あやかし獣の城郭
目玉狩り。両眼だけを抉り取り、人を殺める事件が相次ぐ戦乱の世。かつて陽のいずる国が栄えた極東の地では、目玉狩りを行う異形の獣と、その獣を仕留める狩人との戦いが、頻発していた。
異形の獣。だがその姿は人と相変わらず、普段は体の内部にしまう「鉤爪」と呼ばれる内臓器官の一つで戦い、人を襲うという。
戦に次ぐ戦で廃墟と化し、半ば政府が機能していない極東の地で、好き放題に人を襲う異形の獣。それを人々はあやかし獣と呼んで恐れた。
基瑠伽はあやかし獣を狩り、鉤爪。その堅牢さから武器の一つにも転用出来る鉤爪を、売り払っては生計を立てる狩人の一人だ。
瑠伽の瞳は青く、サラリとして肩口まで伸びた金髪が印象的で、男性性の猛々しい風貌から漂う野性味が、よりこの男のある種の狂気と残虐性をも表している。
「これで一丁あがりと」
今しがたあやかし獣の一頭を軽く「処分」した瑠伽は、冷たく凍った瞳で、留めにあやかし獣の首を切り落とすと、鉤爪の回収に掛かる。
「この鉤爪は結構な逸品だ。色艶といい、光沢といい相当な高値になる」
そう微笑ましげに、あやかし獣の体から切り取った鉤爪を愛でると、疎ましそうに瑠伽は、あやかし獣の体を蹴り飛ばす。
「ったく。うぜぇ。何が目的か知らねぇが、両眼抉りなんて品がないぜ。あやかし獣さんよ」
そう言葉を吐き捨て、瑠伽は清閑とした村の一つを訪れる。早速、鉤爪売買の老舗店に向かう瑠伽。子供達は鉤爪を袋にしまって背負う瑠伽を見て、「狩人だ!」と好奇とも羨望ともつかない眼差しを送り、指を指している。
瑠伽は胸の内で「こんな俺に憧れるなよ。因果な商売だ」と口にしながらも店の扉を開ける。店主は筋骨たくましい、髪を短く刈り上げた壮年の男だ。男は瑠伽を出迎える。
「また仕留めたのか。瑠伽。これで今月で三体目だ。鉤爪は武器の素材として高く売れる。おまけに趣味の悪い金持ち連中の間では、鑑賞物としても親しまれている。三体も仕留めれば三年は楽に暮らせるだろうさ」
「悪いね。宇保さん。俺は単に生計を立てるためだけに、あやかし獣の連中を狩っているわけじゃないんでね。休む暇はないよ」
宇保と呼ばれた店主は左手を軽くあげて、首をかしげると、瑠伽の心境を慮ったようだ。
「瑠伽。お前が目指しているのは」
瑠伽はそう話を振られて、猟奇性のある瞳を爛々と輝かせると、口元に薄い笑いを浮かべる。
「そうさ。俺が目指してるのは、あやかし獣の殲滅。奴らを根絶やしにすることだ。両親の目玉を抉られた仇としてね」
宇保は、度々耳にしていた瑠伽の想いを、あらためて聞くと言葉を無くすしかない。だが宇保も瑠伽の身を思いやる立場。彼が幾度も命の危険に晒されるのは本意ではない。
鉤爪の鑑定が終わり、売買が成立すると同時に宇保は、とある一冊の書物を瑠伽に手渡す。
「あやかし獣を、根絶やしにしたいって考えてる奴には、勧めるべきじゃないかもしれないが」
「宇保さんの勧める本なら何でも読みますよ。いい糧になる」
そう穏やかに返した瑠伽だが、書物のタイトルを見て手が止まる。そこにはこう題名付けされていた。
「あやかし獣と共存するためには」
瑠伽の表情が凍てついたのを見て宇保は、慌てて取り繕う。
「まぁ、世の中には色々な奴が多い。中にはそんなことを考える人間もいるってわけさ」
そう諭された瑠伽だが、思いのほか気持ちは安定していて、こう宇保に礼をする。
「ありがとうございます。宇保さん。今夜早速読ませていただきますよ」
「そ、そうか」
その瑠伽の狂気めいた瞳を見て、宇保は若干背筋が凍るものがあったが、静かに店を出る瑠伽を見送るしかなかった。
その晩、宿についた瑠伽は早々、先の本を開く。著者名は七海梨華。そこでは、多分に推測が入っているであろう、あやかし獣の生態、身体の構造、そして彼らの一種のコミュニティなどについて詳しく書かれている。だが肝心の、なぜあやかし獣が人の目玉を欲するかについての叙述はない。
蝋燭の灯が灯った畳の間で、本を読み終えた瑠伽は、口元に鋭い笑みを浮かべてこう零す。
「化け物にコミュニティなんて不要だ。根絶やしだよ。つまりは」
翌日また、あやかし獣狩りの旅に出ようとする瑠伽へ、宿主がそれは奇妙で、興味深い話をしてくる。その話は西の果て、かつて村落が栄えた場所で、とある女主人が罪人達を集めて、一つのコミュニティ、治外法権地域のようなものを作っているというものだった。
その話、瑠伽は以前にもチラリと聞いたことがあったが、なぜか触手が動かず放っておいた案件だ。宿主はお喋りの最後にこう添える。
「なんでもその女主人の唱えるところによると、奴らの目的はあやかし獣の根絶やしなんだそうですよ。そのせいで、あの場所を人はこう呼びます。『あやかし獣の城郭』と」
「根絶やし」。その言葉を耳にした瑠伽は、身が打ち震えるものを感じて、早速西の果て「あやかし獣の城郭」へ向かうことに決めた。こう意を決して。
「面白そうだ。次の仕事が決まったな」
馬を駆り「あやかし獣の城郭」へ向かって3日目。瑠伽はとある酒場に立ち寄る。酒場は英雄気取りの落ち武者で溢れ返っており、近場の農村を襲っては奪い去った金銀財宝の話や、あるいは「狩人」の瑠伽にしてみれば、一聴して嘘と分かる「あやかし獣狩り」の話で沸き立っている。
彼ら落ち武者とは、距離を置き、瑠伽が酒を嗜んでいると、妙に人懐っこいが、同時に異様な殺気をも漂わせる、着流し姿の男が瑠伽の隣に座る。男は酔いが回っているものの、瑠伽が見る限りでは一分の隙もない。
「こいつ。強ぇ」
そう胸の内で瑠伽が呟くと、少し陽気な調子で男が瑠伽に話しかけてくる。彼は一目見て瑠伽の素性に気づいたようだ。
「ねぇ。君。狩人でしょう。それも相当の手練れだ。これまでに軽く二十はあやかし獣を『処分』しているでしょう?」
自分の身元が知られたからと言って瑠伽も特段、困ることはない。一言「ああ」とだけ答えると、逆に髪艶のいい、その男に訊き返す。
「あんたの方はどうなんだ? エラク殺気立ってるじゃねぇか」
そう訊かれた男は、にっこりとそれは薄気味の悪い笑顔を浮かべて、鉤爪で作った刃を取り出す。
「僕もね。狩人なんだよ。君と同じ」
特別狩人同士で群れるつもりもない瑠伽は、「そうか。それはめでてぇこった」と一言口にして、酒をまた口に含ませる。すると男は、鉤爪で作った刃を、瑠伽の頬にピタリと当てて、こう煽ってみせる。
「ねぇ。良かったら手合せしない? 練習程度にさ。察するに、君が向かうは『あやかし獣の城郭』。僕は探しているんだよね」
そう男は口にして、一呼吸置いたあと「仲間を!」と叫び刃を振りおろす。その刃を瑠伽はかわして、飛びのく。
瑠伽は腕をポキポキと鳴らしてみせる。
「仲間探しにしては、随分手荒な方法じゃねぇか。寺子屋で学ばなかったか? 友だちが欲しい時は!」
そう瑠伽も叫んで男に突進する。瑠伽も鉤爪製の刀を翳す。
「仲良くしましょうね! って」
瑠伽の振りおろした刀をひらりとかわして、少し離れた場所に舞い降りる男。突如として始まった手練れ同志の乱取りに、酒場の似非「あやかし獣狩り」達は、完全に引いている。勇気を何とか振り絞った落ち武者の一人が「や、やれ!」と少し煽り立てたくらいだ。
着流し姿の男は刃を一舐めして名を明かす。
「そうだね。仲良くしてよ。僕の名前は、狼蓮斎木。狼蓮って呼んでね。それじゃあ、仲良く! してね!」
その雄叫び声とともに二人の決闘が始まる。瑠伽が刀を直進させたかと思うと、その柄を素手で素早く払いのける狼蓮。狼蓮が高々と翳した刃を、瑠伽は刀で受け止め、歯を食いしばると狼蓮を跳ねのける。
酒場の机や椅子はなぎ倒され、荒れ放題だ。酒場の客達は自分達には危害が及ばないのを知ったのか、次第に二人の戦いをひたすら煽る側に回る。
金に抜け目のない賭博師が、狼蓮と瑠伽どちが勝つか、賭け金を募ったほどだ。狼蓮の薙刀の如く振り回される刃。巨大魚を鮮やかに捌きたてるかのような、瑠伽の刀。だがどちらにも分があるかに見えた決闘は、ほんのわずかのきっかけ、ほんの僅かに芽生えた隙で決着してしまう。
瑠伽が床に落ちていた鋲を踏んでしまい、微かにバランスを崩したのだ。その瞬間、猪突猛進してくる狼蓮。狼蓮の突きだした刃が、瑠伽の鼻先で止まると、狼蓮は呟く。
「はい。おしまい。僕の勝ちだね。仲間になってよ」
その言葉と一連の所作を見て、瑠伽も負けを認めたのか刀を鞘に収める。狼蓮は、面長な顔の美しい切れ長の瞳で優しい笑みを浮かべる。
「運も実力のうちってね。さて」
そう言って二人が隣り合って話を始めると、酒場の騒ぎも収まっていく。みな、自分のテリトリーに戻っていったようだ。賭博師も賭け金の配分を終えたらしい。
酒場の主は恐る恐る、酒を狼蓮と瑠伽の二人に持て成し、荒らされた酒場の代償を払ってもらうことを切り出せずにいる。それを見た狼蓮は大枚を「これ使ってよ。ゴメンね」と一言言って渡すと、瑠伽と本題に入る。
「例の『あやかし獣の城郭』。少しおかしなところがあってね。あやかし獣の根絶やしを掲げている割には」
「割には?」
瑠伽が合いの手を打つと、狼蓮が答える。
「彼らの近辺であやかし獣が狩られた気配はない。おまけに」
そう言ってラム酒を一息に飲み干す狼蓮。揺れるラム酒の海が妖しげだ。
「罪人達で作られた治外法権のテリトリーだが、罪人達が幾人も行方をくらましている」
話の全容がおぼろげながら掴めてきた瑠伽は一言零す。
「つまり『あやかし獣の城郭』。あやかし獣を狩るどころか」
瑠伽の勘に狼蓮も満足げだ。
「あやかし獣の根城である可能性が高いね」
そこまで話を聞くと、瑠伽も得心気だ。この狼蓮、品性が若干人とは違う趣きを持ち、風変りな男であるものの、信頼出来ないこともない。言葉と真意を疑う理由もない。
瑠伽は席を立つと、狼蓮に呼びかける。
「それじゃあ行こうか。『あやかし獣の城郭』へ。あやかし獣狩りに」
ラム酒を一息に飲みほし、狼蓮は頷く。
「ああ、だけど分け前は一緒だよ」
そうして二人は酒場を出ると、いよいよ「あやかし獣の城郭」へと向かった。狼蓮と瑠伽が、馬を三頭乗り換え、辿り着いた「あやかし獣の城郭」は一見して要塞、砦のようであった。
城壁で街は取り囲まれて、遠くに見える城のような趣の建物は、ギシギシと軋み、回る歯車で防護されている。広場の中心には巨大な風車小屋がそびえ立ち、この城郭のエネルギーを確保しているようでもあった。
「ここが、『あやかし獣の城郭』」
そう瑠伽は呟いて、狼蓮とともに足を踏み入れる。門番は、さすがというか、やはりというか罪人上がりのせいもあって狼蓮の賄賂で、呆気なく二人を街へと通した。
不気味な風車小屋と隣に立つ時計塔が、不穏な空気を醸し、「異世界」とでも形容出来る「あやかし獣の城郭」の異様さを際立たせている。
瑠伽と狼蓮は、人目見て「あやかし獣の城郭」の街を歩く人々の、一種の不自然さに気付く。それはみな特殊な酩酊感が瞳に宿っているところだった。みなが麻薬か何かの虜になっている。そんな印象だ。
「これは相当、女主人が魅力的な方らしい」
瑠伽はそう言って城へと近づいていく。狼蓮も「これは一つ洗脳が行われていると見て間違いないな」と一言呟いて、瑠伽に続く。
二人はいよいよ「あやかし獣の城郭」の城と思しき建物の前に立つと、建物を仰ぎ見る。回転する歯車が相も変わらず、鉄の軋む音を響かせている。
するとどこからか、城の天守閣付近からか、女性の妙に艶めかしく、異常に艶のある声が響き、瑠伽と狼蓮の二人を差し招く。
「おやぁ。随分といい匂いがするねぇ。のぼっておいで。我が天守閣へ。我が嗜みの根城へ」
瑠伽と狼蓮は、そうそそのかされて、恐怖したり、畏怖したりする男ではない。最早門番さえいない城の扉を開くと階段を一段一段あがっていく。
城の最上階。そこは天守閣なのか。紫紺の扉の前から蒸せ返るかのような香りが漂ってくる。酒飲みの狼蓮がすぐさま気づく。
「この香り。ラム酒だ」
「ラム酒」
そう言われて城の女主人とラム酒、そしてもしかすると、あやかし獣との関係に瑠伽は見当がつかない。瑠伽はゆっくりと重々しい音を立てて、紫紺の扉を開く。
その扉の奥にはおぞましい光景が広がる。この街の住民である、罪人と思われる体が数体横たわり、両眼を抉り取られ、死に至っている。
部屋の奥まったところではゴシックロリータの服装に身を包んだ女主人。いや、十代半ば頃の年齢を彷彿とさせる少女が、抉り取ってラム酒に漬けた両眼を幾つも鑑賞している。
少女の瞳は深い二重瞼で大きく、くるりとしている。肌はきめ細やかで、その白く美しい肌色は指先にまで染みわたっている。ショートボブの金髪がそれは豊かにふんわりと揺れている。
「ねぇ。素敵じゃない? 人間の瞳ってどうしてこうも私達を魅了してやまないのかしら」
その言葉を聞いて瑠伽は零す。
「私達。じゃあお前は、俺達が予想した通りの」
その言葉を狼蓮が引き継ぐ。
「あやかし獣」
「あやかし獣」という言葉に少女は敏感だ。彼女にとってその呼び名は、不本意なものであるらしい。
「あやかし『獣』だなんて失礼しちゃうわ。私達は単に人間の両眼が必要なだけ。それだけよ。それなのにケダモノ扱いされるなんて本意じゃないわ」
瑠伽と狼蓮は、少女の口から語られる事実を前にスーッと一息息を飲む。少女は大声をあげて、真実を告白する。
「私達には必要なのよ。人間の両眼が! 赤子の肥やしのためにね!」
たまらずに狼蓮は口にせざるをえない。
「吐き気のする話だ」
瑠伽も続く。
「同情の余地はないな。そんな悪趣味」
すると少女は一転して悲しげな瞳を見せて、こう徒然と語る。
「お前達は自分達の手を汚さずに、赤子を育てることが出来る。だけどそれは私達には出来ない。ラム酒に漬けた人間の両眼がなければ、胎内の赤子は干からびて死んでしまうのよ」
瑠伽と狼蓮はあえて口をつむぎ、少女の声に耳を傾ける。
「あなた達には分かる? ただ子孫を残したいだけなのに、人の命を手に掛けないといけない悲しさが、切なさが。そう! でも私達には必要なのよ。人の命が! だって!」
その瞬間、少女の背中から鋭利で堅い、コウモリの羽根のような鉤爪が現れる。剣と刃を掲げる瑠伽と狼蓮。その二人に悲鳴にも似た声で少女は叫ぶ。
「私達にも家族がいるのよ!」
その叫び声を皮切りに瑠伽と狼蓮、あやかし獣の少女との死闘が始まる。少女は弾力性もある鉤爪を伸ばし、瑠伽と狼蓮を狙う。その形相は赤鬼を思わせる。少女は咆哮する。
「お前達は手を汚さずに、命を育める! だけど! 私達は違うのよ」
少女の鉤爪は、瑠伽と狼蓮二人が、これまで出会ったあやかし獣のどれよりも強力で、伸びてきた鉤爪の、文字通り爪の部分に肩を引き裂かれると狼蓮は吹っ飛ぶ。
「ぐあわぁああぁ!」
「狼蓮!」
瑠伽も反撃に転じようと、刀を振りかざし、少女に襲い掛かるが、軽々と凌がれてしまう。少女の攻勢は続く。
「私達は手を汚さないわけにはいかないのよ。だって命をつなぐために必要なんだもの」
立ち上がった狼蓮と瑠伽は、二人で連携を組んで、少女を攻撃するも、少女の鉤爪はいよいよ弾力性を持ち、時に鋭利に、時に巨大化し、二人の刀剣を阻み、弾き飛ばす。
「うわぁああぁ!」
瑠伽と狼蓮を手玉に取る少女はどこか切なげだ。感極まったのか、ついには「あやかし獣の城郭」を作り上げた理由をも話し始める。
「だから。私、考えたの。人間は人間でも、罪のない人を殺してしまった罪人達なら、私達が殺めても大丈夫なんじゃないかってね。因果応報という奴よ」
「どういうことだ!?」
息も切れ切れの狼蓮が尋ねた。少女は独白する。その合間に瑠伽は瑠伽で、虎視眈々と少女の隙を窺っている。少女の声は響く。
「だって人を殺したことのある人間なら、殺されたって仕方ないじゃない? それが報いというものよ。私達は最低限の罪過でもって子を育もうとした。それだけよ」
唇から滲む血を噛みしめて、瑠伽が口にする。
「それで罪人どもを集めたってわけか。あやかし獣を根絶やしにするという名目で」
少女はうっすらと口元に笑みを浮かべる。
「そう。だってそれしかなかったんだもの。私達が健全に生きる術は。事実、罪人達はのこのこと集まってくれたわ。ただの人殺しから、あやかし獣を討伐する英雄へ昇格。こんな変身願望を満たす話はないんだから」
狼蓮も少女の企みにやや気圧されている。
「それで! 薬漬けにして、肥しにするべく養っていたというわけか」
少女は高らかに宣言する。
「そう! その通りよ! そんな私に罪などあって!?」
「ふざけるなぁ!」
瑠伽と狼蓮が、刀と刃を翳して、少女に襲いかかる。少女にも若干の消耗があったのか、今度こそはと、両者は互角に渡り合う。その合間も自分の心情を吐露するのに、少女は怠りがない。
「私達にも愛も、友も、恋人も、家族も! 必要なのよ! それを勝手にケダモノ扱いしたのは、貴方達人間の方でしょう!」
瑠伽と狼蓮の連携がことのほか、巧く行ったのか、それとも少女の華奢な体ゆえに、体力面で引けを取り始めたのか、少女は最早防戦に回っている。
激しい攻防の末、少女に一瞬出来た隙を突くべく、瑠伽が刀を振り上げた瞬間、少女は顔を伏せて、一粒の涙を零す。
「私達も、恋も、結婚もしたいのよ」
その言葉を聞いた瑠伽の手は止まる。永遠にも感じられる時間。瑠伽の脳裏に両親の思い出が駆け巡る。
草原で友人とともに横たわっている少年時代の瑠伽。その姿は無邪気そのものだ。友人は瑠伽に話しかける。
「なぁ、お前の父ちゃん『狩人』なんだろ? カッコいいよな!」
「えへへへ」
麦藁の屋根の家屋に、瑠伽の父親が帰ってくる。手には鉤爪を持っている。その父に抱き付く瑠伽。
「父ちゃん、お帰りー! これあやかし獣の鉤爪だろ!? ヤッタなー! 父ちゃん!」
「ああ! 瑠伽。お前も立派な狩人になるんだぞ!」
「うん!」
母親も微笑ましげにその光景を見ている。
寺子屋の帰り、帰宅した瑠伽を待つ家の前の人だかり。叔父と叔母が瑠伽を抱きしめる。
「瑠伽。何があっても泣かないで。振り向かないで」
「ど、どうしたの? 父ちゃんは!? 母ちゃんは!?」
そう狼狽する瑠伽の目の前を運ばれる瑠伽の両親の亡骸。二人は両目を抉り取られている。その瞬間、瑠伽は顔を両手で覆い、大きな叫び声をあげる。
「うわぁああぁああぁあ!」
この想い出を最後に瞬時にして我に返った瑠伽は、少女が口にする最後の嘆きの言葉を耳にする。
「私達にだって家族が! あるのよ」
俯いて涙を零す少女に刀を振りおろす瑠伽。
「本当にそれは、わかるよ。でも。すまない。俺にも、家族が、あったんだ」
鉤爪で作られた瑠伽の刀が、静かな瑠伽の独白とともに、少女の体を二つに引き裂く。少女は悲しげに涙をポロポロと零しながら、倒れ伏していく。狼蓮は声をなくし、その終わりの時を見届ける。
「瑠伽」
少女は血の海に体を横たわらせながら、口にする。
「私達にも幸せがあったのよ。それを覚えておいて。私の名前とともに」
瑠伽と狼蓮は凄絶な闘いのあと、呼吸を整えるので精一杯だ。少女は息も絶え絶えに零す。
「私の名前は、七海梨華よ」
その名前を耳にして、瑠伽は戦慄する。その名前は「あやかし獣と共存するためには」の著者名だったからだ。瑠伽は震えが止まらない。
狼蓮は少女が向き合っていた机に歩みよる。そこには少女の書きかけの文章と、「あやかし獣と共存するためには」の著作が置いてある。書きかけの文章には、最後にこう綴られていたという。
「人とあやかし獣が幸せに、一緒に暮らせたら、どんなに素晴らしいでしょうか。そう思いませんか? みなさん」