第十二話:ワインの行方
「と、とりあえず全員一本ずつは買えたわね」
「は、はい!」
「……疲れた」
何とか目的を果たすことができた三人は今、店を出て、近くの喫茶店で一休みしていた。
三人が囲む丸いテーブルの上には、それぞれが買ったワインボトルが置かれている。
「それにしてもミラはまた随分と奮発したわね……」
アリサはミラの前に置かれたワインボトルを見ながら呟く。
というのも、アリサとリリィが手頃なワインを選ぶ中で、唯一ミラだけは驚くような値段のワインを購入していたのである。
ちらっと値札を見た限りでも、アリサたちの買ったワインを何十本も買えるような代物だった。
そのお陰か、忙しそうにしていた店主も途端に愛想が良くなり、プレゼントだと伝えると嬉々として包装してくれた。
「そ、そうですか? よく分からなかったので、適当に目に入ったやつを選んだんですが……」
しかし本人はそんなに高いという認識はなかったのか、首を傾げながら言う。
確かにミラの家はアシュレイ家とも並ぶような大貴族だ。
そこの一人娘であるミラに一般的な金銭感覚を求めることのほうが酷な話なのかもしれない。
「ま、まあグランはそのほうが喜ぶだろうし、私は別に構わないんだけど……」
アリサはそう言うと、注文したアイスティーに口をつける。
するとこれまでずっと無言で自分の頼んだフルーツジュースを飲んでいたリリィが思い出したように静かに呟く。
「そういえば、これどうやって渡すの」
「…………」
その言葉に、飲み物に口をつけていた二人の動きが固まる。
言われてみれば確かにこれをどう渡すつもりなのかということについて、これまで全く考えていなかった。
家に帰ればグランに会えるだろうアリサについては特に心配する必要はないだろう。
しかし問題はアリサ以外の二人である。
二人のグランとの唯一の接点といえば、学園くらいだろうか。
だが買うのは問題なかったとはいえ、学園にお酒を持ち込むというのはいくら何でもまずいだろう。
前例こそないが、見つかれば没収されたとしても文句は言えない。
だとすれば現状での唯一の方法として考えられるのは、とりあえずアリサに渡してからグランに届けてもらうという方法くらいのものだが……。
「できれば自分で渡したい」
全員の頭の中にその方法が浮かんだ時、リリィがぽつりと呟く。
表情はほとんど変わらないが、その視線は目の前のワインボトルに注がれている。
「わ、私もできれば自分でちゃんとお礼を伝えたいです」
するとリリィの意見に、ミラも同調する。
どちらにせよプレゼントを買った張本人にそう言われれば、アリサとしても止めることは出来ない。
しかし、それぞれでプレゼントを渡したいというのであれば、グランにいつ渡すのかという問題は相変わらず残っている。
三人は必死に知恵を絞ろうとうんうん唸るが、やはりそう簡単に解決できるような問題ではないようで、一向に良い案は浮かばない。
できれば自分で渡したい、と言っていた二人もやっぱりアリサからグランに渡してもらうしかないのだろうか……と諦めかけていたその時。
「あ、コーヒーよろしく」
この場にいるはずのない人物の声がすぐ近くから聞こえてきた。
「グ、グランっ!?」
そこにはいつの間に現れたのか、朝から用事があると言って出掛けて行ったグランが、三人の囲むテーブルの余っている席に「最初からいましたけど?」と言わんばかりの我が物顔で座っていた。
三人が驚き目を見開く間にも、グランは頼んだコーヒーを店員から受け取り、あまつさえ満足げに飲んでいる。
「ん? どうしたんだお前ら。そんな揃いも揃って間抜けな顔して」
「ど、どうしてあんたがここにいるのよ!用事があるって言ってたじゃない!」
なんとかいち早く我に返ったアリサが、三人の代表として聞く。
するとグランは何やら小さくため息をこぼしながら答える。
「用事はもう終わったんだよ。いやぁ、本当に面倒な用事だった……」
面倒な用事とは何だろうとも思ったが、グランのことを考えればどんな用事でも「めんどくさい」の一言で済ませてしまいそうだ。
それにグランが素直に教えてくれる可能性も高くはないだろうに、わざわざ聞く必要もないだろうとアリサは判断する。
「それで用事が終わったからって、どうしてここにいるのかは謎なんだけど。というかそもそもいつの間に来たのよ」
「いや、俺も別にここに来るつもりはなかったぞ。疲れたし、帰って昼間から爆睡してやろうと思っていたんだが、帰る途中でお前たちが喫茶店なんかにいるのが見えてな」
「それでそのまま寄ったってわけ?」
「因みに今、金持ってないから勘定はよろしくな、ご主人様」
「つ、都合がいい時ばっかり、ご主人様呼ばわりして……。まあ別にそれくらいなら構わないけど」
文句を言う気も失せるくらい呆れてしまったのか、意外にもアリサは文句も言わずに了承する。
するとこれまでアリサの質問に答えていたグランが今度は質問する。
「それで、こんなところで三人は何をしてたんだ? アリサとミラはてっきり魔力量を増やす特訓をしてるのかと思ってたんだが」
「そ、それは……」
確かにアリサは当初、久しぶりの休日を特訓のために費やすと予定だった。
だがミラの提案によってグランへの日々のお礼も込めたプレゼントを選びにきたのである。
しかし、果たしてそれらの事情をグランに伝えていいものか。
それでは当然、プレゼントのこともバレてしまう。
だが、アリサがそんな風に頭を悩ませている隙に、フライングをする者が一人。
「あ、あの……これ、今まで色々とお世話になったことへのお礼なんですが、もしよろしければ受け取っていただけませんか……?」
どこか緊張した様子のミラが、プレゼント用に包装されたワインボトルをグランへと差し出す。
グランは首を傾げながら受け取るが、それがワインボトルだと気づいた途端に目を爛々と輝かせる。
「こ、これ本当に俺が貰っていいのかっ?」
「は、はい。日頃の感謝の気持ちですから」
ミラの言葉を聞いたグランは感極まったようにワインボトルを掲げる。
そんなグランの大げさとも思えるような反応に、少なくとも喜んでもらえたことは間違いないだろうとミラも表情を綻ばせる。
だが、他の二人がじとーっと冷たい視線を向けていることに気付くと慌てて咳払いを一つして目を逸らす。
すると先陣きったミラに感化され覚悟を決めたのか、今度はリリィが静かにワインボトルを手に握る。
「ね、ねえグラン。これ、そんなに良いワインじゃないけど、貰ってくれる……?」
そう言うリリィの声は、いつもより僅かに固く感じる。
きっと慣れないことをして緊張しているのだろう、と友人二人は微笑ましいものを見るような目でリリィを見つめる。
対するグランだが、突然その顔をリリィの耳元へ近付ける。
そしてリリィにだけ聞こえるような声でぼそっと……。
「ここだけの話、実は俺……味音痴なんだ」
意外な告白に目を見開いて驚くリリィに、グランはニッと笑いかける。
釣られてリリィもその口元を僅かに綻ばせた。
二人のやりとりが聞こえない外野の二人は、リリィがそんな表情を浮かべていることに驚きを隠せない。
しかし当の本人は無事にワインを渡せて、更に喜んでもらえた、と満足げに頷いている。
それから少しして目的を達した二人は、未だに渡せていないもう一人に視線を向ける。
アリサとしては二人の前でそんなことをするのはちょっと恥ずかしいので屋敷で渡すつもりだったのだが、どうやらそういうわけにもいかないらしい。
アリサは観念して覚悟を決めると、ワインボトルを片手に立ち上がる。
「…はいこれ、あんたにあげるわ」
「なんだ? お前もくれるのか」
何か悪態でも吐かれるかと思っていたアリサだったが、意外にも素直に受け取るグランに、こんなことなら他の二人と同じようにちゃんとお礼を伝えればよかっただろうかと少し後悔する。
しかし当の本人が全く気にしていない様子だったので、アリサもそれ以上は気にしないことにした。
「大したことをしたつもりはなかったんだが、こんなにワインを貰ったからには、こっちも何かしてやらないといけない気持ちになるな」
そう言ったグランはしばらく考えた末に、何か思い出したように指を鳴らす。
「手始めにリリィとしてた約束を果たしに行くか」
「約束……?」
グランの言葉に事情を知らない二人が訝しげに首を傾げる。
そして名前が出たリリィは僅かに目を見開く。
そんな三人に気付いているのか気付いていないのか、はたまた気付いていて無視しているのかは分からないが、グランが事情を説明する。
「この前レッドドラゴンと戦った時に散々連れ回したからな。その時のお詫びに初めて魔物をテイムする時は俺が付き添う約束をしてたんだよ」
「そ、そんな約束をしてたのね」
驚く二人にリリィが小さく頷く。
「お前たち、これから特に予定とかないよな?まあ仮にあったとしても、リリィさえ暇ならそれで良いんだが」
「私はどうせこの後は帰って特訓しようと思ってたから時間はあるわよ」
「わ、私も特に何も予定はありません」
そして最後に残ったリリィだったが、しばらくの沈黙の末に、いつもの無表情で口を開いた。
「この後はちょっと……用事、ある」
少し申し訳なさそうに呟くリリィに、グランは「それじゃあ初めてのテイムはまた次の機会にするか」と頷く。
「二人ともごめん」
「い、いえ全然大丈夫ですよ! 気にしないでください!」
「そうよ。そもそもリリィがメインの話なんだから、その主役の都合が合わないんだったら元も子もないでしょ?」
「お、アリサが珍しくまともなことを言ってる」
「め、珍しくってなによ!?」
グランとアリサがいつものやりとりを続けているが、リリィの表情は相変わらず少し暗い。
ふとそこでリリィはグランを見る。
すると、まるで見計らったようなタイミングでグランもリリィの方を見る。
当然、目が合うわけだが……。
「……っ」
グランは全てを分かっているかのような笑みで、ウィンクする。
リリィはびっくりしたように目を見開くが、それだけで何かを察したのか、表情はいつの間にか普段のそれに戻っていた。
「それじゃあ今日はとりあえずこれで解散しましょうか」
そんな二人の様子に全く気付かないアリサが、そう言う。
確かに既にプレゼントを渡すという目的自体は達しているので、そろそろお開きにしてもいい頃合いだろう。
ミラとリリィもその意見に頷いている。
「…………」
しかしグランは静かにコーヒーカップに口をつけている。
いつもなら一番に「早く帰ってワインを飲むぞ!」となりそうなグランの妙な反応に、アリサも首を傾げる。
すると三人の視線を一身に受けるグランは、いつもの笑みを消すと、目を細めてボソリと呟いた。
「……どうやら、そんなことを言ってる暇はないみたいだぞ」
なにを、と誰もが思ったその時――。
『我が言葉に耳を傾けよ』
突然、辺りに大きな男の声が響いた。
何事かとよく周りを見てみれば、やけに店の外の方が騒がしい。
アリサたちは慌てて会計を済ませると、店の外へ飛び出す。
そして他の人々同様に空を見上げた先、そこには一人の男が映り出されていた。
「こ、これは……」
「光魔法の応用だな。ここまで綺麗に映し出せるなんてなかなかの使い手じゃないか」
その言葉にアリサは驚く。
それはこれが光魔法によるものだということに対して。
そしてそれ以上にグランが誰かを手放しに褒めたことに対して驚かずにいられなかった。
『我が名はロロイド=ジスタニア。此処フェルマ国に隣接するジスタニア国の国王である』
「なっ……!?」
空に浮かぶ男から告げられた言葉に、アリサたちだけでなく周りの人々まで驚愕の表情を浮かべている。
ジスタニア国といえば、大陸屈指の強大国として知らぬ者はいない。
確かにそんな大国なら、光魔法を駆使する優秀な魔法使いがいることも納得できる。
しかしそんなジスタニア国の国王がここまで大々的に一体なにをしているのか、現状でそれを理解している者は誰一人としていなかった。
「…………」
周りの人々が揃いも揃って呆然と空を見上げる中、唯一グランだけは冷静に周りの状況の把握に努めている。
そしてこれから起こるだろうことを予想して、近くにいるアリサたち三人を半ば強引に人混みから離れた場所へと移動させる。
よく意味のわからないグランの行動に不満げな表情を見せるアリサだったが、空に映し出される男の次の言葉を聞いて、そんな不満は一瞬にして消え去ってしまった。
『ジスタニア国は今日をもって、フェルマ国に宣戦布告をするッ!!』