その望みは贅沢なのか
頼人と花凛にとって、この夏休みほど自由を奪われた休暇を満喫させられたのは初めてだった。
紅蓮が突然旅に出てしまったことで、見回り当番の計画が大きく狂い、杏樹が海外に行ってしまったこともあって、頼人と花凛がその穴を埋めざるを得なかったのだ。
連日の見回りは何事も無く終わるということはほとんどなく、悪意や妖怪が尽きることなく現れてその対応に奔走する毎日だった。
遂に夏休みが終わって学校が始まると、その呪縛から解き放たれることに2人は喜んだ。登校初日、しれっとした顔でやってきた紅蓮に、花凛が罵声を浴びせたのは言うまでもないことだ。
今後しばらくは紅蓮と杏樹が見回りを請け負ってくれることになり、頼人と花凛は少々の休暇を得られた。少々という言葉通り、本当に微々たる休暇ではあったが。
「……で、紅蓮ちゃんあんな図体してるくせにシュンって縮こまっちゃってさ、『すまん、すまん……』って泣きそうな声で言うの。その見た目でメンタル弱すぎるわよって思っちゃった」
「あははっ、面白いね」
「あたしもいたたまれなくなっちゃって、言いたいことも言ったし、悪気もなかったみたいだから、それでお説教は終わりにしてあげたわ。でも、どこに何しに行ったのか聞きそびれちゃった。頼人はそこんとこ、知ってる?」
「いや知らないなあ。でも、自分を見つめ直すとかなんとか……」
煎餅を頬張りながら、頼人は答えた。
社務所の居間で頼人と花凛は、零子に今日あったことを話していた。せっかく休みを得られたということで、零子と親交を深めようと思って神社に来ていたのだ。
「いやー意識高いわね。それだけ意識高いのに、宿題全くやってなかったのよね。まだ授業始まってないけど、間に合うかなー?」
「花凛や俺と違って頭良いから、すぐに終わらせられるだろ。というか、花凛はちゃんとやったのか?」
「それくらい当然! 答え見ながらやれば楽勝よ」
「……そんな勉強サボってると、いつか痛い目見るぞ」
「勉強が出来なくたって死にはしないわよ。最低限のことだけ知ってればいいの。数学とかホント必要性感じない。あれ、日常で使わないじゃん。あんなの勉強したら逆に頭悪くなるわ」
「お前、何のために学校行ってるんだ……」
頼人は楽観的な花凛に憐れみを覚えた。心の底からそう思っているようで、手の施しようがなかった。それでも、花凛が馬鹿のままでは社会に出た時に困るだろうから、せめて授業はちゃんと受けるようにと説得を試みた。無論、花凛は馬耳東風で、適当に頷き、時おり自己保身の反論をするだけだった。しかし、その季節外れの風は、横にいた零子に新しい感情を芽吹かせた。
「学校、行ってみたいなあ……」
頼人と花凛は動作を中断して、零子に顔を向けた。その小さな呟きを確かめるように、頼人は聞き返した。
「ぜろ子、今なんて?」
「学校、行ってみたいなあ……って言った」
「それって、学校に通いたいってこと?」
花凛も言葉の真意を探るために聞いた。
「うん。2人の話を聞いてたら、学校楽しそうだなあって思って。私も長永とか花凛ちゃんとか、カズくんと一緒にお勉強したい」
「花凛の愚痴しか言ってないような……」
「うっさい! そんなことより、ぜろ子が学校行きたいって言ってくれてるのよ。叶えてあげたくない?」
「それは勿論。でも、俺たちでどうにか出来る問題か?」
「うちの学校なら大丈夫でしょ。トップの人間がアレだから、すぐにオーケー出してくれるって。あたしたちがしなくちゃいけないのは、あのカタブツ保護者を説得することよ。さあ、善は急げだわ。2人共、行くわよ!」
花凛の勢いに乗せられて、頼人と零子は居間を出た。そして、花凛にカタブツと言わしめた老婆の元へと向かう。
別室で話をしていたはな婆と戸張は、急にぞろぞろと入ってきた頼人たちを妙に思った。花凛の口から用件が話されると、2人の顔は揃ってしかめっ面になった。
「学校に通わせるなど無理じゃ。一日中頭を使う体力もないし、知能も学力も足らん」
「同意見。それに学校だとたくさんの人の目を引くことになる。奇異な見た目をからかう奴や疎ましく思う奴だっているはずだ。そんな奴らの前に、零子を晒したくない。それに学校にいる間だけじゃなくて、行き帰りにも変な奴に目を付けられるかもしれないし、事件に巻き込まれる可能性だってある。危険に満ちてる外に出るより、絶対に安全なこの神社の中でのんびり過ごしていればいいんだよ」
戸張も反対に回ってきたのは想定外だった。説得の手間が増えたが、それが引き下がる理由にはならなかった。
「学校行くくらいで、危ない目になんて遭わないわよ。杏樹を見てみなさい。あの子、お嬢様な上に、あんな浮いた見た目してるけど、なんともなってないじゃない」
「花凛と紅蓮とか見た目が目立つ人は多いから、今更そういうのが1人増えたって皆はそんなに気にしないと思うよ。それでも危ないことは起こらないなんて言い切れないけど、その時は戸張君や俺たちが守ってあげればいい。俺たちには守れるだけの力はあるし、友達を守りたいっていう思いも強いはずだから」
「良いこと言うねー、頼人。支え合い、助け合うのが友達よね。ぜろ子が学校に通いたいって言うなら、あたしたちはそれを後押ししてあげるのが当然。ましてや、1番の『オトモダチ』であるはずの戸張がぜろ子の意思を無視しようなんて、ありえる訳がないよね」
花凛は戸張を煽るかのように言った。その効果は戸張の顔にはっきりと表れていた。
苦悩している様子の戸張は項垂れて深い溜め息を吐いた後、すぐに顔を起こして能天気に笑っている零子の方を向いた。
「学校行きたい?」
戸張がそう聞くと、零子は大きく頷いた。
「うん」
眉間に皺を寄せていた戸張の表情が緩んだ。零子の屈託のない笑顔に釣られて、顔をほころばせた。
「そっか。じゃあ、一緒に勉強頑張ろうか」
「うん!」
戸張が陥落したことで、勢いづく頼人と花凛は続けざまにはな婆を落としにかかる。
「ねえはな婆、ぜろ子があんなに嬉しそうなんだしさ、いいでしょ?」
「うーむ、じゃがのう……」
「うちの学校は緩いから、勉強できなくてもなんとかなるよ。はな婆が思ってるほど、辛くないから」
「その通り。あたしでさえ大丈夫なんだから心配いらないって。それに色々経験させてあげるのもぜろ子のためになるじゃん。こんなところにずっと居たんじゃ、籠の中の鳥みたいなものよ」
「籠の中の鳥、か……」
それに続く言葉を待ったが、はな婆は目を閉じて腕を組んだまま黙っていた。顔面の皺という皺が深くなり、梅干しのようになっていたが、程なくして張りが少しだけ戻り、それと同時にしわがれた声でこう言った。
「この子を束縛する真似をしていたのかもしれんのう。やりたいようにやらせてあげるのが、義理とはいえ親の役目か」
「つまり、オッケーってこと?」
はな婆は大きく頷いた。花凛は両手を上げて喜ぶと、零子も同じように万歳をして、一緒になってはしゃいだ。
姦しい2人に和まされ、見守る頼人。だが、これで零子が学校に通えるようになったわけではない。本当に理事長と、学園の実権を握っている生徒会長が許可してくれるのか。それが気がかりになって、まだ完全に喜ぶことが出来なかった。




