覚悟を悪へ向ける
小太りの中年を追い詰めることに苦労することなど1つもなかった。
夜の明かりから遠ざかるようにして人気のない場所に追い込む。その男は背後を振り向くことなく懸命に逃げていたが、遂に足の自由が利かなくなり無様に転んだ。
転んでもなお、此方から離れようと腕の力で這っていく。無駄な足掻きだった。すぐに男の襟を掴み、仰向けになるように投げ倒した。
「ひぃっ、や、やめてくれ……私が、私がいったい何をしたというんだ?」
怯えた声で男は言う。それが一層腹立たしさを増幅させた。
「お前がやってきた悪行をなかったことにするなよ」
「あ、悪行? あれか、政治資金を使っていたことだろう? それなら既に罪を認めたし、罰金だって払った。禊はもう済ませたはずだ」
「その1つだけじゃないだろ。以前起きた銀行強盗の手引きはお前がしたらしいじゃないか。更には美術品の恐喝、人身売買……表沙汰になってない悪行は山ほどある」
「何故それを……うぐっ!」
男の両頬を片手で鷲掴みにして口を塞いだ。
「汚れた世界を清めるには、悪の排除は不可欠だ。地獄で自らの行いを後悔するといい、三福大介」
男はもがきながら、手を振りほどこうと抵抗したが、遅かった。程なくして、体が激しく痙攣し、充血した目をひっくり返して息絶えた。
「死んじゃった?」
背後から聞こえるか細い声に、振り向いて反応した。
「うん。心臓、止まってる。粛清は済んだよ」
「そう……終わったんだね。並木君、大丈夫? 怪我とかしてない?」
「ちょっと疲れたくらいだよ。心配してくれてありがとう、鈴星さん」
「良かった」と鈴星は小さく呟いた。
「後始末は小雀ちゃんに任せて、早く此処から離れよう?」
「分かった」
口ではそう返事したが、なかなか立ち上がれず、死体となった男を見てしまっていた。それを不思議がり、鈴星が歩み寄る。
「先に行ってくれ!」
柄にもなく、大声で鈴星を制した。
「じゃ、じゃあ、逃げやすい道、探してくるね」
怖がらせてしまったのか、鈴星は裏返った声で言うと、すぐに踵を返して走り去った。
鈴星がいなくなると、ようやく立ち上がることが出来た。震えて思うように動かない足に力を込めて、ゆっくりと死体から離れていく。
人を殺すことに恐怖も躊躇いもないのに、どうして震えてしまうのだろう。この世界を正しくすることにに迷いなんてないのに、何故だろう。
自分の中に釈然としない思いがあったとしても、今は前に進むだけだ。正しい者が常に正しくあれる理想の世界を作るために、立ち止まっている暇はないのだから。




