因果と運命の狭間 その2
冷房によって心地よい冷たさになったフローリングに、花凛は寝そべっていた。
「あー気持ちいいー。ずっとこのままでいたい……」
至福を味わっている花凛に、服部が声をかける。
「喉乾いてるでしょ? 麦茶持ってきたよ」
「気が利くねー。よっと……」
花凛はゆっくりと起き上がり、テーブルに向かう。麦茶が注がれたコップを立ったまま手に取り、口に運ぶ。一気に飲み干すと、コップをテーブルに戻して、またフローリングに寝転ぼうとした。しかし、それを服部が止める。
「あの、床に寝るのはちょっとやめてほしいかな」
「えー、なんで?」
「掃除とかしてないからさ、ばっちいよ」
「あたしも汗でばっちいから、おあいこね」
「凄い開き直り方だ。でも、本当お願いだから椅子に座ってくれない?」
花凛は悩んだが、人様の家に強引に入り込んで、好き放題に過ごすのは良くないと思い、服部に従った。椅子に浅く座り、テーブルに体を預けるようにして肘をついた。手持ち無沙汰なので、空になっているコップを弄る。
「おかわりする?」
「いらない」
「そう。じゃあ、お菓子は?」
「お腹すいてないし」
「そ、そう……」
服部は閉口していた。落ち着かない様子の服部を花凛は疎ましく思い、まずは自分と同じように座るよう要求した。
「おじさんも座ったら?」
「あー、そうだね。そうしよう」
花凛の向かいに座り、用意してあったもう1つのコップに麦茶を注いだ。それを少しずつ飲みながら、花凛に話しかけてきた。
「見回りの方は大丈夫? あんま長い間ここで休んでちゃいけないんじゃない?」
「何かあったらはな婆から連絡くるから大丈夫。ていうか、ずっと外にいろってのも鬼すぎ。熱中症になっちゃうじゃない」
「ごもっとも……じゃあ、しばらくは僕の家にいるんだね」
「気分次第。まあ、長居するつもりはないけど」
花凛がそう言うと、服部は小さな溜め息を吐いた。
「なんで溜め息?」
「安心したのさ。ずっと僕の家に居られても、気まずいっていうか、何を話したら良いか分からなくなりそうなんだ」
「そんなこと気にしなくてもいいのに。でも何を話したら、かあ……あっ、そうだ。あたし、前々から気になってたことあんだよね」
「え? なんだい?」
花凛はコップを置き、少し身を乗り出しながら聞いた。
「おじさんって、はな婆とどうやって知り合ったの? 理も使えないのに、こっちの世界にいるんだから、何か特別な訳があってはな婆と知り合ったんだよね?」
「それか。まあ、隠してることじゃないし、時間つぶしには持ってこいの話になるか」
服部はコップを空にし一息ついた後、遠い目をしながら語りだした。
「あれは今から5年前。僕がまだ駆け出しの警察官だった頃、とある事件が起きたんだ。僕と同期の男が、突然行方不明になった。そいつはすごく真面目で正義感の強い奴でね、無断で欠勤とかしないし、悪い噂もない、清廉潔白な男だった。そんな男が急にいなくなったから、皆で必死に探し回った。そして、いなくなってから何日が経って、そいつは見つかった。路上の真ん中で、遺体となって帰ってきた。外傷は一切見当たらず、そいつの周りに絵柄のないカードが散らばっていた。どう考えても、事件性のある状況だ。だけど、捜査は行われず、自殺として片付けられてしまったんだ。僕はそれがどうしても納得できなかった。そいつはただの同期じゃなく、僕の親友とも呼べる男だった。そんな彼の死の原因を有耶無耶にしてたまるかって、独自に事件を追っていった。どんなに些細なことでも、手がかりと見れば、すぐにそこにすっ飛んでいって調べたり、目撃者を探して色んな人に聞き込みをした。昼夜問わずに、寝る間も惜しんで、街中を走り回ったけど、結局事件に繋がるものは見つからなかった。こんなに探し回っても、事件の入り口にすら辿り着けなくて、相当焦ったね。冷静になって振り返ろうって意味で、再び事件現場に行った時、へんてこなお婆さんがいたんだ。言うまでもないけど、それがはなさんさ」
服部は一度話を切り、花凛の顔を窺った。いつになく真剣な表情で、熱心に話を聞いているようだった。喉を潤してから話を再開する。
「はなさんは遺体のあった場所をじっと見てて、こそこそと袖をいじってた。不審に思った僕は、陰でその様子を見守ることにした。そしたら、袖から人の形をした紙が出てきて、ひとりでに動き出したんだ。あれはびっくりしたね。思わず声を漏らしたら、はなさんに見つかってしまった。まあ、隠れてても仕方なかったから、素性を明かして事件について聞いてみたんだ。そしたら、『誰がやったのかは知らないが、おぬしが首を突っ込んでよい問題じゃない』って一蹴されてしまった。でも僕も引き下がれないから、何か知ってるならどんなことでも教えてほしい、って必死になってお願いして、何度も頭を下げた。はなさんもそれには参ったらしく、他言無用という条件で教えてくれた。この世界に理というものがあること、それを力として扱える人間、妖怪がいること、そしてこの事件にはその理が関わっているってことを。それで、お前の手に負えないから、解決してやる代わりに警察の地位を利用して自分に協力してほしいって言われて、今に至るってわけさ」
「……それで終わり、なの?」
花凛は険しい顔のまま口を開いた。
「はなさんとの出会いはね。あっ、事件のことが気になるのかい? 今もはなさんが追ってくれてるよ。でも、手がかりらしきものはまだ出てきてないみたいだね。まあ気長に待つさ」
「遺体のとこに落ちてたの、本当にカードで合ってる?」
「うん。そうだけど、それがどうかした?」
花凛は立ち上がり、部屋の隅に置いてあるストーンホルダーに向かった。そして、そこから何かを取り出すと、服部の前に立った。
「そのカードって、裏面はどんなかんじ?」
「確か、竜みたいな模様が入ってたかな。でもそんなこと聞いて……」
服部は絶句した。花凛が見せたのは絵柄も何も書かれていない白いカードだった。そして、裏面には服部が言っていたものと同じく、竜のようなモチーフが描かれていた。
「これと同じ?」
「……間違いない。そのカードだ。でも、なんで花凛ちゃんがそれを?」
花凛はテーブルにカードを置くと、元いた椅子に座った。そして、淡々と秘めていたことを話し始めた。
「こんな偶然もあるのかな。おじさんが言ってたその人と同じ、5年前に頼人のお母さんがいなくなっちゃって、何日か探し回って、路上で倒れているのを見つけたの。その時、手元に落ちてたのがこれ。頼人のお母さんのこと、知ってる?」
「ああ、知ってたよ。色々調べて、同じような事件を漁ったから。頼人君のお母さんだったってことは君たちと出会ってから知ったけどね。長永幸子、僕の同僚と同じく路上で発見されて外傷もなかったけど、死んではおらず今も意識不明の昏睡状態にある……1番接点がありそうだったけど、結局何も関連性は見つからなかった。でも、そのカードが落ちてたなんて初耳だ」
「最初に幸子おばさんを見つけたのあたしなの。それで、咄嗟にカードを拾ってそのまま……ねえ、これ同じカードなら、幸子おばさんも理にやられちゃったってこと? 誰かが幸子おばさんを……殺そうとしたの?」
花凛は声を震わせて言う。
「理を使える何者かによる犯行だっていうのは断言してもいい。僕の同僚も頼人君のお母さんも、何らかの事件に巻き込まれたのかもしれない。そのカードは犯人が残したものなのか? だとしたら、カードに何かしらのメッセージが隠されている? ……もう一度調べる必要が出てきたな。あれは確か……」
服部は言葉を続ける内に独り言のような呟きが漏れていた。花凛の視線を感じて我に返ると、作ったような笑顔をして取り繕った。
「ごめんごめん、つい独り言が……とにかく、事件解決の糸口が見えそうだ。ありがとう花凛ちゃん」
「なんか分かったら、教えてよ。あたしだって、犯人とっちめてやりたいんだから。そのためにあたしは今まで……」
花凛は何かを言いかけて、口を噤んだ。それを紛らわすように勢い良く立ち上がって、荷物を取った。
「……もう行くわ。休ませてくれて、ありがと」
そう言い残して、花凛は服部の前からいなくなった。
服部は慌てて玄関まで追いかけて花凛を見送ると、テーブルに戻って残されたカードを凝視した。奇妙な白いカードから、底知れない闇と悍ましい悪意が放出されているような気がした。




