因果と運命の狭間 その1
県内のみならず、国内でも有数のターミナル駅である与宮駅。世間では夏休みということもあり、人々が目まぐるしく行き交い、目当ての人物を探すのには一苦労だった。
何を表現しているのか分からない奇妙なオブジェの前で、花凛は今日の見回り当番の紅蓮を待っていた。
待ち合わせの時間より少し早めに着いた花凛は、流れる人々を見ながら時間を潰すことした。旅行へ出かけるのだろう家族や、カップルが目立っていて、花凛は羨ましく感じた。
「花凛ちゃんも、どこか遊びに行きたいの?」
耳の裏に収まっている如意棒が花凛の感情を読み取ったかのように言う。
「まあねえ。遠くへ行くってのは無理だけど、プールとか行きたいなあ」
「夏らしくていいね。僕も花凛ちゃんの水着姿、見てみたいよ」
「ピーちゃんって棒の分際で、スケベよね」
「棒だからこそなんだよ」
何を言ってるのかよく分からなかったので、花凛は如意棒を無視して人混みを眺めた。面白いものでも見れないかと視線を左右に動かしていると、改札の前でそれらしい出来事が発生していた。
大きなチェロケースを背負った女の子が、楽譜と思わしき紙を落としてしまったようだ。辺りに散る楽譜を通行人は避けていき、女の子はそんな人々に気を使いながら楽譜を拾っていたのだが、1人の青年が彼女を手伝った。大学生だろうか、爽やかな容姿の青年はテキパキと楽譜を拾い上げていき、全てを回収し終えると女の子に渡した。
何度も頭を下げる女の子に、青年は笑顔で返す。それでお終いかと思ったが、青年の方が女の子をまじまじと見て、話を続ける。女の子も頬を赤らめながら返事をする。その後、2人は共に歩き出し、楽しそうに話しながらどこかへ行ってしまった。
「情熱の恋物語の始まりを見ちゃったね。どう、花凛ちゃん? ご感想のほどは」
「少女漫画みたい。あんな出会い方したら、あたしだって恋に……落ちるかな?」
自分をあの女の子に置き換えてみても、ときめきがいまいちに感じられた。色恋沙汰に疎い花凛は理想の恋愛を想像する能力が欠けているようだ。
理想とはなんぞやと悩んでいると、携帯が鳴り出した。一旦、思考を止めて携帯を開く、頼人からの電話だ。
「もしもしー? どうしたの?」
「おう、花凛。たった今、紅蓮から連絡があってさ……」
その内容に、花凛は先程の出来事を忘れるほど、感情が煮やされていった。
紅蓮が旅に出たとの話に、花凛は不満を覚えた。もっと言うならば、怒りが芽生えていた。なぜそれを昨日のシフト決めの段階で言わないのか、急に決めたことならシフトを考えろ、というか連絡するなら頼人ではなく自分に直接しろ、などとにかく紅蓮に対する怨嗟の言葉が頭の中に渦巻いていた。
そんな見回りもままならない精神状態で駅前をぶらついていると、花凛を呼び止める声が聞こえてきた。
「花凛ちゃん? かーりーんーちゃーん?」
「ちょっと黙っててくれる、ピーちゃん?」
「僕じゃないよ。ほら、後ろ見てみな」
花凛が振り向くと、見知った人物がそこにいた。
「なんだ、おじさんか」
花凛の冷めた視線が服部に刺さった。
「寂しい反応だなあ。町なかで会うなんて珍しいのに」
「そうだね。おじさん、暇なの?」
「……まあ、暇っていうか、今日は休みなんだ。花凛ちゃんも、休日を満喫してるかんじ?」
「違う。見回り中」
「あー、はなさんが言ってたやつか。ご苦労様。どうだい? 悪意や妖怪出てきてる?」
花凛は首を横に振った。花凛の反応を見て、服部は怪訝な表情を浮かべた。
「なに?」
「機嫌良くないね。喧嘩でもした?」
苛ついているのが見え見えだった。それを言及されたとしても、花凛は取り繕う理由はなかった。
「ケンカじゃないけど、怒ってる。約束破られたから」
花凛は見回り当番の紅蓮が来なかったことを話した。
「あー、そういうことか。そりゃ怒るのも当然だ」
「でしょ? 紅蓮ちゃんが帰ってきたら、死ぬほどぶん殴ってやるんだから!」
「ま、まあ暴力は駄目だけど、今はこれ以上怒ってても仕方ないこと、分かるよね? 気持ち落ち着けて、いつもの元気でパッと明るい花凛ちゃんでいよう?」
服部が宥めるように言うと、花凛は少しだけ冷静さを取り戻した。
「うん。帰ってきたら……帰ってきたら! ……めっちゃ怒る。今は忘れておく。ごめんね、おじさんに当たってたかも」
「気にしなくていいよ。こういうの慣れてるから。さてさて、花凛ちゃんが調子を取り戻したところで、此処で巡り逢えた運命に乗じさせてもらおうかな」
「どういう意味?」
回りくどい言い方で要領を得なかった。それを承知している服部はすぐに説明した。
「僕、買いたい物があってこんなとこまで来たんだ。ただ、ちょっと面倒くさい事態になっちゃってね。よければ花凛ちゃんに手伝ってほしいんだ」
「まさか、おつかいでもさせる気?」
「おー、鋭い勘してる。その通りだよ。ゲームが欲しくてね。それを花凛ちゃんに買ってきてもらいたいんだ」
「おつかいさせるほどのこと? 自分で買いに行けばいいじゃん」
「それがそうもいかなくて……とりあえず、一緒に来てくれる?」
服部に促されて、花凛は付いて行く。何を買うにせよ、それが他人に頼むほどのことに思えなかった。
何も分からないまま、ゲームショップが見えてくる所まで来ると、服部は近くの電信柱に身を潜めた。
「何してんの?」
「花凛ちゃんも、こっち来て隠れて。ほら、早く」
渋々、服部の後ろに回り、彼が覗く先を見る。特に異変や異物がある訳でもなく、ゲームショップの前でたむろする人や何事も無く通りすぎている人がいるだけだった。
「やっぱりまだいるか……」
「何がいるの? 妖怪? 悪意?」
「違うよ。僕の上司。あの人、僕がお店に入らないように見張ってるんだ」
「どういうこと?」
服部は顔を電信柱から引っ込ませると、振り向いて花凛の背に合わせるかのように縮こまり、話した。
「僕が欲しいゲームってのが、ちょっとインモラルっていうか反社会的な内容のゲームなんだ。なんでか知らないけど、それを買おうとしてるのが上司にバレてね。俺たちは警察なんだから、そういう正義に反するゲームは買うな、って怒られたんだけど、どうせ口だけのお説教だし、気にせず買いに来たんだ。そしたらご覧の通り、お店で待ち伏せてたってわけ」
「別のお店で買えばいいじゃん」
「あそこで予約しちゃったんだよ。花凛ちゃん、いや、救世主様、どうか僕の代わりにゲームを買ってきてくれませんか?」
服部は両手を合わせて懇願した。日を改めて来れば良いのに、とも思ったが、それは分かってないぞ花凛、発売日、あわよくば前日に買ってこそのゲームだ。ゲームは鮮度なんだよ、と心の中の頼人が訴えてきたので、慎んだ。
「しょうがないわね。行ってきてあげる。じゃあ、はい」
花凛は手のひらを服部に見せた。買うのに必要な物を寄越せ、というジェスチャーに応じ、服部は予約票を渡した。
「じゃあ、それでよろしく……」
「待った。お金ちょうだい、お金。あたし500円しか持ってないの」
なんと寂しい女子高生の懐事情を暴露すると、服部は憐れみを感じさせる作り笑いを浮かべながらお金も渡した。その絵面は傍から見たら、実にインモラルだった。
「お釣りはどうする?」
「あげるよ」
「やった! そんじゃ、行ってくるね」
花凛は電信柱から飛び出し、軽やかな足取りでゲームショップに向かう。気付かれないように視線を動かして店前の人たちを見るが、服部の上司らしき人物は見つけられなかった。
顔を知らないからイメージでしかないが、上司と呼ぶからにはそれなりの年齢の男なのだろうと決めつけていた。だが、その年齢層に当てはまる人は見当たらず、若者ばかりだった。ただ、上司の存在を確かめても何かあるわけでもないので、すぐに見切りを付けて、店内にまっすぐ入っていった。
入り口に設置してある大きなテレビに見向きもせず、新発売のゲームコーナーも素通りし、レジを目指して一目散に歩く。予約票をレジで出せば商品が出てくるのだから、血眼になって探す必要はなかった。レジに辿り着くと、強張った表情の女性店員に予約票を突き出す。
「これ、お願いします」
「はい。えーっと、『チンピラ下克上伝Ⅱ』……予約の場合は……うーんと……」
もたもたとしている店員に不安を感じながら、花凛は見守った。ちらりと見えた胸の名札には『垂葉』という名前と、その上に『研修中』と書かれていて、不安は益々募っていった。
「……頑張れ、よもぎ。ようやく新しいバイトを見つけたんだから、失敗してはダメ。落ち着いて、冷静に商品を探すのよ……」
ぶつぶつと独り言を話しながら、店員はレジの後ろで物を漁っていた。程なくして、花凛の注文した『チンピラ下克上伝Ⅱ』を見つけて安堵の表情で、レジに帰ってきた。
「お待たせしました。こちらの商品でお間違いありませんか?」
「うん、大丈夫」
花凛は代金を支払い、ゲームを受け取った。心配していたのも杞憂となり、無事に目的を達成できたので、花凛は早々に店を出て、服部の元へ向かった。
電信柱まで戻ると、服部は心待ちにしていたようで、笑みを浮かべながら迎えてきた。
「ちゃんと買えたかい?」
「当たり前でしょ。ほら」
レジ袋に入ったゲームを渡すと、服部は中を確かめた。
「間違いないね。ありがとう、花凛ちゃん。これ、本当に楽しみにしてたんだよ」
「それ、完全にヤクザものだよね? 警察やってるのに、そういうのが好きってのは意外」
「現実とゲームは区別して考えてるさ。あくまでエンタメ、娯楽としてヤクザものが好きってだけ」
「ふーん、変なの」
ややこしそうな論理を言い出したので、花凛はその一言で済ませた。
「さて、それじゃあ、お目当ての物も手に入ったし、僕は帰ろ……」
服部が電信柱から離れて歩き出した時、何者かが衝突してきた。不意の出来事に服部は盛大に転んだ。
「おじさん、大丈夫?」
「大丈夫だいじょ……あっ、あれ? 『チン伝Ⅱ』がない……」
服部は辺りを見回すが、それらしき物はどこにもなかった。花凛はぶつかってきた人物を目で追った。その人物は既に彼方へ走り去っていて、目を凝らしてみると、手には服部が持っていた袋と同じものが握られていた。
「あいつ……おじさん、待ってて。取り返してくる!」
花凛はそう言い残して、全速力で犯人を追いかけていった。
足には自信があるのだが、視界から消えない距離を保つので精一杯だった。犯人が男であることも関係しているが、それ以上に考えられる原因に心当たりがある。それを口にしたのは如意棒だった。
「理源を持ってる様子もないし、あれって多分、悪意の力が働いてるよね。恐ろしい速さだもん」
「やっぱり? 自力じゃ追いつけないかな?」
「悪意って体のリミッターが外れてるようもんだからねえ。理なしだと無理だと思うよ」
「じゃあ、こっちもパワーアップしなきゃ。ピーちゃん、お願い!」
「ラジャー!」
如意棒から理の力が流れてきた。それを一度、胸の辺りに溜めて、自分の力に変換させると、両足に流した。すると足は軽く、早く回転するようになり、走る速度が増した。
その速さは犯人さえ越えるものであり、追いつくのは容易に思えた。だが、犯人も振り切ろうと、分かれ道をしきりに曲がって花凛を撒こうとした。
それが運の尽きで、犯人は袋小路の路地裏に入ってしまい、逃げ道をなくした。振り返った先には花凛が猛烈な勢いで走ってきている。
「正義の鉄槌で、悪意を滅してやるー!」
犯人が射程内に入ると、花凛は深く踏み込んで跳びかかった。右手の握り拳を叩きこもうとするも、犯人は間一髪でそれを避けて、花凛を横切る。
空振りに終わった花凛は体を捻り、耳の裏の如意棒を摘まみ取った。花凛の合図なしに、如意棒は花凛の手に収まる大きさに変化すると、逃げようとする犯人に向かって伸びた。
背中を勢い良く突くと、犯人はつんのめって倒れた。その間に花凛は破魔の札を取り出しつつ、犯人に接近した。
立ち上がろうとする犯人に飛び乗ると、札を犯人の後頭部に貼り付けた。暴れていた犯人も次第に大人しくなり、最後には意識を失った。
「ふう、退治完了っと。いくら理を使ってるからって、疲れるものは疲れるわね」
「結構走ったからねえ。ああ、うら若き乙女の汗が腕を伝って僕のところへ……」
如意棒を持つ手に流れ落ちる前に、花凛は一筋の汗を拭った。すぐに如意棒をしまい、犯人からゲームを取り返して、来た道をゆっくり戻り始める。
「一仕事どころか二仕事終えたって感じ。暑いし、汗かいたし、ちょっと休憩したいなあ」
「涼みたいなら、お店行くしかないね。駅前だったら、ファミレスとか喫茶店もあるよ。どう?」
「お金使いたくないし却下。でも、涼しいとこには行きたいなあ。どこかいいとこないかな」
思案しながら歩いていると、前方から服部が走ってきた。花凛は袋を掲げて、取り返したことを伝えた。
「花凛ちゃん、大丈夫? 怪我してない?」
「誰の心配してるのよ。それよりほら、これ」
再び服部にゲームが渡された。服部は胸の前に抱え込み、溜め息を吐いた。
「大袈裟すぎ」
「このゲームを愛してるからね。いわば、お嫁さんが帰ってきたのと一緒なのさ」
「さっき買ったばっかじゃん。意味分かんない」
花凛のツッコミを服部は笑って誤魔化した。花凛も深い意味など求めてないので、それに関しての追い打ちはかけなかった。
「悪意も消したし、また誰かにぶん取られるってことはないはず。まあ一応、お家に帰るまでは用心ね」
「何度もひったくりが現れるほど、この国の治安は悪くないよ。それに家も此処からすぐだし」
「へえ、近いんだ……こりゃ、ラッキーね」
服部は疑問符を浮かべた顔をしていた。だが、その顔は花凛の次の言葉で歪まされることになる。
「あたし、おじさんち行きたい」
「は? な、なにを言ってるのかな?」
「全力で走って疲れたから、おじさんちで休みたいの。いいでしょ?」
「えー……流石に女子高生を連れ込むのは不味いって……」
花凛にははっきりと聞こえない程度の声で呟いた。渋る服部に、花凛はしつこく懇願する。
「ねえねえ、お願い。ゲーム買ってきてあげたし、おまけに取り返してもあげたんだよ? アイス食べたいとかわがまま言わないからさー。扇風機に当たらせてくれるだけでいいからさー」
「うぅ……僕は警察失格だ。分かったよ、休ませてあげる」
「わーい! ありがと!」
花凛は犬のように喜んだ。その様子に服部も溜め息を吐きつつも、顔を緩ませていた。
こうして花凛は、そそくさと早歩きをする服部に連れられて、1棟のアパートの前に来たのだった。




