正しい正義
頼人は病院を後にし、行く宛てもなく彷徨っていた。
知らず知らずの内に都市部から離れ、住宅地に行き、そこから都市開発の置き去りにされた田園地帯へと辿り着くと、足を止めて辺りの風景を眺め始めた。
一面に広がる田畑と遠方に見える高層ビル群。そのちぐはぐな眺めを見ていたら、いつかこの田舎じみた場所も、あの無機質なビル群に飲み込まれて、自分の知っている彩角の風情が思い出とともに消えてしまうのではないかと思えて虚しくなった。
郷愁を抱きつつ、ぼんやりとしていたが、ふと何者かの視線を感じて周囲に意識を向けた。頼人が見つける前に、それは声を上げて居場所を報せた。
「お前さん、強者の匂いがしますねえ。もしや、光の剣の使い手で?」
声のする方を向くと、そこにはイタチの妖怪、鎌鼬が立っていた。頼人は鎌鼬に既視感を覚えたが、それがなんなのか分からないまま、適当な返事をした。
「え、ええ。確かに光の剣を使えますけど」
「……ほう、ではお前さんが兄者を『札付き』にした人間というわけですか」
「兄者? 札付き?」
既視感の正体を示す言葉と、聞いたことのない言葉が並んだ。前者は喉まで出かかっているのだが、後者は知る由もなかった。おそらく一度退治した妖怪に付ける、はな婆の札のことを指しているのだろう。その札を付けられた妖怪は人里に近付くだけで札から電流が流れる仕組みになっており、妖怪が再び人に悪さをするのを防ぐ術となっている。
その札のことを言っているのなら、この鎌鼬は一度退治した妖怪と関係しているのだろうか。
「……敵討ちの相手が何も知らないのは屈辱極まりない。兄者とはすなわち我が実兄、鎌鼬の漣風のこと。その名に覚えがありましょう?」
「いや、妖怪の名前なんていちいち覚えてないです。俺も仕事柄、たくさんの妖怪を退治してきたので」
「なんと! 重ねて屈辱、大屈辱! ならば、兄者と同じこの太刀筋を見れば思い出すでしょう。いざっ!」
鎌鼬の爪が伸びて、刀のように振るってきた。頼人はこのタイミングで既視感の正体に気付いたが、それが行動を鈍らせた。
間一髪で斬撃を避けるも、爪の先がブレスレットに引っかかり、辺りにビーズが散らばった。
花凛から貰った大切なプレゼントに気を留める猶予はなく、頼人は体勢を整えて光の剣を発現させようとした。いつものように手に意識を集中させて、温かな力が漲るのを待つが、何故か一向にその兆候が現れなかった。
謎の不調に戸惑う頼人だったが、それを待ってくれる相手ではなかった。気が付くと、鎌鼬は頼人の眼前まで跳躍してきて、太刀を振り下ろさんとしていた。頼人は思わず目を瞑った。
次の瞬間に悲鳴を上げていたのは鎌鼬だった。鎌鼬の横腹に石の礫が飛んできて、浮いていた鎌鼬は無様に地に落とされた。頼人は目を開けて、横たわる鎌鼬を見ていると、また石礫が鎌鼬に向かって飛んできた。頼人はそれが飛んでくる方に目を向けた。
知らない人だ。同じくらいの年齢と思しき少年が源石を片手に石礫を射出していた。少年は頼人が見ているのに気付きつつも、攻撃を止めずにひたすら石礫を打ち続けていた。
「ちょ、ちょっと! やりすぎだよ!」
頼人は慌てて少年に近付き、腕を掴んで攻撃を止めさせた。
「何故だい? あれは君を殺そうとしてたんだよ? 相応の罰を与えるべきじゃないのかい?」
少年は淡々とした口調て言った。
「罰って……君のは度が過ぎてるよ。これじゃあこの子、死んじゃうじゃないか」
「死ぬべきなんだ。悪いことをする輩に生きている価値なんてない。だから、殺す」
「そんな……」
口調とは裏腹に過激なことを言う少年に、頼人は動じずにはいられなかった。少年は動揺する頼人の手を軽く振り払い、鎌鼬に近付いていった。
「あっ、待って!」
頼人は我に返って少年を追い、再び少年の腕を掴んで引き止めた。
「殺しちゃ駄目だ。殺したら……可哀想じゃないか」
適当な理由が思いつかなかった。悪足掻きじみた言葉だったが、彼の歩みを止めることは出来た。
「幼稚なこと言うんだね。悪を滅するには存在全てを消し去る必要がある。悪に染まった部分だけ切り取るなんて不可能だから。俺はただ最善を尽くしたいだけなんだ。この腐り切った世界を清めるために」
「君の話、よく分からない。よく分からないけど、すごいこと考えてるってのは分かる。でも、それでも殺しを正当化するのはおかしい。人の命を奪って、平気でいられるのもおかしい」
「じゃあどうすればいいんだい? どうすれば、世界は正しくなる?」
静かな語り口とは裏腹に、彼の目はギラギラと輝いていた。頼人は彼の熱視線から目を背け、考え込んだ。考え込んだが、自分でも納得のいく答えは見つからなかった。
「……分からない。そんなこと考えたことないから」
「君はやっぱり幼稚だ」
少年は鎌鼬の方に顔を向けた。しかし、そこにいたはずの鎌鼬は微かな血痕を残して消えていた。
「逃げられたか……君の顔を立てた、ということにしよう。立てるほどの誇りがあるようには思えないけど」
少年はそう言って、頼人を横切って去ろうとした。彼を留めていた頼人の手は自然と抜け落ちてしまった。
しばらく呆然としていた頼人だったが、彼の気配が消える直前に振り返り、大きな声でこう言った。
「あの! 助けてくれて、ありがとうございます!」
少年は僅かに顔を頼人に向けた。彼の口角が少し上がっているのだけ、頼人は見て取ることが出来た。
去りゆく少年、並木慎平は顔を正面に向き直すと、笑みを崩して眉をひそめた。
「本当に彼が悪たる者なのか?」




