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ブルーフレア  作者: 氷見山流々
正義の使者

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正義は心の中にだけ在る

 今日も、何事も変わらずに部活が終わった。ボールを追っている間だけは、何もかも忘れて、楽しかった。そんな幸せな時間がずっと続けば良いと、心の底から思っていた。

 汗を拭き、着替えを済ませると、部室の扉を叩く音がした。

「どうぞ」

 と言うと、扉は開き、マネージャーが現れた。

「あれ? 並木君1人なの?」

「……うん」

「そっか。困ったなあ。キャプテンに呼んできてって監督から言われて来たんだけど、もう帰っちゃったのかな?」

「まだ学校にはいるよ」

「良かった。どこにいるの?」

 それに答えることは出来なかった。答えても、良いことなんてないからだ。だから、自分がその役割を担うことにした。

「俺が呼んでくるよ。」

 それだけ言って、部室を出た。マネージャーは立ち呆けてくれたので、面倒にならずに済んだ。


 部室の裏にあるフェンス、その1か所に人が1人通れるくらいの穴がある。それを潜り、私有地であろう雑木林を進む。微かに草木がなくなっている道を辿り、部室も、グラウンドも見えなくなるくらい深い場所まで来ると、それが行なわれていた。

 都合よく開けたその場所で部員が数名、2人を囲んでいる。1人はキャプテンの田中。もう1人は1年生の飯田だ。

 田中は飯田の胸ぐらを掴み、暴言を吐いている。そして、それをひとしきり終えると、飯田を突き飛ばし、踏みつけ始めた。スパイクシューズで躊躇いなく、力を込めて腹部を踏む。何度も何度も。田中も周囲の部員たちも、飯田に罵声を浴びせ続ける。彼らの表情は不愉快なまでに爽やかだった。

 誰がどう見ても、イジメが行われている。不条理で、理不尽な暴力が非力な人間に振るわれている。例えそれを悪だと認識していても、止める力なんて、俺にはなかった。自分が暴力の渦に飲まれてしまうのは考えるまでもなく、結局助けることには至らないのだ。

 正しい倫理観や道徳心を持っていても、圧倒的な悪はそれを容易に握りつぶし、捻じ曲げる。俺の中にある正しい心も、悪に触れられてしまえば、黒く染まってしまうかもしれない。だから、介入してはならない。どちらにも属せず、傍観者として己の正義を育もう。それが正しく、無難なのだ。今はただ、感情を殺して務めをこなすだけ、それに徹する。

「田中、監督が呼んでる」

 どこも見る必要はない。ただ、田中だけを見ていればいい。田中の顔がこちらに向いた。

「ああ? ったく、あのジジイまた俺に仕事か? こっちはこっちで、教育中だってのにな!」

 怒りに身を任せて飯田を踏みつけていた。いや、見なくていいんだ。田中の目を見ろ。早く、終わってくれ。

「まあいいや。ちょっと行ってくる。お前ら、俺がいない間、飯田にしっかり礼儀を叩き込んどけよ」

 田中は顔をしかめながら、部員たちを一瞥し、その場を去る。田中の後を追おうと振り向く刹那、飯田を見下ろしてしまった。ほんの一瞬なのに、飯田の苦悶の表情が目に焼き付いて離れなかった。


 鬱屈とした気分を晴らすために本屋で立ち読みをした。自分の判断が間違っていたとは思わない。割って入っても、事態が悪化するだけだ。正しい判断をしたんだ。そのはずなのに、後悔の念に駆られてしまっているのだ。それを紛らわそうと、本に集中しようとしても、飯田の表情が紙面に浮かんできた。

 取り払っても、取り払ってもそれは消えなかった。本を読むのを諦め、さっさと帰ることにした。忘れよう。忘れるために、早く寝よう。今は出来るだけ、何も考えずに。

 本屋を出て、少し歩くと、何処からか悲鳴が聞こえてきた。女性の悲鳴だ。聞き間違いだと思って、無視しようとしたが、また聞こえてきた。近くの雑居ビルの辺りからはっきりと聞こえた。

 体が勝手にそこに向かっていた。雑居ビルの隙間、路地裏と呼ぶべきその場所に、確かに女性はいた。高校生らしい制服の女の子だった。そして、その女の子の口を塞ぎ、抑えつけていたのは、あの田中だった。田中は女の子を薙ぎ倒すと、馬乗りになって殴り始めた。

 田中が部員以外に手を上げているをの初めて見た。彼の暴力は見境ないものなのか。田中に対する憎悪が増していった。だが、いくら憎くても凶行を止めに入るのには躊躇いがあった。田中はその暴力性に見合った体格を有していて、自分が敵う相手ではなかった。

 助けに入っても、無駄だ。助けたいという気持ちだけでは勝てはしない。結局、力を持った人間は横暴で身勝手に生きる権利を持っているということだ。そんなふざけた道理がまかり通る世界なのだ。

 気付かれないように静かに後ずさりをする。そして、振り向こうとした時、また見てしまった。女の子は泣いていた。口を塞がれ、声のない叫びで助けを求めていた。耐え切れなかった。ただそれだけの感情が俺を踏み止まらせて、そして前へと突き動かした。

 田中の肩を掴み、思い切り引っ張って女の子から引きずり下ろそうとした。田中をよろめかせるので精一杯だったが、女の子を救い出すことは出来た。

「なんだあ? 並木じゃねえか。なに邪魔してくれてんだよ。俺ァ今イライラしてんだからよぉ、あんま調子こいたことすんじゃねえよ!」

 田中の硬く握りしめられた拳が頬を掠めた。なりふり構わず頭突きを顔面に食らわせると、田中は大きく仰け反った。間髪入れずに腹に蹴りを入れると、田中は堪えきれずに倒れた。

 女の子の手を取る。助けだすことは出来たから、後は逃げるだけだ。田中を跨いで走り抜けて、表の通りに出ようとした時、後頭部に強い衝撃を感じて膝をついた。手を後頭部にやり、確認すると、そこから血が出ていた。

「待てよ、並木ィ……カッコつけたまま帰らせねえぞ」

 振り向くと、田中は立ち上がり、此方を見ていた。だが、距離からして彼の拳は届かないはずだ。何かを投げつけられたのだろうか。田中の手を見ると、メダルのような物が握られていた。あれを投げてきたのか。と思うや、田中は空いている方の手のひらを見せてきた。

 手のひらから、何かが勢い良く発射された。ゴンッと鈍い音と共に鈍痛が額に走った。額を抑えながら、放たれた物体を確認しようと足元を見る。そこにはこぶし大の石が転がっていた。

 それに驚いている時間はなかった。田中が目の前まで来ていて、瞬く間に投げ落とされた。馬乗りにされてしまい、抵抗もできずに一方的に殴られた。

 やはり勝てなかった。圧倒的な力の前に俺は無力だ。正しい行いに対して、報いが来ることに儚さを感じずにはいられなかった。

 田中は不意に手を止めて立ち上がった。もう俺を殴るのに飽きたのだろう。次のターゲットに向かっていった。女の子は足を震わせ、動けなくなっていた。その様子を楽しむように田中はじわりじわりとにじり寄っていた。

 悔しかった。助けようとしたのに、助けられない己の非力さを悔やんだ。俺は間違っていたのだろうか。正しいと思ったことを成し遂げられなければ、それは正しくないのと一緒なのだろうか。俺は田中と同じ、悪の側の人間なのだろうか。嫌だ、それだけは絶対に嫌だ。

 沸き上がる気力が上体だけを起き上がらせた。ふと、指先に何かが触れるのを感じた。見てみると、田中が持っていた物と同じような、青いメダルが落ちていた。

 メダルに触れる指先から何かが流れこみ、体を巡った。それと同時に得体の知れない力が込み上げてきて、次第にそれはもう片方の手に集まってきた。

 その力に全てを委ねた。手のひらを田中の背に向けると、集まっていた力が解き放たれ、形となって現れた。汗と見間違うほど小さな水滴が出てきたかと思うと、それは田中の首筋に一直線に向かっていき直撃した。田中にダメージらしきものなかったが、此方に注意を向かわせることができた。

「何かしたのか? ……そうか、お前も使えるのか。理ってやつをよ!」

 標的を変えて、田中は雄叫びを上げながら突撃してきた。また同じように力を手のひらに溜めて、頼りない水滴を放つ。

 水滴は大きく開いた口の中に吸い込まれていった。すると、途端に田中の様子がおかしくなった。喉を抑えて悶え苦しみ、呻き声を上げて倒れた。暫くすると、声すらなくなり、田中は完全に沈黙した。

 理解できなかった。何もかも理解できなかった。田中の身に起きたことも、このメダルのことも、そして、自分の中に沸き上がった力も。呆然と田中を見ていると、背後から誰かがやってきた。

「キミは手にすることができたのだ。この世界を変える力を。悪意に満ちる汚れた世界を、正しく矯正するための力を手にしたんだ」

「力……正しくする……」

「そうだ。共に世界を人々を導こうではないか。潔白たる世界にする、正義の使者として」

 その人が手を差し伸べてきた。俺はどう考えることもなく、無心でその手を取っていた。

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