第十四話:使者としての責任
「ほ、本当に行っちゃうんですか……? な、何もアリサちゃんが行かなくても……」
「確かにそれはそうなのかもしれないけど、私は今の自分に出来ることをやらなかったら後悔すると思うから」
それでも心配そうな表情を浮かべるミラに、アリサは苦笑いを浮かべる。
しかしミラが心配するのも無理はない。
なぜならアリサは今、使者の一人としてウェスカ国へ赴くことになっているのだ。
ルルアナからの妥協案として今回の作戦に加わることになったアリサだが、アシュレイ家の名はいくら他国といえど大きな影響力があるだろう。
使者としては半人前以下だが、その役割はそれなりに大きかった。
今回、どういう目的でウェスカ国に使者を送るのかについてだが、それはジスタニア国との戦いに対する協力を求めるためだ。
フェルマ国を挟んで均衡を保っていた両国だが、その均衡が崩れたということはジスタニア国側は既に戦う準備が整っているということに他ならない。
もしフェルマ国が敗北すれば、大国同士の戦争はもはや避けられない。
それはウェスカ国とて理解しているだろう。
しかしもしウェスカ国がジスタニア国と戦うだけの準備が出来ていないとなると、フェルマ国の敗北は看過することは出来ないはずだ。
つまり今回の使者団は、その可能性に賭けたものということになる。
危険なことはもちろんアリサも承知している。
しかし、任された以上は何としてでもやり遂げようと心に決めていた。
因みに、今回のアリサの行動についてはジャルベドも知っている。
学園に直談判しに来たことも含めて、使者を任せたという旨をルルアナが報告したのである。
普段のアリサに対する溺愛っぷりから想像できる通り、当然その日の夜は荒れた。
というのも、何とかアリサに考えを改めようとするジャルベドと、頑固として使者団に参加する意思を変えようとしないアリサとで大喧嘩になったのだ。
一時間にも及ぶ口論の末、グランの仲裁のお陰でジャルベドも渋々了承したのだった。
しかし、めんどくさそうだと言いながらも、あの時グランが仲裁してくれていなければ、まず間違いなく口論はまだまだ続いていただろうことを想像すると、アリサは思わず顔を顰めた。
「何だ、今から緊張でもしてるのか?」
「う、うっさいわね!」
すると、グランがいつもの如くからかってくる。
これから重大な任務を任されているというのに、その不遜な笑みは相変わらずだ。
そんなグランの表情を見て、アリサはふと学園長とのやり取りを思い出す。
『失敗は許さない、と言うべきなのでしょうね』
『実際に許されないのでは……?』
『確かにそうかもしれません。でも私はそれ以上に学園長として、あなたが無事に帰ってくることを祈っています』
そう言われた時、アリサは少なからず胸が熱くなった。
尊敬する学園長からそんなことを言われる日が来ようとは、夢にも思っていなかったのである。
しかしアリサはその時、自分がどんな表情を浮かべていたのかよく覚えていない。
だが、何となく誰かさんのような不敵な笑みを浮かべていたのではないか、と思っている。
『……たぶんそれは大丈夫だと思います。私の使い魔は、何でも世界最強らしいので』
『それは……期待できそうですね』
その時のルルアナの驚いたような表情を思い浮かべながら、グランを見る。
どこか緊張した面持ちの他の使者たちに対して、一人で暢気に鼻歌を歌っているグランは一体どんな神経をしているのか、今でもよく不思議に思う。
しかし最近では意外に自分も看過され始めているのかもしれないと思うと、アリサは再び顔を顰めた。
そんなアリサを横目に、傍にいたリリィが不意にグランの服の袖を引っ張る。
「お、どうした? もしかしてお前も心配してくれるのか?」
笑みを浮かべながら言うグランに、リリィは首を振る。
「グランのことは、心配してない。強いから」
そう言うリリィは、少しだけ顔を俯ける。
「……アリサを守ってあげて。わたしはまだ、力になれないから」
未だに魔物を一匹も使役していないリリィは、魔物使いとして何かが出来るわけではない。
顔を俯けたのは、本人もそれが分かっていたからだろう。
「ワインも貰ったからな。任せろ」
そんなリリィの頭をごしごし撫でると、グランはニッと笑う。
それを見てリリィも釣られて僅かに口の端を吊り上げた。
「何してるのグラン! そろそろ私たちも準備しないと置いていかれちゃうわよ」
するとアリサがグランを急かす。
周りを見れば、確かに他の使者たちが馬車に乗り込んだり、馬に跨ったりしている。
因みにアリサは馬車ではなく馬に跨る方だ。
といっても本人は馬には乗れず、グランに頼らなければいけないのだが。
急かすアリサを適当にあしらいながら、グランはアリサと共に馬に跨る。
どうやら二人の準備ができるのが最後だったらしく、それと同時に門が開かれる。
ミラやリリィたちに見送られながら、アリサたち使者団は夕暮れと共に出発した。
◇ ◇
「もうすぐ国境だ! みんな疲れているとは思うが、あと少し頑張ってくれ!」
アリサたち使者団は意外にも、かなり順調なペースでウェスカ国へ近付いていた。
この調子でいけば一時間とかからずにウェスカ国との国境に辿り着くことが出来る。
しかし、全員が胸の中でそんな期待を抱いていた矢先――。
「あれは何だ……?」
前方にかなりの数の影がいることに気付いた使者たちは訝しげに馬の脚を止めさせる。
しかもよく見れば、その無数の影はどうやら使者たちの方へ迫ってきているらしいことが分かった。
「お、おい、まさかあれって……」
そんな影をジッと見ていた使者の内の一人がぽつりと呟く。
――――ジスタニア国の兵士じゃないか、と。
その言葉に周りの使者たちは、近付いて来る影をジッと見つめる。
そして月明りに照らされて次第に明らかになる影の正体に、使者たちは息を呑んだ。
「ま、間違いない。ジスタニア国の兵士だ……!」
兵士たちの纏う甲冑に印された紋章は、大国ジスタニアの国章に間違いなかった。
「い、一体どうしてジスタニア国の兵士がこんなところに!?」
「……恐らくだが、我々の存在を予想していたのだろう」
フェルマ国に大国ジスタニアと戦えるだけの国力がないことは周知の事実。
そしてそんなフェルマ国が一番最初に協力を求めるのかということは、容易に想像できる。
だからジスタニア国は先回りして、いずれ来るだろう使者たちを待ち伏せしていたのだ。
「……さすがにあの兵士たちを躱して国境を抜けるのは不可能だろう。かと言って、フェルマ国まで逃げ帰れるかどうかも怪しい」
使者たちは絶望の表情を浮かべながら、迫りくる数百にも及びそうな敵軍の兵士たちを見つめる。
どう考えても、十人に満たない使者団たちでは太刀打ちできる相手ではない。
全滅――全員の頭にその言葉が浮かんだ時、異を唱える者が一人いた。
「私が殿を務めます。その間に、皆さんはフェルマ国に向かってください」
「な……っ!?」
その言葉に、驚愕の表情を浮かべる使者たち。
何故なら、その言葉を告げたのは年端も行かない学園の生徒、アリサだったのである。
「な、何を言ってるんだ! 常識的に考えても、殿を務めるのは大人の仕事だ!」
「……それはたった数人で数百の兵士たちに時間稼ぎを出来る、ということでしょうか」
「そ、それは……」
アリサの発言に、使者たちは言葉に詰まる。
確かに、使者たちの中には十倍以上の戦力差を前にして時間稼ぎを務められるような実力者はいなかった。
「し、しかしそれは君だって同じことじゃないか」
尤もな意見に周りの使者たちも頷くが、アリサは首を横に振る。
「私はネクロマンサーとして、数百体のアンデッドを使役することができます」
「……!」
その言葉に、使者たちは目を見開く。
これまで絶望的な未来しか見えない状況で、初めて希望が見えたような気がしたのだ。
しかし使者たちの胸中には相変わらず、子供にそんなことを任せても良いのだろうかという思いが渦巻いていた。
そんな使者たちの思いを察したのだろう、アリサが一段と強い意志のこもった真っ赤な瞳を彼らへと向ける。
「今、一番避けなくてはならないのは全滅です。一人でも今回の任務が失敗したという旨を伝えられなければ、フェルマ国の人々は、私たちの吉報を無意味に待つことになってしまいます」
そしてアリサは一つ息を吐いた後、静かに告げる。
「私たちは今、私たちに出来ることをやるべきです」
「……っ!」
アリサの言葉に、使者たちの表情が引き締まる。
そしてすぐにお互いに顔を見合わせて、何かを決心したように頷き合う。
「君に殿を任せる。心苦しいが、どうやらそれが今の私たちに出来ることらしい」
使者たちはそれだけを言うと、必要最低限以外のものを放り出し、今来た道を戻っていった。
何とか使者たちを説得できたアリサはホッと息を吐くと、すぐに真剣な面持ちで迫りくる敵に視線を向ける。
ジスタニア国の兵士、その数は見えるだけでも数百は優に超えている。
つい今しがたあれだけの啖呵を切ったアリサだが、これが初陣、しかも殿ともなれば物怖じしないわけがなかった。
手は震えており、気を抜けば逃げ出してしまいそうになる。
それでもここで役目を果たさなければ、フェルマ国に未来はない。
アリサはその責任感だけを頼りに、今この場に立っていた。
「ふんふふーっん」
するとその時、明らかに場の雰囲気に合わない鼻歌が響く。
「……ちょっとは緊張感とかないわけ?」
思わずアリサがジト目で振り返る。
そこには暢気にも楽しそうに鼻歌を奏でるグランがいた。
鼻歌を邪魔されたことに僅かに顔を顰めるグランだったが、すぐに何かを思い出したようにアリサに尋ねる。
「そういえば、いつの間にアンデッド数百体なんて使役できるようになったんだ?」
「う、うっさいわね! そんなことどうでもいいでしょ!」
グランの質問に、途端に顔を真っ赤にしながらアリサが顔を背ける。
というのも、アリサが使役できるのはせいぜい百匹が限界。
それでも先ほど数百体と言ったのは、殿を任せてもらいたい一心でアリサが誇張したに過ぎない。
「そ、それよりも殿を任されたんだから、あんたも協力しなさいよね!」
「えー、殿とか地味な役目は正直あまり気乗りしないんだが……」
「な、何言ってるのよ!? いつもあんだけ世界最強とか豪語してるんだから、これくらい何とかしなさいよ!」
その力を少なからずあてにしていたアリサは、グランの態度に慌てる。
しかしグランはそんなアリサを手で制す。
「まあ落ち着けって。殿くらいなら俺に頼らなくても、お前のネクロマンサーとしての力だけでどうにか出来る」
「そ、そうなの?」
グランの言葉が信じられないと不安げに呟くアリサに、グランは頷く。
「そのために使い魔を百体も集めたんだろ? それにもし厳しそうだったら、その時は俺が手を貸してやるから安心しろ」
「うっ……。わ、分かったわよ。やればいいんでしょ!」
それでようやく覚悟を決めたのかアリサがやけくそ気味に叫ぶと、迫りくる数百の敵との間に約百体のアンデッドを召喚した。
「……お前な、時間稼ぎが目的だって言ってるのに、どうして百体のアンデッドたちを一列に並べるんだよ。馬鹿なのか?」
「う、うるさいわね。私だって反省してるんだから良いじゃない」
「良いわけあるか馬鹿。俺がいなかったら、お前いまごろは殿の役目もろくに務まらないまま、あの世行きだったんだぞ?」
「うっ……。わ、悪かったわよ……」
今、二人は先ほどの場所から少し離れたところにある茂みの中で姿を隠していた。
つい数分前、アリサが満を持してアンデッドを召喚したわけだが、横に一列に並べて敵に向かおうとした時はさすがのグランも目を見開いた。
慌てて指示して何とか態勢を整えたものの、あと少し指示が遅ければ一瞬で百体のアンデッドの壁が破られていたのは間違いないだろう。
「ジ、ジスタニア国の兵士たちはどうなったの?」
「さすがにもう追いつけないと判断して、そのまま帰っていったみたいだな」
「そ、それじゃあ一応の役目は果たせたのね」
あわや失敗しかけたが、何とか殿としての役目を果たせたアリサはホッと息を吐く。
しかしすぐに真剣な表情を浮かべると、グランに声をかける。
「……ねえ、今からでも使者としてウェスカ国に行くべきじゃないかしら」
するとグランは呆れたような声で「はぁ?」と首を傾げる。
「もしかしたらさっきの奴らの仲間がいるかもしれないし、運良く国境までたどり着けたとして、たった一人の使者なんて門前払いされるだけだ」
グランの言うことは尤もだとアリサも思う。
「でも、このままじゃ皆が……」
ジスタニア国との戦いは、いつ始まってもおかしくない。
もしかしたら既にこの時も戦いを始めているのかもしれない。
戦いが始まれば、戦力差から考えてもフェルマ国は長くは持たないだろう。
そうなればフェルマ国の人たちがどうなってしまうのか、出来ればあまり想像したくなかった。
アリサが今にも泣きそうな表情で顔を俯けていると、グランが大きなため息をこぼしながら「仕方ないな」と呟く。
「ジャルには無事に事が済んだら一番高いワインを飲ませてもらう約束をしてるし、お前とあの二人にはワインも貰ったんだよな。少しくらいは恩を返しておいても損はないのかもしれないな」
「……っ!」
期待の眼差しと共に顔をあげるアリサに、グランが頷く。
「そ、それじゃあウェスカ国まで一緒に行ってくれるのね!」
グランとなら無事にウェスカ国までたどり着き、協力の約束を取り付けることが出来るかもしれない。
そんな期待に胸を膨らませていたアリサだったが、どういうわけかグランはその首を横に振った。
「俺がいるんだぞ? 今更そんなところの協力なんているかよ」
「な、何を言って……」
意味の分からないことを言うグランに、アリサは呆然と呟く。
しかし当の本人は、アリサの反応を面白がるように不敵な笑みを浮かべて言った。
「それじゃあ――――戦争を潰しに行くとするか」