煙は無理
暗中模索とはその名の通り、頼人たちは自分がどこにいるかも定かではなく、晴れることのない黒煙の中を走っていた。
視界を奪われるだけならまだしも、呼吸をする度に煙が肺を侵し、胸に激痛を与えた。そのため、出来るだけ息を止めて走っていたが、当然限界というものはすぐに来てしまい、頼人は遂にその場でへたり込んでしまった。
「大丈夫か?」
紅蓮が気付き、頼人に声を掛けた。
「うん、ちょっとキツくなっただけ……げほっ!」
「煙吸ったのね。ハンカチ持ってないの?」
「今日に限って……忘れた……げほげほっ」
紅蓮に抱え起こされると、煙の中からぼんやりと花凛の姿が見えた。花凛はしっかりとハンドタオルを口元に当てていた。
「もう、ぐずぐずしてらんないのに……歩ける?」
頼人は頷いたが、咳は治まらず、何度も苦しそうにえずいた。
「これじゃ、走れそうにないわね。どうするか……あっ!」
何かに気付いた花凛は頼人の前から消えた。その直後、ガラスが割れる激しい音が鳴り響いた。
「どう? これで煙も外に出るからマシになるでしょ」
次々と割れる音が続き、微かに煙が薄くなると、花凛が廊下の窓を叩き割っている姿が見えてきた。
「根本的な解決にはなってないが、何もしないよりはいいか。頼人、苦しくないか?」
「気持ち、楽になったかな」
頼人が少し落ち着いたのを確認すると、花凛は2人の元に戻ろうとした。その道すがらふと窓の外に目を向けると、正門の前に誰かがいることに気付いた。花凛は立ち止まり、注視した。
3人いることはすぐに分かった。そのうちの1人は目立ちすぎるブロンドの女、杏樹だ。そして、残りの2人は見たことのない人物だ。男と女の2人組、どちらも鳳学園の制服は着ていなかった。
杏樹はその2人を相手に理で攻撃していた。2人も杏樹に応戦し、熾烈な戦いを繰り広げていた。
「只事じゃないみたいだね」
「そうね。よく分かんないけど、助けに行かなきゃ」
「つまり、そういうこと?」
「ふふっ、そういうこと」
如意棒と話し終えると、窓に足を掛け、慎重に窓枠を潜った。
「か、花凛! 何やってんだ?」
「先に下、行ってる」
「飛び降りるのか? ここ3階だぞ?」
「へーきへーき。2人も気を付けてね。どうやら、この火事、誰かが一枚噛んでるみたいだから」
花凛は持っていたハンドタオルを頼人に投げた。頼人はそれを辛うじてキャッチした。
「それ、洗って返してよね。そんじゃ、お先!」
花凛は躊躇うことなく飛び降りた。頼人と紅蓮は花凛が飛び降りた窓に駆け寄って外を見ると、既に花凛は走って何処かへ一直線に向かっていた。
頼人は花凛が向かおうとしている場所を目で追っていき、花凛の目的を理解した。そして、杏樹が相対する人物の1人に釘付けになってしまった。
「どうした、頼人?」
「あの人……いや、まさか……」
その男を見続ける頼人は、棟内に再び黒煙が充満していることに気付かなかった。それに先に気付いた紅蓮は、黒煙だけでなく、誰かの視線も感じ、目を凝らして周囲を見回した。
鳴り響く非常ベルの音に紛れ、足音が聞こえた。それは徐々に大きく、早くなってきた。その音に気付いて頼人が振り返った時、黒煙の中からぬるりと刃が突き出て、頼人を襲った。
外に気を取られて無防備だった頼人に対して、警戒を続けていた紅蓮が即座に反応し、間一髪でその刃を食い止めた。
「紅蓮!」
刃を素手で掴んだ紅蓮は手のひらから血を滴らせた。その刃、単なる包丁であったが、その柄を持つ何者かの手は必死に抵抗して逃れようとするため、手のひらの傷は一層深くなったが、歯を食いしばり耐え続けた。
やがて、諦めたのかその手は刃を捨て、黒煙の中に消えた。しかし、その何者かは未だに気配を臭わせて、近くに潜んでいた。
「……なるほどな。頼人、此処はオレに任せて逃げろ」
「戦うなら俺も一緒に……」
「まだパーソナル使えないんだろ? 無理はしなくていい。あいつは食い止めてやるから、早く!」
頼人は不甲斐なく感じたが、どうすることも出来ないと悟り、「ごめん」と呟いて走って逃げた。逃げる最中、花凛が貸してくれたハンドタオルをただただ強く握りしめていた。




