ジジイ
頼人と花凛は大和駅の近くにある大通りに着いた。人通りの多い場所での見回りとなり、悪意や妖怪が現れた場合、迅速な対応が求められることになるため、常に緊張状態を保っていなければならないが、当の本人たちは行き交う人々と何ら変わらない、とりとめのない話をしながらぶらぶらと歩き回っていた。しかし、視線は時折すれ違う人を追っていったり、物陰や路地の方を気にしたりと与えられた仕事はきっちりとこなしていた。
見回りをやってはいるものの、それらしき敵は現れないので花凛が飽き始めていた。その兆候は話す内容に顕著に出てきた。
「ねえ、見回り増やす意味あったのかな? 悪意も妖怪も、全く出てこないじゃん」
「出てこないならそれに越したことはないだろ」
「そりゃそうだけど、何にも起こらないのはどうなのよ? 本当に事件が増えてるのか疑っちゃうわ」
花凛はつまらなそうに天を仰いだ。
「事件起きてるにしても、ニュースになるようなことじゃなきゃ実感湧かないのよね。あの時の銀行強盗みたいなかんじでさ」
「ニュースにはなってるんじゃないか? ただ俺たちが気づかないだけで。そういう傷害事件って日本の色んなとこで起きてるから、あまり印象に残らないし」
「そうかもね。悪意とか妖怪なんかいなくても、この国は平和じゃないのかもねー。人間同士、手と手を取り合って生きていけないものかなあ」
「ちょっとセンチ入ってるな。らしくない」
「こうやって雲ひとつない真っ青な空を見てたら、そうもなるわよ」
「そうか?」
頼人も花凛を真似て、空を見上げた。確かに一面に広がる青く澄んだ空を見ていると、頭の中にある色々な思考が空に浮き上がっていき、それ以外の邪魔者がないため、否が応でも見つめ直さなければならないような気にはなった。
ぼんやりとしながら、自分の抱えている問題を改めて見ていたが、空に浮いた様々な思考がどこかから聞こえた奇妙な声でかき消された。頼人は我に返って空から目を話し、辺りを見回した。
「オネーチャン、とてもベッピンさんネ。ワタシとお茶でもしてかないカ?」
丸坊主の頭に、三つ編みに編んでいる白い顎鬚を伸ばした老人が、若い女性に話しかけていた。女性は引きつった顔で老人の誘いをやんわりと断り、そそくさと去っていった。
老人は大袈裟に見える落胆を見せたが、女性2人組が側を横切ると、活気を蘇らせて後を追った。
「ヘイ、オネーチャン方。ドコ行くの? ワタシも一緒に遊びたいネ」
女性たちは老人を無視して早足で逃げていった。老人は2人を見送りながら、首を傾げて言った。
「うーん、ニポンのオンナはジジイにヤサシイって聞いたけど、ウソだったネ……」
明らかに様子がおかしい老人に、頼人と花凛は釘付けになっていた。
「何あのおじいちゃん……」
「外国の人みたいだけど、様子が変だ」
「変っていうか、あれナンパでしょ。元気なおじいちゃんね」
話している最中も、老人は道行く女性に片っ端から話しかけていた。しかし、一向に成功する様子はなく、しかも老人のナンパ行為に周囲が気付き始めて、女性たちは露骨に老人を避けるようになっていた。
路上に佇む老人の背中に哀愁を感じていると、老人は退散を決め込んだのか、力なく振り返り、トボトボと歩き始めた。しかし、歩く先に若い女性がいることに気付くと、淀んだ目に輝きが戻った。
老人はスキップしながら、頼人と花凛の方にやってきた。花凛に吸い寄せられて来たと捉えるのが、先程までの老人観察からの推測だが。それにしても、色香も放たぬ目立つだけの花におびき寄せられるのは、この老人も悪食なのだろうか、それとも破れかぶれの特攻なのだろうか。答えは分からずとも、頼人は一層の憐れみを老人を向けてしまっていた。
「やあやあやあ、今日はイイ天気だネー」
「ここんとこ毎日晴れてて、特に良いって思うこともないけど」
自然と会話を試みる老人に、花凛もそれなりの対応で返した。
「毎日イイ天気なのはいいことネ。気分良くて、ルンルンになるヨ」
「ルンルンって、おじいちゃんが使う言葉じゃないわね」
「見た目はジジイでも中身は若いのと一緒! 生涯現役!」
「ふーん……」
花凛は目を細めて、老人を見ていた。興味がないとか、鬱陶しいという感じではなく、何か訝しんでいる様子だった。それを露骨に見せる花凛だったが、老人はお構いなしに話しかけてくる。
「キミはとても若い。その服も、いわゆるジェーケーだネ。ワタシ、ジェーケーも好きヨ。どうネ、これから一緒にお茶なんて?」
「お生憎、あたしたちは忙しいから、おじいちゃんの相手はできないのよ。他を当たってちょうだいな」
「つれないネー。ワタシ、オネーチャンを誘ったけど、誰も相手してくれなかったんだヨ。お願いネー、ゴショウだからー」
老人は必死に懇願していたが、花凛は誘いを受けようとはしなかった。それでも老人は諦められないのか、花凛の側をくるくると周って逃げられないようにして、懇願を続けた。
ハエのような煩わしさに、比較的穏やかな対応をしていた花凛も苛立ちが募り始めた。ついにはそれが言葉になって現れてしまった。
「鬱陶しいわね。そんなんだから女の子に相手されないのよ。ていうか、その年になっても女遊びなんてみっともない真似しないでよ」
「か、花凛、あんまり酷いこと言うなって……」
頼人が宥めようとしてきたが、花凛はひと睨みして黙らせた。その鋭い視線を老人にも突きつけたが、老人は一向に怯む様子もなく、ただ花凛を舐め回すように見ているだけだった。
老人のいやらしい視線に耐えかねた花凛は、怒りを言葉だけに留めておくことが出来なくなり、思わず足が出てしまった。空き缶を蹴るかのごとく繰り出される、威嚇程度の蹴撃だったが、怒りによって制御が利かなくなっていたようで、存外力の入った一撃になってしまった。
「あっ」と声を上げた時には、その一撃は老人に降り掛かっていた。老人の脇腹に命中し、その手応えさえ感じ取れてしまった。老体に致命傷を負わせる一撃を放ったことに、花凛は怯えてしまった。
すぐに足を離そうとするが、不意に老人の腕が足を脇に抱えて捕えられた。状況を理解できていない花凛へ追い打ちとばかりに老人は奇行に走った。
捕えた足を大きく掲げると、あられもない姿を晒している花凛のスカートの中を覗き込んできた。そして蓄えた髭を撫でながら、満足そうにこう言った。
「ふーむ、スパッツも……イイネ!」
花凛の顔が真っ赤に紅潮した。恥ずかしさと怒りの混じった感情が力となり沸き上がってきた。
「こんの……スケベジジイ!」
掲げられていた足に再び力がこもると、老人の拘束を振りほどき、そのまま頭部を狙った攻撃が繰り出された。
しかし、その攻撃は空を切るだけだった。体を半回転するほどの空振りになり、体勢を立て直してからまた老人の方を向いたが、そこに老人の姿はなかった。
周囲を見回すと、人波に逆らって走りぬけていく小さな人影を見つけた。明らかにあの老人であると確信した花凛は獣のように雄叫びを上げて、それを追いかけていった。
「お、おい、花凛! ちょっと待てよ!」
取り残された頼人は人々の痛い視線を受けながら、俯き気味になって花凛の後を追った。




