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プロローグ

「こういうの、もうやめにしね?」

 私はわさび味のポテトチップと発泡酒を抱え、ナオの部屋のソファに陣取っていた。学生時代からはまっているアーティストのコンサート映像を観るべく仕事を定時に切りあげて、駅売りのきれいなデリを手土産にこうしてやってきている。

 コンサートといっても今放送されているのではなかった。番組表をチェックして、まえもって録画していたものだ。ここ数年、彼らは全国ツアーを精力的に行っていた。私は首都圏に住んでいるけれど、ここのところタイミングが合わずライブ参戦から遠ざかっていた。そんな現状だったから、これは彼らの今を知ることができる貴重な機会だった。


「もうこんな思いはしたくねえよ」

 映像が終盤ともなれば、買ってきたお総菜は空の容器を残すのみ。売場にあったときの色鮮やかできらきらした様子は見る影もない。

「おまえは平気かもしれねえけど、俺はっ……」

 けっこう値が張るし、余らせても困るしと少なめに買っただけにまだ小腹もすいていて、おにぎりだったら余裕でひとつ入りそう。

「くそっ、なんなんだよ」

 で、ナオの食品保管庫からポテトチップを失敬したのだけれど。


「人の話くらい聞けってんだよ」

 作業机に向かっていたナオがこちらを見ている。私は映像を一時停止し、ヘッドフォンを外した。

「呼んだ?」

「呼んでる。さっきからずっと呼んでた」


 ナオは私の注意が向いたと知るやいなや、憮然とした顔つきで正面に向き直る。そこにあるのは一般家庭に置くには大きめのディスプレイだ。陰影を強調したカラーイラストが表示され、頬を染めた女の子が強い目で睨みを利かせていた。動きのある構図と大きすぎない胸が売りだとナオは得意げに言っていたっけ。


「漫画のセリフ読んでるのかと思ったんだもん」

 私は発泡酒の残りをあおった。

「描く段になって今更セリフいじるかよ」

「あーそうですか。はいはいっと」


 ナオは漫画家だ。もとは絵描きだったのが、今では漫画の仕事のほうが多くなった。中学時代から絵を描く子はまわりに多くいたけど、それを仕事に結びつけたのはナオひとりだけ。ひたすら青春期を絵に捧げたサクセスストーリー。取り柄のない私からすれば尊敬に値する。


「お腹すいたの? なにか買ってこようか?」

「うるさいんだけど」

 気を利かせたつもりだった。なのに一蹴された。

「え、だって……ヘッドフォンで聴いて、音漏れしないようにしてたのに? 音量もそんなに大きくはなかったでしょ」

「存在がうるさい」

「あー」


 私は実家暮らしをしていて、ケーブルテレビもBS放送も受信できる環境になかった。自分主導で契約を結ぶのは乗り気になれないし、そのためだけに家を出るなんてバカけている。販売されるものは買うけど、されないものもある。じゃあどうするか。

 そこで白羽の矢が立ったのがナオの家だ。ひとり暮らしのマンションで、在宅ワークだから昼夜を問わずほぼ家にいて、各種有料チャンネルの契約者。しかも駅から徒歩五分。恋人はいなくて三次元の異性に興味はなく、某漫画の主要キャラが嫁という安全保障つき。こんな優良物件、見過ごす手はない。

 ――まあ、仕事をしているそばで、照明がんがん入れ替わる音楽映像なんて流されたら、さすがに気が散るか。



「ナオさんにはいつもお世話になっておりますー」

「下手に出たって無駄。もう家には来ないで」

「とか言っちゃって」

 ナオの脅しなんて怖くない。

「わさび味のポテトチップなんてほかに誰が食べるっていうの。ほかにお客さん、来ないでしょ? 私しか遊びに来ないでしょ? 私をもてなそうっていうナオの温かーい心遣いに、気づかないとでも思った? ん?」


 こういうのをツンデレというんだろうか。ナオの耳が赤くなっている。色が白いだけにわかりやすい。相変わらず、仕事の打ち合わせと食料品の調達のような必要最低限の外出しかしていないんじゃないか、この人。


 ヘッドフォンをつけなおしつつ、私はリモコンを操作する。

「もうちょっとでこれ終わるから。そしたら……」

「寝るとか言わないだろうな。終電、間に合うだろ」

「うん、間に合うからもうひとつ観ていく」

「おい」

「と言いたいとこだけど」

 思い出した。

「明日飲み会あるんだったわー。今日のところは帰ろうっと」

 使っていたリモコンやら食べたあとの皿やら空き缶、あれこれをもとの場所に戻して、荷物をまとめた。


「飲み会が早く終わったらまた来るね」

「はあ?」

「あっこれまだ食べてなかったの? だめだよ食べるもの食べなきゃ」

 絵仕事に夢中になると食事を忘れるナオに、牛丼を押しつける。これも遊びにきたときの大事な用件だ。私のぶんと一緒に買った温野菜のサラダも横に置く。

 総菜コーナーの食べ物は口に合わないと言うので、差し入れはどうしてもファストフードになってしまう。普段からおいしそうなものを見ておかないと漫画に登場する料理が貧相になるよ、と私がさもわかったふうな物言いをしたのが効いたのか、近頃ではプラス一品で用意されたお総菜も食べてくれるようになった。


「じゃあね、また明日来るから」

 返事はなかった。来るなと言われなかったから、また来てもいいということなんだろう。

 だけどその翌日、私は約束を破った。


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