。
そんな考えが頭の中を過ぎるアリサは、危機が去ったと喜ぶ周囲に反して、気分が落ち込まずにはいられなかった。
本当は、今日の舞踏会だって参加しないつもりだった。
しかし友人二人に半ば強引に誘われて、仕方なく参加したのである。
アリサが今日何度目かになるか分からないため息を吐いたのと同時に、それまで会場に響いていた演奏が急に鳴り止む。
あまり気分の優れないアリサも何かあったのかと不審に思うが、それからすぐに演奏は再開された。
すると、あちらこちらで談笑を楽しんでいた人たちが何やら会場の中心の方へと向かっていく。
更によく見れば中心に向かう人たちは男女でペアを作っているのが分かった。
その時点でようやくアリサは、どうやらここからが舞踏会の本番らしいということを悟った。
案の定、彼らは演奏と共にダンスを踊りだす。
かなりの数の参加者たちが男女のペアで、リズムに合わせてステップを踏むさまは見ていて壮観だ。
だがそれでもアリサは彼らの中に自分も混ざりたいとはとても思わなかった。
数人の男たちからの誘いを全て断ると、早々に会場の隅っこの方へと移動する。
壁に背中を預けながら友人二人の姿を探してみると、どうやら舞踏会に強く誘ってきた割にはどちらもダンスに参加していないらしい。
よくよく考えれば異性のことが極端に苦手なミラは少なからず身体の接触があるダンスなんて出来るはずがないだろうし、リリィに関してはダンスなど興味なさげに会場の料理を頬張っている。
そんな二人の姿に思わず苦笑いを浮かべるアリサだったが、不意に視界に入って来た人物に眉を顰める。
「……何の用かしら、セミール」
今、アリサの目の前にはセミール=イヴォ=アルドリヒが立っていた。
これだけ会場の隅っこの方にいるアリサの目の前までやって来て、偶然ということはあり得ない。
これまでに何度も絡まれた経験のあるアリサは警戒の色を強める。
だが、対するセミールの様子がいつもとおかしい。
普段なら余裕たっぷりという風な表情を浮かべてやまないセミールが、今日はどこか緊張したような面持ちを浮かべている。
そしてアリサに警戒されていることに気付くと、更に慌てた様子で口を開く。
「きょ、今日は喧嘩を売りに来たんじゃないんだ。き、君が使者団に立候補したって聞いたから、賛辞の言葉を伝えに来たんだよ」
「……賛辞の言葉?」
セミールの言葉にアリサは訝しげに聞き返す。
「き、危険が伴うだろう使者団に立候補するなんて、誰にだって出来ることじゃないからね。お、同じ貴族としてぜひ僕にも見習わせてほしいと思ったんだ」
あのセミールの口から出たとは思えぬ言葉に、アリサも思わず呆気にとられる。
一瞬何かの罠かとも思ったが、セミールの慌てぶりを見る限り嘘ではないらしい。
とはいえ、たったの一言でこれまで絡まれたことの恨みを全て忘れられるわけではない。
しかし自分の行動を認められるというのはアリサにとっても悪いものではなかった。
ただ、どういうわけかセミールが話も終わったはずなのに、その場を離れようとしない。
目を泳がせるだけで口を開く気配もないセミールに、アリサも不審に思って首を傾げる。
するとようやく覚悟を決めたのか、ついにセミールが沈黙を破った。
「ぼ、僕と一曲踊ってもらえないだろうかっ!」
叫ぶかのような声で勢いよく手を差し出してくるセミールに、さすがのアリサも目が点になる。
そして僅かな間の後にようやく自分がダンスに誘われていると理解できた。
もしかしてセミールがずっと緊張していたのは初めからこれを言うつもりだったからなのかもしれない。
それを踏まえて今までのセミールの挙動を思い出し、アリサは苦笑いを浮かべる。
しかし……。
「ごめんなさい。今日はそんな気分じゃないの」
「そ、それは……。いや、何でもない」
何かを言おうとしたセミールだったが、すぐに思いなおすように首を振る。
どうやらこれ以上誘うのは諦めたらしい。
しかし誘いを断られたセミールの表情は落ち込んでいるというよりは、むしろどこかスッキリしているようにも見えた。
「そういえば今日は君のふてぶてしい使い魔が見えないような気がするけど、今日は彼は来ていないのかい?」
去り際に、思い出したようにセミールが呟く。
その疑問は今回の事情を知らない者からすれば当然の疑問ではあるが、アリサは少しだけ表情を曇らせる。
そんなアリサに、何かまずいことを聞いてしまったらしいと目敏く察したセミールは慌てたように言葉を続ける。
「か、彼とはちょっとした約束をしていてね。出来れば彼に『今度、君が唸るほどの美味しいランチを用意してあげるから首を長くして待っているように』と伝えておいてくれないかな?」
「どんな約束をしてるのよ……」
呆れたように呟くアリサだったが、その口の端は少しだけ上がっている。
それを見たセミールはホッと息を吐くと、これ以上余計なことは言うまいとどこかへ行ってしまった。
再び一人になってしまったアリサは小さく息を吐く。
せっかくあそこまでしてくれたのに誘いを断るなんてセミールには悪いことをしてしまっただろうかと僅かに悔やむ。
普段のアリサなら、もしかしたらセミールの誘いも受けていたかもしれない。
しかしやはり今のアリサは、どうしても誰かと踊ったりする気分ではなかった。
「……それもこれも、あの馬鹿のせいよ。どうして帰ってこないのよ」
誰にも聞こえないような小さな声で、アリサが俯きながら呟く。
握りしめた拳は小刻みに震えている。
その時、不意にアリサを影が覆った。
「そこの真っ赤なお嬢さん、よろしければ一曲踊っていただけませんか?」
馬鹿にしているのか丁寧なのか分からない言葉。
だが、その声の主をアリサは知っていた。
「……帰ってくるのが遅いのよ、ばか」
今、アリサの目の前にはずっと姿を見せなかったグランがいつものように笑みを浮かべながら立っていた。
グランはアリサの言葉に対して大袈裟なまでに不満を露にする。
「おいおい、救国の英雄に向かってなんてことを言うんだ。無礼だぞ!」
「一応、私があんたのご主人様ってことになってるんだけど?」
しかしアリサが反論すると、グランは知らぬ存ぜぬとばかりに顔を逸らして口笛を吹きだす。
まあアリサとしてもそんなことはどうでも良かったので、それ以上の追及はしない。
だがそんなアリサにも、聞いておかなければいかないことが一つだけあった。
「この一週間どこで何をしてたのよ。連絡も何もしないで」
「もしかして心配してくれてたのか?」
「そんなわけないでしょ! 私はただ使い魔に逃げられたのかと思ってただけよ!」
嘘ではない。
実際にアリサはグランの安否など一切心配していなかったのである。
「……それで、本当にどこで何をしてたのよ?」
「んー、まあ色々なところで色々なことをしてたな」
そこで話を終えようとするグランに、額に青筋を浮かばせたアリサが「続きは?」と睨む。
その目力といったら、思わずグランもたじろぐ程だ。
「お前が意識を失った後の話だろ? それなら敵の兵士たちを追い返したり、敵国に乗り込んで国王を脅したり、フェルマ国に戻って来てからは今度はこっちの国王を脅したりしてたな」
「なっ……!?」
しかし告げられた言葉に、アリサは驚愕せずにはいられなかった。
敵の兵士を追い返したというのは戦争がなくなったことを考えても頷ける。
しかし残りの二つが意味が分からない。
特にフェルマ国の国王まで脅す意味なんてアリサには皆目見当がつかなかった。
すると表情からアリサの疑問を察したのだろう。
グランが分かりやすく説明してくれる。
「現状でネクロマンサーのお前が魔王を蘇らせたということを知ってる奴は限られているからな。今の内に口止めしておいたんだよ」
「だ、だからって国王を脅したりする……?」
常識外れな行動に、アリサは思わずこめかみを押さえる。
しかしグランは加えて言う。
「あ、でも魔王が蘇ったっていうこと自体はもう色んな国に広まってると思うぞ?」
「な、何でよ!?」
「俺が敵兵を追い返す時に魔王宣言したから」
「ま、まお……っ!?」
あまりにあっさりと言ってのけるグランに、アリサは叫びそうになる。
しかし舞踏会の真っ最中であることを間一髪のところで思い出し、何とか堪える。
「安心しろ。敵兵に俺たちの姿ははっきりとは見えてないし、俺が魔王で、お前がその魔王を蘇らせたことを知ってる奴にはちゃんと口止めしておいたから」
「う……」
そこでようやくアリサは、グランが敵国だけでなくフェルマ国の国王まで脅した理由を正確に理解することが出来た。
もし、単身で戦争を止めてしまえるようなグラン本人か、そんな魔王を蘇らせてしまったアリサのことが他国に知られれば、まともな日常生活を送ることも難しくなるだろう。
少なくともグランは今回それだけの価値があることをやってのけたのだ。
そしてそのことを自分でも十分に理解していたからこそ、脅しという手段を用いてまで自分たちの存在が知られないように口止めしたのである。
ただ、それと同時にアリサには一つの疑問が生まれた。
「もしグランが魔王だってことが広まったとして、あんた一人ならどうとでも出来たんじゃないの?」
グランの言葉が真実だったとして、それならどうしてアリサのもとへ戻ってきたのか。
その必要性がアリサには微塵も感じられなかった。
グランだけなら、まず間違いなく危険な目に遭うということはないはずだ。
仮に各国から兵を向けられたところで容易く追い返すことが出来るだろう。
だが今回グランは一人でどこか行ってしまうのではなく、わざわざ国王を脅してまで戻ってきてくれた。
そしてその行動の全てが他の誰でもない、アリサのためであるということはわざわざ本人に聞くまでもない。
「……あんたなら、一人でどこか遠くに行った方が良かったんじゃないの?」
普通に考えれば、絶対にそっちの方が良いに決まっている。
それなのに一体どうして自分のもとに戻ってきてくれたのか、アリサには全く以て分からなかった。
するとグランは僅かに逡巡するような素振りを見せた後で、その理由を告げる。
「ジャルベドには高いワインを奢ってもらう約束をしてるし、お前の友人にもワインの報酬付きで頼まれたりしたからなぁ」
そ、そんな理由で――と言葉を挟もうとするアリサを、グランが手で制す。
そして「あと、これが最大の理由なんだが……」と前置きしたかと思うと、唐突に片膝をつく。
「今夜、ご主人様と踊るために」
そう言いながらグランは恭しく手を差し出してくる。
いつもとは違って低い場所から見上げてくるグランの表情には、いつも通りの笑みがありありと浮かんでいる。
それを見ればグランの言葉が冗談かどうかはすぐに分かったが、何となくアリサはそれ以上、言及する気はなくなってしまった。
ただ一つ大きなため息を吐き、苦笑いを浮かべる。
そんなアリサの手がゆっくりとグランの手に重ねられようとした時――。
「あ、グランだ」
「グ、グランさん!」
さっきまで確かに離れた場所にいたはずの二人が、グランの姿を見つけて駆け寄ってくる。
「グラン、どこ行ってたの?」
「全然お姿が見えないので心配していたんですよ!」
二人に話しかけられるグランは、既に差し出していた手を引っ込めている。
それからしばらく質問攻めにあっていたグランだったが、不意にリリィが思い出したように呟く。
「グラン、よかったらわたしと踊らない? こういうのやったことなかったから、前から一度はやってみたかった」
何でもないように言うリリィだが、その声のトーンが普段より幾分か高いことを他の二人は見逃さなかった。
「う、嘘をついてはダメですよ! リリィちゃん、さっきまでダンスなんて興味なさそうに料理ばかり食べていたじゃないですか!」
「そ、そうなのか?」
いつもはお淑やかなミラが興奮ぎみに言うので、思わずグランもたじろぐ。
しかし指摘されたリリィは涼しい顔で首を横に振る。
「そんなことはない。ドレスを着てダンスをするのが昔からの夢だった」
「そ、そうか。それじゃあ一曲踊ってみるか」
「ず、ずるいです! それなら私だってグランさんと踊りたいです!」
「ミラは異性が苦手だったはず。そしてグランは女じゃない」
「そ、そんなことは分かってます! でもグランさんは大丈夫なんですー!」
ミラとリリィは今、どちらが先にグランと踊るかという話題で白熱している。
そんな二人にどこか置いてけぼりを食らったような感じになってしまったアリサが「グ、グランは私の使い魔なんだから、優先権が誰にあるかなんて考えるまでもないでしょ!」と慌てて参戦するのだが、ミラたち二人に当然のように却下されたのはもはや言うまでもないだろう。
今回で『新米ネクロマンサー、魔王を蘇生する。』第一章【魔王の帰還】が完結ということになりますが、ここまで読んでくださった方に感謝を申し上げます。
第二章に関しましては構成を練りつつ、出来上がり次第、投稿を再開する予定です。
また、書籍化も決定しておりますので、そちらにつきましてもいずれ詳しくご報告できればと思います。
もしここまでの内容で「面白かった」「続きが読みたい」と思っていただけましたら、ブクマや画面下部から評価などをしていただけると作者の励みになりますので、よろしくお願いします。
では、また二章でお会いできることを心より楽しみにしております。