悪意>ジジイ
老人を見失ってもなお、走り続ける花凛。老人から与えられた辱めは未だ花凛の怒りを滾らせていて、そう容易く冷めることはなかった。あの老人を捕まえて、相応の罰を与えなければ気が済まなかったのだ。
今、花凛は見回りをしていた繁華街から大きく離れ、閑静な住宅街を走っていた。人の気配はなく、聞こえるのは鳥の囀りだけ。それでも花凛は耳を澄まし、姿の見えない老人の居場所を探った。
やがて自分の激しい呼吸音と足音が耳障りになり、動き続けていた足を止めて注意深く周囲の音を拾った。
背後から何者が迫ってくる音がする。それに気付いた花凛は振り返り、細い道路の先に目を凝らした。微かに見える人影が次第にはっきりと姿を現すと、花凛は肩を落として、溜め息を吐いた。それは老人ではなく、置いてきていた相方だった。
「おーい、かーりーんー!」
大きく手を振りながら、頼人は叫んだ。その声は花凛の耳に嫌というほど入ってきた。
花凛の元へ到着し、何を言うかと思えば、ただ息を切らし、咳き込むばかりだった。花凛は呆れつつも、自分の勝手な行動で頼人を疲弊させてしまったことを内省し、怒りに満ちていた心を、頼人の体力回復を待つのと同時に、少しずつ冷ましていった。
「1人で……突っ走るなって……」
まだ息が上がっていたが、頼人は振り絞るようにして言った。
「ごめん。でも、ホントにムカついてたから……いーや、言い訳はダメね。あたしが悪い」
「何言ってんだよ……悪いのはどう考えてもあのおじいさんだろ……ふう……」
最後に大きく息を吐くと、完全に呼吸が落ち着いた。これで漸く平静になるかと思ったら、今度はあたふたしだして、まくし立てるようにこう言った。
「そうだ、それどころじゃなくて! さっき、はな婆から連絡があって、ちょうどこの辺りに悪意に飲まれたらしい、怪しい人が出てきたって!」
「ええ? それってあのジジイじゃないの?」
「違う違う。若い女の人で、しかも道着っぽいの着てるって言ってた」
「そう。あれも悪意だったら良いのに……まあとにかく、そっちを片付けなきゃね。それで、詳しい場所とかは?」
「道場。なんかでかい道場に入っていったって。『頼もー!』って高らかに叫んで」
「道場破りじゃん! 面白いことするわねー」
花凛は急に気分が昂ぶりだした。不謹慎ながらも自分の好みに合うシチュエーションを提供してくれる相手のようだ。
非力だひ弱だと蔑まれる女子が、自らの力を示して強さを証明するため、大の大人な屈強な男たちを倒していく。そんなストーリーがあるのだろうと思った。ただ、それが悪意に彩られているのなら、きっと自己顕示欲やら自分を馬鹿にした人たちへの復讐が原動力になっているのだろうと気付くと、尊敬よりも同情が勝ってしまった。悲運な定めに陥れられた彼女を救わなければならない。完全なる闇に堕ちる前に。




