第十三話:ネクロマンサーの素質
アシュレイ家のリビング。
アリサとグランは今そこで、二人で夕食をとっていた。
いつもなら一緒に食べているはずのジャルベドだが、今日はその姿はない。
何でも王城で緊急会議が開かれるらしく、ジャルベドはアシュレイ家の当主として招集されているのだ。
何の緊急会議なのかは言わずもがな、ジスタニア国からの”宣戦布告”についてである。
光魔法を駆使した大々的な宣戦布告の後、王都は大混乱に包まれた。
けたたましい喧騒と、パニックになる人々。
そしてそれは、アリサたちのいた商店街も例外ではなかった。
休日と言うことで人もかなり多かったことが災いし、あわやアリサたちも押し寄せる人の波に押しつぶされそうになった。
だがグランが事前に人の少ない場所へ移動させていたお陰で、何とか事なきを得た。
その後、一緒にいた他の二人をグランが家まで送り届けたのがつい数刻前の話である。
「それにしても、まさかこのタイミングでジスタニア国が宣戦布告をしてくるとはな」
それはアリサも同感だ。
そもそも大国ジスタニアからすれば、ここフェルマ国など弱小国家に他ならない。
それなのにこれまでどうしてフェルマ国が兵を向けられなかったのか。
その背景には、一つの国の存在が大きい。
大国ジスタニアからちょうどフェルマ国を挟んだところに位置するウェスカ国は、ジスタニア国にも劣らない強大国である。
そしてその二国は長年、冷戦状態にあり、互いに攻め入る機会を窺っていた。
もしどちらかの国がフェルマ国に攻め入れば、その僅かに疲弊した隙を、もう片方の国に攻められることは可能性としても十分に考えられた。
つまり二つの国の均衡によって、フェルマ国はこれまで存続することが出来ていたのである。
そして今回ついにその均衡が崩れた、ということなのだろう。
「ま、明らかに戦力差がある大国に攻め込まれるんだ。普通に考えれば、今夜にでも荷物をまとめておいた方がいいんじゃないか?」
グランの言うことは尤もだ。
実際に、そうする人たちは少なからずいるだろう。
大国ジスタニアの国力を知っている者ならば、むしろそうして当然とさえ思える。
しかし、アリサは首を振った。
「私は貴族の娘よ。家名に泥を塗るようなことは出来ないし、何より私がしたくない」
きっぱりと自分の意思を伝えるアリサに、グランは一瞬だけ驚いたような反応を見せる。
だがアリサはそのことを気に掛けるでもなく、ふいに質問を投げかける。
「今の私なら、どれくらいのアンデッドと契約できる?」
「……どうしてこんな時にそんなことが知りたいんだ?」
少しの沈黙の後、グランが僅かに目を細めて聞き返す。
するとアリサは間髪入れずに、真剣な面持ちで答えた。
「こんな時だからこそ出来ることをやりたいの」
ジッとグランを見つめるアリサは、その視線を逸らさない。
「……最近は魔力量の特訓も頑張ってるみたいだし、今なら百体前後は使役できるはずだ。もちろんそうは言っても、下級の魔物で数だけ揃えた場合の話だけどな」
アリサの揺らがない強い意思を感じたグランはそれ以上何か言うこともなく、質問に答える。
そして次にアリサが何か反応を示す前に、一つの提案をする。
「明日、俺が魔物の死体を集めてきてやる。もちろん百体分。お前はそれと契約すればいい」
「えっ……」
グランの言葉にアリサが目を見開く。
何せ、その提案はまさにアリサが望むところのものだったからだ。
まさかそれをグラン自ら立候補してくれるとは思ってもいなかったのである。
アリサからすれば願ったり叶ったりの状況だ。
しかし、そんなアリサの表情はどこか暗い。
「わ、私だってあんたがそうしてくれるなら助かる。でも、他のネクロマンサーたちが苦労してるだろうことを、私だけが楽していいのかなって」
「……はぁ?」
申し訳なさそうに言うアリサだったが、対するグランはこれまでとは打って変わって呆れたような声をあげる。
そして一つ大きなため息を吐いたかと思うと、「あのなぁ」と言葉を続ける。
「お前が何を勘違いしているのかは知らんが、ネクロマンサーっていうのは使い魔をこき使ってなんぼだ。というかそれ以外には能が無いと考えた方がまだ分かりやすい」
「そ、そんなことは……」
「じゃあ聞くが、お前は自分の使い魔たちと一緒に敵に突っ込むのが仕事なのか? 違うだろ? あくまでどれだけアンデッドたちを使役できるか、それがネクロマンサーにとっての最大の課題だったはずだ」
グランは珍しく真剣な様子で、熱心な説明をする。
「仮とはいえ俺は今、お前の使い魔だ。俺が命令を断るならまだしも、主であるお前が命令するのを憚る必要はない。むしろそんな考え方をする奴がいたら、そいつはまず間違いなくネクロマンサーとしての成長は見込めないな」
「そ、それは……」
グランの正論にぐうの音も出ないアリサは黙って俯くことしか出来ない。
そんなアリサに、グランは最後に言う。
「お前はただ、お前が望むままに俺を使えばいい。俺の気分さえ良ければ、何だってしてやる」
「っ……!」
その言葉を聞いたアリサはびくっと肩を揺らす。
そして、それからしばらく何かを考えるように目を閉じたかと思うと、まるで何かを切り替えるように大きく息を吐く。
次の瞬間、再び開かれた真っ赤な瞳には先ほどまでの迷いは一切見えない。
「明日、魔物の死体を出来るだけたくさん集めてちょうだい」
「了解だ、ご主人様」
待ってましたと言わんばかりの表情で、グランはその命令に頷いた。
◇ ◇
宣戦布告から一夜明けた次の日。
生徒たちの事情も考慮して学園は無期限の休校という措置をとった。
しかし、来ても意味がないはずの学園にやって来た生徒が一人いた。
アシュレイ家が末女、アリサ=レド=アシュレイである。
アリサは誰もいない校舎の中を、脇目も振らずに目的の場所へと向かう。
そして一つの扉の前で立ち止まった。
「はい、どうぞ」
アリサが扉をノックすると、部屋の中から若い女の声が聞こえてくる。
どこか緊張した面持ちで、アリサはその扉を開ける。
「おはようございます、学園長」
今、アリサの前には学園長を務めるルルアナが相変わらずの書類作業に追われていた。
「……今日はあなたですか」
アリサの姿を見るなり、嫌なことでも思い出したようにこめかみを押さえるルルアナ。
何の事情も知らないアリサは首を傾げるが、今日やって来た理由を思い出すと慌てて首を振った。
「学園長。不躾ではありますが、一つお願いしたいことがあります。……わ、私を軍に入れてください!」
「…………」
そこでルルアナは初めて書類作業をしていた手を止める。
そして僅かに細められた目でアリサを見る。
「軍に入りたいとは一体どういうことでしょうか」
「ジ、ジスタニア国との戦いはフェルマ国が一丸となって戦わなければいけません。私も微力ではありますが軍に参加させていただきたいのです!」
実際問題、大国ジスタニアとフェルマ国では戦力の差はかなりあると予想できる。
それなら現在フェルマ国としては、それこそ猫の手も借りたいという思いだろう。
そして、軍に参加させてもらえるように口添えをしてくれる人を考えた時、アリサの頭に浮かんだのは歴戦の英雄として名高いルルアナだった。
だからアリサは今日グランが魔物の死体を集めてくれている間に、自分にできることをしようと思い、一人でここまでやって来たのである。
「アリサさんの軍参加を認めるわけにはいきません」
「なっ……!?」
しかし、ルルアナの言葉はアリサが予想だにしなかったものだった。
まさか断られるとは思ってなかったアリサは目を見開く。
「ど、どうしてですか!?」
アリサは普段のルルアナに対する敬意も忘れて、思わず声を大きくする。
だが今のフェルマ国の危機的状況を考えれば、アリサの慌てようは分からなくもない。
しかしそれでもルルアナは今の言葉を撤回するつもりは全くないようだ。
「まず初めに確認させていただきたいのですが、アリサさんは自分が軍に参加したい、その旨を私に頼みにくるということをご家族の誰かに伝えましたか? また、その了承を得ましたか?」
「そ、それは……」
ルルアナの言う通り、アリサは今回のことを誰にも言わずにやって来た。
遠征中の姉二人は仕方ないとはいえ、ジャルベドにも伝えていないのには理由がある。
もしアリサが軍に参加したいなどと言えば、ジャルベドはまず間違いなく反対するだろう。
それでも参加しようとすれば強硬な手を使ってでも止めようとしてくる可能性は十分にある。
だからアリサは、ジャルベドが会議で家に帰ってこない隙に、学園長に軍の参加を頼みに来たのだ。
「……やはり誰にも伝えていないようですね。であればやはり、アリサさんを軍に参加させることは出来ません」
「わ、私は自分の意思でここまで来ました! 親の許可だとか、そんなのは関係ありません!」
「関係なくはないでしょう。アリサさんは《レド》の称号を持つアシュレイ家の一人なんですよ? アシュレイ家にとって大事なご令嬢を何の理由もなしに軍に参加させるわけにはいきません」
断固として軍に参加させまいという姿勢をとるルルアナに、アリサは下唇を噛む。
「……確かに私はアシュレイ家の一員です。でも本当の意味でアシュレイ家の名に相応しいのは、優秀な姉二人。間違っても”落ちこぼれ”の私ではありません」
「だから自分を軍に参加させても問題はない、ということでしょうか?」
ルルアナの言葉にアリサが頷く。
するとルルアナは僅かな逡巡の末に、再びアリサに質問を投げかける。
「それでは一つ聞きますが、アリサさんはどうしてそこまで軍に参加したいのですか?」
「そ、それは当然、危機的状況に瀕する祖国のためです」
真剣な面持ちでアリサが答える。
しかしルルアナはその答えに僅かに目を細める。
「本当に”祖国のため”なんでしょうか?」
「そ、それはどういう……」
「アリサさんは今回の戦いで何かしらの戦功を立てようと考えているのではないですか? 少しでも優秀な姉二人に追いつけるように」
「っ……!」
ルルアナの言葉に目を見開くアリサ。
少なくともアリサは本気で祖国のために戦いたいと思っていた。
しかしそう言われて、自分でも気付いていなかった本心を喉元に突きつけられたような気がした。
だが仮にルルアナの言う通りだったとして、それでアリサの決心が無かったことになるわけではない。
相変わらずの強い意志のこもった瞳で、ルルアナを見つめる。
そんなアリサの意思を察したのだろう。
ルルアナが微かに声を低くして言った。
「確かに、戦場では戦功を立てることが出来ます。しかしそれ以上に、戦場とは人が死ぬ場所です」
「っ……」
歴戦の英雄として名高いルルアナが言うような台詞ではない。
そう思う者も少なくはないだろう。
しかし歴戦の英雄だからこそ感じてきた戦場の雰囲気を、アリサは少なからず感じ取っていた。
思わず言葉に詰まり、ごくりと喉を鳴らす。
「それに今回のジスタニアとの戦いですが、戦力差だけで考えても、フェルマ国の勝利は万に一つもありません」
「なっ……!?」
だが、さすがのアリサもその発言は看過することが出来なかった。
それは断じて学園長であるルルアナが吐いていい台詞ではないはずだ。
もしルルアナがそんなことを言っていたという噂が広まれば、国中があっという間にパニックに陥るだろう。
しかしそれでもアリサは、にわかにはルルアナの言葉を信じることが出来なかった。
いや、現実的に考えて、ルルアナの言葉が正しいことは分かっている。
だが突然告げられた敗北という二文字が、これまで平穏な暮らしをしてきたアリサにとってはあまりに非現実なものだったのだ。
「が、学園長は、戦いには参加しないんですか……?」
「もちろんしますよ、国からの要請もありますからね。でも国同士の戦いというのは、個人の力でどうにか出来る範囲を遥かに超えています。個は軍に敵わないのです。……いえ、敵ってはいけないのです」
静かに告げるルルアナの瞳は暗い。
すぐそこにまで迫りくる死地をひしひしと感じているのだろう。
「私は学園長として、この学園の生徒を守る義務があるのです。もちろんそこにはアリサさん、あなたも含まれています。未来ある生徒を、敗北の待つ戦場へと連れていくわけにはいきません」
「そ、それは……」
一歩間違えば暴動になりかねない情報を教えてまで軍への参加を止めようとしてくるルルアナに、アリサは思わず言葉に詰まる。
正直、そこまでの覚悟はアリサにもまだ出来ていなかった。
しかし、このまま自分の国が他国に侵されていくのを、アリサは黙って見過ごすわけにはいかない。
何か一つでも自分に出来ることがあるのなら、喜んでそれをやるつもりだった。
するとそんなアリサの意思を察したのか、ルルアナが小さくため息を吐く。
「……仕方ありません。それでは一つだけアリサさんにお願いしたいことがあります。よろしいですか?」
観念したように呟くルルアナとは対照的に、アリサはその言葉に勢いよく頷いた。