プロローグ:新米ネクロマンサーが蘇らせたのは
新連載です。しばらくは毎日19時に更新予定です。
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満月が戦場を照らす。
一方は、数千にも及ぶ大軍勢。
一方は、数百体のアンデッドの群れ。
屈強な兵士たちを以てすれば多少の犠牲はあれど、決着がつくのはそう遠くない未来のはず――――だった。
しかし今、その戦場は膠着していた。
理由なんて聞くまでもない。
戦場にいる全ての者の視線が、ただの一か所に集まっていた。
それは空に浮かぶ一人の男。
そしてその腕の中には、一人の少女が抱きかかえられている。
どうして空に浮いていられるのか。
そんな些細なことは、頭の中には無かった。
今、兵士たちの頭の中を埋め尽くしているのは、空に浮かぶたった一人の男の存在のみ。
もはや言葉にすることなど出来ない圧倒的な存在感が、彼らの視線を釘づけにしていた。
満月による逆光で、せいぜい見えるものといったらシルエットだけ。
にも拘わらず、その時彼らには空に浮かぶ男がニッと口の端を吊り上げたような気がした。
そして、男が叫ぶ。
本来であれば届くはずのない戦場の端から端まで、不思議と男の声は聞こえた。
「俺は――――魔王だッ!!」
その声に含まれる圧倒的な力の一端に、兵士たちの大軍勢が瓦解する。
どんな死地でも果敢に戦うはずの彼らが、プライドを全て置き去りにして、空に浮かぶ男に背中を向けて駆け出す。
もはや彼らに立ち向かう勇気などなければ、その場にひれ伏すことさえ出来ない。
彼らに許されたのは、ただ逃げることだけ。
そしてその日、世界は知る。
かつて世界を恐怖のどん底に陥れた最悪の化け物が、この世に蘇ったことを。
◇ ◇
「よ、予想はしていたけど、やっぱり不気味な場所ね」
一人の見目麗しい少女がわずかに顔を顰めながら呟いた。
彼女の名はアリサ=レド=アシュレイ。
燃えるような真っ赤な髪と瞳は、彼女の我の強い性格を体現しているようだ。
そんなアリサが今いるのは、とある墓地。
真昼間であるにも関わらず、この場所だけは暗く、心なし気温も低い。
どう考えても、少女が一人でやって来るような場所では決してない。
しかし、ことアリサに限って言えば、この場所にやって来るだけの理由があった。
何を隠そう、アリサは死霊使いである。
といっても、つい最近なったばかりの新米ネクロマンサーではあるが……。
つまりアリサは、この墓地に眠っている者を栄えある一人目の使い魔にしようと目論んでいるのである。
本来、墓地を荒らすという行為は倫理的な面から見ても憚られる。
しかしこの墓地は人里からも遠く、立てられたのも相当昔なのは間違いない。
他にも色々と個人的理由などを鑑みた末に、ついに計画を決行したのである。
「……それにしてもやたらと豪華な造りね。装飾も凝ってるし」
アリサがそう思うのも無理はない。
敷地内には果たして意味があるのだろうかと思えるほどの装飾が施されているし、それに加えて、広い敷地の中には一つの墓石しかない。
一般的な墓地であれば、広い敷地一杯に墓石が並んでいるのが普通だ。
しかしここはどうやら本当にたった一人のために作られた墓地ということらしい。
「ということはやっぱり、生前にすごい活躍とか功績を残したりしていても何もおかしくないわよね……」
そう言うアリサの顔には期待の色がありありと浮かんでいる。
ただ、一つだけ疑問もあった。
「これだけ豪勢な墓地なのに、どうして今まで他の誰も手を出さなかったのかしら。さすがに見落としとかはないだろうし」
アリサが言っているのは他の先輩ネクロマンサーたちだ。
彼らは強い死体を求めて日々苦労している。
こんな分かりやすい豪華な墓があれば、争ってでも自分の使い魔に加えようとすると思うのだが……。
「ま、いっか」
普段のアリサなら、さすがに違和感に気付き、もう少し冷静に考えていただろう。
しかし今はネクロマンサーとしての初めての経験ということもあって、少なからず気分も高揚していた。
つまるところ、自分の使い魔になる者が優秀なのであれば、アリサにはそれ以上に大事なことなんてなかったのである。
「それじゃあ早速――」
アリサは一歩、墓石の方へと近付く。
そしてその白くて綺麗な手を静かにかざす。
「”我の僕になる者よ、冥界より舞い戻れ”」
本で調べた呪文を唱えると、指先から魔力が出て行くのが分かる。
きっと蘇生に必要な魔力を死体へ送り込んでいるのだろうと、アリサは勝手に解釈している。
しかし魔法使いでもないアリサは、それほど魔力量が多いわけではない。
むしろ魔法使いでもないのによくこれだけの魔力があると感心すべきなのだろうが、それでも次第に流れていく魔力が限界に近付き、身体が辛くなってきた。
だが、それも遂に終わりを迎える。
「あ、あれ、魔力が……」
指先から地面へと流れ込んでいた魔力が途端に止まってしまったのである。
「こ、これって成功? それとも、失敗……?」
困惑気味に呟く。
何せアリサが蘇生の術を使うのは今回が初めて。
本で蘇生の術についての知識は少しはあったにせよ、それ以上のことはほとんど何も知らない。
そもそも蘇生の術について知っていると言っても、意識を集中させて詠唱する、という素人に毛が生えた程度のことしか本では分からなかった。
しかし自分にネクロマンサーの素質が少なからずあることだけは分かっている。
それなら蘇生の術を一度は使ってみたい、初めての使い魔を蘇生させたい、という思いで今回に至ったのだ。
だが魔力の流れが止まってからというもの、一向に何の反応もない。
「……やっぱり、失敗?」
蘇生の術が今ので終わりなのか、それとも魔力の限界が近づき中断されたのか。
恐らく後者だろうと判断したアリサは落胆を隠せない。
大きなため息を一つ零し、思わずその場に座り込む。
体内の魔力がほとんど出てしまった故の疲労感に襲われたのである。
「……でも何で失敗したのかしら。本には詠唱しか書いてなかったから詳しいことは分からないけど、魔力量が足りないとかだったら今のところ打つ手はないし。かと言って、こんなチャンスをみすみす逃したくはないし」
こんな豪華な墓地にある死体なんて、いつ他のネクロマンサーたちが自分の使い魔にしようとするか分からない。
もしかしたら次に来るときには既に遅すぎた、ということになっていないとも限らないのだ。
アリサは今考え得る失敗の原因を必死にひねり出そうとうんうん唸る。
「もしかして、最低限地面を掘り起こしてから蘇生の術をかけなくちゃいけなかったとか……? というか蘇生の術自体は成功してるけど、土が重いせいで棺桶から出てこれないとか……?」
正直、十分にあり得る。
少なくともアリサはそう思った。
魔力を消費したせいで疲労した身体に鞭を打ち、急いで土を掘る。
端から見れば、完璧にお墓荒らしである。
いや、実際にそうなのかもしれないが……。
だが道具も何もない状態で土を掘るのは相当に大変だ。
落ちていた石を使って何とか少しずつ掘ってはいるが、これでは一体どれだけ時間がかかるか分からない。
街に戻って色々と道具を揃えてから、もう一度やって来ようかと考えていた時――
「な、何この魔力……っ!?」
――――突然、足元から巨大な魔力が溢れてきた。
アリサは慌ててその場から飛び退く。
ちょうどその瞬間、今の今までアリサがいた場所の地面が文字通り飛び散った。
驚いたのも束の間、アリサは立ち込める土煙の中に、棺桶の蓋のようなものが見えた気がした。
「い、一体何が」
あまりに突然の出来事に、ろくに反応も出来ないアリサが戸惑い気味に呟く。
しかし土煙のせいで何も見えず、唯一出来ることと言えば目に砂が入らないように手で視界を覆うくらいだった。
次第に、土煙が晴れていく。
目を細めながら、ジッと見てみると微かに人影のようなものが見えた。
「せ、成功してたのねっ!」
アリサは思わず飛び上がる。
その表情は先ほどとは打って変わって満面の笑みだ。
「何が成功したんだ?」
しかし突然聞こえてきた男の声に、アリサは固まる。
そして更に土煙が晴れていく中で、その表情は笑みから驚きに変わっていった。
「に、人間……!?」
土煙が晴れた先、そこには一人の見知らぬ男が立っていた。
真っ黒な髪に、真っ黒な瞳。
そして真っ黒な服はあれだけの土煙の中にいたにも関わらず、汚れ一つない。
つまり全身真っ黒な男だった。
そんな真っ黒男はアリサの反応に「おいおい」と呆れたような反応を見せる。
「人を見るなりその反応はさすがに失礼じゃないか? お前だって人間のくせに」
「っ……!?」
普通に考えれば男の言う通り、アリサの反応は失礼だと思うだろう。
しかしアリサの目の前にいる男は、蘇生の術によってようやく、長い年月の眠りから覚めたばかりなのである。
つまり何が言いたいのかというと、アリサはてっきりゾンビ的な何かが出てくると思って疑っていなかったのだ。
それが蓋を開けてみれば、出てきたのは生身の人間。
しかも普通に意思疎通も取れるとなれば、驚くのも無理はないだろう。
しかしよく考えれば男だって突然蘇生されて戸惑っているかもしれない。
ここは一度落ち着いて、状況を説明するべきだろう。
アリサは一度こほんと咳ばらいをすると、姿勢を正す。
「わ、私はアリサ=レド=アシュレイよ。皆にはアリサって呼ばれてるわ」
「アリサ? なら俺はグランでいい」
だがアリサの心配を他所に、男――グランはどこか傲岸不遜な態度でニヤリと笑っている。
「因みにだがここはどこだ? 俺は確か……」
そこまで言いかけて口を閉ざす。
続きが気になったが、どうやらそれ以上は口を開く気配がないので、アリサは話を進めるためにも現在の状況を説明していく。
「あなたはそこの墓地で眠っていたの。もちろん死体としてね。それを私がネクロマンサーとして蘇らせてあげたの」
「ネクロマンサー? お前が?」
意外そうに聞いてくるグランに、アリサが不満げに頬を膨らます。
「そうよ。つまりグラン、私はあなたのご主人様ってこと」
「ご、ご主人様だぁ!?」
アリサの発言に、グランは声を大にして驚いたかと思えば、終いには腹を抱えてけらけらと笑い始めてしまった。
一体何が面白いのか、とアリサは怒りで顔を真っ赤に染める。
見れば肩も小刻みに震えていた。
「私があなたを蘇生させてあげたのよ!? その証拠にほら! そこに正座しなさい!」
「おっ? 何だ、身体が勝手に」
相変わらず笑い転げていたグランだったが、突然、アリサの言う通りその場に正座した。
だが本人の意思ではないらしく、グランも僅かに戸惑いの色を見せている。
「これが使い魔であるあなたと、ご主人様である私の関係。分かった?」
もっと分かりやすく言うのであれば、蘇生の術には使い魔がご主人様に歯向かえないように隷属の効果がある。
尤も、ネクロマンサーの使い魔になるのはゾンビなどの意思のない者ばかりなので、大して使う機会はないはずなのだが……。
しかし今回に関しては、その隷属の効果がきちんと発揮されたらしい。
つまりこれで、アリサがグランを蘇生させたということが事実上、証明されたのである。
「なるほど、そういうことか」
グランもそのことを察したらしく、納得したように頷く。
でも、それも一瞬だった。
「じゃあ――――その枷を消すか」
「え……っ」
その瞬間、アリサは体感的に、自分とグランを繋ぐ糸が切れたように感じた。
そしてその感覚は現実となって現れる。
「よっこいしょ、っと」
正座しているように命じたはずのグランがいとも容易く立ち上がった。
「た、立っていいなんて言ってないわよ! 座りなさい!」
それから何度も命令するも、グランは生意気そうな笑みを浮かべたままで、命令に従う様子は全くない。
「お前だっていい加減気付いてるだろ。俺がもうお前に隷属していないことくらい」
「そ、そんな簡単に隷属の効果を打ち消せるはずないじゃない! きっと何かの間違いよ!」
「まあそう思いたいのも分からなくはない。確かにお前がかけてくれた蘇生の術には、それなりの強度の隷属の効果が込められていたし、常識的に考えればその効果を打ち消すなんてのはまず無理だろうな」
でも――、とグランはその口の端を釣り上げる。
「俺なら出来る」
不敵な笑みを浮かべながら、そう断言する。
もはや傲慢とも思える程の自信っぷりに思わず反論したくなるが、その言葉が嘘偽りでないことは今目の前で証明されている。
「さて、俺とお前の関係が白紙に戻ったわけだが。どうするか……。いっそのこと主従逆転の関係なんて面白そうじゃないか?」
「っ……!」
その言葉の意味を理解したアリサが思わず顔を顰めながら後退るが、それを見たグランの口の端は一層釣り上がるばかり。
かと言ってこの状況でアリサに何かが出来るわけではない。
そもそも肉弾戦など出来るはずもなければ、魔力だって蘇生の術のせいで空っぽだ。
しかも相手は蘇生の術に込められた隷属の効果を打ち消してしまうような、とんでもない存在。
魔力がフルに使えたからと言って、到底アリサにどうこう出来るような相手ではないだろうことは容易に想像できた。
「……あなたは一体どうするつもりなの」
「別に起きたばっかで何かをするつもりなんてないんだけどな。……あ、さっきの主従逆転とかも冗談だから、お前もそんな怖い顔するなよ。せっかくの美人が台無しだ」
アリサの胸中など知った様子もなく、グランはからかうように言う。
否、実際からかって遊んでいるのだろう。
しかし、今のところ何かをするつもりがないということが知れただけでも僥倖か。
アリサはホッと息を吐く。
だがこれからどうなるかは、まだ分からない。
せめてもう少しくらいは情報を集めておくべきなのだろうが、下手なことを言って機嫌を損ねたりしてからでは遅すぎる。
アリサが今後の行動について頭を捻らせていると……。
「よし決めた! 俺、しばらくはお前の使い魔として色々と面倒見てやるよ!」
「……はい?」
さすがのアリサもすぐには理解できなかった。
それでも何とか頭をフル回転させて、ようやくその言葉を呑み込む。
この際「面倒を見るのはご主人様の方でしょ!」とかいう突っ込みは置いておくとして、つまりしばらくは行動を共にしてくれるということで良いのだろうか。
それなら隷属の効果はないにせよ、当初の目的である一人目の使い魔は無事に確保できるということになるので、アリサとしても文句はないのだが。
「……どういう風の吹き回しなのよ」
隷属の効果を打ち消したばかりの張本人がどうしていきなり使い魔になる気になったのか、聞かずにはいられなかった。
「まあ強いて言えば、情報収集かな」
「情報、収集……?」
「見ての通り、俺って起きたばっかりで、ここがどこかさえちゃんと理解できてないからな。そこあたりの知識とかを色々みっちり教えてもらおうというわけだ」
疑いの目を向けるアリサに、グランがあっけらかんと言う。
「……なるほど。それで私の使い魔としての立場が一番手っ取り早いってわけね」
確かにそれならグランの意図も十分に理解できる。
それにグランは隷属の効果こそないにせよ、使い魔の部類としては意思疎通など出来る点からしても十分に優秀だ。
それ以外の諸々の事情を考えても、アリサの中での答えは既に決まっていた。
「……はぁ、分かったわよ。でも使い魔になるんだったら私の言うことは最低限聞いてよね」
「あぁ。これからよろしく頼むぜ、ご主人様」
アリサの言葉に頷くグランの表情には、今日一不敵な笑みが浮かんでいた。