復讐者
ウィッチは好みの店が見つからなかったので、仕方なく家に帰ることにした。
ウィッチの家は人目の付かない路地裏の廃ビルで、そこで誰からも見つかることなく安穏と過ごしている。
人気のない通りを進み、自宅へと続く路地裏に入ったところで、見たことのある人物がそこにいた。
背中に『クリーン隊』と大きく書かれた白い特攻服を着た女は熱心にゴミを拾い集め、ビニール袋に放り込んでいた。ゴミ掃除に集中しすぎてウィッチに気付いていないようだったので、驚かせようと声をかけた。
「わっ!」
「おぉっ!?」
裏返った声で女は叫んだ。その反応だけでウィッチは満足だった。
「ははっ、かわいいー」
「なっ、お前はウィッチ! 此処で会ったが百年目、紅蓮さんに代わってあたいが成敗してやる!」
「やだやだ。ケンカなんてしても意味ないよ、カミナちゃん」
特攻服の女、カミナは懐の短い木刀に手を掛けて臨戦態勢だった。
「なんであたいの名前を知ってるんだ。お前に名乗った覚えはないんだがな」
「そりゃあねー、山篭りしてる間に紅蓮君からキミのこと色々聞いたからねー。とっても頼りになって真面目で良い子だって言ってたよー」
「なに? 紅蓮さんの修行にお前が……」
カミナの木刀を持つ手が緩んでいった。困惑するカミナの様子を面白く思い、ウィッチは更にからかいを重ねた。
「いやー、修行、楽しかったな―。誰もいない山奥で2人っきり、1ヶ月も寝食共にしていく内に、芽生える恋心。いつの間にか師弟の垣根が取り払われ、欲望のままお互いを求めて獣のように……」
「だー! 変な嘘吐くな! 紅蓮さんはそんな人じゃねえし、そもそも親父さんのとこで修行してたってのは知ってるんだよっ、バカ!」
カミナは顔を紅潮させて反論した。
「冗談だよー、冗談。ヤケにムキになっちゃってさー、もしかして紅蓮君のこと、好きなのー?」
「すっ、すすす、好きって、バカか! あたいは紅蓮さんを尊敬してんだよ! リスペクトだリスペクト、決してラブじゃない! ラブだなんて身の程知らずな感情は絶対持ってない!」
墓穴を掘っていく様は滑稽そのものだった。カミナはウィッチの良いおもちゃになってしまった。
「はははっ、分かったよー。面白いなー、カミナちゃん。ストレス発散にピッタリのイジられスキル持ってるねー」
「くそぉ、なんでこんな目に遭わなきゃいけねえんだ……もう消えてくれよ、あたいは掃除したいんだ……」
カミナは弱々しく懇願した。ウィッチも充分にストレスを発散できたので、解放してあげようと思った矢先、2人の前に怪しい男が現れた。2人は同時に男の方に向いた。
「結城萌だな?」
男はカミナを睨んでそう言った。ウィッチもカミナに視線を向け直すと、カミナはウィッチを横目に、溜め息を吐いて渋々と応えた。
「そうだよ」
「あははっ、萌! 萌って、可愛すぎ。ていうか、偽名だったのかよー、あはははっ」
馬鹿にしたように大笑いするウィッチに、カミナはまたしても顔を赤くして怒鳴った。
「うるさい! いいだろ、何を名乗ったって。お前だって自分でウィッチとか名乗ってんじゃないか!」
「キミの場合、偽名と本名がかけ離れすぎる上に、見た目とのギャップが……はははっ、萌、もえ。もえたーん」
「名前で呼ぶな!」
男そっちのけでやり取りをしていた2人だが、その間を1つの火球が割り込んできた。男の方を向くと、彼の手には源石が握られていて、指先に微かな残り火があった。
男は2人が黙ると、再び話し始めた。
「徳峰中、2年4組の結城萌で間違いないな?」
「このナリ見て中坊だと思うか? まあ、4年前の話だったら間違っちゃいないけどよ」
「……諸積真子を覚えているか?」
「諸積真子? 居たような気がするな。なんせ学校にまともにいた通った記憶がないから、クラスメイトなんて覚えちゃいないね。で、それがなんだってんだ? 理使いさんよ」
話をする間に、男の手には炎が再び盛っていた。ただならぬ気配を感じてカミナは腰の木刀に手を掛けていた。
「真子はお前らに殺された。お前ら全員が、真子を追い詰めた。そして、誰も罪に問われることがなかった! 裁きを受けなかった!」
炎はカミナに目掛けて放たれた。カミナは軽い身のこなしでそれを避けた。
「だから、俺が裁く。真子を殺したお前らを、俺が殺してやる。1人残らず、全員殺してやる!」
狂気の混じった声で男は叫んだ。それと同時に、彼の周りにいくつもの火球が発現した。
「なんのことだがさっぱり分からないが、むざむざと殺されてやる義理なんてないんだよ」
火球が次々とカミナを襲う。カミナは持ち前の瞬発力でそれらを回避し続け、時には木刀で払い除けて防戦していた。
戦いは一方的で、男の途切れることのない攻撃にカミナは辛うじて抵抗するものの、反撃に転じることは許されずに押されていた。カミナが負けるのは時間の問題だということは、傍観者となっているウィッチから見て一目瞭然であり、その成因であるカミナの行動も看破していた。
カミナの精一杯の抵抗も、遂に終わりが見え始めた。火球を防いでいた木刀が焼け崩れ、防御することが出来なくなってしまった。男も好機と見たか、火球を大量に連射してきた。万事休すかと思われたその時、カミナを炎とは異なる衝撃が襲った。
その衝撃に吹き飛ばされ、カミナは火球から逃れることが出来た。大きくそびえる炎の中から、人影が1つ見えた。
「間一髪だったねー、萌たん」
ウィッチはニヤニヤと笑みを浮かべながら、カミナの前に姿を現した。
「あいつ強いねー。バンバン理使ってくるしねー。キミも使ったら?」
意地の悪い言い方をしてカミナを扇動した。カミナは露骨に苛立ちを見せながら言葉を返した。
「ああ、そうだな。使えるなら、まともな戦いが出来るだろうな。使えるならな」
「やっぱりねー。源石、持ってないんだ」
「あの石っころ、とっくの昔に使い切っちまったのさ。別になくても問題なかったんだ。街に蔓延る悪党どもは紅蓮さんたちがぶちのめしてくれる。あたいは紅蓮さんの作ったクリーン隊で、悪党どもがのさばらない綺麗で清潔な街にする。それがあたいの戦いだから」
カミナは力を振り絞って立ち上がった。火球の直撃を免れたとはいえ満身創痍で、立っているのもやっとの状態に見えた。
「つっても、それが拳を振るわない理由にはならない。あいつがあたいにどんな恨みを持ってようと、諦めるまで戦ってやる。あたいは生きて、あたいの戦場に戻る」
「気持ちは立派だけど、理も使えないんじゃ死ににいくだけだよー? 戦う手段、欲しくない?」
立ちはだかる炎に向かって進むカミナを、ウィッチは引き止めた。そして、何処からか多種多様なメダルを出して、カミナに見せびらかした。
「じゃじゃーん! なんとこれは源石と同じ、理源として使えるメダルなのだー。軽い、嵩張らない、持ち運びに便利。まさに次世代の理源と呼べる一品だよー」
「……お前から塩を送られるとはね。癪だけど、恩に着るよ」
カミナはメダルを取ろうとした。しかし、ウィッチが寸前で手を引っ込めて、カミナは空を掴んだ。
「ノンノンノン。恩は先払いでお願いしますー。きっちりみっちり、現金ちょうだい?」
「お前……こんな時にふざけてんのか?」
「大真面目だよー。こんなビジネスチャンス、滅多にないもん。ほら、払ってよー。1つ5万ねー」
「高すぎるぞ、いくらなんでも! くっそ、一瞬でもお前を見直したことが恥ずかしい」
「寧ろこの商魂の逞しさを称えてよねー。理源屋さん、これ儲かるだろうなー」
「ああ褒めてやるさ、その腐った性根をよ! 人間のクズ! アバズレ! クソビッチ!」
「んー? 聞こえなーい、何も聞こえないよ―。お金をくれる優しい人の声しか聞こえなーい」
しょうもない寸劇をしている間に、炎の壁が消えていた。2人はそれに気付かず、男が近付いてくるのもお構いなしに言い争っていた。
男はその猶予をもって不意打ちの準備をした。火球を発現する最中、ウィッチの持つメダルが目に付いた。
男の攻撃の標的が変わった。発射された火球はウィッチに向かって直進していき、その顔面を捉えて燃え上がらせた。
ウィッチは苦悶の声を上げてのたうち回った。驚愕するカミナを尻目に、男は追撃とばかりにウィッチを蹴り飛ばした。
水の理の力で消火して体勢を立て直したウィッチは、冷たく恐ろしい眼光を向けられていることに気付いた。
「そのメダルは悪意の証。如何なる者だろうと悪意に侵された人間は殺す」
「とんでもない言いがかりだなー。あーあ、大人しく萌たんだけ狙ってくれてれば良かったのに」
ウィッチは出来れば傍観者を貫きたかったのだが、男の標的は完全に此方に移行していた。仕方なく、カミナに売りつけるために残していたメダルを使って応戦することにした。風と土のメダルを指の間に挟み、小さな声で呪文を呟く。
「風に乗ってけ、ウィンドターボ」
詠唱を終えるとウィッチは男に突進していった。ウィッチの背後から追い風が吹き、それにより不意を突く速さで男の懐に飛び込むことに成功した。すかさず2つ目の呪文を気合いを込めて唱える。
「単純明快、一発解決……」
片腕に土の力が集中していく。ウィッチは振りかぶりながら、呪文の名を告げる。
「シンプルアーム!」
心臓の辺りを拳が的確に突いた。細腕から繰り出されたとは思えない衝撃が迸り、男は大きく吹き飛んだ。
「あー痛いなー。魔女っぽくないし、これは封印かなー」
ウィッチは手をぶらぶらと振り、痛みを緩和させようとした。理の力にもかかかわらず、己の許容範囲を無視して反動が返ってくる技だった。しかしそれだけに効果は絶大である。男が衝突した壁の跡に残ったヒビがそれを物語っていた。
普通の人間であればこの一撃で終幕なのだが、彼は違った。多少よろめいたが、どこから力が湧いてくるのかすぐに復帰し、一層険しい表情でウィッチを睨みつけた。
「悪意の力……おぞましい女め。だが、負けない。正しき者に勝利の女神は微笑み、力を与えてくれる。悪しき心を持つ者を裁くために。その使命を全うする!」
男の周囲に火球が次々と発生し、彼を軸に回り始めた。火球は回るにつれて、徐々に大きく、速くなっていった。
ウィッチは男の動きを注意深く観察した。あの火球が男のパーソナルであることは分かった。まだ高速で回転しているだけだったが、それが彼や自分にどんな影響を与えるか見ておきたかった。
互いに動きのないまま、数分経った。火球は既に大きさも速度も限界値に達したらしく、変化することはなくなった。そしてそれを機に、男は遂に攻撃に転じた。
それを視認することは出来なかった。気が付けばウィッチは業火に身を包み、悶え苦しんでいた。男の回りにある火球は次々と減り、その度にウィッチを包む炎は巨大になり激しさを増した。
ウィッチは断末魔を上げて苦しんだ。その様を男は冷ややかな目で見つめていた。
「最高火力に達した『シューティング・フレイム・サテライト』を受けて、まだ足掻けるのか。これほどしぶとい悪意は初めてだ。だが、お前のような人間には相応しい死に方かもな。苦痛に苛まれ、己の悪行を悔やみながら不浄の灰になるがいい」
「がああっ! ぐっ……ふふふっ……あっはははは!」
断末魔が狂気に満ちた笑いへと変わっていった。男はその異常な声に顔が青くなった。
ウィッチを包んでいた炎が一瞬にして消え、蒸気になった。濃霧のような蒸気が次第に晴れていくと、衣服が微塵も焦げず、火傷も1つもない姿のウィッチが現れた。
「あははは! いーねー、その名前! その口上! そのパーソナル! 詠唱化のし甲斐があるよ」
「なぜだ? なぜ、生きてる? 俺の炎は確かにお前を……」
「あれだけ時間貰えれば、こっちだって守りの準備くらいできるよ。あなたちょっとおバカ?」
狼狽する男を見て、ウィッチはほくそ笑んだ。
「そんなおバカさんでも立派なパーソナルを持ってるんだねー。自分の周囲を回る火球を展開し、時間が経つにつれて強大になっていく。そして、限界値に達すると引力から解き放たれ、すさまじい威力と速度で射出される。これで合ってるよねー?」
男は頬を震わせながら唇を噛んでいた。ウィッチの予想が的中したということだ。
「だよねだよねー。タネも分かったし、もう満足だー。だから……死のっか」
ウィッチは火のメダルを手にし、両手を前に出した。そして、ゆっくりと、言葉を紡ぎ始めた。
「血に染まりし者に相応しき死を。苦痛に苛まれ、己が悪行を悔やみながら不浄の灰となれ。天よりの制裁、業火の隕泗。シューティング・フレイム・サテライト!」
火球がウィッチの周囲に展開された。それは男が使ったパーソナルと同じようにはウィッチを中心に回り、すぐさま男が放った巨大な火球と同等の大きさに成長した。今まさにそれが放たれんとする時、ウィッチは男に最期の言葉を送った。
「軽々しく正義の味方ごっこした罰だよ。と言っても、とても正義とは思えない有様だったけど。じゃあ、地獄へいってらっしゃい」
火球が男を飲み込んだ。男の雄叫びのような悲鳴が響き、炎が激しさを増すとともにそれは聞こえなくなっていった。
全てを燃やし尽くした炎は役目を終えて萎んでいき、小さな灯火となった後に消えた。そこには何も残っていなかった。ただ焼け跡が地面に残っているだけで、男のいた証は一切なかった。
終始呆けていたカミナに目もくれず、ウィッチは懐からノートを出して独り言を呟きながらメモを取った。
「シューティング・フレイム・サテライト……威力は申し分ないが、名前が長くて覚えづらい……うーん、詠唱も含めてもっと短く出来ないかな。シューティングを取っ払って……フレイム……フレイム……フレア?」
眼をノートと空に行ったり来たりさせて、思いついたことをノートに書き留める。そればかりに夢中になりながらも、足取りは確かに自宅へと向かっていた。




